医学界新聞

 

〔連続対談〕

日米の現況から進むべき医療の道を探る

内科医と外科医の対話(前編)

医療制度改革の議論が,2002年の実施に向けて,本格的に始まった。また,2004年からの実施が決定している臨床研修の必修化をめぐっても,その具体的な中身を詰める議論が進んでいる。今日,医療はまさに変革の真っ只中にあると言えるが,プロとしての医師には,何が求められているのだろうか?
 本紙では,日米両国を跨いで,内科・外科のそれぞれの領域で活躍を続けてきた黒川清氏と木村健氏による連続対談を企画し,医療の進むべき道について存分にお話いただいた(2回に分けて掲載)。


黒川 清氏
東海大学医学部長

木村 健氏
アイオワ大学医学部教授


■プロの医師を育てる

再び,黒船来航の時代に

黒川 いよいよ21世紀に入って,現在は日本にとって非常に大きな転換期と思います。「ロスト・ディケード(失われた10年)」などと言われて,経済も政治も何となく元気がなかったのですが,最近日本人を元気にさせてくれていることがあります。
 それは,毎朝のメジャーリーグ・ベースボールです。野茂やイチローや佐々木をライブで見て,「日本のプロもけっこうやれる」と元気が出るのですね。しかし反対に,その結果,日本のプロ野球中継の視聴率は下がるし,「プロ野球ニュース」の中身も変わってきました。
木村 衛星中継でアメリカに送られてくるNHKニュースを観ていると,スポーツはまずメジャーリーグの結果から始まりますね。
黒川 そうです。毎日,「日本の野球はともかく,メジャーはどうした?」ということになってしまったわけです。現代はテレビという媒体があって,パブリック(大衆)が直接それを見ることができるので湧き立っているのですね。
 さて今日は,長い間アメリカで外科医として活躍されていらっしゃる木村先生にお話を伺っていきます。
 まず最初に,「プロの医師」を育てるということについてですが,21世紀を迎えた現在の日本のキーワードの1つとされているのが「グローバリゼーション」です。先ほどのメジャーリーグもそうですが,世界中にモノが流れ,人が流れ,情報がインターネット等で公開され,世界中の人が「よりよいものがほしい」と思う時に目標が見えてくるわけです。日本人も本当に優れた医師がほしいという時に,野球ほどではないにしても,「本当のプロと少し違うのではないか」と感じ出していると思います。今や年間1800万人が外国へ行き,500万人が外国から来ます。その人たちが病気をして双方の国の医療に触れたり,また,テレビの『ER』などを観たりすると,そういう思いはさらに強くなると思います。
 さらには,2004年から2年間の卒後研修を義務化すると厚生労働省が決めましたが,その内容をどうするか,財源をどうするかということも問題になっています。
 これは,日本の医療システムができて以来,初の出来事で,医学界・医療界のみならず,現代の日本社会はまさに「黒船来航の時代に直面している」と言っても決して過言ではないのです。
 そういう時代に,日本の医師を養成しているわれわれとしては,どのような医師を育てればよいか,そのためには何をすればよいのかということを中心にお話ししてみたいと思います。
 実は,私は今年の「日本医学教育学会大会」の大会長を仰せつかりまして,いろいろ考えましたが,まず基調テーマを「IT時代と医学教育」にしました。
 そして,基調テーマに沿って「情報技術による医学教育の変革」というシンポジウムを企画して,香港など世界の都市と日本を国際テレビで結んで討論会を試みました。また,UCLAのLuAnn Wilkerson教授に講師をお願いして,特別講演「Faculty Development: Preparing for Change in Medical Education」を披露していただきました。
黒川 私自身はそこで,「医学教育のリフォーム-新世紀への挑戦」と題した特別講演を行ない,「21世紀を迎えて,医療と医学教育と社会のあり方がいかに大きく変わってきているか,この大転換期にいかに対応すべきか」ということを力説しました。
 また,「日本の歴史的,社会的背景もあって,アメリカ,カナダを中心とした医学教育の大きな転換が20-30年前から始まり,一部のヨーロッパの国でこのような動きが5-10年前から起こっているのに比べれば,日本での動きは“お話”ばかりで,医学教育を担当する医学部の当事者たちが自発的に内容まで踏み込んだ変革は,ほとんどなされているわけではありません」と抄録にも記しましたし,「しかし,医学部や病院を取り囲む環境がどんどん動いているからこそ,医学教育学会の活動が,ここ数年,急速に活発になっているのだと思います」と強調しました。
 お陰さまで,過去最高の参加者を記録して,好評のうちに終了いたしました。

■アメリカの医学教育の現況

アメリカの試験制度:4関門による選定

黒川 そこでまず木村先生に,大きな変革を成し遂げたアメリカの医学教育の事情からご紹介いただきたいと思います。
木村 アメリカの医学部は,法学部や歯学部とならんで,大学院(メディカル・スクール)ですから,4年制の大学を卒業した後,入学する仕組みになっています。ここが日本の制度との大きな違いです。
 そこでまず,4年制大学入学者の選抜の話から始めますと,高校から一般の大学に入る時に,全員が一斉に受ける入学試験というものはなく,学力の優劣は高校在学中の成績とSAT(Scholastic Assessment Test)によって決められます。
 SATは日本の共通一次のような試験で,年に6回受験できますが,プライベートな会社が行なうもので,特別に公正を期するような種類のものではありません。そのスコアに本人の将来展望の作文,推薦状を添えて,何十校かの大学に送るわけです。SATのスコアを重視する大学は,「スコア600以上」というような仕切りをしていますが,何を重視するかは大学によってまちまちで,推薦状を重視する場合もあれば,在学中の平均点を重視する場合もあります。全米に2000ある大学のうち300校ではSATを入試の評価には用いていません。
 4年制大学に入学後は,多くの場合,2年間のリベラルアート(=教養学部)の間に将来の主専攻(「メジャー」という)を決めます。
 アメリカの大学は伝統的に各科目の成績を4点満点でつけますが,アイオワ大学医学部では,4年間の全科目の平均が3.7以上という基準で,まずふるいにかけます。
 また,医学部に進学してくる学生の60%は生物学,化学関係を主専攻とした卒業生ですが,残りは経営学などさまざまです。ダンスでもピアノが主専攻でもよいのです。ただし,最小限必修の生物科学の単位は必要ですが……。
 医学部に入るのにも,入学試験はありません。やはり在学中の成績や指導教授の推薦状が必要です。しかし,推薦状には成績ではなく,例えば,「夏休みにボランティアをした」など,人間性が評価対象とされることが書かれています。
 それから,MCAT(Medical College Admission Test; AAMC〔Association of American Medical College〕が民間業者に委託して運営している試験。アメリカ国内のほぼすべてのメディカルスクールが出願時にMCATスコアの提出を義務づけている。内容はVerbal Reasoning,Physical Sciences,Writing Sample,Biological Sciencesの4科目から構成されている多肢選択方式の試験)という医学部に進学するための資格試験があり,14段階のスコアによって示されます。これを重視するかどうかもやはり各医学部によってまちまちですが,「在学中の成績」「推薦状」「MCAT」「本人の将来展望作文」の4関門によって,約5分の1に絞られます(文献1)2)等を参考にされたい)。

「SAT」と「MCAT」

黒川 日本の読者のために,いくつか補足させていただきますと,木村先生のお話にもありましたように,アメリカでは高等学校から4年制大学に入る時にSATという試験を受けます。それから高等学校での成績と推薦状が必要です。いくら取り繕ってよい成績表や推薦状を書いても,入学後にそうではないとわかったら,その推薦状を書いた人や学校の信用はなくなりますから,そういうことは絶対にしません。これも「混ざっている」ことのよい点です。
 私も推薦状を頼まれることがありますが,私自身の信用問題になりますから,その人をよく知らないかぎり書きません。これは大事なことで,一度信用をなくしたら大変です。そういう意味でも,日本の推薦状とは意味が違います。
 SATの他にアチーブメントテストなどがありますが,大学がどういう人をとるかによって,審査に何を勘案するかを決めます。なぜならば,大学の使命はその人を預かって,4年後にどういう人にして社会に出すかということだからです。
 それともう1つ大事なことは,SATは数学と英語だけです。つまり文系・理系に関係なく,大学に進学するには数学と英語が大切だとしているのです。ところが,日本では文系・理系で試験科目が違いますし,それに合わせて高等学校教育をしているからずれてしまっているのです。
木村 MCATもそうですね。これの半分は作文能力と読解力・理解力です。エッセイや論文を読んで,内容をまとめる試験です。つまり,医学部の入学資格試験の半分が国語のテストというのも,日本からみるとユニークでしょう。
黒川 MCATは,かなりの量の文章を読ませて,分析的な能力を試すものです。自然科学的な文章もかなりありますが,知識や記憶ではなくて,読んで分析する能力をみるものです。それと大学4年間の成績と推薦状をみて,全体としてどういう学生かをみるわけです。
 また,木村先生がおっしゃったように,経済学や中世美術を主専攻として勉強した人が医学部に進んでくるケースもあります。しかし彼らも,例えば生物学や化学を4単位取っているとか,物理を2単位取っているというように,最小限の単位は取っています。

「インタビュアー」と「人に助けられたことがあるか」という質問

木村 アイオワ大学医学部には毎年約3000人の応募者があり,先ほど申しました4つの関門によって600人ぐらいに絞った後にインタビューを行ないます。1人30分ですから,毎週やっても9月から翌年の2月までかかります。
 私は数年前からこのインタビュアーをしていますが,インタビュアーになるには,心理学のセミナーを受けて試験に合格しなければなりません。実地試験と筆記試験に受かってはじめて,試験官担当委員になれます。アイオワ大学では70人の教授がその資格を持っています。
 学生には6つの定型質問をします。1題5分見当です。最も大事な質問とされているのは,「あなたは今まで人に助けてもらった経験はあるか」というものです。医学部の志望動機などについては,誰もが答えを用意してきますし,皆が同じように答えますし,「今までに人を助けたことはあるか」という質問に対しても全員が答えを用意してきます。
 しかし,「君は人に助けてもらったことがあるか」という質問が大事である理由は,人に助けてもらった時にありがたさを感じる感性を持たない人間を医師にしてはいけないからです。よくできた試験だと思いますが,これは心理学の教授が作ったものです。
黒川 私は常々,「日本では医学部の先生が面接するから駄目だ」と言っているのですが(笑)。
木村 アイオワ大学のインタビューをする者のためにセミナーでは,インタビューの際の座る姿勢,目線の位置,使用する言葉の選択までチェックされます。また,差別的な質問も禁止されます。「結婚しているか」「医学部に来るだけの資力はあるか」「親は何をしているか」などの質問や,セクシュアリティを訊いてもいけません。そういうことも,セミナーですべてマスターして,初めて試験官として座ることができるのです。
 ですから,医学部の入学者選抜には時間と知力を総動員した,非常に精密で,しかも細部にわたる労力の積み上げがあって,その上で主観的にセレクション(選考)しているわけです。可能な限り人の手を入れて人を選んでいるわけですから,これで公正でなければ,後は神の領域になります。なぜそれだけのエネルギーを使うかというと,次の世代によい医師を作らないと,大勢の人が死ぬからです。助けてもらった経験のない人間は医師になって,例えば重症の患者さんを受け持っていても,5時になったら「頼むよ」と言って,帰ってしまう可能性があるのです。助けてもらった人の心がわからない人間が,医師になってはいけないのです。

「インタビュー」の効用

木村 実際,日本から国立大学医学部の学生が私のところに夏休み中の勉強などに来ますが,普通の人間としてのコミュニケーションができないような人がいます。「なぜ,入試のスクリーニングで落とさなかったのか」と疑問に思う者も中にはいます。
黒川 筆記試験だけだからでしょう。
木村 朝の挨拶の「おはようございます」が言えないし,何か教えてもらっても「ありがとうございます」が言えない。なぜかと言えば,彼には人に何かしてもらってありがたいと思った経験がないからです。私たちがアイオワ大学でやっているような選抜をすれば,人に感謝する気持ちを知らない人間は落ちてしまいます。MCATの成績や在学中の成績がいくらよくても,インタビューに通らないでしょうからアウトになります。
黒川 病気をした時に,「偏差値が高いから」という理由で医師を選ぶなんてことは考えられませんね(笑)。
木村 結論を言いますと,医師になる人間は主観的に選ぶことです。人間が人間を選ぶことが大事なのですが,日本では「それでは公正でない」と言われてしまいます。日本は何よりも「公正・公平」であることが大切にされる社会ですが,極端に「公正・公平」を至上とすると人間性がなくなります。

■アメリカの研修システムの現況

米国の外科研修プログラム:「インデックス・ケース」

黒川 次にご経験の長い木村先生に,アメリカではどのように外科医を養成しているかをお話し願います。
木村 まず,一般外科の研修プログラムは5年です。脳外科やその他特殊な科は,それぞれ独自のプログラムを持っていますが,一般外科のプログラムを納めた後に2年の研修が必要です。
 一般外科の研修プログラムは,5年間に決められたケースを何例するかによって決まります。手術症例数を決められたケースの数で割ることにより,各病院の研修医の定員を決めています。研修医1人が1年間に100回手術をするのが基準ですから,5年間で500例を経験するわけです。しかも,そのうち開腹手術や開胸手術の割合も決まっています。これを「インデックス・ケース」と言います。これを済ませないと,5年経っても研修を終了したことにはならず,外科専門医の試験が受けられません。

施設としての認定も得る

木村 研修病院は基準に合致した認定を得なければなりません。過去数年の平均手術症例数や,インデックス・ケースの割合を外科研修認定委員会に提出して,初めて認定されます。指導医の数や病院が24時間機能しているかということなども条件に入ります。
 およそ3年に1回の査察がありますが,その際にケース数が減少していると,「来年から減らせ」とか,極端な場合は「何人かをよそへやって,インデックス・ケースをこなせるようにしろ」という勧告が出ます。また,「この状態では5年でミニマル・リクワイアメントは満たされないから,6年か7年にしろ」と言われることもあります。そうなると研修医はたまりませんから,そのプログラムは人気がなくなり,最悪の場合は廃止に追い込まれます。
黒川 厳しいですね。
木村 黒川先生もご存知のように,プログラムを決めるのは,アメリカ外科学会ですが,決めた本人(外科学会)が認定すると,「内輪の集まり」になってしまいますので,医師会,病院協会,学会,専門医認定委員会などが集まってできた「外科研修認定委員会」が認定します。それぞれの科の研修プログラムはこの研修認定委員会に監視されていて,毎年その施設が研修に適しているかどうかをチェックしています。
黒川 研修で経験する症例数が初めから保証されているわけですね。
木村 そうですね。経験した手術症例をリストにして提出しない限り,専門医試験の受験資格が得られません。
黒川 日本の場合,「何例診ました」と報告するけれども,1人で責任を持って診たわけではありません。
木村 アメリカの場合は,「この手術はこの人が行なった」ということがコンピュータに入っています。それも二重に提出することになっており,病院番号まですべてチェックしますので改ざんできません。
 それともう1つ大事なことは,連邦政府は,スーパーバイザーがつかずに研修医が医療行為をした場合には,診療報酬を請求できないシステムをとっており,それに違反して医療費を請求しますと詐欺とみなされ,過去何十年にも遡って罰金を払わされます。ミネソタ大学は,日本で言うと公立大学ですが,それで100億円の罰金の支払い命令を受け,財源がありませんから病院を民間の医療法人に売却しました。あの伝統のあるミネソタ大学病院が私立の病院になってしまったのです。

卒業生の質で評価される

黒川 先ほどの「医学教育制度」の話も含めまして,再び日本の読者のために若干補足しますと,アメリカで医師になるためには,4年制大学を卒業後に4年間の医学部(大学院)に行きます。
 その過程で,医学部は同じ大学の学生を20-30%より多くは入学させないようにしています(例えば,ハーバード大学医学部は同大学出身者を入学者の20-30%以下に制限する)。つまり,全国のさまざまな4年制大学の出身者が入学するため,それぞれの大学の教育程度がよくわかります。つまり,入試ではなく卒業生の質で比べられるわけですから,いかにきちんと教育して出すかということがその大学の「名誉」であり,「信用」になります。
 次に,医学部卒業後,臨床研修をどこで行なうかということもコンピュータのマッチングで決まります。学生は「この病院で研修を受けたい」というリストを作ります。受け入れ側も「こういう学生がほしい」とリストアップし,3月半ばにマッチングをして,「あなたはどこの病院です」という知らせがきます。
 そのように,医学部も卒業生を比べられますから,どういう卒業生を出しているかの信用が問われます。そして,研修をする病院にもさまざまな大学の卒業生が来ますので,そこの評判は全国に広がります。
 つまり,4年制大学,医学部,研修病院のそれぞれのレベルで,常に情報が全国的に行き渡ってしまう。こういうシステムが,ピア・レビュー(専門家同士の相互評価)の基本にあるのです。日本では,例えば研究の審査でピア・レビューと言われますが,自分が卒業した大学にずっと残るわけですから,ことばの本来の意味のピア・レビューができるはずがないのです。

アメリカの研修システムと「マッチング」

木村 アイオワ大学医学部には,1学年ほぼ150人の学生がいて,診療科が260科あります。学生の臨床教育であるクリニカル・クラークシップでも,学生がすべての科を2日ずつ回っても,回りきれませんから,「内科」「外科」とメジャーなブロックを「必修」として(例えば内科で4週間,外科で4週間),残りはオプションとしています。
 オプションは,外科では形成外科,血管外科,小児外科など12の専門科の中からどれかを選び,1-2人の最終学年の学生が4週間ローテーションします。私の科には最多で2人の学生しか来ません。教員は2人いますのでマンツーマンでできます。4週間を過ごすとその学生がどれくらいできるかがわかります。マンツーマンでみていますから,推薦状も詳細に書けるわけです。
 学生は推薦状と成績証明書,それに将来展望の作文を持って,全国の研修プログラムに応募するわけです。受け入れる側も「こういう学生がほしい」という条件を出しますから,そこでうまくマッチングすれば成立します。
 地方の病院になりますと,応募者のほうが敬遠しますから,マッチングがすべて終わっても1人も次年度のレジデント志望者がいないこともあり得ます。そうなると第2回戦になります。直接本人に電話をして,条件を提示するのです。最終的には,皆が収まるべきところへ収まります。
黒川 先生がお話しのように,マンツーマンで指導され,最後にDeans Letter(学部長推薦状)が出ますが,そこには非常にリアルに学生のプロフィールが具体的に書かれおり,すべてがファイルされています。その点でも,その大学のDeans Letterがどのくらい信用が置けるものかは皆が知っているのです。お互いの信用が常に開かれた場所で評価されているわけです。学生も「私はあそこの内科で研修したい」と希望を言って,インタビューを受けて自分をアピールします。
 例えば今年は30人のレジデントを採ると決めた病院は,インタビューに来た学生に順位をつけ,マッチングのランキングをつけるわけですが,学生の希望する順位と必ずしも合わないので,30人のうちの10人はすんなり決まっても,残りの20人が決まらないということも起こります。そうなると,マッチングで当たらなかった人に電話をかけて集めるわけです。よいところほどすべての定員がマッチングのみで決まりますから,「今年のマッチはどうだった?」というのが仲間の挨拶がわりになります。プログラムがこうやって育つわけです。

「評価」の内容は?

黒川 それはすごいエネルギーです。なぜかと言うと,卒業生によって大学の中身が評価されるようになっているからです。いかによい卒業生を出すかが使命なのです。これは,高校も4年制大学も医学部も,常により広いところで比べさせることが自分の,そして大学の評価になるからです。
木村 授業をするたびに,学生から評価,採点されますから,教える側にとっても,自分の教え方のどのあたりに不満があるかということがわかってきます。
黒川 病棟のクラークシップでも,学生が必ず評価を行ないます。アメリカの1年間に卒業する1万6000人の学生によって,研修プログラムも大学教育も毎年評価されるわけです。
木村 クラークシップで学生を評価する項目には,「どんな人間か」「基礎医学知識はどうか」「知識の臨床応用はどうか」「職業人としての身だしなみはどうか」という項目があります。同じ評価表を学生に渡して自分でも評価させて,教える側の評価と付け合わせます。合っていればよいのですが,一致しない場合もあります。
 例えば,学生本人が基礎医学知識に関して一番よい自己評価をしているのに,私が平均よりも下だとして2つの評価に差異が生じた場合には相談します。「君はこういうことを訊いた時に知らなかった。だから私はこういう点数をつけた」というように,学生が納得するまで説明しなければいけません。大変な仕事です。
黒川 人を育てるのは,大変なことですが,唯一日本でそれをやっているのは進学塾です。進学塾は,あくまでも自分が育てたプロダクトを全国のオープンな場所,つまり大学入試で評価されるからです。
木村 なるほど,そうですね。

IT時代における情報

黒川 このような話は多くの日本人には,びっくりするようなことかもしれません。しかし,実は日本が変な社会だということを日本人は知らないし,日本のリーダーはアメリカをはじめとした個人主義の世界がどうやってプロを育てているかの現実を知らないのですね。現在は巨大な経済大国だから,世界は日本を相手にしていますが,本当のことは言ってはくれません。大変危険なことだと思います。
木村 「IT」が普及する前は,情報は隠し通せたのですね。しかし,「ジャンボジェット機とサテライト経由のテレビとインターネット」の世の中になって,世界中どこにも隠せるものがなくなってしまったわけです。
黒川 情報がパブリックに共有され,さらにそれをパブリックが評価する時代になったということですね。

<参考文献>
1)黒川清「21世紀の国際化時代にマッチする『プロ』養成を。」(「病院経営新事情」Vol.10, No.209 2000年4月20日)
2)黒川清「日本の医学教育に求められるもの(上・下)」(「健康保険」2001年4月号,5月号)

木村 健氏
1937年生まれ。63年神戸大医学部卒。70年兵庫県立こども病院勤務。72-73年ボストンフローティング病院小児外科チーフレジデント,74年兵庫県立こども病院小児外科部長。86年渡米。87年アイオワ大外科准教授,90年同大小児外科教授。現在,同大小児外科主任教授。主な著書に『アメリカで医者をするにはわけがある』(草思社)など多数
黒川 清氏
1936年生まれ。62年東大医学部卒,67年同大学院修了。69年渡米。その後,南カリフォルニア大医学部内科準教授,UCLA医学部内科教授などを経て,83年東大第4内科助教授,89年同大第1内科教授。96年より東海大医学部長。2000年より日本学術会議副会長。2002年には国際内科学会長を務める。著書に『医を語る』(共著,西村書店)など多数