医学界新聞

 

〔鼎談〕

「次世代型遠隔看護システム」とは
看護実践の場での可能性を探る

川島みどり
(健和会臨床看護研究所)
  川口孝泰
(兵庫県立看護大学)
  押川真喜子
(聖路加国際病院訪問看護部)


 政府は,「IT(情報通信)革命」を宣言し,医療界もIT技術による環境整備に取り組む形となった。「看護研究」(34巻4号,2001年8月号)では,このようなIT時代に向けた「次世代型遠隔看護システム」の開発研究に取り組んでいる川口孝泰氏(兵庫県立看護大)を中心に,「IT時代における看護研究の取り組み」を特集している。
 本紙では,これまでのリアルタイム映像を中心とした「遠隔医療」とは違った,川口氏らが提唱する「遠隔看護システム」に関し,本システムの看護実践の場における可能性を探る鼎談を企画した。


■通信回線を利用した遠隔看護に向けて

―― いわゆる僻地や離島では,すでに「遠隔医療」と呼ばれるシステムを導入しているところもありますが,川口さんが取り組んでいる「遠隔看護システム」は,それとはまた違ったもののようです。そこで今回は,そのシステムを解説いただくとともに,看護実践の場でどのような利用が考えられるのか,その可能性を探って参りたいと思います。まず,川口さんから「遠隔看護システム」について説明いただけますか。

非リアルタイムでの情報収集手段

川口 1990年代の初め,遠隔医療は通信回線を通じてなされる画像を中心としたリアルタイムでの診断,医療行為というのが議論の中心でした。私はその中で,看護の可能性,つまり「遠隔看護」ということを考えるようになりました。まだ日本の通信技術の整備が,不十分な時期でしたから,事情は悪く,議論はされても実践面は何も進まない時代でした。
 遠隔医療そのものは,日本では1970年代に入ってから試験的な実用化が始められていました。一時期は話題となり,先進的に取り組みを開始した地域などでは,見学者も多かったようですが,通信の整備がされないままに,思ったことと実際にできることにギャップがあり停滞してしまいました。その当時の通信技術では,リアルタイムの対面での診断をするということが非常に難しかったのだろうと思います。
 リアルタイムばかりが先行し,足踏み状態にある遠隔医療の今後の方向性について話している中で,その頃,共同研究をしていた姫路工業大の先生と,「非リアルタイムだったらできるじゃない? Eメールのやりとりをして,それで癒されたりもするのだから」と話をしたことがあります。そのようなやりとりから,私の「遠隔看護」の研究が始まったと言えます。そして考えたのが図1です。
 遠隔医療はリアルタイムで急性期の人たちに対して行なうもので,少し前にテレビで話題になった,慶大の遠隔地外科手術のような営みができることをめざしていました。一方で看護については,直接訪問してケアを行なうことが最もよい方法だと思いますが,もしも通信回線がタダ同然に広がったとすれば,回線は通していますが,遠隔地にありながらも常に在宅の患者さんの安心につながるケアができるのではないかと考えたのです。
 そうして,もし実現した場合にどうなるかと考えたのが図2です。患者さんの退院後の継続的なケアを,患者さんのことをよくわかっている担当ナースが支援することが必須となります。この場合,緊急時のリアルタイム通信が必要というよりは,むしろ非リアルタイムであっても必要時,定期的に患者さんに対して健康相談をやりとりできることが重要です。基本的には,患者さんの自立的な健康管理を専門的に支援するような仕組みが必要で,図2には「システムの目標」をあげています。また地域には,担当のナースを専門的にアシストでき,データベースを司る基地としての地域センターがあることが望ましいですね。そして,通信回線を利用してのケアを実施する方法として,私は「文書メール」,「バイタルメール」,「ビデオメール」の3種類の情報収集手段を考えています。
 「文書メール」は,今でも私たちが行なっている手紙もしくはEメールと同じですから,送受信のやりとりで癒し,癒される効果があるのではないでしょうか。これは,むしろ非リアルタイムのよいところかもしれません。また,医療や看護に結びつける場合には,患者さんの生体情報を知る必要もあるわけで,「バイタルメール」として,それも得たいと考えました。しかし,多くの看護職の方々にもお話をうかがうと,単に脈拍,体温,呼吸,血圧を計ってというだけではなく,数字には表れない情報がそこには入ってくると言うのですね。患者さんのそばにいるからこそ「何か起こりそう」という予測が成り立ちます。そういうものが,看護には重要だと言われました。そこで取り入れたのが,バイタル情報から得られた波を,カオス分析(非線形時系列分析)することで,看護婦が感じた「何かおかしいぞ」という情報を,新しい形で表現してみようとするものです。


「IT基本戦略」に則った遠隔看護

川口 また一方で,姫路工業大の先生は情報分野を専門領域とする方ですので,画像情報は大事だという視点に立っています。そこで彼は,患者さんの悲しい表情,苦しい表情から訴えるものを非リアルタイム画面から分析したいと取り組みました。ビデオに写された顔面を座標系において,それがどのように変化しているのかを見ると,異変のある時はいつもの表情と違うことがわかります。さらに,画像に写った患者さんの身体の揺らぎ方が,疲れている時と普段では違うのではないかという分析も考えました。つまり,このようにビデオ画像の表情分析等から,「いつもと違うぞ!」という隠れた情報が察知できれば,患者さんの危険度を知る手がかりとなるデータが作れるだろうと,現在も研究を進めています。
 実は,私が急速にこういう考え方になったのは,政府が「IT基本戦略」として「e-japan重点計画概要」を表したからです。それによると,今後5年以内にほとんどの家庭に光ファイバーが入り,通信事情がものすごく改善されるとのことです。だとすれば,今から準備を始め試験的に運用していけば,通信回線を利用した適切な遠隔看護の実用化が可能になる。今後,通信回線が整うことで,看護の場も広がっていくことを想定して,今から準備しておきたいというのが,私の研究の意図と概要です。

古いケア概念からの転換が必要に

川島 今,川口さんは「5年後にはITが一般家庭の中にも普及する」と話されましたが,それが看護の領域ではどのような変化を起こすのか,今1つイメージがわきません。これまでも,看護界ではさまざまな新しい考え方や言葉が出てきましたが,私は,そのことが生まれてきた背景や正しい内容をできるだけ早く把握するかしないかでは,その後の理解がまったく違うと思っています。例えばこのシステムが軌道に乗る前に,「遠隔看護」や「次世代型遠隔看護システム」といった言葉だけがどんどん先行してしまうと,普及した時点では自分なりの解釈をし,初心が忘れさられる可能性もあります。
 「裸の王様」ではないですが,皆がわかったふりをしていながら,実は何もわかっていない,ということが看護界にはこれまでもたびたびありました。そういう意味で私は,この場に居合わせて「なぜそういうことを思いついたのか」を直接お聞きすることができ,うれしいですね。
 1昨年でしたか,偶然に川口さんとお会いし,この話をうかがった時に,これは私たちが取り組んでいるパーキンソン病患者さんの研究評価に活かせるのではないかと考えました。そこで,川口さんにレクチャーをお願いしたという経緯があります。
 ただ,このシステムが理解され,普及の方向に持っていくためには,かなり発想の転換が必要だと思います。看護というのは,患者さんと私との,本当に個別の具体的な触れ合いです。タッチをし,皮膚の温度を感じ合ってというところからケアが始まります。それを,情報という媒体を使って,患者さんに深くアプローチをしていこうとするわけですから,古い考え方のままのケアに固執していると,このような新しい発想にはついていけないのではないかと,お話をうかがっていて思いました。
押川 「遠隔医療」と言いますと,最も利用されるのが訪問看護の現場だと思います。話を聞き,「やはりそういう時代になったのだな」と,素直にすばらしいお考えだと思いました。とにかく,地域に出ることと施設内ケアの大きな違いというのは,患者さんに何か変事が起きた場合にナースコールをされても,すぐには現場へ行けないという点です。
 私は,訪問をしている時間だけでは支えきれない部分があることをずっと感じていました。例えば電話相談にしましても150-200人の患者さんを支えているわけですから,毎日頻繁に電話がかかってきます。しかも,どちらかというとすぐに何らかの手を差し伸べてほしいという内容が多いのですが,電話だけでは緊急性があるのか,少しは待てるのかの振り分けが難しく,現場は大変な思いをしています。
 電話だけでは限界を感じています。かといって,これまでに実施されています据置型のビデオカメラからの映像を見ながらコントロールをするにも,現実的には機器を設置するとなるとお金もかかりますし,運営をしていくにもコストがかかります。川口さんからの提言で,こういうようにすっきりまとめていただくと,「これをうまく利用しない手はないぞ」というのが,漠然としてはいますが,私の率直な意見です。

リスクファクターは何か

川島 これを実施することのリスクファクターはどのようなことが考えられますか。
川口 まずはプライバシーの問題。それから,これを気軽に使うことで,ややもすると医療の質の低下を招きかねないという点です。医療というのは,正確さが重要ですが,映像による表情などのカオス解析をしても,正確さという点ではそれほど保証されません。というのは,患者さんとは会ってみなければ絶対にわからないという部分が大きいからです。解析の結果,「この患者さんは非常に危ない」と出ても,会ってみたら元気だということもあり得ます。
 ただ,このシステムの趣旨を考えますと,患者さんとのやりとりを通して,少しでも観察情報が得られればよいわけで,正確さよりは,むしろ患者さんの自立を支えるという観点から,実行するという行為自体が大事だと考えます。議論すべきは,このようなシステムの効果や目的と可能性を明確化した上で医療の質が低下しないように,ここから出てきたデータの扱いをどうしていくかだと思います。
 あとの問題は,診療行為なのですが,例えば,今の日本では診療点数にならないと医療の「業」となりません。そういう意味では,「遠隔看護システムを使って,このような看護をしてもよい」という免許がほしいですね。ナースならではの,「こんなことができる」というためのライセンスが必要で,それがどんどん広がればやりがいにもつながるでしょう。今は,医師がいないと診療行為はできませんので,医師の既得権を看護職にも与えるべきだと考えます。遠隔看護を通じて医療上できる看護の仕事というのを,早急に明確化させなければいけないと思っています。
川島 その前に,やはり看護職は「何ができるか」ということを明らかにしなければいけないですね。私たちナースは,リアルタイムに患者さんを見て,触れて,嗅いで,五感を全部集中して,第六感も働かせて,その人のことを知るわけです。ところが,このインターネット上の情報というのは,触れることなく,画面上の表情やしぐさを見て,スピーカーを介した声を聞いて,何らかの計測機器を使ったデジタル化された情報とで,その人がいまどのような状態なのかを知るようにしなければいけないわけです。つまり,従来あったナースの情報収集方法のいくつかが欠落したまま,何を把握し,何ができるかというところを明確にしていかないと,ライセンスの取得は難しいだろうと思います。
川口 実際に患者さんにするというのは怖い面もありますが,今年中には兵庫県立看護大学の附置研究推進センターにおいて模擬的な一歩を踏み出そうと考えています。

■高速通信回線が当たり前になる近未来

逸脱しない技術の応用

川島 気になるのは文書メールの場合ですが,先ほど川口さんが「癒されることがある」とおっしゃったのは,ある一定水準以上の人が対象となるのではないでしょうか。でも,現実には自分の思いを言葉で表現することの下手な人はたくさんいます。それを文章化するとなるともっと困難な人がいるわけで,日本人は,これは患者さんだけでなく,自分のことを語れない人が多いですね。自分が受けているケアの内容についても,全面的に満足しているのか,不満なのか,そういう表現もされません。
押川 「なんとなく」という感じですね。実際に,今でも在宅である程度の水準の方は,内容は別として「介護ノート」のような書き込みをしています。いろいろな職種の方が在宅の場には入ってきていますので,皆が情報を寄せますし,ご家族にもその様子を書いていただくようにしています。そうしないと,普段の時間をどう過ごされたかがわかりませんので,介護ノートは訪問に行った時と行かない時の違いを判断する材料にしています。つまり,文書メールという形ではありませんが,今までも患者さんの情報を収集して,私たちはその場でアセスメントして,またその先に予測し得ることを考えてきているわけです。その意味で,文書メールが訪問をする際の支援材料の1つにはなると思います。
 電話相談にしてもそうですが,私たちが必要な情報を的確に伝えてもらえるか否かは,私たちナースが常日ごろ,いかに患者さんや介護者の方に教育ができているかにかかわってくると思います。先ほど,「質の低下」が言われましたけれど,それは,私たちがきっちりと患者さんやご家族に,その疾患によってどういうことが起こりやすいか,今どういう状態にあるのかを説明できているか否かが試されることでもありますし,お互いのコミュニケーションが反映されて成り立っている気もします。そういう基本をおろそかにして,あまりにもこのシステムに頼りすぎると,確かに危険性があるように思います。
川口 1昨年,アメリカで「遠隔看護」がワーッと広がったことを機に,アメリカの看護協会では明文化された規約が出されました。その中に「決して患者さんなしに,通信だけでやってはいけない」という内容や,「十分な説明に基づく承諾や同意の必要性」などが繰り返し書いてあります。また「テクノロジーの利用によって,誠実さや治療上の価値から,逸脱しないように」とか,医療の質低下の議論も盛りこまれていて,「なるほどなぁ」と思いました。

誰もが使えるものになるために

川島 それから,こういう映像伝達の場合,患者さん側にとっては,リアルタイムの映像ですと「見られたくない時もある」という思いはあります。ですから,患者さんがスイッチを入れない限り見られないということも条件になるのではないでしょうか。シンプルな仕組みで,つまりナースコールと同じように,こちらが要求したら応えてくれるということを前提としたいですね。
押川 私も,基本的には相手が呼ばなければ見る必要はないと思います。それが施設内にはないよさかもしれません。ただ,緊急性のある時にはパニックになって,言葉による伝達がとても難しくなっている場合もあり得ます。そのような時は,少しでも画像を見せてもらえれば,ある程度の判断は可能です。そこですぐにかけつける必要があるのか,それとも病院に来てもらわなければいけないのか,電話の指示だけで対応できるのか,そういった場合のスクリーニングはできるだろうと思います。
川島 ペンダント型のスイッチにして,例えばトイレなどで転んだという時に,スイッチを押せば自動的に機能が立ち上がり,センターとコンタクトがとれるというようなものがあるといいですね。
川口 5年後に向けた「IT革命」の中には,そのようなことが盛りこまれていて,電化製品と通信機器が家庭内サーバーを通してコントロールできるようなると言っています。また,私の知人は指輪型センサーを開発していて,そこから単にスイッチ機能だけでなく,生体情報や音声情報が入力できる,ということを考えています。
押川 そのような傾向は考えられるのでしょうが,私が訪問している高齢者のお宅の半分以上は,インターネットの機器類など何も置かれていません。携帯電話だって誰も持っていませんし,扱いきれません。それと,かなりお金もかかってしまうのではないかと思うのですが,5年後にはそれが,今の電話のようにどこの家にもあるのが当たり前の時代となるのでしょうか。
川口 その通りです。
川島 費用はどのくらいかかりますか。
川口 通信回線料は超低廉化の方向で議論する,と聞いています。

共通言語がより重要に

川口 在宅での活用に話が向きましたが,今まで,日本の医療の基幹は施設,つまり病院でした。私は,できれば病院からこのシステムを利用していっていただきたいと考えています。そのためには,電子カルテ化の推進も必要になってきます。つまり,「共通のフォーマット」があってこそデータのやりとりができ,情報の共有化ができるわけです。手始めとして,まずは病院発信で,外来患者のフォローアップができるとよいと思っています。
川島 専門職同士がやりとりする場合は,共通言語がなければ絶対にだめですね。医師と看護婦の言葉が食い違っていてはだめですし,在宅と病院との言葉が違ってもだめ。介護と看護の言葉も同じです。
 お話をうかがっていますと,今,看護界や医療界で整理をしなければいけないこと,検討しなければいけない課題をクリアにしないと,意図するシステムは機能しないように思われます。例えば,「自分の目で見なきゃ信じられない」という医師とナースの関係でしたら,患者さんの情報をいくら送ったところで意味がないですね。「送った」という自己満足に過ぎなくなってしまう。証拠として残るだけです。
―― 電子カルテ化は医療情報開示という大きな課題もありますが,行政の勧めもあり今後ますます進んでいくと思います。そこには,言葉の統一と誰にでもわかる言葉で書くことが重要だと指摘されています。

■「何かおかしい」を具現化するために

カオス解析をする意味

川島 先ほどの「カオス解析」について,もう少し説明していただけますか。
川口 バイタルサイン情報をどう取り扱うのか,という話になるのですが,ナースが患者さんと一緒にいて「何かおかしいぞ」と感じるものというのは,おそらく患者さんの脈をみるために手を取った時,あるいは触れた時に感じるもので,連続的な情報と考えられます。つまり,断片的ではなくて,脈の硬さや周期のようなもの,あるいは身体や表情のパターンといったものから何となく感じているものです。そこで,指先から流れる脈波の変化で,身体の不調や変調,それは単に血圧が高い,低いというものではなくて,脈拍の波やそのパターンの中に潜んでいる,隠れたパターンが見えないだろうかと考えたわけです。
 カオスというのは,「複雑系科学の代表的な数学モデル」なのですが,カオス解析は「一見無秩序で規則性のない時系列データの中の隠されたルール」とされています,つまり,今まで私たちに見えている視覚的な次元というのは1つの次元で,最も表に出てくるのが一番はっきりしたパターンとも考えられます。だけど2番目にも隠れたパターンがあり,3番目もあるかもしれない。表には現れにくい,その裏側にあるものを発見しようというのがカオス解析と考えてください。医学診断は,第1のパターンを主材料として利用しますが,患者さんと一緒にいることの多い看護では,その裏側にあるパターンを感じ取っているから,「ここに何かある」「この下にも何かある」という予測がつくのだと思います。
 マーガレット・ニューマンは,その看護理論の中で,このような隠れたパターンに関して議論しているのですが,そのパターンを,仕事の前後の疲労感で見て図形表現したものが図3です。
 これらのパターンからは,その人特有の形が認識できます。大きく,元気よく動いていたパターンが小さく変化したり(図3 Case1),また逆に,大きくなっていくものもあります(同 Case3)。
 そこから何が見えるのかを整理する,つまり「元気だった波が小さくなった」「乱れてきた」という状況を,疲れや病気と関係づけることが,私の課題なのです。この研究は,医学でもされ始めていますし,海外の看護研究者も行なっています。
 私は,通信回線を通じて離れた場でもそのパターンを認識できないだろうかと考えました。離れたところから脈波を送ってもらい,健康状態を把握しようと試みました。これで,看護の「何かおかしいぞ」ということを全部つかまえられるわけではもちろんありませんが,無機的な画像のやりとりだけではなく,隠れた何かを見ることができる,あるいは今の脈拍や血圧の値でしか情報が入ってこないよりは,隠れた次元のパターンがそこから得られれば,遠隔通信は,曖昧情報を少しでも曖昧ではなくしてくれると思うのです。
 カオスというのは,「この状態からこうなった,もしかすると先の状態はこうなるかもしれない」という近未来予測が可能です。発想としては隠れた次元を見ることのできる道具,それが通信回線上で使えそうだということなのです。

パーキンソン病研究にも応用

―― 川島さんは現在パーキンソン病の患者さんを対象に「看護音楽療法」をされていますが,その研究などに応用できるのではないでしょうか。
川島 そう思います。私たちが行なっている「看護音楽療法」は,在宅のパーキンソン病の患者さんたちに施設に来ていただいて,音楽を聴きながら身体をほぐし動かしケアをするというものです。そのケアの効果を計りたいのですが,従来の方法ですと,ナチュラル・キラー(NK)細胞の活性化ですとか,ホルター心電計をつけて交感神経がどのように変化していくかというようなデータを取ろうとしなければいけないのですが,NK細胞などの計測は費用がかかる上に日内変動があったりします。また,患者さんに針を刺すという侵襲もあり,看護研究の評価としては不適です。今はフェイススケールを使い,療法の前後での患者さんの主観的な評価(言葉による),そして私たちが客観的に表情や,身体の柔らかさ,歩き方などを見て判断するといった評価です。
 川口さんとのお話から,「これはできそうだな」と思ったのは,カオス分析もありますが,「表情分析」です。特にパーキンソン病の患者さんは,「能面様表情」の方が多いですし,なかなか笑顔を見せません。そこで,ビデオ画像を通して,療法のはじめと終わった後の表情の違いを解析していただけるとよいと思ったのです。
押川 質問です。この図3は患者さんの表面に現れたものではないものを分析しているわけですが,それが本当に実際の身体の疲れとマッチングするのでしょうか。
川口 実は,それがはっきりとお返事できないんです。ただ,私がすごく興味があるのは,ICUですとかCCUの救急状態にある患者さんたちへの応用です。ものが言えない状態で,心臓も非常に不穏な状態になっている場合などには,この理論からは,かなりの予測が立てられるのではないかと思っています。
押川 これから何が起こるのか,わかるということですか。
川口 予測ができると思います。ものを言わない患者さんでは,「何かおかしい」というのはかなり出てきますから,その部分の研究をどなたかしてくれないかなと思ってはいるのですけれど。

「勘」も,看護では重要

押川 そうしますと,小児にも応用できますね。小さい子は,もの言えぬ状態にありますから,お母さんの客観的なものと私たちが見たものでしか判断ができませんので,これはおもしろいと思います。でも,やはり危険なのは,これで現れたデータをあてにしすぎることですね。これを1つの手段として利用のできるエキスパートばかりだとよいのですが,今でさえ,検査データなどいろいろなものに振り回されがちなところに,またこういう情報がどんどん入ってきますと,基本を忘れてしまいかねません。振り回されることなく,基本がきちっとわかったうえで,1つの手段として使える人でないと,本当に怖いと思います。
川口 そうですね。そこで大切なのは教育になります。このデータをどう使うのかという教育が十分にされなければいけません。看護診断についてもそういう要素があると思います。例えば,「看護診断合格者」という人だけが使えばいいのですけれど,不合格になりそうな人が使うからおかしな方向を向いてしまう。「認定試験制度」を設けて……と言うとお叱かりを受けそうですね(笑)。
川島 ある意味では必要だと思いますよ。
押川 でも,それを言い出しますと,訪問看護婦も短い期間の研修ですが,ちゃんとした認定を受けているわけですから,すべての分野に言えてしまいますよね。
川口 それはその通りです。
押川 このような裏データというのも利用価値はあると思いますが,私たちの仕事には,直感,第六感というものがすごくあるような気がしています。「あれ?」と思っても,なかなか人に説得できるようなものではありませんから,第六感とか直感と言っていますが,同じように,ものを言えない人を対象にある程度しぼってやってみると,1つの方法論としてはおもしろいと思っています。
川口 そうですね。有効に使えるところはどこかということを探し当てなければいけないですね。これは特に,ものが言えない患者さんの喜びとか,悲しみの感情表現,不穏状態の前兆というものをつかむにはよい手段だと思っています。パーキンソン病の方も,表情が硬いですから,そういうものが身体の躍動に出てくればと思います。
川島 先ほど出ました「何かおかしい」という「勘」も,看護では重要なのですが,その勘を具体的に映像化するとか,言語化するのはとても大変です。そのツールとして考えますと,やはりおもしろいですね。
―― 「勘」という言葉が語られましたが,かなり以前のことですが,川島さんと「ナースの直感を数値化できるものがあればいいのに」と話したことを思い出しました。

暴走しないシステム作りのために

―― それではそろそろ今日の鼎談を締めさせていただこうと思いますが,最後に一言ずつお願いいたします。
川島 「看護研究」に川口さんの研究報告が載っていますが,皆さんに読んでいただいたうえで,すぐに「これはいい,早速使おう」ではなく,「こういうところをクリアしなければいけないのではないか」,というような問題点を,川口さんにどんどん送ってくださるといいなと思います。
 それと同時に,これは,今,看護界が解決しなければいけない課題と,ものすごくからみあっている要素があります。そこで,ここから派生した研究の成果が,互いにまた解決へ向けた応用へとつながり,このシステムはより洗練したものになっていくのではないかという印象を受けました。川口さん,がんばってくださいね。
押川 今はなかなか導入も難しいのですが,5年後を見据えて前向きに準備していくべきだと思います。臨床にいる立場としましては,現場で協力できることがあれば,ぜひ積極的に協力して,5年後に,私自身がこれに振り回されることなく有効活用できるものにしたいと思います。
川口 このシステムは,たぶん放っておくと暴走しますので,多くの人からご示唆とご意見をいただけたらと思っています。そうすることでシステムも改善され,実際にうまく稼動するようになるのかなと思っています。できれば,市町村や国などの関係行政機関がこれを受け止めてくれればうれしいのですが……。
 まだまだ問題が多いのに,雑誌や新聞で紹介されて,それこそ独り歩きされてしまうとすごく困りますので,くれぐれも暴走しないように受け止めてほしいと思っています。その意味の歯止めだけはくれぐれもよろしくお願いしたいと思います。
―― どうもありがとうございました。今回の鼎談では,川口さんのシステムの内容を伝えるには不十分かもしれません。読者の方々は,ぜひ「看護研究」もご覧をいただき,ご意見をいただければと思います。
◆連絡先:川口孝泰(兵庫県立看護大)
 E-mail:takayasu_kawaguchi@cnas-hyogo.ac.jp