医学界新聞

 

米国での臨床実習経験から
日本の医学教育のあり方を考える(後編)

長谷川 真(東海大学医学部6年) E-mail:60mm1432@is.icc.u-tokai.ac.jp


学生はチームの一員で戦力

 ウェイクフォレスト大医学部内科の回診は,朝7時30分に始まる。学生は,それまでに自分の受け持ちの患者を診察しなくてはならない(「Pre-round」と呼ぶ)。1人の患者に30分程度費やすため,例えば患者2人を受け持っていれば,回診の1時間以上前には病院に行かなくてはならない。
 患者の疾患と朝の訴え(Subjective)を聞き,確認すべき身体所見に注意を払いながら診察を行ない,経過表でバイタルサインを,コンピュータで検査所見を調べ(Objective),現在の状態を把握し(Assessment),今日の治療方針(Plan)を考える。このようなSとOに基づいて,AとPを短時間の間に総合的に判断して考えなくてはならず,クラークシップにおいて私が,1日の中でもっとも頭を使う時間帯である。治療方針の決定に難渋する場合には,インターンに相談する。彼らにとっても朝は忙しい時間帯に変わりはないはずなのに,嫌な顔ひとつせず適切な助言をくれる。
 病棟チームの回診で,学生はSOAPをプレゼンテーションする。鑑別診断や薬剤の副作用についても言及していないと,アテンディングは質問してくる。学生が答えに窮すると,インターンが適宜回答してくれる。必要があれば,患者の情報についてインターンが補足し,レジデントがまとめてアテンディングに報告する。その情報をもとにアテンディングが診察し,患者や家族に現在の状態と今後の方針を説明する。病室を出たあとに,アテンディングは患者の疾患について最新の文献などに基づいたエビデンスについて披露することもある。1つの症例から効率的に,実に多くのことを学ぶことができる。
 朝,一番最初に患者を診にいくのは学生であり,回診で最初にプレゼンテーションするのも学生である。学生のAとPが正しければ,そのままオーダーが出される。これを毎日繰り返しているうちに,次第に私は主治医になったような気分になってくる。
 滞りなくプレゼンテーションできた時には,アテンディングやレジデントは「Good Presentation, Excellent!」と言って学生を誉めてくれる。このような言葉をかけられると,「次は,よりエレガントにプレゼンテーションしよう」という気持ちになってきた。そして,自信を持ち,より一層意欲的に勉強するようになった。
 また,私がカルテを記載したあとに,インターンのCounter Signが記入されていたり,「上記内容に同意する」というレジデントの1行が加わった時は,自分も本当に医療に貢献しているんだと強く実感した。患者が無事退院した場合には,レジデントが,「Good Job!!」と労いの言葉をかけてくれる。入院中,ほぼ毎日,適切なplanをプレゼンテーションできていれば,退院の際には,患者やその家族とともに喜び,正しい診断と治療を実践できた満足感で感無量であった。そして,私が医学生としての自覚を認識する瞬間だった。

クラークシップの求めるもの

 「医学生にして,主治医気分を味わえる」これがクラークシップの求めているのではないかと考えるようになった。そして,いかにして学生に「主治医気分を味わせるか」これが,周りのドクターの腕の見せどころだと思うようになった。不適切なPlanをプレゼンテーションすれば,インターンやレジデントが訂正を加える。すなわち,学生は,もっとも患者に近い存在で治療の最前線に立たされていながら,実は問題が起こらないように,他のスタッフが何重ものバックアップ体制を敷しいてくれている。その中で学生はうまく乗せられて,正しい治療方針を身につけていくように感じる。
 また,Planを口頭でチームにプレゼンテーションすることで,変更された指示が看護婦に伝わっていないことが判明する場合もあり,クラークシップは医療現場のチェック機構にも貢献していると言える。
 日本で「クリニカル・クラークシップ」というと,とかく「手技をする」ことだと思われがちだが,ウェイクフォレスト大学医学部では,採血や血管の確保などの医療行為は,ほとんどど行なわれていなかったし,必要とされていなかった。その分,「頭」を使って参加することが求められていた。わからないことがあれば,遠慮なく質問できる雰囲気があり,少々基本的なことを質問しても,実に快く教えてくれた。またアテンディングから質問され,仮に間違って回答しても,叱られるようなことはまったくなかった。逆に,叱るようなドクターは,米国では学生からの評判が悪いようだ。

日本の医学教育に思うこと

 2回にわたり,私の留学体験の一部を紹介させていただきました。読者の中には,「少々学生に教えすぎではないか」と思われた方もいらっしゃるかもしれません。米国では,教員もインターンもレジデントもフェローもそして上級生も皆がそろって,多くのことを教えてくれることに私も最初は戸惑いを覚えました。
 しかし,実習を続けるうちに,“これが医学教育本来の姿なのではないか”と感じました。モチベーションも高く,USMLEのSTEP1をパスして臨床現場に登場し,よい評価を得なくては,よい研修プログラムに就職できない状況(Matching Program)で実習する米国医学生に対してですら,米国の教員皆が懇切丁寧に,実に根気よく,忍耐強く学生を教育していました。
 米国では「Teaching is Learning」と言われます。また,「よいTeachingができないとよいPhysicianになれない」という言葉をよく耳にしました。日本の教員も今まで以上に,学生を教育する必要性を認識し,自らがお手本となって実践しなくてはならないのではないでしょうか。私もそのようなお手本にならなくてはならないと強く感じました。そして,教育や教員を評価する制度の確立が急務であると感じました。
 医学教育のすばらしさに圧倒された臨床実習生活であり,留学を支えてくれたウェイクフォレスト大学バプティストメディカルセンターのスタッフや友人,そしてこのような実習の機会を与えてくださった東海大学医学部に心から感謝いたします。


●学生に大きな刺激となる米国の臨床教育

 黒川清(東海大学医学部長)

 医学教育改革が盛んに言われている。なぜいま頃? その背景には多くの人たちが海外の様子を知るようになったためもあると思うし,また,テレビの「ER」や,アメリカでの臨床研修や医学教育の実際が,日本人の学生,研修医,医師などの体験記などで,海外先進国,特にアメリカやイギリスの医学教育や研修の様子が広く知られるようになってきたからでもある。

感激し,成長する学生たち

 アメリカで医学教育や臨床研修を受けた人たちが一様に感じ,知らせてくることには,「『知りません』と言ってしかられることは絶対ない」,「毎日が楽しい」,「先生がみんなすばらしい,よく教えてくれる」,「教育への情熱」,「教えるのが上手」,そして「私もそうなりたい」などなどが目立つ。
 このような「感じ」は,実際にアメリカなどで臨床教育や研修を受けたことがないと理解できないかもしれない。東海大学では毎年15人程度の5年生を3―6か月の間,アメリカ,イギリスへ臨床教育に行かせている。毎週2回ほどE-mailで日記やレポートを送ってもらい,私もすぐに返事をしている。学生たちの成長と感激がひしひしと伝わってくる。この体験記はそのようなレポートの一部である。このような教育とその成果(学生)を出すべく,日本の医学教育の改善に微力であるが努めている。