医学界新聞

 

ルポ

「プライマリ・ヘルスケアと看護」研修

フィジー・インドネシアの看護職者が受講

〔主催・協力〕
●JICA兵庫インターナショナルセンター
●兵庫県立看護大学
(森口育子氏・近藤麻理氏)


 本年9月4-22日の間,国際協力事業団(JICA)兵庫インターナショナルセンターと兵庫県立看護大学が,フィジーとインドネシアの看護職者各2名を兵庫県に招き,「プライマリ・ヘルスケアと看護」研修を,主に兵庫県立看護大附置研推進センターで実施した(研修に協力した施設および研修内容・研修者名は次頁に別掲)。
 多くの開発途上国では,WHOが1978年に示したプライマリ・ヘルスケア(PHC)の考え方が重視され,PHC政策が進められてきている。そこでは,地域における看護職に,専門職としてのPHCワーカーの役割が期待されている。しかし途上国では,高度の教育を受けた看護職は大病院や都市に偏在し,地域でPHC活動を実践する看護職は少ない。また,指導的役割を果たせる看護職も少ないという現状から,地域に根ざした指導役を担う看護職の育成が求められている。本研修は,このような実態を背景に実施された。
 また,本研修の目的としては,「開発途上国の看護教員や行政の看護管理者が,PHCの国際的な動向を理解し,日本の地域保健や地域看護の発展過程と現状を,講義と施設見学により学ぶこと」などを掲げている。
 なお,本研修コース実施に際しては,森口育子氏(兵庫県立看護大教授)と近藤麻理氏(同講師)が窓口となってあたった。その具体的な目標は,(1)PHCと国際的な動向を理解する,(2)日本のPHC活動について戦後の保健政策・保健医療システムの変遷と地域保健活動で看護職が果たしてきた役割を理解する,(3)日本の保健医療福祉と,看護・看護教育(基礎教育・現任教育)の現状を理解する,(4)各国のPHCにおける看護職の役割や活動実態,および看護教育などを見直し今後の課題を明らかにする,(5)アクションプランを作成し,帰国後に提案,実施を試みる,としている。


●自国にいかすアクションプランを作成

 今回の研修コースの責任者である森口氏に,研修コースの概要をうかがった。
 「WHOがPHCの考え方を示した折りに,予防や健康増進の重要性が指摘され,また地域のニーズに基づいた住民参加型の活動が重要とされました。地域の中で,住民に最も身近な保健・医療職種は,どこの国でも看護職が最も多いわけです。そういう意味では,看護職がPHCの実践者にふさわしいと言えます。私としても,看護職がPHCの中で果たす役割の重要性を理解し,もっと地域志向になってほしいという思いがあります」と語る。
 氏は,1984年からインドネシアにおいて,現地の教員や看護職たちとともにPHC活動を推進してきた。日本では,地域における保健活動は,教育経験を積んだ保健婦が担っているが,途上国では准看護婦レベルの看護職らがその役を担っていると言う。
 「PHCでフロントラインに立つ看護職は,海外から派遣されるのではなく,自国で育てていくべきだと思っています。そのためには,教員関係者や保健行政を担う人たちの意識を変革してもらう必要があります」
 そこで,指導者レベルにある人にPHCの重要性を認識してもらうとともに,PHC活動を実践する看護者を育てることを目的に,「PHCと看護」研修コースを企画した。
 同大では,これまでにもスリランカやエルサルバドル,ミャンマーといった国から短期間の研修を受け入れてきた。しかし,それはJICAより直接に依託を受けたものではなかった。
 「今回の研修は,目的や目標を明確にし,計画から実践・評価までのカリキュラムを系統的に立て,自国に帰った時に研修の成果を打ち出せるようなものにしようと,大学における国際研修の1つのモデルとして取組みました」と森口氏。
 兵庫県には,WHO神戸センターがあり,海外からの医療職研修員を数多く受け入れている。また同じ施設に日本看護協会神戸研修センターがあり,支援環境には恵まれている。森口氏は,
 「これは自慢でもあるのですが,私どもの大学には南裕子学長をはじめ,ICN副会長を務めた片田範子教授など,国際経験の豊富な教員が多くいます。そういう意味では,国際的な活動をしようと思えば,学内のリソースを十分に使えますし,理解も得られ,快く協力もしてくれます」と語る。

戦後の日本に似た環境の両国

 インドネシアでは,1985年に初めて看護系大学ができ,1996年からは急速に大学化が進み現在9校まで増えた。しかし,卒業生は大病院・先端医療志向があり,海外に出て学ぶ者が少なくないと言う。一方のフィジーは,JICAが1986年に無償資金協力で看護学校を建設し,JICAや日本に対して親近感が強いとのこと。ただ,卒業生の多くは国内に残らず,同様に海外流出してしまう。この両国から,現場の経験があり保健行政の管理的立場にある人,教育現場にある人の2名がペアで研修に参加した。
 「この研修から,国際的なPHCの動向を把握すること,そして日本を1つのモデルとして,PHCの活動を学んでほしいですね。私は,日本の戦後の状況はあなたたちの国と変わらなかったということを言っています。昭和20-30年代には実際にそうでした。そこから,どのように努力して現在に至ったのか,このプロセスをよく知ってほしい。そのため特に戦後の保健婦制度であるとか,保健行政システムの中で保健婦,看護職が果たしてきた役割というものを,私の専門領域である地域看護の歴史を踏まえてPHCの視点でレビューしています。そこで,沢内村(岩手県の雪深い山村。保健・医療・福祉の連携を国に先んじて実践した村として有名である)の昭和30年代の活動をビデオで見てもらっています。すると,『私たちと変わらない』と言っています。沢内村には雪が降ったりして,気候はかなり違いますが」。
 研修は,講義と施設見学,そして最終的には自分たちの国のことを考えたアクションプランの作成という,大きくは3つのパートに分けて実施された。アクションプランは,これまでの研修から学んだことをまとめて,自分の国の問題は何なのか,自分が活動する上では何が問題で,どうしたら改善できそうなのかを考え,自国に戻った時に展開できる内容として仕上げる。
 また,今回の研修のフォローアップとして,研修半年後にあたる明年2月に,森口氏らは両国に出向き,研修員の半年後の活動を調査することで,帰国後の研修員がどのような問題に直面しているかを現地で話し合い,可能であれば支援する予定だ。
 なお森口氏は,「インドネシアからは,研修に対する期待と強い要請がある」として,「兵庫県立看護大附置研推進センター」(後述)を基軸に,今後もこのような研修を続けていきたいとの意向を示した。

●見学実習先にて

毛利助産所
 毛利助産所を支えてきた毛利種子助産婦は,阪神淡路大震災の日,助産所の1階で眠っていた。突然の激しい揺れと傾く家,真っ暗闇の階段を手探りで昇り,2階に入院していた1組の母子の「大丈夫」という声を聞いた。心から安心し,ドアをこじ開け2人を救出。夜が明けると,種子助産婦と母子の眠っていた部屋だけが奇跡的に無事だったことがわかった。すべてを失った種子さんのもとへ,全国から「助産所を続けてほしい」という励ましの手紙が届いた。そして,娘の多恵子さん(ブラジルにて母子保健活動にかかわってきた)が帰郷し,助産所を継ぐことを決意した。
 このような話を聞きながら,助産所が地域の人々から深く信頼されていることを研修生はしっかりと学んだ。そして,病院で出産することは安全で当然のこと,といつ頃から信じるようになったのか,改めて自国を振り返るきっかけとなった。
 毛利助産所は,日本的な家屋の作りで,母親と一緒に訪れる子どもたちは自宅のようにくつろいでいる。ここに来る人たちは,口コミで助産所の存在を知ったと言う。「日本はお金持ちだから,こういうことができる」と,日本の医療を見た研修員が何度かつぶやいた。しかし,毛利助産院を見た彼女らは,「これだったら,帰国してもすぐに始められる」と,明るく語っていた(写真1)。

五色町健康福祉総合センター
 田畑が広がる淡路島の風景にホッとし,感動する研修員。日本はビルばかりではなく,こんなに自然がまだ残されているのだと,黄金色に実った稲穂の写真を撮っていた。ここで関心を引いたのは,生活習慣病を早い時期に予防するため,学校教育の中に健康教育の考え方を広げていったこと。ねばり強い学校との交渉,そして医師自ら工夫した授業実践により変わってくる教師たち。「学校教育に疾病予防を取り入れていくことは,帰国後の自分たちにもできそうだ」と研修員は話していた(写真2)。

兵庫県立子ども病院
 日本側の,「病院の院長に看護職がついていますか?」という質問に,インドネシアもフィジーも「はい」とのこと。日本は,果たして何を指標に先進国と呼ばれているのか。看護婦たちに,病院内外での継続教育の機会を可能な限り与えている看護管理部の姿勢を,「自分たちの国の看護婦たちにも伝えたい」と研修員。

「さくらんぼの家」
 津名では,「さくらんぼの家」という小規模作業所を見学した。大歓迎を受け,「ユー・アー・マイ・サンシャイン」をみんなで大合唱した。線香を6本ずつ束にして箱に詰める細かな作業も,言葉の壁を越えて教わりながら体験。2時間近くのあいだ「趣味はなんですか?」「日本は好き?」「フィジーは暑い国ですか?」などなど,通訳はフル回転で大きなテーブルのあちこちをかけめぐった(写真3)。

日本看護協会神戸研修センター
 ここでも,看護婦の継続教育の重要さを知る。看護管理サードレベルコースでは,参加者からの「看護で,今問題になっていることはなんですか?」という質問に対し,フィジーからの研修員は,「フィジーでは,看護婦を育ててもその多くは看護婦不足の欧米諸国へ働きに出かけてしまう。そして相変わらず看護婦不足が続いている」と答えた。


学生のサークル「グローバル・ユニティ」との交流
 研修コースも残すところわずかとなった9月20日の夕刻から,兵庫県立看護大の国際保健を考える学生サークル「グローバル・ユニティ」のメンバーとの交流会がもたれた

 交流会では,イジャさん(インドネシア)から予防を中心とした健康施策が,マヤさん(フィジー)からは「平均寿命66歳」など,両国の医療状況が報告された。これを受けて学生からは活発な質問が出され,研修員にはさわやかなカンフル剤となった

アクションプラン作成と発表
 2日にわたって作成したアクションプラン(写真左はインドネシアチームの作成場面)は,22日の午前に,関係者・学生・大学院生が見守る中,45分の持ち時間で発表された

 インドネシアからは,保健所と教育機関の連携を構築するプランが示され,フィジー(写真右)は,学生が地域で家族の一員として入る実習プラン「学生コミュニティプロジェクト」を提示。研修員からは,日本の学生研修を受け入れたいとの思いも語られた


●研修員
インドネシア:面積約192.3万km2,日本の約5倍。人口2.04億人。
 Ms. Sitti Halidjah(イジャさん)・Mr. Abudul Harris(ハリスさん)
 イジャさんは,南スラウェシ州衛生部の家族保健課小児保健係長。看護婦経験の後に,県衛生部の役職に就き,大学の公衆衛生学部で2年間勉強し,現ポストに。
 ハリスさんは,地域で働いた後に,准看護婦学校の教員,正看護婦学校の教員を経て,現在1999年に開学したハスヌディン大学医学部看護学科教員。家族看護学を専門としている。
フィジー:面積1万8333km2,四国とほぼ同じ大きさ。人口80.1万人。看護学校は1校。
 Ms. Sainimailika Vuetaki(サイさん)・Ms. Maya Devi Pratap(マヤさん)
 サイさんは地域看護婦として5年以上の経験の後に教員に。マヤさんは看護学校卒業後オーストラリアで4年間看護職として学ぶ。主に老人保健施設で活動,国際的感覚を持つ。

●研修内容
講義:日本の看護と看護教育(南裕子学長),兵庫県の保健行政・保健婦活動(兵庫県 柳瀬厚子保健指導係長),PHCの国際的動向,日本の地域保健と地域看護,地域における助産所の役割(毛利多恵子氏),結核対策とPHC(結核研 下内昭国際協力部長),女性の健康の国際的動向-日本の母性看護と看護教育(山本あい子教授),地域看護の基礎教育,五色町における包括的地域ケア(五色町診療所長 松浦尊麿氏),地域看護の現任教育(井伊久美子助教授),看護の国際的動向-日本の小児看護と看護教育(片田範子教授),PHCの実践事例「インドネシアにおけるPHCを基盤にした看護の国際協力」,PCM(プロジェクト・サイクル・マネジメント)について(国立公衆衛生院 兵井伸行人口保健室長)
 ※(  )内に講師名がない講義は,森口氏および近藤氏による講義
見学実習先:兵庫県庁,WHO神戸センター,日本看護協会神戸研修センター,毛利助産所,兵庫県立こども病院,五色町健康福祉総合センター,津名健康保健福祉事務所(さくらんぼの家)
その他:大学院生と地域保健について討議,グローバル・ユニティ(学生のサークル)の学生活動との交流,アクションプラン発表会,JICAでの評価会,第8回兵庫県立看護大「国際セミナー」参加,等

●兵庫県立看護大学附置研推進センター
 「実践の学問である看護学では,さらに看護の方法論や看護システム開発のため実践研究の積み重ねが不可欠。兵庫県立看護大学は,附属病院を持たない単科大学であり,実践研究を行なうことがきわめて困難であるのが実情である。そのため実践研究の拠点として附属研究所の役割は大きい」として,兵庫県立看護大は日本国内では初めての看護学実践研究所「地域看護ケア開発研究所(仮称)」設立を構想。地域の特性に合わせた看護ケアシステムの開発に向けた研究拠点として,また健康実践教育や健康情報センターとしての役割を担うことも目的に据えている。
 同大では,その先行研究の場として,本年4月に「附置研推進センター」を設立。同センターは,(1)国際地域看護,(2)災害看護,(3)まちの保健室,(4)遠隔看護の4つの研究組織を設け,研究所が正式に設立されるまでの研究活動機関として,役割・機能を明確にしたうえで活動を開始し,研究の蓄積を図っている。上記した今回の研修は,(1)の事業として初の試みとともなった。このような試みは,数年後に建立される予定の「地域看護ケア開発研究所(仮称)」への大きな礎となるだろう。今後の活躍に期待したい。
 なお,研究所設立に関しては,設立委員会(委員長=聖路加国際病院 日野原重明氏)を設置し,募金推進活動を開始した。