医学界新聞

 

短期連載

フランスの保健医療の現状 最終回(part 4)

重光哲明(国際保健医療観測センター外科・外傷整形外科)


2431号よりつづく

■揺れるフランス保健医療

産科医療者による大規模スト

 2000年秋の,専門医不足からくる産婦人科医の勤務条件の悪化を警告し,待遇改善と養成数増員を求める全国抗議行動が収まったのもつかの間,2001年に入ると,断続的に,看護職や麻酔士の待遇改善を要求する抗議行動やストライキが全国化した。これに追い打ちをかけるように,公立病院の助産婦が3月半ばからいっせいにストライキに入り,公立病院の産科入院業務が完全に麻痺した。
 フランスでは,出産の70%が助産婦だけの手で行なわれている。また出産は,快適さを求めて営利民間クリニックや伝統的な宗教系非営利民間入院施設が普通に利用されている。しかし低所得者や民間クリニックの少ない大都市以外の住民は,公立の出産施設に頼らざるを得なかった。
 公的セクターからの出産症例が流れ込んだ民間セクターの産科クリニックでは,病棟の廊下にまでベッドを追加した所もあったという。業務のしわ寄せもあって,民間産科入院施設の助産婦も,資格や待遇の向上を求めて運動に合流した。助産婦に連帯を表明しているものの,妊産婦を見捨てることのできない産婦人科医や関連医療看護職員の業務負担が急増して極限に達したため,出産を控えた妊産婦だけでなく,一般住民の間にも不安が広がった。
 さらに,近代化されサービスの質の向上が著しい公立病院だけではなく,同業種間の競争という市場原理にさらされて,この10年で400施設が閉鎖を余儀なくされたクリニックなどの民間営利セクターでは,公立病院より低い給与に抑えられてきた看護職の不満が爆発し,公民の待遇格差(公的セクターでは2002年から35時間の労働時間制導入がすでに予定されている),賃金格差是正の運動に波及する結果となった。

新病院の失敗

 一方,2000年末に,膨大な公的資金を投入して,超近代的な施設と規模で,最高の医学医療技術を導入し,著名教授連の夢を実現すべく建設された公立ポンピドー・ヨーロッパ病院センターが,難産のあげくパリ市内西部に開院した。
 ところが,開院直後に貯配水の欠陥が原因による院内感染で犠牲者が出たり,救急車のアクセスをはじめとする救急部門の欠陥や,コンピュータ,医療OA関連の欠陥,医療要員や事務職員の新施設不慣れなどで機能麻痺となり,一時閉鎖された。開院と前後して,住民に長い間親しまれてきた救急センターを含む身近な公立病院など,3つの地域入院施設が新病院への業務移管で閉鎖されたため,パリ西部の入院や救急事態処理に空白ができ,一時的に混乱状態となった。現在,専門家の間では,新病院建設構想や,集中的な高度医療と地域医療の併存のコンセプトそのものが議論の対象となっており,鳴り物入りの新病院にとっては先が思いやられるスタートとなった。

保健医療の財源

 フランスの保健医療を支える財源制度は,19世紀末のプロイセンの社会政策の労使の妥協と共同出資をもとにした,「ビスマルク型」社会保険制度の流れを汲んでいる。しかし,同じビスマルク型でも,ヨーロッパ諸国の中ではドイツやオランダ,スイスのように歴史的に古く,より分権化され政府の介入が少なく,財源の補助的確保策で労使の柔軟な対応が可能な正統派とは若干異なっている。主として大戦中のドイツ占領下に導入され始め,終戦直後に国の政策として整備された点ではベルギーなどと同じで,政府補助の強い中央集権的な流れでビスマルク型の傍系と言える。大戦以前から徐々に取り入れられ,また政府の社会保険財源負担は逆に非常に少ない点では正統派に近い要素もあるとはいえ,上からの政府介入型という意味で,日本をこの流れに入れることもできるだろう。
 ヨーロッパの先進工業国には,このビスマルク型以外にも,スカンジナビア諸国で始まり,終戦直後に「ゆりかごから墓場まで」という言葉で知られたイギリスや,地中海沿岸諸国でも採用された保健医療や社会保障制度の国家経営が原則の「英国型(ビーヴリッジ型)」の,歴史的には最も新しい流れも存在する。さらに,先進工業国では,弱者(貧困層,高齢者)救済以外は市場原理に任せる傾向になったリベラルな「アメリカ型」も独自に存在している。
 ヨーロッパの先進工業国では,実質的には普遍的と言ってよいカバー率の制度を確立し,誰もが財政的な心配もなく,ほぼ安心して保健医療サービスが受けられる。国家経営型では,利用者の満足度がやや落ちるのは事実であるが,保健指標の点では今のところ一応レベルの高い数字が得られているので,以上にあげたどの型式やシステムがより優れているということを判定することは難しい。
 各国の例をより詳しくみると,同じビスマルク型や英国型に分類されながらも,診療現場での診療費全額,あるいは差額の患者先払い制の有無,社会保険からの償還方式やその比率,社会保険以外の補完的保険(共済組合保険,任意加入民間医療保険),医師の診療報酬の算定方式(診療点数,患者数,総額予算),医師,専門医,医療施設の患者による診療施設自由選択の可能性,低所得者救済制度の有無,公民両セクターの競争の強弱,政府保健医療予算の社会保険財源負担への貢献度などの違いから,それぞれの国ごとに多様でプラグマティックな解決法が柔軟にさまざまに取り入れられ,保健医療システムに独自の特徴を生み出してきている。
 しかし,社会の高齢化,医療費の高騰,患者需要の質と量の増大,要求されるサービスの多様化,保健医療供給の不公正の拡大を前にして,従来の諸制度がいきづまり,転換期を迎えている点では共通した悩みを抱えている。政治的変化で従来のシステムがいっきに崩壊した旧社会主義諸国は極端な例としても,保健医療を国や行政主導とする流れが国家財政の逼迫で後退する一方で,ビスマルク型諸国では,市場原理と保険財政穴埋めの補完方式の選択を前にして,経済のリベラルな流れによる攻勢が進行している。

■転換期を迎えた医療現場

 このような,保健医療や社会保険制度の大きな枠組みの過渡的変化の中で見逃せないのは,実際の医療の現場の構造や布陣,医療職間の力関係に大きな変化が進行せざるを得ないことである。近代以降,国家の許認可によって垂直的に権威づけられてきた医療従事者間の関係は組み替えられ,職分や役割分担の明瞭化・細分化による水平的でより平等な関係に解体・再編されつつある。医療職の中で特権的専門家であった医師内部の世界でも,大学や公立病院内の医師間のヒエラルキー(大学病院職と一般病院職,養成指導医と研修医),専門医と一般医,専門科間,臨床医と基礎研究医などの格差が問題とされている。医療施設内部では,医師と看護士をはじめとするコメディカルスタッフ,事務職と医療職との新しい関係が模索されている。
 それだけにとどまらず,医療の専門家や保健医療施設と,地域住民患者との新しい関係も追究されている。住民患者からの情報開示要求の運動や,多発する医療訴訟はそれを物語っているだろう。また上からは,新たに保健医療圏地図を作成し,公民保健医療施設の合理的配置を目的とした統廃合が進行している。それに喚起されて都市と地方の保健医療格差や大病院中心主義,僻地の切り捨てに抗議する住民運動も活発になった。保健医療という公共空間の問題を軸に,個別利害と共同利害のせめぎあいをどのように解決するかが議論の核心になっている。問題は,単なる狭い医療経済学の範疇ではなく,保健福祉をめぐる政治学,政治経済学の領域なのである。

日本の医療現場では

 日本の医療の現場では,医療の質の向上や医療事故防止をめぐって,情報開示,医療の標準化,医療の評価,危機管理などが議論されている。そして,これらの議論では,限られた医療担当者や専門家が中軸になって,日本とはまったくシステムの異なるアメリカの医療経済学からの発想で,やはりシステムやコンテキストの違う諸外国で生まれた解決策の諸手法(医療技術評価,クリティカル・パス,臨床ガイドライン,疾病管理,EBM-根拠に基づく医療,NBM-語りに基づく医療,顧客満足度など)を模倣し,現場に無原則に導入しようとするのが流行のようである。
 しかし,日本の保健医療を規定している実際の具体的な外部的枠組み,内部的諸制度,あるいは現場のアクター間の独自の力関係を真剣に分析・考慮せず,またその配備の変更,関係の組み替えを実践する運動を創らない限り問題解決に結びつくことは決してあり得ない。政府行政主導による従来の「上」からの改革方式と,それを支えてきた医師を頂点とする医療現場の時代錯誤的関係や現状維持型の構造こそが大きな転換を迫られているのである。
 これからの保健医療改革の鍵は,各地で活性化した利用者である地域住民患者の具体的な要求や運動に呼応して,現場の医療担当者たちが,政府行政の上からの観点や市場原理とは一線を画して,どのような解決策を現場から独自に編み出し合流していけるかにある。そのためには,従来の医療専門家自身が,個別の利害を超えて,自らの内部構造を改革する共同の運動を創り出していく必要があるだろう。

 4回にわたって掲載いたしました重光哲明先生による連載「フランス保健医療の現状」は,今回をもちまして終了いたします。
(週刊医学界新聞編集室)