医学界新聞

 

連載(19)  再びアフリカ編……(1)

いまアジアでは-看護職がみたアジア

近藤麻理(兵庫県立看護大・国際地域看護)

E-mail:mari-k@dg7.so-net.ne.jp    


2447号よりつづく

【第19回】アフリカ・ザンビアにて-1

アメリカでのドキドキ

 アメリカ合衆国で暮らしたことのある人たちと思い出話をすると,何とも話がかみ合っていないなあ,と思うことがときどきあります。その違和感は,暮らした州や地域性の違いもありますが,どのような身分で滞在したのかによっても違ってきます。そして,金銭的条件の違いが,アメリカ生活の内容を明確に左右しますし,日常の暮らしの中では,「アジア人」であるという「人種」を強く意識させられました。
 私が暮らしていた東海岸では,道路1本隔てているだけ――あるいは川がその間を流れているだけ――なのに,収入の高低差による生活レベルがはっきりしており,両岸で明確に棲み分けられているのです。暮らし始めた当初,この棲み分けは,「人種的なものだろう」と思っていました。しかし,それは結論として同じような人種的グループが,「貧乏」というほぼ同じ生活レベルで暮らしているに過ぎないことがわかりました。そんな中に,ひょっこりと,怪しそうな,無表情に見える日本人が混じってきたわけですから,きっと彼らも警戒したことでしょう。
 そこでの生活も半年ほど過ぎた頃,私たちの乗用車は後ろからついてきた自動車に突然横付けされ,細い路地に車を止めざるを得なくなりました。車から出てきたアフリカ系の男性は,怒りにまかせて私たちの車のボンネットを殴りつけます。その理由などわかりませんし,何を怒っているのかさえわかりません。ただひたすら,男性を刺激しないようにと,5分間くらい運転席で固まっていました。というよりは凍りついていました。結局,彼は拳銃を持っていなかったのでしょう,気が済んだのか,その場を立ち去って行きました。私は,走り去る車と彼に,なぜか「まだ,生きている」と手を合わせながら感謝をしていました。
 これと似たような場面は,その後も何度か出くわすことになったのですが,幸運にも直接的な被害を受けることはありませんでした。こうして,4年にわたるドキドキの連続だったアメリカ生活は,7年ぶりにタイに行くことが決まり終了したのです。

21世紀最初の仕事

 20世紀までの(と言ってもつい最近ですが)私は,アジアとアメリカ東海岸という地しか知らずにいましたが,21世紀に入った途端にAMDAから,アフリカ大陸南部に位置するザンビア共和国へ,プロジェクト調査に行く機会を得ました。しかし,「21世紀を迎える正月は,初めてのアフリカ大陸だ!」などと喜んだのはほんの一瞬で,その後は調査の準備に1か月を費やし,現地に40日間滞在。そして,帰国後3週間内に報告書を書き上げるという,眠る暇もない試練が待ち受けていたのです。
 日本を発った飛行機は,シンガポールに到着。そこを経由して南アフリカへ。ここの空港のベンチで5時間うたた寝をし,また飛行機に乗ってようやくザンビアに到着しました。果てしない,なが~い1人旅でした。雨上がりの,緑がむせるような大地に圧倒されながら,首都のルサカ市へと向かいます。到着すると,柔らかなものごしのAMDAザンビアのスタッフに迎えられ,すぐさま仕事が始まりました。
 ザンビアでは,1980年半ばの平均余命が54歳であったものが,現在では37歳へと下降しています。これは,アフリカ大陸サハラ以南の国々すべてに共通している「AIDS」の影響からです。具体的には,1998年には1000人,翌年には,600人の学校の教員たちが,AIDSが原因で死亡したという現実があります。小学校への就学率が70%以下という問題は,この国の人口構成にも関わっています。そして,14歳以下の人口が45%を占め,ついで15歳から29歳が32%,なんと30歳以上の人口はたった23%にすぎないのです。また,若年層の教育問題はAIDSと並ぶ,あるいは相互に関連しあう大きな社会問題となっています。このような過酷な現実の中にあって,「いったい人々は何を考え生きているのだろうか」という日本での私の思いは,まったく意味をなさないものでした。
 今回の都市型スラム地域での調査がきっかけとなり,私が今まで考えていたアフリカと,行ってみて実際に体験したものが違うことに気づいたのです。欧米諸国で暮らすことを強いられた歴史を持つ彼らを,私はアメリカ人として,そこに当たり前に暮らす人々として捉えていたのです。しかし,アメリカで出会ったアフリカ系の人たちは,心の中にマザーランドとしてアフリカ大陸への誇りを持ち続けていたのではないか,そう思うようになったのです。どうして今まで,この土地を訪ねようと思わなかったのか。アフリカの国々(土地)を知っているつもりになっていたのかもしれませんが,実際にはまったく何も見ていないのだし,実は何も知ってはいなかったのです。
 事実は,自分の目で確かめることだと再認識し,久しぶりに「ガツン」とやられた体験でした。