医学界新聞

 

〔カラーグラフ〕国際的な人道援助活動 海外で活躍する看護職(3)


●ザンビアでの活動を終えて
 妹尾美樹


2001年 ザンビアにて妹尾美樹氏
 ザンビアでの主な活動は,(1)栄養改善を目的に,5歳未満児の体重測定をコミュニティベースで実施し,早い時期にフォローアップすること,(2)住民が集まる場所へ足を運び,カウンターパートの看護婦とともにマラリア,下痢,栄養失調,結核などの予防教育を行なうため,地域の指導者(CHW:コミュニティヘルスワーカー,など)を養成すること,という2段階で住民参加を促すものでした。
 CHWの動員では,みんな生活が貧しいのに,基本的にはボランティアで参加してもらうため,いかに価値づけるかという点で悩みました。私が実施したのは,がんばった人にはいいお金を与えるというシステム。それも1回の活動のたびの支払いではなく,ポイントを貯めて半年に1度,謝金を支払うという方法でした。
 住民参加型のプロジェクトは,推進するのにそうとう時間がかかります。しかも,私たちのカレンダースケジュールと,現地の人たちのそれには差があって,常にジレンマを感じました。住民主体が前提ですから,彼らのペースに合わせる必要があることは理解できます。しかし,現行の年度単位の予算システムでは,今年できなかったから,「来年に」と持ち越すことはできません。それゆえ,最後は日本人がプッシュして終わらせるというケースが出てきて,やはり,ジレンマでした。
 私がそれまでにしていた個人的なボランティア活動は,基本的には自分の空き時間にかかわり,人の役に立ててよかった,という自己満足があっても許されます。しかし,給与が支払われるNGO,JICAでの活動は立場が違います。
 NGOで働いて思ったことは,自分のやりたいことを片手間にではなく,業務に対する専門性や知識が必要だということ。効果を省みず,自分が楽しかったというだけで終わってはいけないと思いました。JICA参加では,得意とする分野での大規模な活動ができました。逆に,小回り・草の根レベルの活動ができないという点もありましたが,財政基盤がしっかりしていますので,最後まで責任を持って対処できるという点は優れています。これからは,JICA/NGOの連携で,お互いの弱点をカバーしながら,それぞれが持つよい面を全面に出せる機会が増えることを期待しています。


●パワーを,ありがとう
 内藤啓子


1999年 台湾にて,内藤啓子氏(中央)
 1999年。看護婦の仕事を辞めて2か月。TVのブラウン管に映る地震被害に遭った台湾の街並み。私の脳裏に甦る4年前の神戸のあの風景,あの匂い,あの音……落ち着きを取り戻したのは,AMDAから台湾への派遣が決まった時だった。
 震災から1週間たって台湾に着いた。空港から車で,震源地である南投県に入るとカラフルなテントが目につき始めた。タクシーの運転手は,「こわくて家の中では過ごせないからテントで生活している」と言う。さらに車を走らせると,TVでみた街並が目に飛び込んできた。私には当時の神戸とだぶってみえた。
 私たちは,まず医療センターに向かった。そこは,軍や政府の人,ボランティアであふれていた。何より驚いたのは,ズラリと並べられたコンピュータと物資の山だ。統轄された情報管理は,神戸とは違っていた。しかし,医療活動に入ったものの,誰も「治してくれ」とも,「治るのか」とも口にしない。医師や看護婦がいなくなって10日余り。「忘れ去られたのか,自分たちはどうなるのか」という不安があったのだろう。私たちの姿に,不安が少し和らいだようにみえた。
 行く先々で温かい人たちに出会えた。診療中の台湾の医師は,私たちに弁当を持ってきてくれた。テントで寝るのは寒いからと,「私の部屋にくればいい」と言ってくれた若い学校の先生。おいしい食事を私たちに差し出し,「もっと食べなさい」と言ってくれた人たち……。
 震災によって失ったものの大きさを私は知っている。それは決して時間が解決してくれるものばかりではない。逆に時間がたつにつれ,出てくる問題のほうが大きい。ストレス,孤独感,失望感,自分の居場所を失ったと感じてしまう。彼らへのケアは,これからがより重要になることを忘れてはいけない。
 数か月前,仕事を辞める理由に「海外でのボランティア活動」をあげた。でも,その気力がわかずにいた。台湾から帰国し,友人に「元気になった」と言われた。実際元気になったのだと思う。それは「やりたいこと」がわかったこと,台湾の人たちのパワーをもらったからだと思う。


■看護職に期待すること
 AMDA本部・事務局スタッフからのメッセージ

 AMDA本部で,現場のプロジェクトの責任者や現場の調整員経験者,派遣人材の事前研修を実施する本部職員の多くの方々から,「看護職に期待すること」をうかがいました。
 まず,「どのような人材を望んでいるか」については,心身ともにタフでかつ順応力があることや,楽観主義であり少々のことでは落ち込まないこと,が指摘されました。具体的には,途上国の病院などでは医療器材の不足や停電といったことがよく起こりますし,また,自分の思うように物事が運ばないという状況もよくあることで,そのような時でも,自分のできる範囲で努力していくという向上心が必要とされるのです。そしてなにより,看護職としての経験の長さだけではなく,豊かな経験のある人材が望まれています。
 さらに,海外や国際協力の医療現場においても,その「人」を取り巻く環境(身体的・精神的・社会的)を考慮し,現在の状態を正しくとらえていくという姿勢を,高い能力としてとらえています。そして,現地において単なるマンパワーになってしまうのではなく,現地の看護職を支援し,彼らが中心となって活動できるような調整業務や指導が行なえる看護職であること,が期待されています。
 外国の活動で特に留意するべき点は,やはり文化・民族的背景の違いを知ったうえでの深い配慮と尊敬です。そして,どの国にも誇りとする自国の「看護」があるのだということを理解し,日本人として学んだ看護の押しつけにならないよう配慮することが重要となります。まずは,現地の文化の中で培われたものを大切にし,言葉に耳を傾け柔軟に対応し,彼らの抱える大きな不安を理解することです。例えば,日本でも病気になった時に言葉や医療費が心配となって,つらくてもぎりぎりまで医療機関を尋ねられない外国人も大勢いるのが現状なのです。
 最後に,看護職へのアドバイス。日本に帰国した時に,職場のみんなでその経験や情報を分かち合い,日本独自の看護にもっと深いものが加わったり,職場での相互理解が高められるような国際協力の経験になるとすばらしいですね。あ,そうそう,国際協力の現場での苦労はあくまでも非日常のものであり,日本人というのはついがんばりすぎたりしますので,ヘトヘトになるまで働かないこと,というのもつけ加えておきます。
 今後も,多くの看護職が,言葉や民族を超えた感動,生きることの意味と出会い,そして,その貴重な体験を日本の看護の向上に活かされますことを願っています。


■AMDAの基本的な考え方


看護職の派遣を支えるAMDA本部の日本人スタッフ
 21世紀は,「多様性の共存」,世界的レベルでものの見方や考え方の異なった人たちがいかに共栄共存していけるかということが時代のテーマとして重要になってきます。そのキーワードは「尊敬と信頼」だと確信しています。
 私たちの平和への定義は,「今日の家族の生活と明日の家族の希望」が実現できる状況です。この平和を妨げる要因として戦争,災害,そして貧困があります。これらの要因を改善,および解決する積極的なプロジェクトを,ともに実施する中でこそ「尊敬と信頼」を共有することが可能となると信じています。
 私たちは,このようなプロジェクトを実施するために,(1)誰でも他人の役に立ちたい気持ちがある,(2)この気持ちの前には民族,宗教,文化等の壁はない,(3)援助を受ける側にもプライドがある,の人道援助3原則を共有しています。
 私たちは,プロジェクトを実施するために一番大切なことは支援を必要としている現地の人たちのニーズを最優先し,その上でともに協力し合うことだと考えています。この国際的なパートナーシップのネットワークにもとづいて,難民や災害被災者に対する緊急人道援助,貧困対策そして平和構築モデル活動を推進しています(以上,「AMDA NPO法人設立趣意書より抜粋して掲載)。



2000年 アフガニスタンにて上住純子氏
 
1998年 パプアニューギニアで起きた,津波被害者への救援活動を行なう中原美佳氏(左)