医学界新聞

 

〔投稿〕 オーストラリアにおける
医療サービスの質と安全に関する動向

藤澤由和  (国立医療・病院管理研究所医療政策研究部/ニューサウスウェールズ大学クリニカルガバナンスリサーチセンター客員研究員/シドニー大学オーストラリアヘルスプロモーションセンター客員研究員)


 オーストラリアにおける「医療の質と安全」に関する問題は,ここ10年の間にめざましい動きをみせてきた。本稿においては,この問題に関わる関係者へのインタビューをもとに,オーストラリアがどのような形で「医療サービスの質と安全」に関する問題に対応してきたのかを報告したい。
 最初に,この問題に対する先駆的な例として,ニューサウスウェールズ州シドニーにある,ロイヤル・ノースショア病院での活動を,次いで全国的な動きを,そしてこうしたオーストラリアにおける活動および対策から,結びとして日本はどのような点が学べるのかに関して述べてみたい。


■ロイヤル・ノースショア病院におけるプログラム

患者ケアの質の保証に向けて

 ロイヤル・ノースショア病院(Royal North Shore Hospital)は,ニューサウスウェールズ州北部シドニー保健医療サービス局(North Sydney Area Health Services)の中核に位置する公立病院であり,シドニー大学等の教育機関としての役割を持つ地域中核病院である。
 このロイヤル・ノースショア病院において,患者のケアに関する包括的,体系的かつ客観的な「クオリティ・アシュアランス(質の保証,以下QA)・プログラム」を導入するために,「Quality Assurance Programme Royal North Shore Hospital(以下QARNS)」という組織が1989年に設立された。
 このプログラムの中核を担ったスタッフは,同病院の医師であり,かつ本プログラムの責任者を務めたR.ウィルソン氏,北部シドニー保健医療サービス局公衆衛生部L.マーチ氏,シドニー大学公衆衛生学部L.アーウイング助教授,そしてこのプログラム・コーディネータのB.ハリソン氏らであった。この中でも実質的にプログラムの遂行を病院内で行なったのはウィルソン氏,およびハリソン氏らロイヤル・ノースショア病院におけるシニア・メディカルスタッフであった。
 さて,このプログラムの目的は,ロイヤル・ノースショア病院における患者ケアへの包括的かつ体系的なQAプログラムの導入であったが,まず着手したのは,ロイヤル・ノースショア病院における医療の質と安全の客観的状況を把握するために体系化された,ケア・レビュープロセスの確立であった。
 具体的には,患者の退院記録を一定の基準に則って,訓練された看護婦らがまずレビュー(trained nurse reviews)を行ない,その後この中からさらに何らかの問題があると思われるものに関して医師(primary clinicians)らがレビューを行なうという,2段階形式で行なわれた。さらにこの医師らのレビューの中から,ピア・レビュー(peer review)が必要かつ適切であるとされるケースが選び出されるというプロセスから全体が構成された。

実を結んだ内外関係者への啓蒙活動

 だが,こうしたレビュープロセスを含むプログラム全体を遂行するに際しては,乗り越えなければならないいくつかの問題があった。それは,レビューの完全性をどのように確保するのか,またプログラム遂行資金をどのように調達するのか,そして医療専門職者の意識や,広くは彼らの持つ文化が,こうしたレビュープロセスおよび導入プログラムに積極的に関与するようなモチベーションを持っていない,ということであった。
 こうした問題を克服するために,いくつかのステップが展開された。まずレビューの完全性を高め,かつレビューを行なうために必要となるコストを少しでも引き下げるために,特定の患者集団のケアに焦点をあて,看護婦らによるレビューを行なうかどうかに関して,「患者特性(flags)に関する分析」と呼ばれる事前スクリーニングが行なわれた。
 この患者特性スクリーニングプロセスを通して,病院内の患者データベースからQAの観点からみて問題と考えられる10%を抽出し,その後看護婦によるレビューが行なわれた。これによってかなりのプログラム遂行のコスト負担が軽減された。こうした患者特性の分析に関しては,先行研究の分析が行なわれたが,どのような形で,どういった患者特性を分析するかに関しては,分析プロセスの包括性,完全性等問題点を抱えたままであったとの指摘もある。
 また,このプログラムを遂行するためのコスト調達に関しては,本プログラムの責任者ウィルソン氏らを中心に,医療サービスにおける質と安全性の問題がいかに重要であるかを理解してもらうために,関係機関への積極的な働きかけを行なった。こうした問題に対する,内外関係者への長年にわたる地道な啓蒙活動が実を結んだ結果であったという点を見落とすべきではないであろう。

地域・全国的活動への指針に

 さらに,レビューおよびQAプログラム導入に対して,医療専門職者がより積極的な関与ができるよう,組織内部の意識改革への試みも行なわれた。
 ウィルソン氏は,「レビュープロセスおよびプログラムそのものの整合性,包括性が重要であるのは間違いないが,プログラムを受け入れるための基盤である医療組織や職種文化をどのようにして医療サービスの質,および安全の問題と適合的なものへと変化させていくかが,非常に重要であった」と指摘している。
 この問題に対しては,「決定的な解決策はない」と言われるが,少なくとも認識すべき点として重要なのは,組織特性や職種文化を明確に認識すること,客観的なデータとそれに基づく議論を展開していくことであるとも指摘されている。
 いくつかの問題点を克服することによって,ロイヤル・ノースショア病院におけるQARNSは,オーストラリアにおける「医療の質と安全」に関する初期の包括的な活動として,この後に続く地域的および全国的な活動への1つの指針となったことは間違いない。特にオーストラリアにおける全国規模の医療の質に関する調査研究のプロトタイプとなったと考えられる。

■全国レベルでの動き

医療の質に関する調査の実施

 ロイヤル・ノースショア病院にみられるような,現場からの医療の質に関わる取り組みがされる一方で,医療の質に関わる問題はオーストラリア全体においても広く一般の関心を集めるものとなっていった。特に医療過誤に関わる問題は,医療サービスの対象者たる国民1人ひとりの問題だけでなく,医療専門職者,主に医師の医療行為そのものを非常に不安定なものとしていった。多発する医療訴訟に対し,民間保険会社は急激な保険料の値上げを示唆し,多大な保険料負担を強いる状況を生み出した。
 こうした問題に対処するため,オーストラリア連邦政府厚生省は「国による保証制度整備のための検討」に着手した。当初この活動は,先進諸国における保証制度を参考として検討されるはずであったが,保証制度の枠組みを作るに際し,実際にオーストラリアでは医療過誤がどの程度発生しているのかなど,客観的なデータが必要とされるようになった。
 このデータの収集,および分析のために,厚生大臣がイニシアティブを取る形で,「オーストラリアにおける医療の質に関する調査」が行なわれた。
 この調査結果は,1995年に「Medical Journal of Australia」誌に「オーストラリアにおける医療サービスの質調査(以下QAHCS)」として公表された(Wilson R. M., Runciman W. B., Gibberd R. W., Harrison B. T., Newby L. and Hamilton J. D.:The Quality in Australian Health Care Study, MJ of Australia,163;458-471,1995)。
 ちなみにこの全国調査には,先にあげたロイヤル・ノースショア病院のQARNSの中心であったウィルソン氏が参加し,QARNSにおけるレビュープロセスがかなり考慮されたと言われている。

医療過誤の比率は13%

 この調査研究報告は,多くの医療専門職者をはじめ,研究者やジャーナリスト,および一般国民の間でも大きな関心を呼んだ。その理由としては,この研究で明らかにされた医療過誤(Adverse Event)の比率が13%と,他の先行する諸外国の研究と比べて非常に高かったことにある。
 例えば,このQAHCSが参考にしたとされる,アメリカのハーバードスタディにおける医療過誤の比率は3.7%であった(Brennan T. A., et al: Incidence of adverse events and negligence in hospital patients; results of the Harvard Medical Practice StudyⅠ,New England Journal of Medicine, 324(6):370-376, 1991)。
 ただし,この数値には留意しなければならない点がある。それは,このハーバードスタディは,基本的に医療訴訟に直接結びつく可能性の高い医療過誤をその結果として抽出している。一方で,オーストラリアにおけるQAHCSは,医療過誤を広く捉え直接医療訴訟に結びつくような医療過誤だけではなく,より広い医療過誤を基準に分析したものであった,という点である。そのため,結果として13%という高い医療過誤率が示されたのである。
 ちなみにこの研究は,広く一般の関心を高めた一方で,多くの医療専門職者(特に医師ら)の反応はかなり否定的なものであったとも言われている。

連邦制がもたらす問題

 このQAHCS以降,オーストラリアでは医療過誤に関する数々の研究がなされてきた。特に有名なものとしては,アデレードを中心とする地域で行なわれた手術中の麻酔事故に関する研究(Web R. K., Currie M. et al: The Australian Incident Monitoring Study; An analysis of 200 incident reports, Anaesthesia and Intensive Care, 21(5):520-528, 1993),およびこれもアデレードを中心に行なわれた医薬品事故に関する研究(Malpass A., Helps S. C. and Runciman W. B., An analysis of Australian adverse drug events, Journal of Quality and Clinical Practice, 19: 27-30, 1999)などがある。
 こうした医療過誤に関する研究が公表される一方で,連邦政府による取り組みは,表面上それほどめざましい進展はなかった。その原因として考えられるのが,オーストラリアにおける「連邦制」という問題である。つまりオーストラリアにおいては,医療分野における直接的な管理は「国」という単位ではなく,州政府の管轄下にあり,連邦政府の直接的な影響力はかなり弱いと言える。
 したがって,連邦政府が直接影響させ得る領域は,QAHCSといった大規模調査を通して,特定の問題に関して一般国民の関心を喚起させるといった環境整備や特定のプログラム,もしくは調査研究への資金提供などであると考えられる。この時期の連邦政府のQAHCSへの関わりはオーストラリアの制度的な特異性からみて,かなり成果をあげたものであると言っても差し支えないだろう。
 これ以降の,注目に値する連邦政府の活動としては,医療過誤に関する専門家を集めた厚生大臣の諮問機関として,連邦政府がこの問題に対して方針を検討するための委員会を設置。こうした専門家らによる検討活動は,現在「Australian Council for Safety and Quality in Health Care(以下ACSQHC)」として新たな活動を開始している。このACSQHSには,オーストラリア全土から広く専門家が集まり,今後5年間で約5000万オーストラリアドルの予算が配分される予定であるとされる。

■医療過誤問題に関するいくつかの留意点

専門家らの対応

 医療現場における活動であるQARNSや,全国規模の調査研究であるQAHCSに対して,医療専門職者,特に医師の反応は当初きわめて否定的なものが多かったとされる。だがほぼ10年間にわたるオーストラリアにおけるQARNAといった現場レベルでの活動,および連邦政府による調査研究や委員会の設置といったいくつかの医療過誤防止への試みは,徐々にではあるが国民一般はもとよりこの問題に直接関与する医療専門職者らの意識を変えつつあることも確かである。
 彼らの医療過誤に関する意識変化を生み出した最も大きな要因は,これまで継続的に行なわれてきた調査研究活動による成果,特にその客観的なデータに負うところが大きい。オーストラリアにおいては,現場レベルでの活動の後,連邦政府主導の形での全国調査研究が着手され,広く一般国民を含んだ議論が喚起された。また,それに続く研究が継続して行なわれることにより,医師を含めた関係者に,より科学的かつ客観的な議論の余地が生じてきたと言えるのではないだろうか。

ストラテジーの必要性

 ロイヤル・ノースショア病院の活動にみられるように,医療サービスの質および安全性の向上といった活動の中心には,医療専門職者が位置することが欠かせない。言い換えれば,いかに彼らのこの問題への認識を高め,より積極的な活動を促すかが重要な点であったのである。医療専門職者に対するこうした問題への教育,啓蒙活動の重要性もさることながら,医療サービスの安全および質に関する活動に,できるだけ多くの関係者を巻き込むストラテジーが重要でもあった。
 例えば,ロイヤル・ノースショア病院,およびニューサウスウェールズ州におけるこの問題に関する活動には,先のウィルソン氏を中心にかなり早い段階から医師会,看護協会を巻き込んだ活動が展開されていた。さらに,現在では医療過誤問題だけではなく,「医療サービスの質と安全」に関わるあらゆる関係者(この中には法律家,患者,行政官,地域住民などが含まれる)が積極的に関与しうる,より広い視点が強調されており,かつこうしたストラテジーを担う医療専門職者の存在も必要とされつつある。

医療の質と安全に関するプログラム

 現在,オーストラリアにおいては,規格化され,かつ法的に明確化,義務化された医療過誤防止を含む医療サービス質向上プログラムは存在しないが,それに相当するものとしては,民間非営利組織「Australian Council for Health Care Standard」による「Quality Improvement Program」に関する一定のガイドラインが存在する。だが実際に行なわれているプログラムの内容,およびその質に関しては医療機関においてかなりのばらつきが見られる。
 ロイヤル・ノースショア病院におけるQARNSのように先進的な活動を行なっている医療機関もあれば,医療機関内にリスクマネジャー,もしくはクオリティマネジャーと呼ばれるスタッフを配置しただけのところもある。
 こうした医療機関でのプログラムにおけるばらつきの最も中心的な問題は,個々の医療機関において医療の質と安全に関するプログラムを徹底するためのインセンティブが欠けていることである。つまりプログラムを遂行することによって,医療機関や医療専門職者にとってどのようなメリットが存在するのか,が明らかとなっていないのである。さらに,こうしたプログラム開発および維持のための資金問題も大きな課題となっている。

■医療の質・安全は,医療システム全体の問題

必要とされる医療専門職者の意識改革

 オーストラリアの医療過誤への政府の対策は,多発する医療事故訴訟に対して政府としていかに対処するかという観点から始まった。そこでの主な論点は,国による医療事故補償をどのような形で認めるかということであった。その後,医療過誤の問題は,連邦厚生大臣主導によるQAHCSによって広く注目を集め,議論を巻き起こすこととなっていった。
 このように,医療過誤の問題に広く一般にまで関心を集めるという意味では,連邦政府のこの時期までのQAHCSを通しての施策は,ある程度成功したと言えよう。つまり,医療過誤保障への問題を単に保障枠組みの法的な問題だけにとどめるのではなく,「医療の質」という点にまで問題を展開し,方向性を示そうとしたと言えるからである。医療制度の違いもあり,一概にその差異を強調できないが,一般的な見解としてアメリカにおける医療過誤をめぐる議論よりも,オーストラリアのそれは,より広い概念をも含むものとの認識が存在する。
 また,オーストラリアにおいてこの領域に関わる人々は,「医療過誤だけを問題視し対策を展開しても,本質的な問題の解決にはつながらない」という点を強調している。つまり医療過誤の問題は単に医療過誤の問題だけをどのように解決するかといった観点からだけではなく,医療組織全体のマネジメントおよび臨床現場の管理体制にまでその観点を広げて,はじめてこの問題に対する解決に向けた試みが意味をなし得るとの意見が大半を占めている。さらに,こうした医療過誤の問題を医療組織全体および臨床現場の問題にまで広げるためには,直接医療サービスに関わる医療専門職者の意識改革が必要とされ,そのための環境整備が必須と考えられる。
 いずれにせよ,これまでのオーストラリアにおける「医療の質と安全」に関する問題に対する対応は,トップダウンとボトムアップの両アプローチで展開してきたと言える。トップダウン的なアプローチは,連邦および州政府の諸活動,特に医療過誤問題に関する有識者会議や専門職を含めた一般国民の関心を高めるための啓蒙活動,および客観的データ収集のための調査活動,そしてそのイニシアティブとそれに対する資金援助であった。またボトムアップ的なアプローチとしては,ロイヤル・ノースショア病院にみられるようなQARNSなどの研究活動であった。
 今後オーストラリアにおいては,この問題に関してより積極的な連邦政府による働きかけが展開される予定である。その中でも特に重要だと思われるのが,医療機関や医療現場といったレベルで医療の質と安全に関わる問題への積極的な対応を引き起こす環境整備,インセンティブといった点であろう。

日本がこれから行なうべきこと

 最後に,オーストラリアの経験から今後日本においてこの問題に対しどのように対応すべきかであるが,最も重要なのは医療の質や安全をどのように考えるかという点であると思われる。オーストラリアにおいては,個々の医療ミスや質の問題を,単に医療に従事する人々によって引き起こされた問題としてとらえるのではなく,医療システムに内在する問題として扱ってきており,一定の成果をあげている。
 したがって,日本においても医療の質や安全に関わる問題を,医療システム全体の問題として考える必要があると思われる。さらに,問題を医療システム全体の問題として扱うためには,客観的な医療事故に関するデータが必要であり,医療過誤防止に向けた具体的なプログラムの策定や,法制化と同時に客観的なデータ収集のための調査研究の試みが必要と考えられる。
◆著者連絡先:現在,客員研究員としてオーストラリアに在住。
 E-mail:y.fujisawa@unsw.edu.au
QYI01631@nifty.ne.jp