医学界新聞

 

ルポ――産官学公民連携をめざした

新キャンパスの試み

慶應義塾大学「新川崎(K2)タウンキャンパス」を訪ねる


 昨年5月,慶應義塾大学と川崎市の連携による新キャンパス「新川崎タウンキャンパス」〔通称K2(ケイ・スクエア)タウンキャンパス〕が,川崎市の幸区に開設され,その本格的活動を開始して1年が経過した。同キャンパスは,「産官学連携の強化」を主目的に,21世紀型産業社会の革新をめざした,行政と大学の新しい試みとして期待されている。本紙では,川崎市の同キャンパスを探訪するとともに,その一画「生命科学棟」を基盤にヒトゲノムドラフトシーケンスの解析に大きく貢献した清水信義氏(慶大教授)にお話をうかがう機会を得た。

●研究者の「スーパースター」が集うキャンパス

 「K2タウンキャンパス」の「K2」には,慶大の「K」と川崎市の「K」が相乗して2乗の効果を生み出すという意味が込められている。また,「タウンキャンパス」には,学府(ガウン)に留まることなく,市民が科学と技術に親しむ場(タウン)となることが企図されている。
 同キャンパスには,救急対応画像センシングや光ファイバーなど情報科学の研究室が集まるK棟とE棟,ゲノム研究ののI棟,マルチメディアベンチャー,知的財産権など環境科学・知的財産の研究をするO棟に加え,厚生棟のK2ハウス,高速で情報をやりとりし,将来の在宅・遠隔医療や在宅介護の一助となると予想されるプラスチック光ファイバー「GI-POF」展示室が併設されている。各棟では,上記の専門分野の研究者約10名が先端技術研究を展開しており,鳥居泰彦前慶大塾長をして「スーパースターを結集した」と言わしめる。
 一方,キャンパスの周辺には,川崎市街の高層ビルを背景に,「さいわい夢ひろば」と名づけられた自然豊かな公園が広がり,親子連れの憩いの場ともなっている。

多様な研究の「境界領域」を生む

 清水氏によれば,同キャンパスは,「産業,大学および行政・市民の連携により21世紀を支える新しい科学・技術や産業を創造する研究開発拠点の形成と,次世代を担う子どもたちが,科学・技術への夢を育む場作り」を目的とする川崎市の「新川崎・創造のもり」プロジェクトの第1期計画の一環である。上記の目的のもと,大学研究者と企業研究者の人的交流の場所づくりや,高度な研究開発と技術情報の提供をめざした地元企業研究者を迎えてのセミナーに加え,市内の小学生親子,中高生による見学の他,「オープンキャンパス」などが開催され,すでに1000人以上の一般市民がここを訪れた。
 清水氏は,このキャンパスの意義についてこう語る。
 「キャンパスの大きな目的の1つに,出身学部も研究テーマも異なる研究者が結集することで,『境界領域』が生まれることがあげられます。特に若手研究者にとって,一か所でさまざまな科学研究や技術開発を進めるという雰囲気がよい刺激となり,思わぬアイデアが生まれる可能性があります。企業の研究者も含めて,ここを研究開発の交流の場として有効活用してほしいと思います。産業活性の場としても,企業家,一般の方から期待を寄せられています」

●ねらいは産官学公民連携-ゲノム領域では

ビジネスとサイエンス

 周知のように清水氏は,本年2月に発表された「ヒトゲノム全解析」の日本における中核を担い,545個と225個の遺伝子を発見した22番・21番染色体の解析では,特に大きな貢献を果たした。その成果の大半は,ここのI棟に設備された一連の最先端機器によって実現され,現在も,2003年までにヒトゲノムの完全解読をめざし,8番染色体の解析を進めている。
 このキャンパスの目的の主軸は「産官学公民連携による先端研究プロジェクトの推進」だが,清水氏は特にゲノム領域での「産官学連携」の必要性を次のように強調する。
 「ヒトゲノムドラフトシーケンスが完成できたのは,ライフサイエンスでは初めて,共通の研究に国際チームを組織し取組めたことが大きな要因となっています。ただし,今回の結果はあくまで“ドラフト”にすぎず,今後,役割分担の基に戦略を持った協力体制が,ますます重要になってくるでしょう。国内を考えた場合,国家,産業,大学が協同する,『産官学連携体制』です。
 産業分野にも,ゲノム情報やその情報のもととなるDNAの材料,あるいは解析技術を開放して,もっと有効利用してほしいと考えています。慶大は,産学共同に力を入れており,遺伝子治療研究や新薬開発の面で,情報と素材を提供した共同研究が一部では始まっています。しかし,日本国内を見渡すと,まだその体制は十分ではありません。殊にゲノム解読に関しては,国内のすべての研究者と関連施設,関連企業の協力を得た形での,国家レベル,言うなれば『オールジャパン体制』での取組みが必要だと思います。その拠点の1つに,このキャンパスがなれるよう願っています」

「ゲノム塾」を開校

 同キャンパスの2つ目の目的にある「地域密着型キャンパスとしての科学教育および啓発活動」の具体構想として,同氏が発足させたのが「ゲノム塾」である。広く日本全国を視野に,まさに前述の「タウンキャパス」を具現化したとも言える「ゲノム塾」について,清水氏は次のように語る。
 「昔から言われているような“学問の世界は象牙の塔”というわけにはいきません。互いに協力し,競争して発明・発見を深め,その成果を社会に還元していくことが重要です。その意味で私の研究は,生物学のフィールドにありながら,理学よりも医学,基礎よりも臨床へと応用可能です。医師からの認識度も高く,期待も寄せていただいていることを,非常に幸運だと思っています。一方で,“先端科学技術”は,その知識がない方には,どうしても胡散臭く思われてしまう側面があります。
 これを排斥するために,先端にいる科学技術者が,自分たちの研究ついて説明し,情報を開示していかなければなりません。さらに,この分野では生命倫理への配慮が非常に重要です。そこで,川崎市民に限らず,日本全国を対象にした啓蒙活動を行なうことに思い至りました。全国の方が,遺伝子を科学的に捉え,論理的に思考できるようになることを望んでいます」
 ゲノム塾を運営する「ゲノムステーション」は,企業家野村光義氏(現ゲノム塾ジャパン代表)の協力を得て,京都市に創設された。昨年6月に開設されたホームページ
(http://www.genome-station.co.jp)はオンラインDNAマガジンなど,多彩なコンテンツで,本年に入って20万アクセスを超えた。ゲノム塾の会員になると,CD-ROMに搭載された清水氏監修による「ゲノム教養講座」の初級・基礎・上級プログラムが受講できる他,会員限定のゲノム情報サイトへのアクセス権や,K2タウンキャンパス体験,ゲノムカウンセラー認定資格などを得られる特典がある。また,毎月1回,清水氏による一般市民を対象とした講演セミナーが開催され,東京,京都,沖縄などで家族連れ,学生,製薬会社員,弁護士など,多種多様な参加者を集めている。
 セミナー後には,参加者と清水氏の懇親会が開かれ,盃を重ね膝を交えてゲノム談義を繰り広げることもしばしばある。
 清水氏は「時には,参加者から意外な質問を受け,真剣に考えさせられる場面もあります。このような形で,お互いにゲノムに対する認識を深めていけることは,私自身にも意義のあることです」と述懐する。
 なお,現在,慶大と川崎市は,同地区において「産学交流ゾーン」「科学学習ゾーン」などを含む「創造のもり計画」全体像の実現化へ向け,第2期整備計画の準備を進めている。新川崎タウンキャンパスは今後,産官学公民連携のもと,高度な遺伝子医療などを受け入れることのできる,技術・人・社会の環境を整える1つの拠点となる大きな可能性を秘めている。

I棟1階研究室(写真上)
I棟2階コンピュータ室(写真右):1階でシーケンスされた塩基配列を繋ぎあわせてゲノムマップを作り,遺伝子を発見する

 
ゲノム解析の最先端機器の一部(左がDNAシーケンサー):このような先端機器を,一般の見学者が体験することができる