医学界新聞

 

〔座談会〕

求められる医師をどう育てるか?-新時代の医学教育

 「患者をしっかり診られる医師が本当に養成されているのか?」 医療への不信感が高まる今日,医師養成のあり方にも厳しい視線が向けられるようになった。かつてこれほど,医学教育が社会的関心を呼んだ時代はない。
 医師の養成に医学・医療界が胸を張れる日は来るのだろうか? 大学,行政,そして医学生・研修医,それぞれの立場から,「新時代の医学教育」について語っていただいた。

市村公一氏
東海大学医学部・6年
中村明澄氏
国立病院東京医療センター
研修医2年
黒川 清氏
<司会>
東海大学医学部長
村田貴司氏
文部科学省高等教育局
医学教育課長
中島正治氏
厚生労働省医政局
医事課長


グローバリゼーションの時代

黒川 最近,日本で元気が出ることの1つは,朝のテレビで見るメジャーリーグ・ベースボールです(笑)。本物のプロの世界で渡り合う日本人選手の登場に,皆がわくわくしているんですね。しかし,その一方で日本のプロ野球の視聴率や観客動員数は落ちていく。情報の手段が発達すると,大衆=パブリックが世界中の優れたものをライブで観るようになり,皆が「より優れたもの」,「質の高いもの」を求めるようになる。実は,これが情報化時代のグローバリゼーションの本質です。世界中が価値観を共有するようになるということです。
 もう1つは小泉首相の誕生ですが,彼を選んだのは自民党員ですが,パブリックに強くキャンペーンをして,なんとなく「民意を表しているのではないか」と思わせた。つまり,永田町の密室人事ではなく,パブリックとのキャッチボールをしながら進めるというプロセスを経たことが,彼の人気の一端ではあるでしょう。
 このような世の中の動きは医療についても無関係ではありません。情報化時代の医療とは,「先生はそうおっしゃいますが,最近のアメリカからの情報ではこうですよ」と患者さんに指摘されてしまう時代がやってきたということです。パブリックの関心はやはり,「グローバル・スタンダード」,「開かれた医療」に向いてきています。
 現在,医療と医学教育をどうするかという話が出ているのは,実は,「世界」と比べた日本の医療の実態を,皆が知るようになり,不安になってきたからです。「日本のお医者さんは大丈夫?」と国内外から問われているわけです。
村田 情報量が飛躍的に増大し,流通する今日の「知識社会」にあっては,情報が1か所に集積されるのではなく,あらゆる場所で拡散し利用されていきます。かつ,それぞれが自分のコンテクストにおいて情報を解釈する時代になってきています。
 さらに,1989年以降「グローバリゼーションの波」が急速に押し寄せてきたため,世の中は確実に「質が勝負」の時代になってきています。すでに社会の雰囲気は変わり,昔のやり方でできていたことさえ今はできなくなってきている側面があります。したがって,黒川先生が指摘されたこと,つまり医療の一層の「品質」向上への取組みが,非常に重要になってきています。

世界水準で質を担保しなければならない時代

村田 この「グローバリゼーション」という言葉はかなり戦略的に使われることがあります。世界は甘くはなく,分野によってはすでに抜き差しならない状況が出現していて,教育の世界も無縁ではありません。昨(2000)年の12月には,WTO(世界貿易機関)が教育をサービスと捉え,貿易の自由化の理論がそのまま教育界にも流れてきそうな様相です。
 インターネットの普及により,国境の存在が無意味化すると,日本国内に質を担保するものを持っていないと,気づいた時には,日本から「教育サービス」というものがなくなってしまって,すべて外国の教育機関によって担われているようなことにもなりかねません。すでに,インターネットで授業が受けられるわけで,日本にいながらにしてアメリカ留学ということもあるかもしれない。日本国内で高等教育の質を担保する,それも世界水準で質を担保しなければならない時代に,すでに突入していると言えるのかもしれません。このような厳しい認識が,医学の領域では,まだ十分に共有されていないように思えます。
 そして,質の管理と不可分な「情報公開」についても,いやいやさせられている面倒なものと捉えるか,それとも,体質改善のための手段と捉えるかによって,論理構築がまったく変わってしまいます。情報を持っている側がどのようにその公開と向き合うのか。社会に対してどのような構えをとるのか,この際,これを真摯に考えていかないと,結局は,「同じ穴のムジナ同士の傷のなめあい」で終わりかねません。これが私の率直な現状認識です。
黒川 インターネットを使えば,例えばMIT(マサチューセッツ工科大)の教材などは無料でダウンロードできます。欧米の自信のある大学は,どんどん教材を公開しています。世界からよい学生を惹きつけるためです。そういう時代だから,日本の大学の先生たちが作っている教材について,グローバルな視点でみて自信があるのだったら作ってもよいけれども,そうでないなら,作るのは時間の無駄だということです。むしろ,ケンブリッジ大やハーバード大が無料で提供する優れた教材を使って,次の世代を担っていく学生をいかに教育するかが,先生たちの役目ではないかと思うのです。
村田 質のよいものに収斂していくわけですから,質の悪いものは存在意義を失ってしまう。どうせやるなら質のよいものを作ろうじゃないか,それにはどうしたらよいのかを考えなければなりません。
 後ろ向きに,「自分のやってきた領域がいちばん大事だ」というような狭い考え方からスタートして,単にそれを守ろうというような姿勢では,もはや通用しない時代です。

医療の特殊性とグローバル・スタンダード

中島 お2人が非常に進歩的な意見を述べられたので,私は敢えて,コンサバティブな主張をさせていただこうと思います(笑)。確かに今の日本の医療は,グローバル・スタンダードからみて遅れている面が多い。それは事実だと思います。しかし,他の分野と比べると,医療というのは非常に特殊性があります。それを一概に,「他ではこうだから,日本の医療もこうでなければいかん」というわけにはいきません。
 やはり医療は「文化」なのです。つまり,国民の中に根づいている生命観とか価値観,死生観といったものをベースにした,社会的なアクティビティという面があります。それは,一部の人だけが助かればよいということではなくて,社会全体として容認できるレベルで公平性とか,正当性を保っていなければならないというところがあると思うのです。
 そういうものも担保できるように,制度というものは仕組まれていますから,改革をしようとする際に,それらのさまざまな因子の制約を受けるわけです。ですから,非常に難しくて,一歩一歩,各方面のコンセンサスを得ながら進めなければいけないと日々感じているところです。
 もう1つ,日本でグローバル・スタンダードというと,すぐにアメリカのことを想起しますが,ヨーロッパへ行けば「EU対アメリカ」という構図が如実に出ていて,アメリカがグローバル・スタンダードではないと,彼らは言い張っています。
 ヨーロッパは,どちらかというと日本と似たところがあって,古い社会を引きずって歩いている。そのようなところが主張するグローバル・スタンダードもあるわけです。そこで日本はどうするのか,何を選ぶのかということがあります。
村田 私も同意見です。グローバル・スタンダードとは,アメリカン・スタンダードのことではない。グローバリゼーションというのは,日本という小さな島国が置かれている状況を表す言葉であって,その中で日本がどのようにフィットしていくかというのは別問題のはずです。その中で,質を上げつつ世界と伍していくには,どういう手段が最も適当なのか,知恵を出し合わなければなりません。
黒川 グローバル・スタンダード=アメリカン・スタンダードではないのは当然ですが,アメリカから生まれるものがグローバル・スタンダードにならざるを得ない,あるいは,なることが多いファクターも一方であると思っています。米国は歴史の浅い国であり,変化を恐れないフロンティア・スピリットがある。また,多民族国家であるがゆえに,常に普遍性を備えた価値を作ろうとする意識があります。だから,改革となると,ビジネスモデルも,金融も,高等教育も,医学教育も,アメリカのような移民の国からどんどん変わっていきます。
 例えばお葬式や結婚式などはローカルで,伝統的な方法で行なえばよいことです。しかし,高等教育,医学,金融などについては,共通の価値を与えるからこそ,普遍性の高いシステムが必要なのです。
中島 アメリカの何をもって「よし」とするかですね。アメリカの医療保険制度かというと,そうではない。
中村 少なくとも医学教育については,アメリカのシステムは優れている面が多いと思います。内容としては日本に合うものを作っていかなければならないとしても,システムについては,ある意味で普遍性が重視されてよいのではないかと思います。
中島 卒前,卒後を含めた医学教育システムについてはそうだと思います。また,医療制度,医療体制全体の中で,人手やお金のかけ方が日本とはかなり違います。なぜ日本はそうならなかったのか,というところが,私たちの課題でもあります。

学習者の意欲を引き出す教育を

黒川 さて,このあたりで,ご出席いただいている医学生・研修医の方々に,現在の医学教育についてご意見をいただきたいと思います。
中村 率直に言って,現在の医学教育は魅力的なものとは言いがたいと思います。私の母校(東京女子医大)は,テュートリアル学習の導入など先進的な試みが行なわれていて,他大学に比べるとかなり恵まれた環境にあったと思います。それでも何かもの足りなさを感じました。
 私は『アメリカの医学教育』(赤津晴子著,日本評論社刊)という本を読んだ時に,「私が望んでいた教育がここにある。間違っていなかったんだ」と思ったことがきっかけで,医学教育に興味を持つようになりました。学生時代には,医学生同士,そして先生方を交えて,さらには世界の医学生とも,医学教育について熱い議論を交わしたことがあります。しかし,大学や個人には意見を言うチャンスがあっても,制度を動かしている国に対して,学生が言うチャンスがまったくないということを常々感じていました。「今の医療ではいけない」,「今の医学教育ではいけない」という問題意識を持つ学生はいるのですが,実際に変革への道筋が見出せないまま,無力感を感じていました。
中島 具体的に現在の医学教育のどのあたりに問題を感じていますか?
中村 まず第1に,講義が多すぎるということです。最近はアーリー・エクスポージャー(入学後早期に臨床的な経験をさせる教育手法。「病院ボランティア」や「看護業務の補助」,「老人福祉施設での実習」など,医学生に医療・福祉の現場を体験させる)を導入する大学が増えていますが,それを必修化すべきではないかと思います。モチベーションが高まっている入学時に教科書ばかり与えるのは,非常にもったいないと感じます。まずは,患者さんと接することが基本の医療の現場を肌で感じ,医師には何が要求されていて,そのためには何をどのように学んでいくべきなのか? それをよく考えた上で講義なり,テュートリアル学習をするなりしていったほうがよいのではないでしょうか?
 また,大学にカリキュラムが任されて以来,一般教養が軽視される傾向にあると思いますが,18歳で医学部に入って,まだ人間形成もままならない時に医学を学んで,果たしてよい医師が育つのかと考えると,私は,答えは「ノー」だと思うのです。もっと人間性や社会性を鍛え,医師にふさわしい人間を育成するために,一般教養教育に力を入れていただきたい。もしくは,医学部を4年制の大学を卒業した後に入学するメディカル・スクールにしていただきたいと,私は思っています。
 現在の医学教育では,卒業時点で医師として使える人材は皆無に等しいという実情も問題です。国家試験に合格して「医師」と呼ばれるようになっても,実際には何もできません。本来,医学部というのは職業訓練校という側面があるはずです。臨床実習にはアメリカ流のクリニカル・クラークシップを導入し,法律で許される範囲内での医療行為をどんどん経験させ,卒業時には,医師としての最低限の能力(知識と技術)を身につけた人材を,社会に送り出せるような改革が必要だと思います。さらに,卒後臨床研修の前に,黒川先生がよくおっしゃるような「混ざる」システム(黒川氏は卒業後,研修施設で各大学の卒業生が強制的に「混ざる」研修システムを提唱している)の導入をお願いしたい。競争することはモチベーションを維持していくためにもとても大切だと思います。
 それから,診療所実習の必修化をぜひ実施してほしいと思っています。プライマリケアはすべての医師が知っておくべき概念だと思いますが,これだけは大学病院の実習で学ぶのはなかなか難しいと思います。
 最後に,やはり教育には評価が必要だと思います。例えば,予備校がよい例だと思うのですが,同じ講座を何人かの先生が持って,それを選択制で受けるようになっていると,どれだけ学生が集まるかが即評価につながる。「よい先生はよい」ということが誰の目にも明らかになる。そうすると教育する側ももっと頑張ってくれるのではないかと期待したりして(笑),常に何らかの形の評価は必要だと思います。

大学・施設を超えて問題意識を共有

市村 私は,現在,医学生と先生方合わせて750人以上のメンバーが参加している「よりよい医療をめざす医学生と医師のメーリングリスト」(所属と氏名,メーリングリストで使用するE-mailアドレスを明記のうえ, koichimura-tok@umin.ac.jpまで申し込めばだれでも参加できる)というものを主催しています。そこでのやりとりの中から1つ感じていることは,先ほどからグローバリゼーションという話が出ていますが,海外の事情だけでなく,国内でも,自分の所属している大学や病院以外の事情を知ることによって意識が変わってきているということです。
 例えば,これまで勉強と言えば国家試験の過去問をやることだと,周囲がそういう雰囲気だったので「本当にこれでいいのかな」と疑問を感じながらも,自分だけ別のことをする勇気もないので同じようにしていた。ところがメーリングリスト(以下,ML)に入ってみると,全国にはハリソンやセシルの内科学書を読んでいたり,ケーススタディをやっている学生もいる。SP(模擬患者)の方と医療面接の実習をしたり,ACLS(Advanced Cardiac Life Support)を学んでいる学生もいる。それを知って,「やっぱり自分の疑問は正しかったんだ。大学で皆がやっていることだけでは,足りないんだ」と改めて思ったと。ですから,国内での問題意識の共有化ということも,この情報化社会で進んできているのではないかと感じます。

医療制度と教育

市村 もちろん,アメリカでどのように卒前・卒後の研修をしているかということにも,皆さんとても興味を持っています。幸いにも,私のMLにはアメリカで臨床に携わっておられる先生も何人か参加してくださっていますが,その先生方に話を聞きますと,例えば内科医だったら眼底を診られるのは当然だとか,最初の2-3年はジェネラルに全部やって,その上で専門に進むとか,あるいは検査は最少のもので済ませるよう教育される,と言うわけです。
 日本では上の先生から「どうしてこの検査をオーダーしなかったんだ?」と訊かれるのに,アメリカでは逆で「なぜこんな検査までオーダーするんだ?」と訊かれるのだそうです。いかに頭を使って,少ない検査で診断をするかという方向だというんですね。
 このような話を聞くと,皆さん,やはり「それがいい」と言うのです。何人もの人が眼底鏡を自分で買って練習を始めたりして,「自分もアメリカ式の研修を受けたい」と言うのですが,ただ,実際に国内でそのような研修ができるところはほとんどありません。問診や身体診察をきっちり行なって,なるべく少ない検査で診断するというアメリカの医師レベルになりたいと思いながら,それが日本では叶わないということで,不満や失望感を抱いている人は少なくないと思います。
 もっとも,先ほどアメリカの医療保険制度はだめだが,教育・研修は優れているというお話がありましたが,そもそも医療システムと教育・研修というのは一体のものだろうと思います。アメリカではあのような医療制度になっているからこそ,なるべく検査をしないで頭を使うことが求められているのだし,一方日本では今の診療報酬制度だから,問診や診察に時間を使うよりすぐ検査をしたり,薬を出すというようなことになっているのだと思います。その意味では,教育・研修だけを取り出してきて,そこを何とかよくしようとしても,土台となる医療システムが今のままですと無理があるように思います。大学病院のように「3分診療」を余儀なくされているところで,「頭のてっぺんから足の先まで診なきゃだめです」とアメリカ流の教育をしても,実態に合いません。システムと教育を一体として,どのような医療をめざしていくのかということがはっきりと打ち出されないと,なかなか教育の問題も見えてこないのではないかと思います。
村田 私は,システムを変えることと中身を変えることは「別のこと」だと思っています。まず,大切なのは中身をどうするかということです。システムが,ある日突然ガラッと変わることが簡単にできるのであればやったほうがいいと思いますが,それは口では言えても,実際には不可能に近い。
 今年の3月に「医学教育モデル・コア・カリキュラム」がまとまりました。これはまさに,医学教育の中身をある意味で標準化し,目に見える形で示したものです。こういうものを実際に使っていただくところからスタートするのが,実際に中身をよくしていくという点では,遠いようで,いちばん近い。それによって6年経ったら確実に変わると思います。おそらく「制度を変えろ」ということを,6年言い続けても,たぶん変わらないのです。だから,変革のための戦略が必要だというのが,私の考え方です。

医学生に求めたい覚悟と使命感

村田 それから,「一般教養の軽視」という話ですが,確かにそのような傾向はあるかもしれません。しかし,医療を志す人間にとって,一般教養を身につけ,人間性を高めることは絶対に必要なことですから,それは医学生になられる方には,教育で教えてもらうのではなくて,自分から積極的に学ぶ姿勢を持っていただかなくてはなりません。「教えてもらわなければできない」というものではないはずです。
中村 日本では高校時代は受験勉強が中心です。そこでさらに,大学に入ってまったく一般教養がないと,歴史や社会科学などの常識的な知識に,どうしても欠けてしまうのです。確かに,自らやらなくてはならないことではありますが,ある程度,学校教育にそれがあれば,教養学習への動機づけも高まると思います。
中島 いままでが平和すぎたんだと思うんですね(笑)。何も知らなくても,一般常識がなくても生きてこられたから。そういう過保護社会に育ってしまったから。しかし,これからの若い人は,おそらくそうではないと思うんです。いろんな意味で危機感や刺激があるでしょう。やはり,具体的なニーズがあって勉強を始めるわけで,それは学校で習う必要は何もない。インターネットをちょっと開けば,材料は山とあるわけです。だから,私は何でもかんでも,学校で教わる必要はないと思うのです。ただ,人間的な成長の過程のどの段階で医学を選択するのがよいかというのは,また別問題で,18歳がよいのか,20歳がよいのかという問題はあると思いますが。
村田 学ぶのは医学部の6年間でおしまいかといったら,それは違うでしょう。プロフェッショナルと言われる人になるには,一生勉強していくだけの使命感と覚悟が必要です。だから,医学部に入学した人には,たしかに現状に不満はあるだろうけれども,「自分たちにはそういうミッション(使命)があるんだ」ということを考えてほしいですね。
中村 やはり,医学部の場合には18歳の選択ではなく,4年制大学を卒業した後に,それでも医学をやりたい者だけがいくというメディカル・スクール方式にしたほうがよいのではないでしょうか。
村田 でも,それで単に4年間先送りにするだけでは,たぶん何も変わらないですよ。私は,人生において,本当に死に物狂いで「どう生きるのか」ということを考えるべき時期があると思うのです。それは,全体の問題ではなくて個人差があるかもしれませんが,18歳というのは,かつてはそれなりの「おとな」と認識されていたわけだから,今の18歳がこうだから,すべて一度大学を卒業させてから医学部に入学させればよいというものではないと思います。

「量的拡大」から「質の保証」へ

黒川 ただ,問題はこういうことなんです。明治以降,これまでの大学教育のあり方は,キャッチアップ型で,ともかく人材を育てなければということで,医学部を作り,工学部を作りということで,行政主導で,量的拡大を行なってきた。それでも昭和20年の進学率がようやく3%です。ところが,昭和40年代から進学率がグーッと上がって,今は50%が大学へ行くんです。急激に高等教育を受ける人が増えているわけだから,大学教育の目的というものが明らかに変わってきています。今,法学部でも法科大学院の話をしているけれども,プロフェッショナル・スクールを作ろうとしているわけです。社会における大学の目的,存在意義というものが,以前とは違ってきているのです。
村田 「量的拡大」から「質の確保」ということですね。おっしゃる通りで,これからはまさに質を高めなければならない。そのためにはどうしたらよいかを,皆で考えなくてはなりません。
 その意味では,やはり,教育の中身をよくするために,教える側の評価も大事な時代になってきています。そこで先日,モデル・コア・カリキュラムと同時に,「教員の教育業績評価のガイドライン」というものを作成していただきました。各大学で使えるように評価シートをつけて全大学に配布したのです。教育をしている人たちが大学の中で評価されるというスキームがないと,教育の質はあがっていきません。
黒川 そうです。どのように教育の質を担保するかという研究は必要です。アメリカやイギリスがすごいのは,常にパブリックに対してどれだけの質を保証するかという視点を常に持ち,フィードバックしていることです。だから,自分たちでそのための機関を作るのです。例えば医学教育学会などがコミッションを作り,そこには最初から,パブリックとのキャッチボールという視点があるわけです。日本は,やはり行政がやることになる。このあたりには社会の成熟度の差がありますね。

甘えている医師は本当に淘汰される

市村 先ほど,学生がもう少し自主的にというお話をされましたが,意欲が出ないのは,一生懸命やってもやらなくても,医師になってから大して変わらないというところが,やはり大きいと思うのですね。つまり,報酬にしても,地位や評価も。
中島 変わらなくはないでしょう。病棟で「あの先生はイヤだ」とか,「あの先生に診てほしい」なんていうことは露骨にありますよね。
黒川 いや,それは表に出てこないですよ。
中村 たとえ患者さん同士で言っていたとしても,それで実際に主治医を変えるというようなことはほとんどありません。
中島 友人の話を聞いていると「患者を診に来ないあの先生にはかかりたくない」ということをよく聞きます。それで,ある先生に人気が偏ってしまったり……。その意味で,医師の力量はかなり評価されていると思うのです。
黒川 それが,昇進や給料のアップにつながりますか? 結局そういう人たちにたくさん仕事がまわることはあっても,給料は他の医師と同じです。つまり,「頑張るぞ」という意欲のある人や,善意のある人は忙しくなってしまうだけで,何の見返りもない。このようなインセンティブの欠如は何とかしなくてはいけません。
中村 国家試験もそうですが,受かれば全員一緒じゃないですか。確かに医療者を志す以上,使命感が必要だし,それだけのモチベーションの高い人が医学部に行くべきですが,実際には,他の学部と変わらない感覚で多くの学生が医学部に来ているのです。それで国家試験に受かれば終わり,とりあえず医師にはなれる。
村田 そんな人は,医師にならないでほしいですね。
黒川 アメリカのように,コンピュータマッチングを用いて,いろいろな大学の卒業生を混ぜて研修を行なえば,あっという間にそういう学生は淘汰されます。「あいつはだめだ」「あそこの卒業生はだめだよ」ということになってしまう。先生も淘汰されます。
市村 今は,大学の先生から,「おまえはうちの医局へ来い。国家試験さえ受かれば,遊んでいてもなんとかしてやるから」というように,クラブ活動やサークルの人間関係がそのまま医局に引き継がれていたり,ともかく医局というものが1つの「甘えの温床」のようなものになっていて,それも自己研鑽のためのインセンティブを殺いでいる点だと思います。
村田 ですから,初めの話に戻りますが,グローバリゼーションの時代なのだということを考えてほしいのです。本当に淘汰されますよ。大学自体も淘汰される時代になるわけだから。その中で甘えている人間は,おそらくどこでも使ってもらえなくなります。
中島 そうです。淘汰されると思います。
村田 この10年というのは,おそらく,制度を変えようが変えまいが,変わる時代なんですね。10年経ったら,「いや,変わったね」と間違いなく感じることになると思います。

古いものに縛られるな,新しい価値を築け

市村 現在でも,私がメーリングリストへの投稿などから優秀だなと思う方は,卒後ほとんど大学に残らず,一般の研修病院に行かれます。もちろん,将来基礎に進むとか,研究したいという人は大学に残っているようですが,臨床をやるんだという人で優秀な人は,どんどん大学の外へ出て行くように思います。
中島 しかし,それでも今,誰もが「よい」と評価する臨床研修病院にしても,研修医の応募倍率はせいぜい数倍ほどです。5-10名程度しか採らないのに,わずかな人数しかそこをめざさない。優れた研修施設であるならば,応募者が殺到したってよいと思うのですが……。
中村 それはやはり大学の医局に入ろうとする人が多いからです。人間は,長いものには巻かれてしまいますから。
中島 医局にいることでなんとなく,将来に安心感を持てるのでしょうね。私の頃もそうでした。昔も今も,医学部卒業生が非常にコンサバティブなのは変わっていませんね。
黒川 それについては,学位制度の存在も無視できません。医師だけが大学を出てから「博士」になろうとする。皆「医学博士」にはなりたいから,大学医局に入って教授の下働きをし,意味のない研究をさせられる。学位制度が教授の権力を非常に強めているわけです。
 先日,ドイツのある先生と会って話をしたのですが,ドイツは「学位制度をなくした」と言っていました。21世紀の若手のサイエンティストを育てるという点で,非常にまずいという理由でやめてしまったそうです。日本も学位制度をなくし,「医学博士号」の呪縛から医師を解き放てば,もっと皆が軽くなり,大学にしがみつくようなことはなくなります。
村田 たぶんそれは徒弟制度的な問題で,医学部だけの現象ではなく,自然科学系に共通の問題かもしれないですね。
中島 もう「医学博士号」に縛られる時代ではないと思いますが。
中村 今も大学の先生方には,昔の流れを私たちに教え込むというところがあります。「(医学博士が)なくてもいいの?」と。
黒川 だから,あなたたちは自分たちの価値観で,「そうじゃないんだ」ということをパブリックにアピールしていかなくてはいけません。
中島 そうです。古いものに縛られず,新しい価値の体系をしっかりと作っていっていただきたい。
黒川 ぜひ,医学生・研修医諸君に頑張っていただきたい。厚生労働,文部科学の両省にもやっていただきたい。国の行政も大事だけれども,いちばん大事なのは次の世代を育てることです。次の世代の価値観の座標軸は何かということを考えなければいけません。

変わらざるを得ない大学病院

中島 これまでは,全国80の医学部の全部が教育・研究を行なってきたわけですが,その結果として,先ほどの「診療所の実習を必修にしてほしい」という要望が出てくる。ここには何か矛盾があるように感じます。本当に,日本の80の大学全部で研究をしなくてはならないのでしょうか? 私も大学院や研究室にいた時に学会に出ていましたが,「あなたの研究のどこが新しいんですか」という質問を何回もしましたよ(笑)。すると,「日本ではまだ発表してないことだから」とか,「これは何例目だ」とモゴモゴとおっしゃる。しかし,そんなものは研究ではないですよ。そんなことをやるくらいだったら,むしろ地域の病院に特化して,プライマリケアを含めてすべてを診る教育病院としてしっかりと成り立つようにすべきです。そうすれば診療所実習をしなくても済むわけですから。
村田 これから否が応でも特色を出さざるを得なくなってくるので,各大学の先生方はかなり頭を悩ませることになるでしょう。地域医療との関係においてどういう役割を担っていくか,さらに福祉社会の中でどのような存在になるのかということも含めて議論をせざるを得なくなってくる。これから数年というのはおもしろいと思います。
黒川 いや,本当におもしろいですね。

パブリックと共に改革に取り組む

中島 2004年には卒後臨床研修の必修化もあります。医師国家試験に合格して医師になることはスタートラインに立つことでしかないわけです。そこから後は,それぞれの医師の努力にかかっているのですが,ただ,その時にどういう体制を作ったら,より効果的な研修ができるか,方法論を考える時です。
黒川 その時にぜひお願いしたいのは,パブリックと一緒に「こういうふうにしましょう」というように進めてほしいということです。「こういう医師を養成しなければならない。みなさん,サポートしてください。一緒にやりましょう」というパブリックとプロセスを共有できるような仕組みを考えていただきたい。
中村 私も1つお願いさせてください。制度を変えた後に実際どうなっているかを知る場を,学生や研修医のために設けていただきたいのです。制度を変えたら「一仕事終わり」ではなく,それが機能しているかどうかを評価する必要があると思います。
中島 確かに,今までは「作りっぱなし」と言われても仕方のないものもありました。それでは,私も意味がないと思いますし,今度の必修化は,そうならないようにしなくてはなりません。臨床研修の必修化についてご議論いただく審議会の部会(医道審議会医師分科会医師臨床研修検討部会)には,ある意味で申し訳ない面もありますが,今までのような「審議会で決まったからこうやってください」ということではなく,「世の中がこう言うから審議会もこう考えざるを得ない」というようになっていくのではないかと思います。それだけ世論,そして医学生の皆さんや研修医の皆さんの「こうあるべきだ」という議論,そしてもちろん教える側の先生方にも意見をどんどん出していただいて,その中でものごとが決まっていくというのが理想形だと思っています。
村田 社会の中での医業というものがあるはずです。それをしっかりとしたものにするために議論の輪を広げていくことが大事だと思います。

痛みを伴う構造改革

中村 医療もサービスの1つだと思いますが,普通のサービス業は,受ける側も提供する側も,密に情報の交換をしていると思うんですよ。だけど,医療に関してはそれが遅れている気がします。
中島 情報提供を,なぜ他の業界でそれだけ行なっているかというと,やはり選ばれるからですよね。選ぶだけの,ある種過剰なものがあるから選べるわけです。ところが,医師の場合は,今までは不足した存在だったわけです。だから,医師の側が情報提供する必要もなかったし,むしろ売り手市場だったわけです。しかし,そこが最近になってガラッと変わってきたわけです。
市村 医師過剰時代と言われますが,変に医師の数を規制するのではなくて,もっと競争させなければいけないと思います。極端なことを言えば,国家試験も全員を合格させてしまい,研修の2年間のうちにだめな医師を切っていく。大学入試でも,全員合格させて,だめな学生をどんどん切っていく。そういう方向に向かわないと,最終的な質は保証されないのではないかと思います。
中村 競争は必要だと思いますね。
市村 今は,医学部に入ってしまえば競争が終わりなので。
中島 日本の医療制度に国民皆保険という制度ができて,そこでそのような「護送船団」が確立されてしまったと言われています。先ほども黒川先生が言われたように,高度経済成長社会には,放っておいても保険料がどんどん上がっていく中で,医師は安心して医療ができたわけです。ところが,その枠組みが壊れて,それにもかかわらず医師がどんどん増えてくるという中では,別のスキームで考えていかないと仕方がないと思いますね。
 しかし,私は「今,医師は過剰だ」と言われますが,そうではなく,むしろまだまだ足りないのではないかとも考えています。もっとサービスを向上させなければいけないですし,医師の勤務状況にも改善すべきところはたくさんあると思っているのです。しかし,それを今の保険制度の中だけでやろうとすると,やはり国民はこれ以上の保険料を払うのは嫌だということになってしまうわけです。そこで,ある種の自縄自縛みたいなことになっていて,それをどう打破するかというところが,まさに次の世代に課せられた難問となっています。
 そのためには,やはり国民にその必要性を理解してもらって,その結果,保険料が上がるということでもよいですし,保険料以外のお金を出すということでもよいですが,医療の質の向上のために,国民が喜んでコストを負担してくれるということにならないと,医療は根本的にはよくならないと思います。
黒川 だめな医師は淘汰される,国民もコストを負担する,となると,やはり「痛みを伴う構造改革」ということですね(笑)。痛みは国民だけではなく,医師のほうにもなくてはだめだよ,と。
 日本は,まさに大転換期にありますね。本日はありがとうございました。
(了)


●黒川清氏
1962年東大医学部卒,67年同大学院修了。69年に渡米,南カリフォルニア大内科準教授,UCLA内科教授などを経て,83年東大第4内科助教授,89年同大第1内科教授。96年より現職。日本学術会議副会長。東大名誉教授。著書に『医を語る』(共著,西村書店)など多数
●中島正治氏
1976年東大医学部卒,83年同大学院修了,同大助手。86年厚生省入省。その後,山口県環境保健部長,厚生省大臣官房政策課企画官,環境庁環境保健部特殊疾病対策室長,同庁環境保健部環境安全課長,厚生省医薬安全局血液対策課長などを経て,本年1月より現職
●村田貴司氏
1979年早大政治経済学部政治学科卒,2000年京大大学院エネルギー科学研究科修了。1979年科学技術庁長官官房総務課,89年外務省在独日本大使館一等書記官,93年以降,科学技術庁原子力局原子力調査室長,同原子力局核燃料課長,同研究開発局宇宙政策課長などを経て,本年1月より現職
●中村明澄氏
2000年東京女子医大卒。現在研修医2年目。「医学教育に学生の声を」と学生時代より積極的に学会等で発表を行なう。「家庭医」をめざし,家庭医療学研究会に学生・研修医部会を設立。趣味はミュージカルで,本年3月には,研修先で病院スタッフとともに患者さんのためのミュージカル公演を行なった
●市村公一氏
1984年東大文学部美術史学科卒。(株)三井銀行などを経て,97年東海大医学部入学。99より始めた「よりよい医療をめざす医学生と医師のメーリングリスト」は全国の医学生や国内外の医師の参加を得,この6月には東京医科歯科大に100名を集めて第1回シンポジウムを開催するなど活発な活動を展開