医学界新聞

 

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パリ・アメリカ病院
プライマリ・ケア研修体験記

匿名希望


 私は5年生の夏休みを利用して,1か月間パリ・アメリカ病院(American Hospital of Paris)でプライマリ・ケア短期研修を行なってきました。今回はその経験を簡単に述べたいと思います。

研修への応募の過程

 この研修の募集は,医学生のメーリングリストである「医めーる」で知り,英語での履歴書,ショートレター,日本語の志望理由の手紙,白衣姿の写真を送り,応募しました。書類選考の後,電話によるインタビュー(日本語)があり,この研修に参加できることが決まりました。

研修内容
本物のプライマリ・ケアに触れる

 パリ・アメリカ病院は,パリ郊外の高級住宅街にある国際総合病院で,大学病院と同等の設備を備えるオープン制の病院です。研修内容は,同病院で現在開業されている岡田正人医師の外来でのマンツーマンによるプライマリ・ケア研修が主で,その他にもアメリカ人医師の診察,手術の見学などもさせていただきました。
 岡田先生は,米国内科専門医,アレルギー・臨床免疫科専門医,膠原病・関節内科専門医の資格を持っています。パリ・アメリカ病院に移られるまではエール大学病院のスタッフとして,専門の研究および診療の他に,医学生,研修医の教育指導,一般内科外来のアテンディングもされていたそうです。
 現在のプライマリ・ケア研修プログラムは,アメリカ式の診療を日本語でわかりやすく教育する目的で始められたそうです。パリには,およそ2万5000人の日本人が住んでいますが,日本での診療経験とフランス医師免許の両方がある医師は1人しかおらず,パリ在住の日本人や旅行者の多くが先生にかかることになります。そのため,あらゆる種類の患者が来て,本当のプライマリ・ケアを見ることができました。また,先生の専門分野においては,アメリカ人やフランス人に対する英語での診療も見学することができました。

研修の実際
Evidenceに基づいた診療

 最初の週は,主に先生の問診,診察を見学しました。私がまず感じたのは,「すべてがevidenceに基づいて行なわれている」ということです。日本では,血液検査をはじめあらゆる検査を行ない,異常値が出てから考えるようなところがある気がしますが,先生はその症状からの鑑別診断を可能性順にあげ,鑑別するのに必要な検査しかしないのです。
 例えば,急性単関節炎で来院したある患者の場合では,偽痛風,細菌性関節炎の可能性が特に考えられたため,血液検査でCa,Mg,P(偽痛風ではCa↑,Mg↓,P↓になる)と甲状腺機能(甲状腺機能低下で偽痛風になりやすくなるため)をオーダーし,関節液で細菌培養などをオーダーするといった具合です。圧倒的な医学知識があれば,これほど少ない検査で診断ができるのか,と感動しました。
 治療にしても,すべて確かなデータに基づいて行なわれていました。喘息の治療を例にとると,日本では非発作時の治療もβ2刺激薬を処方されていることが多く,ステロイドは副作用が怖くて使わない医師も多いようですが,先生は吸入ステロイドによる治療を行なっていました。NHLBI(米国心肺血液研究所)によるガイドラインでも,吸入ステロイドは強く支持されていて,その副作用もほとんど見られないことがわかっています。患者さんには病態生理について模型を使ってわかりやすく説明し,どうして気管支拡張剤だけでなく抗炎症作用のある薬剤が必要かを理解してもらっていました。事実,先生のところに来る喘息の患者さんたちは3回の外来で,驚くほど良くなっていました。リウマチ,アトピーなどの「治らない」というイメージを持っていた疾患も,適切な治療でひどかった症状がうそのように回復していました。

1人の患者さんに最低30分

 日本では開業医というと,「3分診療」のことも多いと思いますが,先生は最低でも一人の患者に30分はかけ,風邪が強く疑われる患者でも必ず全身の診察physical examinationをします。physical examinationはGeneral, HEENT(head, eyes, ears, nose, throat),Neck, Heart, Lungs, Abdomen, Extremities, Neuroの順に行なわれます。
 眼底は,optic discを見るのが非常に難しく一番苦労しましたが,3週目にやっと見られるようになりました。心音の聴取も難しかったのですが,VSD(心室中隔欠損症)の既往歴のある患者さんで,収縮期雑音を聞くことができた時はとても感動しました。日本では首飾りのように,首にかけていただけの聴診器でしたが,呼吸音に関しては,肺炎でのcoarse crackle,喘息のwheezeなど自分で聴診してわかるようになりました。physical examinationを一通り習った後,『Bate's Guide to Physical Examination and History Taking』を読んだりして勉強しました。
 英語でのカルテの書き方も教わり,興味深い症例については英語でカルテを書いてみて,後で先生に直してもらいました。プライマリ・ケアにおいては特に重要ということで,胸部X線写真は『Felson's Principles of Chest Roentgenology』,心電図は『Rapid Interpretation of EKG's』を渡され読みました。英語の教科書を全部読む,というのは初めての経験でしたが,ただ記憶するのではなく理解し応用できるように書かれているので,読みきった時は大きな充実感が得られました。
 最初の週には,産婦人科のアメリカ人医師のMcGinnis先生の診察と,帝王切開の手術等を見学させてもらいました。McGinnis先生の英語は岡田先生いわく,普通の速さとのことでしたが,私には速すぎ,聞き取るのに非常に苦労しました。手術中も早口にいろいろ説明してくださったのですが,私がふんふんうなずいていると,「じゃあ,これは何?」と逆に質問をされ,冷汗ものでした。週末にはMcGinnis先生宅でカクテルパーティーがあり,パリで働くイギリス人やカナダ人の医師と会い,さまざまな話を聞くことができました。

実際に診察し,プレゼンテーションをする

 2,3週目からは,同意を得た患者さんから,まず私が問診して,全身の診察をしてから先生にプレゼンテーションをし,考えられる鑑別診断を述べるということをしました。1人で患者さんを全部診るのは大変でしたが,大学病院では多様な患者さんを診る機会がなかったので,非常によい訓練になったと思います。よく見る疾患,症候,薬については講義をしてもらった後に,「New England Journal of Medicine」や「UpToDate」から関係する資料をいただき,後で読んで勉強しました。
 3週目の終わりから,英語でのプレゼンテーションをし,それを指導してもらいました。プレゼンテーションはHPI(history of present illness)に始まり,A/P(assessment and plans)に終わりますが,A/Pで鑑別診断,pertinent positive, negative,診断,治療を述べるため,すべてを理解していなくてはならず最も難しかったです。先生に見本のプレゼンテーションをしてもらったり,指導してもらった後にもう1度やり直したりして,少しずつ表現を覚えていくようにしました。

この経験は生涯の財産

 今回の実習で,最も印象的だったのは,とにかく先生の膨大な知識量です。学生時代から「ハリソンの内科学書」,「サビストンの外科学書」,「ハーパーの生化学書」,「ロビンスの病理学書」などの教科書を読破し,現在も月10冊の雑誌を読んでいるという先生は,何を聞いても知っていて,こんなにすごい先生がいたのか,と驚きで一杯でした。さらに,保険のない患者さんはさりげなく無料診療にしたり,患者さんからの電話での質問を24時間受けたりしていて,「パリの赤ひげだ」,と私は密かに思っていました。こんなに尊敬できる先生に1か月ついて勉強することができたことは,生涯の財産になると思います。