医学界新聞

 

連載 MGHのクリニカル・クラークシップ

第21回

[患者列伝その6]死に至る肥満(Morbid Obesity)

田中まゆみ(イエール大学ブリッジポート病院・内科小児科レジデント)


2453号よりつづく

 「小さい時から,そりゃぽっちゃりしてましたけどねえ」
 これまた高度肥満の母親が溜め息をつく横で,まだ25歳というのに糖尿病・高血圧・高コレステロール血症・睡眠時無呼吸症候群・肺高血圧症という病歴の体重203kgの若者は,小さすぎるベッドの上で呼吸が少しでも楽な体位を探して体を動かそうとし,そのたびに脂肪が波のように揺れて伝導していくのであった。息苦しさのため横にもなれず,絶えずあえぐように鼻腔カニューレからの酸素を吸込みながら,それでもなお,彼は低カロリー病院食を残さず食べる。肥満治療のため,胃はとっくに3分の1に切除されていたが,なぜか体重は増える一方なのであった。

米国を脅かす肥満の蔓延

 肥満の定義には種々あるが,広く用いられるものとしてはBMI(Body Mass Index)=体重(kg)÷身長(m)÷身長(m)が27以上を体重過多,30以上を肥満,40以上の肥満者をMorbid Obesityと呼ぶ分類がある。この患者は立派なMorbid Obesity,肥満自体が生命の存続をおびやかす段階に達している。なぜここまで肥満してしまうのか,諸説があるが,有力なのはレプチンを始めとする遺伝因子の異常により,食べなくてもよいのに食べ続けるようシグナルが神経中枢に送り続けられるとする説である。
 ここまで病的ではなくとも最近の統計では米国人の4分の1は体重過多と言われ,肥満の蔓延は米国の医療上の一大問題である。特に近年のデータは子どもや高学歴の若者に肥満が急増していることを示しており,このままいけば,糖尿病・高血圧・高コレステロール血症・心筋梗塞・肺高血圧症・癌・腰痛症・変形性骨関節症など肥満が関係している疾患の増加により将来の医療費のさらなる高騰は避けられない,と公衆衛生学者は警鐘を発している。

肥満をめぐる医療現場の潜在的問題

 国家的見地だけでなく,日常の医療現場でも肥満はさまざまな潜在的問題をはらんでいる。
 「肥満は病気,肥満者を差別するな」と訴えられるので中立的な言い方には非常に神経を使うが,例えば外科手術は視野が狭まるため困難さが増し,あらゆる外科合併症率が跳ね上がる。麻酔も肥満者は合併症率が高い。心カテ後に挿入部の感染を起こしてしまった患者がいたが,おなかの脂肪が挿入部におおいかぶさり清潔が保てなかったのが原因であった。CTやMRIの機械の中に入りきれないためこれらの画像検査ができず診断に苦慮することも多い。心エコーも肥満が過度だとプローブの角度が限られてしまうし,胸部単純写真さえも,肥満のため読影困難なことがある。また,ヘパリン点滴など体重によるプロトコールでは体脂肪率が高いと過剰投与傾向になる危険があるなど,薬剤投与上のリスクも上がる。このような肥満による高リスクが医療ミスではないことを納得してもらうのに苦慮する場合も多い。
 「そりゃ同情するわよ,あれだけ太ってちゃあ運動なんてできないし,楽しみといえばテレビを見て食べることだけでしょうからねえ」。担当の研修医が溜息をつく。チームのほかのメンバーにも看護婦にも,もう打つ手は限られていることは明白に思われた。
 肺高血圧症の予後は移植でもしない限り絶対不良である。高度肥満は移植の適応外であるから,この若者に未来はない。死を宣告されたに等しいのだ。
 この若者は,気管切開をし,夜間はC-PAP()でようやく眠れるようになった。もっとも,母親は「以前はいびきで眠れなくて閉口したけど,今度はこの機械の音がうるさくて眠れない。本人はぐっすり眠ってるのに」と不満そうであった。その母親の不眠は,ほどなく彼女自身もC-PAPが必要となって解消したのである。

(註)Continuous Positive Airway Pressure。