医学界新聞

 

〔印象記〕

第92回米国癌学会年次総会

椙村春彦(浜松医科大学教授・病理学)


はじめに

 米国癌学会(American Association of Cancer Research,AACR)の第92回年次総会(米・ニューオリンズ,3/24-28,2001)に金原財団の助成により参加することができた。この学会は,日本で言えば秋に行なわれる日本癌学会総会に相当するもので,日本癌学会もこのプログラムの組み方などに大きな影響を受けている,と言われている。米国の学会が他分野でもそうであるように,世界各国からアクティブな研究者が集まる実質的な国際学会であり,式典色は少ない。
 プログラムの内容は,演題が5043題,それに加えて4-5題の口演を含むシンポジウムが30題。朝7時からのSunrise Sessionが38題,いくつかの賞の受賞講演が9題,さらに前日に行なわれたEducational Sessionが13セッション(各4演題くらい)など,量的にも圧倒される。さらに方法論の実習講演や,市民フォーラムもあり,高校生のためのセッションなどもある。
 興味深かったのは,どうやってpaperをpublishするか(若手向き),どのようにgrant申請を書くか(シニア向き),といったhow toもののセッションもあったことである。
 全部はとても聴けないのは当然であるが,その日のうちにそれぞれのオーラル・セッションのカセットテープが12.5ドルで売られている。外国人にとってみれば,内容もさることながら,プレゼンテーションには悩まされているので,自分と教室の人のためにいくつか購入して帰った。
 したがって,もちろんこの会で行なわれた話題について平均的にレビューするのは困難であり,興味はそれぞれであろうから,多少バイアスのかかった印象記であることをお許し願いたい。

Minisymposium-筆者の発表より

 筆者の発表は転移に関連する遺伝子をcharacterizeするセッションであった(Cell and Tumor Biology6,Defining Genes and Mechanisms Regulating Metastasis,Minisymposium)。初めに,司会のLin博士がIKKのアポトーシスにおける役割とその前立腺癌転移における意義について,総説を30分ほど述べた。その後,BRMS1(乳癌の転移に関する新しい遺伝子),Fas,RhoBの欠失にともなう細胞運動能の変化,KAI1,RhoCGTPase,nm23H1とTiam1(筆者),Raf Kinase Inhibitor,MMK4,N-cadherin,HOXC8とLethal(2)Giant Larvaeと,すべての演題の扱う遺伝子が異なっている状況であった。Nm23を単離したPat Steeg博士や,MMPなどで有名な清木元治東大医科研教授などの姿も会場に見られた。
 筆者の発表は,nm23H1がGEFであるTiam1を介して,細胞の形や接着に影響を与える,という観察結果である。ちょうど印刷中のもので,会場での議論は投稿時のreviewerのコメントとまったく同じものであり,reviewerが予想通りの研究者であったことを確認した。また,その内容,限界など,司会者ともども熟知しているようで,専門領域のコミュニティで密接な情報交換が行なわれている現状と,どちらかというと日本の中でも研究の中心地にはいない者にとっての情報格差の恐ろしさを改めて痛切に感じた。

Poster Discussion Session

 Poster Discussion Sessionの最終日では,乳癌細胞においてEphA2の発現とそのリガンドであるEphrinA1の影響を調べた発表が興味深かった。これも3月号の「Cancer Research」誌に載っている内容が8割を占め,“We will publish soon”とした内容が2割で,その残りの2割には,われわれが現在研究していることにも密接な関連があり,慌ててホテル(バーボンストリートの喧騒が夜中の3時まで聞こえるところだが)からE-mailを教室に送るはめになった。帰国してから数週間経って,その号が届くようでは思いやられる。
 Eph-Ephrin seriesではポスターセッションに加えて3題の演題があり,大腸癌や骨肉腫で発現を調べたもの,uveal melanomaのcell lineでそのbiological behaviorと比較したものであった。

Molecular Epidemiology

 さて,本稿では“Molecular Epidemiology”という最近取り上げられることの多い分野を紹介したい。
 前述のように日本癌学会は米国癌学会によく似たスタイルをとってはいるが,演題の分野を見ると違いに気がつくことがある。ポスターセッションは約30のポスターがテーマごとに掲示されるわけで,各テーマはさらに大きく「cellular and tumor biology」,「carcinogenesis」というようにまとめられる。Epidemiologyはgenotype-phenotype interaction,DNA damage and repair,epidemiology I,IIといった具合に11セッションを含む。Clinical Investigationの大テーマのもとには臓器別に20セッションがあり,例えば,gastrointestinal cancers I,IIの60題のうち26題が日本からのもの(留学邦人のものは除く)であるのに対し,epidemiology I,IIの59題では0題。アジアからの演題はかなりあるので,日本からの参加者の扱っているテーマの偏りは,予想されたとはいえ際立っていた。
 分子疫学という言葉は,感染症の分野ではずっと古くから使われているようであるが,癌の分子疫学という分野を提唱し,実際に研究が始められたのが1982年頃とされる(Perera, F. P. & Weinstein, I. B.:J Chronic Dis,35:581-600., 1982)。分子生物学的な技術や考え方を疫学領域の問題(発癌物質のモニター,遺伝的感受性,個体の発癌リスクなど)に用いる領域を指した。その最近の話題については18年ぶりにレビューされているので参照されたい(Perera, F. P. & Weinstein, I. B.:Carcinogenesis,21:517-524., 2000)。
 今回の会場では,ヒトゲノムの解読完了直後でもあり,ゲノムの膨大な情報を癌の予防にどう役立てるか,特に21世紀の癌予防戦略の基幹となる領域と言われる分子疫学の中でどうやって,“Capitalize”するのかが議論された。

Educational Session

 Educational Sessionでは“Biomarkers for cancer Prevention and Molecular Epidemiology”が取り上げられ,遺伝的要因と環境要因が相互作用しつつ,個体の癌感受性を決めること,さらに予防の標的としてどのような生物学的指標を使うべきか,といった概念論が紹介された。乳癌において,例えばBRCA1のattributable riskが3%なのに対し,NAT2多型のそれは23%,逆にabsolute riskは前者は85%,後者は15%といった数字が紹介された(これらに関しての総説はHussain and Harris,Cancer Research, 1998がわかりやすい)。
 さらに,Genetics and Cancer Susceptibilityのセッションが引き続いてあり,遺伝性前立腺癌の遺伝子(HPC2/ELA2)の単離に至る分離比分析や連鎖解析の紹介があった。また最後に,現地ルイジアナ州立大学のPelias教授が,優性主義についての歴史的な経緯や,遺伝にまつわる深刻な問題を提起した。

癌感受性にかかわるSNPの研究戦略

 3日目のシンポジウムがまさに“How do we capitalize on the new tools of genomics in cohort and case-control studies of cancer”というタイトルで,癌感受性にかかわるsingle nucleotide polymorphism(SNP)の研究戦略がホームページとともに紹介された。演題を紹介する。
・Investigating Families of Candidate SNP as Genetic Risk Factors in Population Studies of Cancer
・How many SNPs? Which SNPs? In Whom
・Issues in the Studies of Gene-Environmental Interactions
・Design, Statistical Analysis, and Interpretation
 紹介されたのは,ウェブサイト上でSNPにたどりつく方法などであるが,やみくもに検討するのではなく,生物学的合理性のあるSNPを,最も有用な集団で,十分に熟慮を経た疫学デザインを用いて研究すべし(vainly recurrent studyにならないように,という表現を使っていたが)という,至極もっともだが,実行するのは大変なメッセージだったと思う。

Molecular Epidemiology Group

 最後に分子疫学の研究者の活動について紹介する。AACRの中にMolecular Epidemiology Group(MEG)という小グループがあり,AACRの会費に30ドル上乗せすることによって誰でも入会できる(入会問合せは,Victoria A.M. Wolodzkoまで。E-mail:wolodzko@aacr.org)。
 日本では,実は2年ほど前から,癌研究所の北川知行所長,埼玉県立がんセンターの中地敬主任研究員(現放影研疫学部長)らが中心となり,「日本がん分子疫学研究会」の設立準備を進め,昨年の5月に第1回,本年の2月に第2回の研究会を開催している。現在140人強のメンバーである。こういった事情を最近の日本の動向として,筆者が簡単に同学会において報告した。
 末尾でありますが,このような機会を与えてくださった金原財団の皆様に,重ねて御礼を申し上げます。
◆日本がん分子疫学研究会事務局連絡先
 放射線影響研究所疫学部
 TEL(082)264-7218/FAX(082)262-9768

〔参考文献〕
椙村春彦 「ヒト癌の個体感受性と分子疫学-日本人の病気と病理学」『病理と臨床』17s:248,1999

 
 会場にて。〔写真上〕左がPerera博士(コロンビア大)。右はVince Wilson博士(ルイジアナ大)
〔写真左〕左がSantella博士(第1回日本がん分子疫学研究会の招待講演講師)。右はMEG設立時のchair personのShields教授(米・ジョージタウン大)