医学界新聞

 

看護随想-新たな世紀を向かえて

 今年の桜は早かった。あれだけ雪が降ったというのに。地球の温暖化は困ったものだが,医療界にとって春の訪れはありがたい。パーキンソン病,アルツハイマー病の治療薬が開発された,とのニュースが流れてきた。全世界でAIDS患者は2000万人を超えているとの報告もある中,明るいニュースの1つである。
 21世紀を迎えての想いを,教育・臨床・在宅の現場からつづっていただいた「看護随想」も今回で終わる。新世紀もすでに確実な歩みを進めている。執筆いただいた方々に改めてお礼を申し上げたい。


外来看護サービスの成果を明らかに

伊藤ひろみ(横浜市立市民病院婦長)


 高齢社会の到来とともに,医療費の高騰に対する医療施策は病院外来において大きな変化を及ぼしている。在院日数の短縮,病院・診療所等の機能分化に伴う外来患者の重症化,継続治療の場としての外来部門の役割は,ここ数年めまぐるしく変化している。
 当院においては,災害の拠点病院としての機能充実,さらに24時間救急医療の充実をめざして救急外来を人的・物的面においても再整備を行なってきている。救急外来体制のシステムの変化とともに外来の看護体制の再編成も行なった。特にここ2年間は,救急外来および検査室業務の独立に取り組んだ。
 これらの外来看護組織の再編成は,今まで一般外来で行なわれてきた業務の効率化をめざしながら,それぞれの業務を独立したシステムとすることであった。この再編は,外来看護組織のフラット化に値し,その根底に意図するものは看護の質を変えることであった。
 このような変革においては,推進者としての管理者が担う役割は大きい。初期の段階では,積極的に問題解決にあたり,関係者間で意志統一を図ることが大切である。次は,組織の変革を維持することであり,マネジメント能力が鍵となる。同時に,看護実践力が問われる段階でもある。最後の段階としては,変革した内容を評価し,フィードバックしていくことが重要である。ここではシナジー効果を明らかにすることである。
 現在,外来における看護の質を改善するために,いくつかの看護サービスの変革にチャレンジしている。従来の糖尿病教室,乳房外来の他,新たなサービスとしては,がん患者を対象とした電話相談,助産婦による妊産婦を中心とした個別指導,その他慢性疾患患者の相談窓口,炎症性腸疾患患者の看護専門外来などである。このような外来看護サービスは,看護独自としての本来の機能を発揮することができる。通院患者の外来看護への期待や要求は,ますます高まっている。そのためには,看護が責任を持つことができる領域を見きわめ,行なっている外来看護サービスの成果を数値化していくことが必要と考えている。
 新世紀にあたり,生命科学,情報通信技術が発展しても,人と人をつなぐサービスは人を介してしか行なわれないと信じて,看護をさらに成熟した職業として磨き上げていくことが私の願いである。


21世紀の高齢者ケア

内出幸美(グループホーム「ひまわり」代表)


 日本の場合,「寝たきり」と呼ばれている,身体に障害を持つ高齢者に対する施策やケアが大きく取りあげられてきましたが,21世紀は痴呆性高齢者に対するケアの問題が最も重要なテーマとなることは明らかです。寝たきり等の高齢者ケアが「からだ」の機能を中心とするならば,痴呆ケアは「こころ」の機能への対応であると思われます。
 寝たきり等の高齢者ケアの大部分は,入浴,排泄等の介助がほぼパターン化された身体ケアが中心となっており,目に見えるマヒなのでケア手法もある程度確立されていると思われます。それに対し,痴呆性高齢者は,目にみえるマヒはないのですが,彼らの心の世界は混乱に満ちていることが,明らかにわかります。目に見えないマヒを抱えた人々と言うことができます。目にみえないマヒのため,周りの理解が得られずに孤立してしまい,人間関係に溝を作ってしまっているのです。痴呆性高齢者の周りにいる人々が,このみえないマヒを十分理解した上で,きちんとその意を汲み取って上手にかかわることにより,普通に心穏やかに暮らすことができるのです。
 そのようなかかわり方の優れた取り組みの1つとして,生活の場としての「グループホーム」があります。「少人数」「家庭的」「生活主体」「個別性」「ゆったり」「地域に密着」「普通の生活」等をキーワードに,全国的にグループホームでのケアが展開されています。痴呆性高齢者ケアにおいて,従来はケアをする側とされる側という役割関係でありました。しかし,グループホームという新しいケア形態が登場してからは,ともに生活する視点,という人間関係に変わってきました。そこには人間としての理解に立った「心」を大切にしたケアが行なわれ,その成果として痴呆性高齢者の自立する心を喚起し,心豊かな生活を得,家族の負担も軽減することにつながっているのです。その「心」を大切にした,きめ細やかなケアを提供できるグループホームケアが浸透してこそ,真に痴呆性高齢者と共存できるのではないかと確信しています。
 21世紀の高齢者ケアのあり方を考える上で,グループホームケアは多くの示唆を与えてくれるのではないでしょうか。看護職1人ひとりが,自分を育てることにもっと取り組み,看護実践効果を社会にアピールできる時代にしたいですね。


もっと自分を育て,成長しよう

岡美智代(山形大学助教授・医学部看護学科)


21世紀の看護に必要なこと
 21世紀に起こりうる身近で現実的なこととして,公務員の査定や,国立大学の独立行政法人化がある。つまり,今までのような評価を受けないまま年功序列や経験主義で仕事ができていた時代から,実績を証明する必要性に迫られる時代の幕開けとなるだろう。それは,看護においても例外ではなく,看護職が行なうことの効果やエビデンスを示していくことが必須となる。

何が問題なのか
 筆者は,病院やクリニックの看護職が行なう看護研究にもかかわっているが,実際に,臨床の看護職に研究テーマの希望を聞いてみると,その多くが自分たちが行なっている看護の効果検証であり,意欲的に自分たちの看護実践を検証したいと思っていることに気づかされる。しかし問題は,1人ひとりの看護職がそれを検証するための体系的知識や方法について学ぶ時間や環境を,自分たちのために十分整えようとしなかったり,実証した内容について社会的認知を求めるための活動が少ないことである。この原因の1つとして,まだ成長しきっていない看護職が多く,1人では声を上げることができないことがあげられよう。

何を期待し実行していきたいのか
 21世紀は,看護婦1人ひとりがもっと成長し自信を持ち,看護実践の効果を社会にアピールしていけるような時代にしたい。看護実践効果の蓄積は,アセスメント能力の向上,看護の専門性の確立,将来的には対看護報酬の獲得につながっていくと考える。そして看護職が自信を持って看護実践の効果を社会にアピールするために,看護職はもっと自分自身を育て,成長することに執心してよいと考える。
 では,看護職が自分を育てるために,自分は何ができるのか。筆者はまず頻繁に接している看護職や看護学生に対して,自分たちの実践への意味づけを行ない,価値があることを強調したいと思っている。そして,看護職1人ひとりが,自分を育てることに取り組むための環境を整え,看護実践の効果を実証し,さらにその内容を社会にアピールできる時代にしたい。


22世紀の人たちに向けて

勝原裕美子(兵庫県立看護大学講師)


 世紀が変わったとはいえ,時間は連続した空間を流れている。昨日と今日で,何かが大きく変わるわけではない。それでも,新しい世紀に挑戦することは美しい。看護は人類が誕生した瞬間から存在している。その技(わざ)が洗練され,その知が育まれていくにつれ,「看護」という概念が進化してきた。しかし,まだ確立はしていない。なぜなら,「看護」には,まだ私たちが気づいていない可能性があるからだ。
 インターネットが人の生活に急速に入りこんだのは,「世界は大きい」という前提を覆したからだ。同じような前提を人はたくさん抱えている。人の生活を支える学問として,そんな前提を越える創造を続けていけば,「看護」はただの看護でなくなるだろう。看護学者や実践家が定義する以上の概念を,人々が創り始めるかもしれない。
 10数年前,初めて「看護学」という学問に触れた時,その大きさに驚いた。人の日々の生活にこれほど密着した学問があるのかと感動した。周囲の人たちは馬鹿げたことだと思ったかもしれないが,私は人の集まる場所のすべてに,例えば鉄道の主要駅の構内や百貨店や遊園地にナースステーションを造りたいと思った。人が安心して目的地に向かうための拠点と看護,人が身体にも心にもやさしいモノを求めに来る消費の箱と看護,家族や恋人がより一層幸せを感じる夢の世界と看護。人がいるところであれば,どんなところでも看護は活かされると感じた。病院とか地域とかいうくくりを取り払って,もっともっと生活の中に看護を創っていきたいと思った。
 それから数年経ち,宇宙ステーションの話が出た時,そこにも看護を創りたいと思った。一貫して,人が生活する空間と看護を結びつけて考える習慣ができあがっている自分に気づいた。
 そして,21世紀を迎えた今,やっぱり,私は,何かを追いかけるのではなく,創造していく看護の世紀に生きたいと願っている。おそらくそれは,一方では独自性・専門性が進化していく世紀であり,もう一方では生活に浸潤していく進化の世紀なのだと思う。
 来世紀,22世紀にまたがって看護に携わる人たちが,21世紀の看護に挑戦したいと思えるような創造をしていきたい。新世紀を迎えて想うことである。


インドがもたらしたエネルギー

河 正子(東京大学講師・大学院医学系研究科)


 2001年を空の上で迎えた。2000年秋に不思議な出会いがあって,年末にインドを旅することになった。
 息子を護衛に頼んでの参加である。クリスマスイヴはマザー・テレサの施設のミサに出席,大晦日にはタージマハールを訪ねていた。そして20世紀最後の夕日を,デリーの空港に向かうバスの窓から感慨深くみつめた。瞼の中がオレンジに染まった。なんという贅沢……。
 「インドに行くと人生観が変わる」と,しばしば聞いていた。カルカッタに着いてまもなく,なるほどと実感した。この喧噪は何? この混沌とした風景は何?
 一瞬のうちに日本から持ち越してきた諸々の思いが吹き飛んでしまった。五感がびんびん刺激される街。汚い,臭い,ほこりっぽい,うるさい,しかしなぜか明るい活気がある。貧しく暗い面が多いのだろうに,幸せもいっぱいありそうに思える。ここ数年,緩和ケアの学びの中で大切に考えていたQOLという概念が色褪せてきてしまう。何なんだろう,これは。
 インドでこの「看護随想」の原稿を考えるはずだったのに,それどころではなくなってしまった。というより原稿を引き受けたこと自体を忘れてしまった。今日一日を懸命に(あるいは淡々と)生き,今感じられることを素直に感じながら行動している人たちから強烈なエネルギーが放たれているように思った。私もしばしこのエネルギーに呑み込まれていよう。
 帰国して現実に戻る。再び考える。ケアの手をさしのべるべき対象はいったい誰なのかと。マザー・テレサが言う「貧しい者の中で最も貧しい者」とは,あのエネルギーを失った者,私自身であるのかもしれない。本来人に与えられていたエネルギーが衰え傷つく時,何が回復の力になるのだろう。マザーの言葉が甦る。
 「Hear your own name. Not just once. Every day. If you listen with your heart, you will hear, you will understand」イエス・キリストがあなたの名を呼んでいる。彼はあなたを愛し,渇くほどに慕い求めている。また,貧しい者の中で「私は渇く」と叫んでいる。
 インドで大きな夢を描くことはなかったが,確かな思いが胸に残った。私の名を呼ぶ声を聞こう。私も出会う人の名を,弱さのうちにある人の名を,心を込めて呼んでいこう。まずは,寛大なる主人の名を。


人を愛するがゆえに構築された学問

河原宣子(三重県立看護大学講師)


 この原稿の依頼を受けた時,自分のような若輩者が看護界における課題や今後の動向について,果たして意見が述べられるのだろうかと戸惑った。しかし,新世紀を迎えたこの時期だからこそ自分自身をきちんと見直せよという叱咤激励の声と受け止め,お引き受けした。したがって,ここでは自身がこれまでの経験で得た学びと反省を踏まえて,今後の看護の現場・教育における課題について述べたいと思う。
 世紀と世紀の狭間で,明らかに社会における看護の位置づけは変化してきた。大学や大学院の増設に象徴される高学歴化,多くの専門分化した学会活動による学術的な意味での看護学の成熟……これらはここ数年,看護大学設立準備や学会委員会,学術集会事務局等に携わった際に十分に実感できた。学問的にも確実に発展してきたし,社会的な地位も不十分ではあるが向上してきている。おそらく21世紀においてもこの傾向は続き,多くの後輩たちも看護の発展にご尽力いただいた先達の意思を受け継いでいってくれるだろう。
 このような発展の中,ただ1つ憂慮する点があるとすれば,看護あるいは看護教育に携わる者1人ひとりの,さらには看護界全体としての「自己責任」に対する姿勢である。私たちは「天上天下唯我独尊」にはなり得ない。これを肝に銘じる必要があるのではないか?
 私たちが日常的にぶつかる人的,物的,社会的な壁は実は自分たちの無知からくる場合がほとんどである,と私は思う。立場や価値観の違う対象を先入観なく全人的に捉える-これは看護実践の基本だ,と学んだ。しかし,忘れてはならないこの基本が,看護の現場・教育現場で忘れ去られていることがないだろうか? また,自分たちの無知を他者に責任転嫁していることはないだろうか? 今一度,自分たちが誰にどのように支えられて歩いているかを考え直す必要があると,私は今,痛感している。
 学問の発展のためには,学問を純粋に愛し基礎的な研究を重ね,英知を結晶させることが必須だろう。さらに,看護は人々や社会の至福に寄与するために先の研究の成果から弛まぬ努力と鍛錬を積み重ね,優れた看護の技を産み出していかなければならない。
 看護学は,人を愛するがゆえに構築された学問だと私は信じている。新世紀のはじめに,自分の将来進むべき道への見直しと動機づけとなる機会を与えていただいたことに心から感謝したい。今後は,再度初心に立ち戻り,看護に対する将来の夢を読者とともに議論できたらと願う。


バイオエシックスと看護

唐崎愛子(社会保険小倉記念病院看護専門学校副学校長)


 20世紀の科学が生み出したものの中で,最も人類に影響力を持つものとして「原子力」,次いで「遺伝子操作技術」があげられると思います。
 遺伝子技術は,1953年のジェームス・ワトソンとフランシス・クリックによるDNAの2重らせん構造の発見に始まります。それから半世紀が過ぎようとしている1997年に,イギリスではクローン羊「ドリー」を誕生させ,全世界を驚かせました。さらにその年には,アメリカのプリンストン大学で分子生物学を研究するリー・シルバー博士が,好ましい遺伝子を自在に組み込んだ「デザイナー・チャイルド」の誕生を予測しました。一方,「生命の終期」における安楽死,尊厳死問題もまだ解決の糸口はつかめないまま論議されています。
 ともかく,このような形で人類は,生と死を自分たちの手でコントロールできるという証明をしました。これまでは,神々の領域であるとして畏敬の念を抱き,決して踏み込まなかった「誕生と死」の世界に,人類はまた一歩足を踏み入れてしまったと感じます。このような時代にいる今だからこそ,私たちは看護の視点からいのちの問題について,真剣に,しかも厳しく問い正さなければならないのではないか,と責任を痛感します。
 これまで看護者は,生命を護り,健やかに育むという使命を果たしながら,意外にも独自の立場からの発言が少なかったように思います。現代医療,とりわけ先端医療における生命の問題を考える時,もはや,従来のモノサシでは測り得ない領域があることを認めた上で,看護者としての意見を述べなければなりません。その手法として,看護とバイオエシックスの接合を提案したいと思います。
 いのちは特定の人のものではなく,1人ひとりの人間に帰属するものです。そのかけがえのない,いのちの問題について医学,看護学,宗教学,法律学,経済学,倫理学などのさまざまな分野から,総合的に検討しようとするのがバイオエシックスの考え方で,人間の尊厳,基本的権利というモノサシが価値基準となります。これを看護の中に生かすことで,21世紀の人類のいのちが健やかであるための基盤となり,人間の尊厳に根ざした看護の提供をめざすことが可能だと考えます。


これから10年間に看護界がやるべきこと

齋藤いずみ(北海道医療大学教授)


 1980年8月5日,助産婦学生であった私は初めて赤ちゃんを取り上げさせていただいた。ご両親に,「2000年に20歳になり,21世紀に活躍する人ですね」とその感動を伝えたことを覚えている。とすると漠然と21世紀ということをその頃から思っていたのだろうか……。
 それから20年の月日が流れ,今,21世紀を迎えた。「看護」に対し,日頃思っている自分の考えや夢を書く機会をくださったことに感謝し,思いつくまま書いてみたい。
 先輩たちが作ってくださった最近の嵐のような看護教育の大学化は,現時点では問題を抱えつつも,看護界が次に進むための重要な基盤になるだろう。看護は長い歴史を持つ職業だが,学問領域(こういった少し古めかしい言い回しを使ってしまうのも,われながら看護の人なのかと……)としての看護学はまだ,他領域と対等に学術的論争ができるまでに十分には成熟していない。
 これからの10年間は,「看護学」が「科学」として成立するための正念場になるだろう。今,大学や教育の立場にいる人々はその責任を果たさなければならない。どのような社会においても柔軟な考えを持つ次の世代を育てることは,その領域が躍進するための不可欠の要素である。
 また,看護学は「実践の学問」であることを忘れてはいけない。博士課程,修士課程を修了した看護職がこれから増えていくだろうが,本当に重要なことは,市民や患者から「実力ある看護職が看護をすると,その効果がはっきり違う」ということを実感してもらうことである。その手がかりとして,専門看護師,認定看護師制度は重要と言える。学歴のみではなく,日常的な看護活動を通じ,社会から「看護職は実力ある集団だ」と評価されることが必要である。
 看護が独自の領域を持つ職業であるためには,臨床の看護を,看護職でなければ伝えられないきめの細かい,かつ,客観性のある科学的データとして開示することが看護職に求められている。これこそ,臨床と研究者が一丸となり実施確立しなければならない緊急課題と考える。
 昨年末,テレビ放映された番組の中で印象に残る言葉があった。1986年施行の男女雇用機会均等法の原案を作成した元文部大臣赤松良子氏(現文教大学教授)が,原案を一緒に作った後輩である,労働省の女性プロジェクトチームに当時語った言葉である。
 「女性は今,モーレツに勉強しなさい。モーレツに仕事をしなさい」「今の法律は醜いアヒルの子だけれど,まず法律を誕生させることが大切だ。次はあなたたちの世代が,いい法律にしてね」と。
 それから12年後,後輩たちの手で「男女雇用機会均等法」は改正された。
 看護界も,先輩方の努力の上に現在がある。それぞれの世代が担うことを整理し,挑戦,実行することが大切である。そして他職種から見て,「しなやかで(どこかの知事の影響?『何となくクリスタル』は学生時代のベストセラー)カッコいい,たくましく,頼りにされる,そして憧れられるような,魅力あふれる集団」になりたい。


新世紀の夢/夢の新世紀

林 千冬(群馬大学助教授・医学部看護学科)


 西暦20XX年。今世紀初の国家的看護教育プロジェクトである准看護婦・士の移行教育もまもなく終了。これでやっと,就業看護職の基礎資格はすべて看護師に1本化されることになる。移行教育の一端にかかわれたことは,大学教員である私にとっても地域の病院や診療所の状況を知るよい機会になった。受講生たちから,うちの卒業生たちの活躍ぶりを聞けたこともうれしい余禄。全国的な傾向らしいが,最近では大卒後5-10年もすると,著名な大規模病院でのキャリアを経て,地域の中小病院・診療所に職場を移す卒業生が増えている。経験のある准看護婦と中堅の大卒ナースが,互いに協力しあって地域の医療・看護の向上に取り組んでいると聞けばとてもうれしい。まあ,准看護婦養成はとうに廃止され,X年前に看護基礎教育はすべて大学化されたから,学歴や資格をウンヌンすること自体まもなく無意味になるのだろうが。
 こうした看護教育改革の影響もあってか,ここ何年かで施設規模による看護職の労働条件格差は非常に縮小した。格差が縮小したのは労働条件だけではない。かつて前世紀には看護職員不足対策として,「基準看護」「新看護」等という政策的な人員配置基準の「使い分け」がなされていたが,看護職300万人時代の今では,施設や病棟ごとに看護必要度に応じたきめ細かな人員配置が行なわれるようになった。市民の誰もがケアの質に強い関心を持っているから,あらゆる施設の人員配置やケア水準には市民オンブズマンが厳しい監視の目を向けている。看護職者自身も病院の壁を越えてさかんにネットワーキングを進め,こと看護に関しては地域での情報交換や連携は非常に密である。もはや「自分の病院さえよい看護をしていればよい」という時代ではなくなったのだと痛感する。
 看護の人的資源の活用が謳われ,大学教員といえども研究室にこもっているわけにはいかなくなった。かくいう私も,附属病院とのユニフィケーションが進んだ今では,週の半分ほどは病院に出ている。大学院生の中には,附属病院のスタッフや主任・婦長も大勢いるから,「先生,先日のあなたのケアプランですが……」などと切り出されて冷や汗タラタラ,ということもめずらしくない。そんな彼女・彼らには,テューター制度を通して学部教育に大いに協力してもらっている。教師としては恐ろしくもうれしくもあり,なかなかスリリングな時代になったとしみじみ思う今日この頃である。


先輩と後輩の対話をもっと

村上美好(済生会横浜市南部病院看護部長)


 21世紀を迎えたのに,今もって実感がわかない。昨年は医療経営の厳しさに遭い,医療事故報道に明け暮れた。「明日はわが身」の状況下で,ほっと胸を撫でおろして帰途につく日々であった。だから,時の刻みがひたすら右廻りに向かって,ある瞬間に21世紀に入りこんでいたのである。こう言うと虚無感に打ちのめされているようであるが,逆である。世の中がすでに変革の時代にあり,その中で生きているという,抱えきれないほどの不安を好奇心とがないまぜに満ちて一杯なのである。
 人が社会人・職業人に育つには,手間暇がかかる。それなのに,世界は待ってはいない。特に医療・看護の現場では,待ちどおしいのが現実。その中で,みんなが知恵を絞り,助け合い,「生命」をみつめ,己が生命・生き方を真摯に学び,成長している。若い人たちが,自分の多くのヒヤリ・ハットやミスに誠実に向き合い,やりきれなさと,ともすれば縮んでしまう看護への態度を戒しめ,新たな心に切り換えていく情熱に,私のほうが励まされている。
 活字中毒気味の者からみると,今日の,特に情報の世界はきわめてデジタル的で,これが近代科学なのだと肌に刺し込んでくる感覚で受けとめている。
 しかし,どうしても人はアナグロ的な存在であり,生命体なのだということも,多くの人の看とりから深遠な気持で実感している。捨て切れるものではなく,新時代の看護の現場は,まさにこのアンバランスな狭間に入ることになろう。人は痛むと,看護職に,自分に寄り添う心を探し求める。それに応えるには,専門の高度な知識と技術に加えて,相手に寄り添えるこころを瞬時に表出できる能力を培わなければならない。今や,新人であろうとも,患者とその家族の権利を重要と認め,主張してくるから大変である。その意味でも,現任教育のあり方を新しく模索する時にきている。そこで強調したいのは,先輩と後輩との対話がもっと必要だということである。
 世界が1つになっていく新世紀を迎え,私たちはデジタル的なさらなる進歩の世界に身を置きつつ,癒しを求めてくるのに応える。それには,新人は先輩の多くの失敗や成功の「語り」から真実をみつめ,試し,力を獲得する。それを構造化していく力を備えてこそ,本物の看護実践力となると信じている。
 加えて,そうした追体験こそ,看護への情熱と理性とのバランスを得る道程であろうと思っている。


求められる「臨床知」と「実践知」の言語化

安酸史子(岡山大学教授・医学部保健学科)


 ついに新世紀がやってきた。私は20数年前に看護学校を卒業して看護婦になった。その当時は,すでに看護系大学が数校存在していることすら知らなかった。その数年後,千葉大学に修士課程ができたことを新聞紙上にみつけた時に,初めて看護学部の存在を知った。その時,看護婦である私は「看護」は知っているけれど,「看護学」は知らないと思ったのを覚えている。その後私は「看護学」を学ぶために看護学部に入り直した。そのためか,私自身は「看護」と「看護学」を別々に学んできたように感じている。
 看護学は実践の科学であるので,理論と実践の統合が重要な課題であると言われ続けてきた。しかし私は,実はこのように実践と理論を分けて考えること自体に大きな落とし穴があると思っている。21世紀の看護教育では,私がそうであったように「看護」と「看護学」を別のことのように学ぶのではなく,実践を学びながら同時に理論を学び,理論を学びながら同時に実践への適用を学んでいけるような教育をしていかなければならないと考えている。実践の学問とは,実践そのものの中に理論が存在しているのであって,実践の外に理論があるのではない。そのことを看護教育者が真剣に考えていく必要がある。私自身は理論を教える時には,できるだけ現実の看護場面をイメージし,現実を説明できると思える理論だけを教えるようにしている。実際に自分がよくわからない理論など,学生をごまかすことはできても,わかるようには教えられないからだ。
 21世紀には,日本人であるわれわれ日本の看護職が,文化の中で実践してきた看護そのものにもっと自信を持ち,自分がすでに持っている「臨床知」や「実践知」を言語化し表現していく力を養うことが求められていると考える。看護職に表現力がつくことによって,他の学問領域も実態にあった評価をするようになるだろうし,実践と理論が一体のものとして学生や新人看護職に教えられるようになり,看護学が学問としてさらに発展していくと信じている。
 私自身は,教師と学生(患者)双方がともに成長していけるような教育方法論にこだわり,慢性疾患患者への患者教育と学生への実習教育に関する実践・研究・教育を続け,モデル化,システム化に向けて努力していきたい。