医学界新聞

 

 連載

「WHOがん疼痛救済プログラム」とともに歩み続けて

 武田文和
 (埼玉県健康づくり事業団総合健診監・埼玉医科大学客員教授・前埼玉県立がんセンター総長)


〔第28回〕
西太平洋地域でのプログラム展開-(2)

2434号よりつづく

フィリピンでの取り組み

 フィリピンも,1987年にはWPRO(WHO西太平洋地域事務局)にがん疼痛救済プログラムへの技術協力を求め,WHOコンサルタントとして私が任命され,2週間の派遣となった。そして,同国の保健省非感染症対策課に滞在して,Emma Robles課長(故人)やTumor Board(がん対策諮問委員会)のAdriano V Laudico博士(現フィリピン外科学会長)などに協力を行なった。フィリピンでは,がん患者が増加傾向を示し,しかも多くが末期となってから発見されていた。経口モルヒネは認可されていたが,嫌われ者の薬であり,依存形成と乱用への過度の恐怖心が広く存在していたのはベトナムと同じであった。同国保健省は,対策の立案を慎重に進め,翌1988年にモルヒネの処方条件を緩和し,次いで各州から医師代表をマニラに集めて指導者養成研修会を開催するに至った。その場に保健大臣が出席し,必要量のモルヒネを供給すると宣言,これに応えた臨床実践を求めた。私もその会に,WHO方式がん疼痛治療法を講義するためにWPROから派遣された。
 これに引き続き,Laudico博士が中心となって国としてのがん疼痛治療ガイドラインを作成した。このガイドラインは,WHO3段階除痛ラダーの第2段階(代表薬コデイン)を省き,非オピオイドと強オピオイド(代表薬モルヒネ)の2段階ラダーを世界で初めて採用したものである。このようなプログラムの展開は,フィリピンの医療用モルヒネ年間消費量を急増させたが,まだ不十分な消費量にとどまっており,普及の努力が続けられている。

中国での取り組み

 中国人民衛生部(保健省)が,孫燕教授(北京・中国医学科学院がんセンター)の働きかけで,WHOがん疼痛救済プログラムに関心を持つようになったのは1990年。アヘン戦争をはじめとする悲惨な歴史の記憶から,モルヒネへの恐怖がことのほか強い中国では,経口モルヒネを認可していなかった。しかしがん患者が増え,しかも末期に至って発見される患者が多いため,疼痛対策の充実が急務の課題となっていた。
 1990年11月,人民衛生部は各省の代表医師と中央政府の薬務担当者を広州に集めて,がん疼痛治療に関する全国研修会を開いた。経口モルヒネが認可されていないのに,「経口モルヒネによるがん疼痛治療」が研修会の主題であった。協力を要請されたWPROは,私とカナダのNeil MacDonald教授(現アルバータ大学名誉教授)を講師として中国に派遣した。痛みに苦しむがん患者への対応に苦慮している各省の医師から,最強の鎮痛薬であるモルヒネが供給されていないことによる患者と医師の悲惨さを聞かされた私たち2人は,自ずと任務に力が入った。
 研修会の2か月後,人民衛生部の幹部から経口モルヒネ錠の国内生産を決定したとの情報が届いた。2年間の試行を経て,1992年にモルヒネ速放錠を認可し,続いて徐放錠も認可したなど,その後の中国政府の対応はスピーディであった。しかし,国連国際麻薬統制委員会委員を長年務められてきた蔡志基氏(北京医科大学中国薬物依存性研究所長)は,「普及活動によって中国の医療用モルヒネ消費量は,1989年から10年を経た1998年には10倍増の108kgとなったが,地球上の4分の1の人口が住んでいるのに,世界のモルヒネ消費量の0.5%ほどしか消費していない嘆かわしい現状」と指摘している。そして新たに,人民衛生部とは別の省庁である国家薬品監督管理局も普及活動に加わり,2000年10月には天津で「全国麻薬管理および疼痛治療研修会」を開催し,私は日本での経緯を紹介する機会をWHOから与えられた。

シンガポールでの取り組み

 シンガポールはモルヒネが以前から認可されていた国であるが,他の国と同じようにモルヒネは嫌われた薬であった。
 この克服に向けて,シンガポールで努力したのはCynthia Goh博士である。彼女は,1980年代後半からがん疼痛治療と緩和ケアの推進役を果たし,シンガポールで初めてホスピスを設立した。また,国内と周辺諸国との医療担当者を対象とした研修会を開くなど,国立シンガポール大学や行政にも働きかけていた。
 この精力的な活動は市民が支持するところとなり,ホスピスケアへの国家予算計上にもつながった。さらに,1998年には国立がんセンターに緩和ケア病棟が設置され,Goh博士が責任者として任命されている。彼女はまた,アジア太平洋ホスピス緩和ケアネットワークの事務局長役も引き受けている。

オーストラリアでの取り組み

 オーストラリアは,世界で最も多種類のオピオイド鎮痛薬が使える国とまで言われるようになり,国際学会の開催や海外から人材を招いての育成にも力を入れている。がん疼痛治療最先進国の1つであるこの国で,研修を受ける日本の医師や看護婦も増えている。