医学界新聞

 

 〔連載〕ChatBooth

 えんえんと続く過渡期

 栗原知女


 「今は過渡期だ。でも,この過渡期はなかなか終わらないかもしれない」
 そんなことを高校時代の友人と電話で話した。彼女は「長男の嫁」。介護問題に悩んでいた。住まいは彼女の実家に近く,舅姑の家には遠い。入院中の実の母親を頻繁に見舞って世話をする彼女のことを,夫はよく思っていない。
 彼女には弟がいる。弟には妻がいる。本来,彼女の母親の介護は「長男の嫁」である弟の嫁がすべきなのに,本人は拒否して何もしない。それどころか,自分の実家の近くに家を建てようと計画中。そうなったら,彼女が1人で母親の介護をしなければならなくなるが,夫の手前,難しい。
 「母を見捨てるしかないのか」と,彼女は嘆く。舅姑はまだ元気だが,いつ介護が必要になるかはわからない。自分の母親1人看るのにもへとへとに疲れるのに,この上,舅姑の介護まで重なったら……。
 「親を捨てるだなんて穏やかじゃない。そこまで思い詰めてはいけない。一番大切なのはあなたの健康だ。SOSを出そう。全員で話し合い,男も女も関係なく,できる限り協力し合えばいい。今は介護保険があるから,プロの力だって借りられる」と,私はアドバイスした。
 でも,「少しは気が楽になったけれど,あなたには長男の嫁の立場はわからない」と,彼女。
 ええ,わかりませんとも。介護労働をすべて長男の嫁に依存する旧弊はやがて完全になくなるべきもので,今はその過渡期だ。社会のさまざまな場面で,依存的な人間関係のあり方が見直され,個の自立を迫られている。介護問題も根は同じ。介護保険の基本精神は,言うまでもなく自立支援である。だが,この「依存から自立へ」という過渡期はいつまで続くのか……。
 癌告知の問題も「依存から自立へ」の過渡期で揺れているように思う。私が子どもの頃からお世話になっている近所のおばさんが,「癌」と告知された。家族への打診もなしに,いきなり医師が本人に言ってしまった。
 「手術の難しい場所なので,抗癌剤で治療する」と言われたが,本人は治療を拒否。家族が「治る可能性に賭けてがんばろう」と懸命に励まして治療を始めたものの,「抗癌剤の効果はない。余命半年」の宣告が……。
 進行性の癌とはいえ,告知のペースが早過ぎて,本人がついていけない。1度に10歳ぐらい老け込み,地獄を見つめているような表情をしている。
 優しい夫の庇護のもとで長年,専業主婦として依存的な暮らしをしてきた彼女には,あまりにも酷な通告だ。告知を受ける人にも適性があるのではないだろうか。すべての人が自己責任,自己選択の考え方に馴染めるとは限らない。自立していない精神は,告知という外圧でもろくも崩れてしまう。告知の慣例が暴走している。
 今はまだ過渡期である。しかもまだ当分続くだろう。医療・介護のプロは,身体の自立支援のプロかもしれないが,精神の自立支援については,いかがなものだろうか。