医学界新聞

 

英国における緩和医療の軌跡と現状

-日本のホスピス・緩和ケア運動が学ぶべきもの

加藤恒夫(かとう内科並木通り病院)


2452号よりつづく

【第2回】スコットランドにおける緩和ケアの戦略
-議会および家庭医との連携(Derek Doyle氏らのインタビューから)

はじめに

 2001年6月,筆者はThe British Councilの協力により,英国緩和ケアの象徴的存在とも言えるエジンバラのDerek Doyle氏を訪ねた。氏の率いるScottish Partnership Agency for Palliative Care(以下,スコットランド協議会)*1)の活動を学ぶこと,スコットランドにおける緩和ケア普及の政治的窓口であるCross-Party Group in the Scottish Parliament on Palliative Care(以下,超党派会議)*2)とスコットランド協議会との連携活動を学ぶことを目的としていた。
 緩和ケアがまだ専門医療として認められておらず,まだ普及段階と言える日本にとっては,スコットランド協議会の活動から学ぶところが多くあると,筆者は考える。同協議会の名誉副会長であるDoyle氏と管理部長であるMargaret Stevenson氏から話をうかがった。

緩和ケアを議会の重要課題に

加藤 まず,スコットランド協議会と超党派会議のかかわりの歴史について教えていただけますか。
Stevenson 超党派会議の目標は緩和ケアを広めることです。スコットランド議会が設立された2年前,すべての議員に緩和ケアとはどのようなものであるのかを説明し協力を要請する文書を送り,集まりを呼びかけました。すると16人の議員が集まってくれました。新議会が設立された直後でしたので,皆「何かをしなければ」と意気込みがあり,とても熱心だったのが幸いしたようです。また,彼らの多くはホスピスがどういうところなのかを知っており,「緩和ケア」に対する認識も早かったのでしょう。超党派会議の設立が決定し,スコットランド協議会が学習のための資料提供や説明会の講師を派遣することを引き受けたのです。
加藤 日本では,緩和ケアがまだ医学の専門領域として認められておらず,緩和ケアそのものも政府の議員に知られているとは言えない状況です。 Doyle 私たちにとっては,緩和ケアやホスピスケアというものがすでに新しい概念ではありませんでしたので,スタートはとてもスムーズでした。スコットランドでのホスピスの設立は1777年にまで遡ることができます。
 超党派会議が設立された当時は,すでに緩和ケアは医師や看護婦の専門領域として認められていましたし,多くの人たちが音楽療法や放射線療法,理学療法といった緩和ケアを受けた経験があり,尊敬される医療の領域だったのです。
 また,すでに緩和医療(ケア)は英国の医学教育の中に組み込まれ,精力的な専門教育が行なわれているという,世界でもたった1つの国でした。それゆえに,多くのGP(家庭医)がその問題をよく知っており,関心もあって,議員とのコミュニケーションも築きやすいという基盤がすでにあったのです。

腫瘍医よりも多い緩和医療専門医

加藤 それでは,カルマン・ハインレポート(A Policy Framework for Commissioning Cancer Services;1995年に発表された政府文書)にもあるように,英国やスコットランドの健康政策の中では,緩和ケアは優先順位の高いものなのですね。
Stevenson 残念ながら,そうですとは言えません。ご存知のように治癒をめざしたがんの治療は高い優先順位を得ておりますが,緩和医療は総合的ケアとしてのがん医療の一部として認識されています。そこで私たちは,その政策的優先順位を高める必要性を今まさに啓蒙しているのです。 Doyle しかし,私たちの活動の影響で,英国では緩和医療の認定医がすでに腫瘍専門医よりも多くなっています。英国緩和医療学会の推奨策は,人口20万人につき1人の緩和ケア専門医*3)の育成でしたが,最近15万人に1人と修正されました。
 次に,緩和ケアチームの存在です。300床以上の病院には必ず緩和ケアチームが必要です。それは,がんに対する対処のみではありません。政府は多額の援助をこの政策につぎ込んでいます。3年間に300万ポンド(約5.2億円)です。政府はこの領域を改革しようとしているのです。
加藤 スコットランドのどこででも緩和ケアは受けることができるのですか。
Stevenson どこででも受けることはできますが,それらすべてが同じように均質で良質のものであるとは,残念ながら言えません。その一因としては,山も多く,島々も多いというスコットランドの地理的な問題もあります。

●地域性を重視した活動を

家庭医(GP)の重要な任務

加藤 ホームページの情報によると,スコットランド協議会はスコットランド全土でカンファレンスや相互学習の機会を設けていますね。
Stevenson そういうわけでもありません。スコットランド協議会は,約70の団体が参加している組織であり,それぞれが協力し合い運営されています。特に技能の開発をしなければいけない領域については,それらの団体が個々に学習の機会と場を提供し,情報交換をしていますが,私たちはその学習会の情報を集め,皆に提供するという役割を担っているのです。もちろん,スコットランド協議会独自のカンファレンスもしますが,あくまでも調整機関です。 Doyle 私たちは,全国的視野というよりも,むしろスコットランドという地域の立場から議会に働きかけたり,地域の独自性を生かしたケアの方法を開発することに力を入れています。
Stevenson 最近では,スコットランド政府のがん計画の中に緩和ケアを盛り込むようにとの働きかけも行なっています。医療関係者は誰でも,緩和ケアの一般的手技は心得ておかなければなりません。また,特別な問題を抱えている人は緩和ケアの専門家に見てもらうことができるようになるべきです。ところが,状況は改善されつつあるものの,誰でもが緩和ケアの専門家に見てもらえるわけではないのです。
加藤 そのような現状を,どのようにして変えようとされているのでしょうか。
Stevenson 地域病院(community hospi-tal)*4)における緩和ケアの実践と開発に力を入れています。地域病院は緩和ケアのとても重要な基地として機能する可能性があるからです。スコットランド協議会は,このように,GPの緩和ケアの能力を開発することに力点を置いているのです。
加藤 緩和ケアが専門領域と認められてから14年が経とうとしています。しかし,緩和ケアの現状はまだあまりよい状態ではない,とおっしゃいました。
Stevenson その通りです。しかし,近道はGPのレベルをあげることです。自宅にいる多くの人たちにとっては,GPの協力が必須です。また多くのGPはそれに協力したいと考えています。今はそうしなければGPは患者を失いかねません。だからこそ私たちは,GPに対する教育プログラムを開発し,参加を呼びかけているのです。 Doyle エジンバラはとてもすばらしい地域ですが,まだまだ地域による格差があります。GPの手による自宅療養,一般病院やホスピスのレベルも高いのですが,地方ではそういうわけにはいかないのです。
 1970年代は,緩和医療を専門機能として認めさせることが大事でした。しかし,今は医師を教育することに状況が変わっています。在宅においてはプライマリケアチームの役割がとても重要になります。しかし,この点を病院の医師たちはわかっていません。彼らもまた,新しい情報が不足しています。ですから優先順位を決めるとすると,(1)まず専門家を育てる,(2)情報のデータベースを作る,(3)プライマリケアチームを育てる,ということになるでしょう*5)
 私たちは,そのためにGPの教育者(GP ファシリテーター)*6)を育成しています。そして彼らを中心に,互いに助け合い,刺激しあうように工夫された7-8人規模のワークショップを各地で開催しています。また,GPを1週間程度ホスピス研修へ招待しています。おもしろいことに,GPの間では,緩和ケアは小児科に次いで2番目に人気のある卒後教育の科目なのです。
 GPは患者の最も近くにいます。ですから,患者の痛みをよく知っています。また,彼らは緩和ケアがどのように変わってきたのか,どのように効果があったかをよく知っています。そして,ナースの影響も多く受けています。英国でのナースの緩和ケアに対する教育はとても進んでいますから,ともに働いていると影響を受けざるを得ないのです。最後に,市民が緩和ケアの現状について,さまざまな手段を通じてよく知っているという背景があります。これらがあるからこそ人気があるのでしょう。

痛みに共感できる医師教育

加藤 卒前の医学教育ですが,スコットランドにはいくつの医科大学がありますか。 Doyle 英国全土に30の医科大学があり,当地には4施設があります。現在,英国のすべての医科大学で緩和医療が教育され,医学教育の中心課題の1つであり,大学によってばらつきがありますが,平均すると20時間の教育を行なっています。
 緩和ケアは,かつては基礎教育の過程で教えており,それはそれなりの効果があったのですが,専門教育に要求される内容が多くなったために,今は主に臨床教育の中で教えています。これまでは,痛みのコントロールや,症状コントロールなどの技術教育を中心にしていました。しかし,最近では,苦しみを持つ人々の気持ちを理解したり,コミュニケーション技術を教えることに力点を置いています。技術的な問題は簡単に教えることができますが,人の気持ちになって考えることはそう簡単に教えることのできる事柄ではありません。
加藤 緩和医療の普及のためには医学教育の改革が必須だと思いますが。 Doyle それはとても重要な課題だとは思います。しかし,それは私たちの任務ではなく,医科大学と専門家たちの任務です。スコットランドには,すでにたくさんの緩和ケア専門家たちがいます。彼らがともに協力しながら教育の方法を考えています。
 若い医師たちの優先順位は緩和ケアではなく,外科や高度技術の医学であるのです。そのような中で大切なことは,緩和ケアの技術を教えることではなく,人の痛みに共感したり,傾聴することができるというような,まず人間性にかかわる教育をどのように進めるかということに尽きます。技術教育は卒後に残されています。私たちは,卒後の研修医に対する緩和ケアの教育と,GPに対して行なう教育を明確に分けています。大学では基礎的な原理を教えますが,GPには詳しい実践方法を教えます。
加藤 「教育戦略はGP教育にあり」,ということがよくわかりました。貴重なお時間をありがとうございました。
(エジンバラにて:2001年6月15日)

会見を終えて

 Doyle氏は世界の緩和ケアの象徴的存在である。しかし,3時間にわたる会見の途中,そのような威圧感を受けることはまったくなかった。常に質問者から目をそらさず,穏やかで,つまらない質問に対しても丁寧に答えてくださっった。
 この会見の中で繰り返し強調されていたことは,プライマリケアの重視である。緩和ケアの生みの親であり,その権威者がここまでそれを強調することに,GP出身である私も正直驚き,同時に感動もした。
 しかしこの傾向は,決してエジンバラだけではない。このたび私が訪れたニューカスルでも,ロンドンでも,ブリストルでも,サウザンプトンでもすべて同じ言葉と考え方があった。その統一さには敬意を通り過ぎ,脅威を覚えるほどである。この統一の基礎にあるもの,それは定義の重視と議論を経た上での政策の決定,その普及戦略の存在と言えよう。政策決定過程1つを見ても,まず議論の開始を示すCommand Paperの提示,ついで約1年後諮問委員からのアクションプランを示すGreen Paperの提出,そしてその半年から1年後に政策決定書であるWhite Paper(白書)の発表と,議論を尽くす傾向が顕著である。
 日本の緩和医療もこの方法の中から学ぶべきことはとても多いように思えるのは,私だけだろうか。

【著者注】
1)1991年に設立された非営利団体で,全スコットランドの70のホスピス・緩和ケア関連団体が参加している。
2)1999年に,スコットランド議会の設立と同時に結成された超党派的組織。(1)スコットランド議会と,緩和ケアの領域で働く人びとや団体との架け橋として働く,(2)スコットランド議会議員が緩和ケアの必要性とそのサービスの実態,および緩和ケアの提供に関わる課題を学習する機会を提供する,(3)緩和ケアに対する認識を高め,その活動による国民の利益を向上させる,などを目的としている。
3)英国では緩和ケア専門家による診療(Specialist Palliative Care)と,一般の医療従事者による緩和ケア(Palliative Approach)は,定義上明確に分けられている。すなわち,Specialist Palliative Careとは「規定の専門教育と訓練を受けた緩和ケア(医療)専門家による診療」,一方Palliative Approachは,「医療従事者のすべてが提供する義務があり,国民のすべてが恩恵を受ける権利がある診療のこと」と厳密に定義づけている。
4)GPが共同で診療に従事しており,イギリスの地方都市では国民医療の中で重要な役割を果たしている。
5)ここ15年近く続いているプライマリケア重視の政策は,サッチャー政権時代の医療改革に溯ることができる。医療費の急増と入院待機者が大量に出現するという2つの矛盾を解決すべく,1986年に「Primary Health Care,An Agenda for Discussion」を発表し,議論の口火を切った。ついで1988年の報告書「Community Care,Agenda for Action(Griffith Report)」を経て,1989年には政府白書「Working for Patients」を発表,英国の医療政策が確立されるに至った。この政策は,政権交代後も多少変更は加えられつつも,連綿と受け継がれ今日に至っている。
6)GPファシリテーター:最近の医療教育分野では,「GP教育にはGPがあたるべきであり,専門家が講義をするよりも教育効果がある」という考え方が主流になってきた。その考えを受け,最近,英国王立家庭医学会(The Royal College of General Practitio‐ners)は,さまざまな分野でGPファシリテーターの育成に乗り出している。緩和医療の分野ではMacmillan Cancer Relief(英国最大のがん救済の非営利民間団体)と協力してGPファシリテーターを育成している。