医学界新聞

 

連載 MGHのクリニカル・クラークシップ

第18回

[患者列伝その3]牢の中で

田中まゆみ(イエール大学ブリッジポート病院・内科小児科レジデント)


2438号よりつづく

信じられないような本当の話

 その黒人の若者は,ものものしく警官に囲まれて入院してきた。救急に運び込まれてきたときには,意識もうろうとしていた,という。
 今はすっかり回復しているその青年に問診して聞き出したのは,信じられないような本当の話であった。
 シカゴから友人を頼って,ボストンに職探しにやってきた彼の職業は,バンド奏者。ところがあてにしていた話がつぶれ,帰るに帰れず,ほかのつてにあたりながら日を過ごしていた。そんなある日,頭いっぱいにあふれるジャズにノリながら道を歩いていたら,向こうから歩いてきた警官が,「ん?」というように彼にガンをつけた,という。そして,いったん通りすぎてからわざわざひき返してきて,「おい,ちょっと来い」と言った。身に覚えのない彼は,「何だよ」と抵抗したが,無理やりカバンの中を調べられた。そして,中に注射器と針が発見されるや,その場で麻薬不法所持・密売容疑で逮捕されてしまった。「僕は,糖尿病なんだ」という彼の抗弁は,ふん,と鼻先で無視された。耳にタコができるほど聞かされた言い訳さ,というわけである。
 インスリンのバイアルが一緒に入っていたこと,肝心の麻薬がないことは,彼の無実を証明する何の役にも立たなかった。あいにく友人と連絡も取れず,「そのインスリンを打たせてくれ」と懇願しても聞き入れられず,「水,水」と頼んでも警官たちはせせら笑ってろくに水もくれなかったという。

「ヤクの禁断症状」?

 インスリンを打てないまま一晩留置場で過ごしたために彼の血糖値はうなぎのぼりに昇り,ついに意識混濁を来して初めて,警察もおかしいと思ったのか急遽MGH(マサチューセッツ総合病院)の救急に運びこんだのであった。それでもまだ,連れてきた警官は「ヤクの禁断症状」と報告したので,まず尿中薬物スクリーニング検査がなされた。もちろん,尿からは,糖分とケトン体以外何も検出されず,血糖値異常高値でようやく,彼の言っていることが正しかったことが証明されたのであった。
 ウラを取るために,警官からも話を聞こうとしたが,訴訟になる可能性があるからと黙秘権を行使したため,カルテには患者から聞いた一方的な内容しか書けなかったのが,いまだに残念でならない。