医学界新聞

 

英国における緩和医療の軌跡と現状

-日本のホスピス・緩和ケア運動が学ぶべきもの

加藤恒夫(かとう内科並木通り病院)


2461号よりつづく

【最終回】岡山におけるホスピス緩和医療活動と今後の方向
-ホスピス・緩和ケア岡山モデル

 これまで3回の連載で,英国の緩和ケア事情について,「英国緩和ケア専門家協議会のめざす方向」,「緩和ケアの卒後教育」,「緩和ケアの卒前教育開発の歴史」として紹介してきた。これらの中で,英国の緩和ケアが,(1)全国協議会のもとに統一した方向性を模索しようとしている,(2)すでに在宅ケアが主流となっており,プライマリケアチームとともに,さらに強固なものとして開発しようとしている,(3)大学での緩和医療の教育が,医学教育のコアカリキュラムとしてさまざまな専門分野に組み込まれている,ことを示した。
 翻って日本の現状は,確かに緩和ケア病棟(以下,PCU)は増えたものの,そこにはまだ緩和医療の系統的教育を受けた専門家はおらず,また施設から在宅へ,という流れは遅々として進んでいない。
 私は,1997年に在宅ケアの基地として独立型のPCUを開設し,近隣のプライマリケア担当の人たちとともに,「在宅緩和ケアの普及」を心がけてきた。そして,その過程における調査・研究を通して,日本の緩和ケアの進むべき道筋を模索してきた。今回は,それらを基盤とした「ホスピス・緩和ケア岡山モデル」を紹介する。

■日本型緩和ケアの特徴-英米と比較して

ホスピス・緩和ケアの運営方法

●非営利民間団体の力量
 聖クリトファーホスピス発行(1999年)のhospice directoryによると,英国のホスピス・緩和ケアサービスの供給形態は多様性を有していることがわかる(表1)。中でも,近年,在宅緩和ケア普及のためのサービスの拡充が目立つ。その中でも,デイホスピスの増設や,緩和ケアチームの増加が著しい(表2)。なお,緩和ケアチームとは,在宅・病院であれ,現在の医療チームを専門的立場より支援するものである。
 また,その開発の担い手は,非営利民間団体が主体であり,国家(NHS: National Health Service;英・国民保健サービス)が関与し始めたのは1990年からと比較的新しい(表3)。
 次に,米国の緩和ケアサービスの実態を表4に示す。その発祥は1974年のコネチカット州において,やはり非営利民間団体の手によるものであった。医療保険や,メディケイド,メディケアの対象とされるようになったのは,1982年のことである(表3)。ここでも目につくことは,そのサービスメニューの豊富さと,そこで協力する専門職ボランティアの多さである(表5)。

●在院日数短縮化の落とし子-増加し続ける日本のPCU
 日本のがん医療に必要な平均在院日数は,OECD加盟諸国に比べると著しく長く,これが医療費高騰の原因であるとも言われている。入院日数の短縮化は,その半面で,病院の経営資源としてのがん患者の受け皿を一般病院からPCUへと衣替えさせた。これが近年のPCU増加の真の姿であり,そこにあるものは資本の経済原理で,「患者・家族のQOLの優先」とは言いがたい。

●診療報酬頼みで包括プログラムが不可能な日本型PCU
 緩和ケアとは,すべからく予防のケアである。これは,痛み,苦悩,悲嘆の予防から家族・遺族ケアに至るまで,すべてに一貫した基本理念である。しかし,日本の緩和ケアのコストは,診療報酬制度の枠内で取り扱われており,予防という概念からは対処されていない。
 確かに,PCU入院中は包括点数であるが,その支払い対象の範囲は,あくまでも入院期間のみである。発病から終末期に至る肉体的・社会的・心理的,そしてたましいの苦悩や,家族の苦悩までは対象としていない。否,疾病保険制度としての診療報酬で,これらすべてをカバーするように要求すること自体が,土台無理なことなのである。子どもをはじめとする家族のケアや,離別後の遺族のケアにまでプログラムの手が届かない原因は,まさに,日本のPCUを取り巻く,この経済的枠組みにあるといっても過言ではない。

●在宅ケア促進に取り組めない日本のPCU
 日本のPCUにおける在宅ケアの促進は,入院患者の減少という経営資源の喪失となり,家族や遺族ケアへの取り組みは診療報酬としての成果は得られず,病院にとっては資金の持ち出しとなる。したがって,これらは日本PCUにとって,取り組みにくい課題であると言えよう。

●日本のホスピス・緩和ケア運動の過ち
 昨年発表された厚生科学研究報告書「ホスピス・緩和ケア病棟の現状と展望」では,「地域医療にホスピス・緩和ケア病棟の普及を図ることが重要である」と触れているものの,増加し続けるPCUの問題点の本質を指摘してはいない。このまま施設数のみを増やし続けることは,これまでと同じ過ちを犯すことになる,と私は考える。
 今後は,施設数よりホスピス・緩和ケアのプログラムを問題にすべきである。入院よりも,患者・家族のQOLを重視した在宅ケアをどうすればできるかを論ずべきだ。また,PCUが地域資源としてどのように活用されるかを模索すべきである。
 これらのことを考えるにつけ,1967年にシシリー・ソンダースが,聖クリトファーホスピスをNHSの枠外に創設したのは卓見であった。なぜなら,官の影響外でこそ,非営利民間団体の自由な創造性と活動性を引き出すことができるからである。
 また,クロード・レナードがニューキャッスル地区におけるケアニーズアセスメント(1997年)で示したように,「ホスピスができると,周辺の在宅ケアが減少する」という事実も,私たちは貴重な教訓にしなければならない。

少ないPCUと家庭医の連携

 今回の連載では紹介しなかったが,英国には数多くの「Hospice at Home」が存在する。また,在宅ケアはPCUと家庭医や訪問看護婦などのプライマリケアチームとの連携で行なわれている。さらに,在宅ケアの継続中のさまざまな問題点を即座に現場で解決する,専門的アドバイスチームが多数存在する。それらは,先述した緩和ケアチームであり,「危機対応チーム」や「コミュニティサポートチーム」などである。
 では,日本の在宅ケアはどのようにして維持されているのだろうか。私たちが2000-2001年にかけて実施した全国調査(2001年笹川医学医療財団の助成による)では,日本のほとんどの在宅ホスピス・緩和ケアは,例外なく単独の医療機関で行なわれている。また英国のように,PCUがあたかもネットワークのHUBのように,家庭医,支援者として機能しているところはまだない。
 この状況では,「緩和ケアはとても大変で,誰にでもできるものではない」という,プライマリケアチームの困難感を解消できず,ホスピス・緩和ケアの知識,技術,態度が彼らの中に広まらない。その結果,在宅ケアが実行できる範囲は,在宅ホスピスを掲げている診療機関の周辺にとどまり,面としての広がりを獲得できない。
 一方,PCUの側には,「在宅ケアにはどのような困難があり,それを克服するためにはどのような工夫が必要か」という実態がわからない(1999年日本財団の助成による著者らの研究参照)。そのような中からは,患者を自宅に帰そうという発想は湧いてこない。
 しかし,在宅ケアを促進するためのPCUとプライマリケアチームとの相互学習のためには,かなりの経費と労力がかかり,一医療機関が単独で,診療報酬の中から賄い得るものではない。ここでもまた,非営利民間団体の活躍が必要であろう。

緩和医療の教育不在

 ホスピス・緩和医療の中心は,看護婦をはじめとする多職種チームであるとは言うものの,そこにおける医師の理解と役割が前提であることは言うまでもない。2001年11月末現在で,日本のPCUは91施設を数えた(表4)。しかし,そこの医師の多くが,人生の終末期における患者・家族の身体と心のケアについて,専門教育を受けていないと言っても過言ではない。
 また,医学部の卒前教育は,すさまじい速度で広がる新しい科学分野の知識教育に目を奪われており,それがひいては他者の痛みをどのように理解できるかという,臨床医としての基礎的教育をおろそかにする要因となっている。この傾向は,全国の医学部が大学院大学化する中で拍車がかかっている。このような状況では,緩和医療の教育は望むべくもない。

大学の役割-地域社会とともに

 私は,2000年と2001年の英国の旅で,大学緩和ケア学科とPCUのかかわりについて学ぶことができた。それらは,キングスカレッジと聖クリトファーホスピスや,サウザンプトン大学とマウントバッテンハウス,ニューキャッスル大学と聖オズワルドホスピス等の関係などである。
 これらの大学に共通していることは,単に教育と研究という役割だけではなく,地域社会のがん医療や緩和医療にかかわるケアニーズの調査を,地元の行政関係者とともに行ない(ケアニーズアセスメント),それまで行なわれてきた施策の有効性を検証したり,それに基づき,その地域独自の,有用で質の高いケアの仕組みを開発していることである。つまり,大学は自らの持てる知識と技術を,常に地域社会の発展のために提供し,一方PCUも,同様の社会的役割という視点を持ち,日頃の実践に取り組んでいる。日本の大学やPCUも,この姿勢に学ぶことが必要である。

■岡山におけるホスピス・緩和ケアの活動

医師の教育からボランティアによる市民運動へ

 岡山のホスピス・緩和ケアの活動は1991年の緩和医療研究会結成に始まる。活動の目的は,まず医師のみを会員として,純粋に医学的問題を考えることにあった。多職種による活動として開始しなかったのは,その時代背景による。
 当時岡山では,この領域の看護活動が始まっており,良質のケアを提供するために満たさなければならない次の条件は,良好な症状の緩和であった。私たちは,当時の医師には,症状緩和に関する知識と技術がまだ不足している,と判断していた。そのような状況にあっては,課題をまず医学的側面に絞り込み,医師の啓蒙から開始しようと戦略を立てたのである。そして,初期の会員は150人を数え,現在に至っている。
 活動の主な領域は,海外文献の翻訳,機関誌の発行,国際的な人々の招聘,そしてケースカンファレンスの開催などで,緩和医療のさまざまな知識,技術の普及をめざした。
 今振り返ると,この考えは正しかったと評価できる。ホスピス・緩和ケアは確かに多職種によるチーム医療であるが,まだそれぞれの専門性が確立されていない段階では,自らのアイデンティティを確立しつつ,他職種間で協力すべきと考えるからだ。
 そしてこの活動は,この領域における他の多くの活動を触発した。1996年にボランティア組織として「がんの悩み電話相談室」が開設され,さらに「相談室」はホスピスボランティア養成講座や「患者と家族のための助け合いの広場」を開設するなど,市民活動へと発展していった。これらの影響を受け,全国ではめずらしく50万都市に3つの緩和ケア施設が誕生することとなり,岡山のホスピス・緩和ケアの基礎的整備は,民間の手で着実に進行していった。

岡山の緩和ケアの特徴

●プライマリケアグループとともに
 岡山は,1984年に第7回日本プライマリ・ケア学会が開かれた土地である。当時,岡山大学に「総合診療部」はなかったが,社会医学系学科がその役を担当し,また全国で初めて「総合診療部」が川崎医科大学に設置された岡山は,プライマリケアの先進地でもあった。
 したがって,岡山のホスピス緩和ケア運動は,その開始当時から在宅ケアを強く意識したものであった。これらを背景に,1997年に設立された当院の緩和ケア施設は,開設の当初から在宅ケアの基地として,また家庭医などとともに運営することを目標に掲げ,研究-実践を繰り返してきた。
 その結果,2000年からは在宅緩和ケアを進めるコアグループを,地域の家庭医や訪問看護ステーションの協力で結成,PCUと相互学習の機会を創設した。一方,当院PCUに,このコアグループをボランティアで支援する専門家チームを結成し,在宅ケア推進の便宜を図ってきた。その結果として,PCUから自宅に帰ることができる人たちが,日を追って確実に増え,在宅療養期間も延びるようになった(現在,当院のデータを整理中)。

●ボランティア活動-地域社会の中で
 「がんの悩み電話相談室」活動で触れたように,岡山における特徴の1つは,早い時期からホスピスボランティアや電話相談員の養成に多くの力を注いでいることがあげられる。その意図は,ボランティアを地域社会に向けた改革者,と位置づけていることにある。つまり,それは緩和ケアが医療全体の変革者として位置づけられているように,ボランティアとともに,生きること・死ぬことを見つめるという行為を通して,やさしい地域作りをめざすものである。ボランティア活動とは,する側とされる側が相互に影響しあい,貢献し合うものであると,私は考えている。

緩和医療の教育と研究

●岡山大で緩和医療が必須教育に
 岡山大学における緩和医療の教育は,岡山方式と言える独自のカリキュラムではないが,「緩和医療研究会」の大学所属世話人の協力で,外科系や社会医学系の講義の時間を借りながら,過去11年にわたり継続されてきた。その結果,2001年には9-11月にかけて,5年生を対象に5講時(450分)の系統講義が実現。学生の反応もきわめて良好だった。また,医学生のホスピス・緩和医療のフィールド実習は,当院がその場を10年前から提供している(これらの実習の成果については,これまでたびたび「日本死の臨床研究会」で報告してきた)。
 それらの努力の結果,岡山大では2005年度から全国の国立大学では初めて緩和医療の講義が必須教育科目として,田中紀章教授(腫瘍外科)の指導のもとに8講時(720分)行なわれることが正式に認可された。

10年目の再スタート

●地域包括的なホスピス・緩和ケアのプログラム作りに向けて
 岡山で,このような自由で柔軟な活動が継続できたのは,これら一切の運営が,行政の補助を受けることなく維持・展開されてきたためと言っても過言ではない。もし行政の支援を受けていたならば,ここまでの活動を保つことはできなかっただろう。
 しかし,今やその活動は拡大・発展し,施設から在宅まで,そして診断から離別後までを包括する,ホスピス・緩和ケアの総合的なプログラムとして確立するべき時期に到達している。そのためには,ケアの体制はもちろんのこと,資金・人材を含めたあらゆる側面から活動を見直し,補強し,新しいモデルとして再出発しなければならないだろう。
(了)

●謹告

 本編が読者の目にとまる時点には,筆者の運営する「かとう内科並木通り病院緩和ケア施設」は,すでにその入院ケアの機能を停止している。
 理由は,当院の在宅ケアが,症状緩和の技術的向上や,地域内でのチーム作りの促進などにより,より重症の方たちへ,そしてより広い地理的範囲へと拡大したためである。その経緯については,いずれ稿を改めて報告する予定である。
かとう内科並木通り病院 加藤恒夫

●資料 ホスピス・緩和ケア岡山モデル図参照

■目的
●岡山のがん患者・家族に対するホスピス・緩和ケアプログラムを総合的に開発する。それは,在宅ケア(community care)を重点課題とし施設ケアとの連携をめざす
●岡山の,医学,看護,および他の医療職のホスピス・緩和ケアの教育体系を整備する

■戦略
●モデルの開発のための資金と人的資源の確保手段を強化する
 (1)資金源としての基金を整備する
 (2)さまざまの活動(ボランティア活動を含む)を連携あるものとして整備する
●影響の波及の方法
(1)ホスピス・緩和ケアの活動中の各組織(省略)が協力し,多彩な啓発活動を展開する
(2)地域社会におけるホスピス・緩和ケアの実態・あるべき姿・その成果を,学際的に調査・研究し,結果を実践に生かす
(3)専門教育の革新:緩和医療研究会が中心となり,教育方法を開発し,緩和ケアの知識,技術・態度を持った専門職を,下記において育成する
 1)第1に,学部の医学教育で
 2)第2に,卒後の継続的医学教育で
 3)第3に,医学以外の保健・福祉・医療従事者の教育において
 4)健康関連行政当局に,ホスピス・緩和ケアに関わる保健・医療・福祉政策を提案する

■モデルの構造
●キーステーションを設置する。このモデルには,中央行政も地方行政も含まれない
●専門的知識を持った人的共有資源として「岡山緩和ケア専門家チーム」*)を設立する。これは,特別な研修を受けた医師,看護婦,ソーシャルワーカー,作業療法士,カウンセラーなどにより構成され,運営は基金により賄われ利用は無償である
●情報共有:コンピュータを使った,医療や看護の情報共有化の方法を開発する
●協力者:(1)緩和医療研究会,(2)岡山大学医学部,(3)岡山市内の緩和ケア施設および緩和ケアの実践チーム,(4)在宅緩和ケアに関心を持つ家庭医と訪問看護ステーション,(5)各種のホスピス・緩和ケアにかかわるボランティア組織,(6)その他,この活動に賛同する団体および個人

*)「岡山緩和ケア専門家チーム」は,「所定の訓練を受けた専門職,もしくはそれに準ずる者により構成される」を定義とし,市内のプライマリケアチームと協働で在宅緩和ケアの遂行を援助することを役割としている。また,その機能としては,自ら直接にケアをすることはせず,プライマリケアチームと協働で患者の状態を評価し,ケアの方針をアドバイスする,などをあげている。