医学界新聞

 

外傷外科からみたアメリカ医療

ペンシルバニア大学・臨床実習体験記


 2000年8月,ペンシルバニア大学医学部・東京大学医学部exchange programに参加し,ペンシルバニア大学Trauma Surgery(外傷外科)で,1か月間の臨床実習の機会を得た。ペンシルバニア大学医学部(以下,ペン大)は,アメリカで最初に設立された医学部であり,医学教育ではアメリカでもトップ10に数えられる名門校である。ペン大には「elective」(選択科目)という制度があり,年間を通して他大学の学生・留学生を受け入れている。大学間の協定で東大からは,毎年2名の臨床交換留学生が派遣されている。
 私は以前から救急の分野に強い関心があり,特に「外傷外科」は日本には存在しない分野でもあり,とても興味を持っていた。特にペン大の外傷外科システムはアメリカでも有数の規模を誇るもので,他大学の外科レジデントが学びにくるほどでもあり,貴重な体験ができたと思う。
 外傷外科学(The Division of Traumatology and Surgical Critical Care)教授であるシュワブ博士が私のボスであった。彼はペン大に4つの外傷施設を設立した。シュワブ先生の業績により,ペン大はアメリカにおける外傷外科学の中心的存在になったと言える。お会いしてみるととても気さくな方であり,教育にも熱心で,基本を大切にするドクターという印象を受けた。

The trauma service team

 Trauma surgeryは3つのチームで構成されており,私もその1つに属して実習を行なった。1チームはチーフ,シニア,ジュニア・レジデント,学生で構成される。当直も3つのチームでローテーションを組むので,必然的に2日おきの当直となった。学生ももちろん当直に参加した。

■外傷外科での臨床実習から

病態生理学に基づいたディスカッション
 外傷外科は「これぞ臨床!」という,臨床の醍醐味が味わえる科だが,カンファランスのディスカッションが常に病態生理学に基づいていたことが印象的だった。例えば,銃創の患者は重症化する例が多い。局部の小さなholesが,全身状態にまで影響を与えるのはなぜか?という議論があった。ドクターたちが泡を飛ばして激論する様は壮観であった。

教育の充実
 ドクターたちはレジデントや学生に対する教育への時間を惜しまなかった。回診は助教授やフェローが,ミニレクチャーをしながら行なわれた。また,よほど難しい例でない限り,暇を見つけては実習させてくれた。
 もちろん,私自身も努力を怠らなかった。アメリカは自己主張の国。やりたいことは積極的に主張し,質問した。実習中,私は「My Patients Notes」を常に持ち歩いて,患者の容態変化の情報,カンファレンスなどで得た知識などを書き込んでいくようにした。ペン大では急患のデータをコンピュータに登録したり,さらに報告書をボスたちに提出するのは学生の仕事である。別の実習学生にはそのコピーに,刻々と変わる患者情報をどんどん書きこんでいく人もいた。
 Trauma Bay(救急蘇生室)でも,私に与えられた仕事はドクターのサポートであったが,実習の後半では,軽い外傷の患者について,患者の頭部脇で中心的な仕事をさせてもらえるまでになっていた(もちろんドクターの指導のもとに行なったのだが)。

患者の特徴
 やはり銃創が多かった。次に多かったのは高齢者の交通外傷であった。それ以外にもビルからの転落,てんかんで意識消失後の転倒,domestic violence(夫や恋人など親密な関係にある男性からの身体的,精神的,性的暴力)など,症例は多彩だった。

当直実習
 私は当直実習が楽しくて仕方なかった。患者は毎晩3-4件来る。多い時は7-8件も来て,眠る間もないほどである。「Trauma Alert」が鳴ると,飛び起きて仮眠室から走ってTrauma Bayへ。入っていくとそこはまさにTVドラマ「ER」の世界だ。ドクターたちも駆けつけてくる。大急ぎでガウンとマスクを引っ掛けていると,助教授(その日のリーダー)が大声で各自の持ち場と仕事の分担を指示しているのが聞こえる。今日の私の持ち場は足回り。服切り,尿カテ,大動脈採血も待っている。
 救急隊員が患者を運んでくる。「35歳,黒人男性。多発銃創。午前3時,歩行中に二人組みに襲われる…」全員が一斉に仕事に取り掛かる。服を脱がし,意識状態,ヒストリーの再確認,銃創の場所,貫通の有無,身体所見,血液サンプル等々,蘇生はよどみなく行なわれていく。一通り終わると患者はCT室に運ばれる。ほっと一息ついて,CTを撮り終えるまでの間に所見のまとめをする。このようにして夜は更けていくのだ。

「PennStar」
 ペン大病院の最上階にはヘリポートがある。実習の間に,私は「PennStar」(写真2)で救急ヘリコプター実習も行なった。「PennStar」とは,ペン大の救急ヘリコプターサービスのことである。土地の広大なアメリカでは,急患を車で運ぶには時間がかかりすぎる場所も数多く存在する。迅速な救急医療のためにヘリコプターは不可欠だ。「PennStar」は,ヘリコプターで30-40分以上で到着する地域をほぼカバーしている。
 ヘリコプターは2台で,1台につき3人1組(パイロット,フライト・ナース,para-medical worker各1人ずつ)でチームを組んで搭乗する。私が搭乗した時は,チーフ・フライト・ナースのナンシーが担当だった。フライト・ナースはヘリコプターの中で点滴をはじめ,ほとんどの応急処置を行なうことができる。この「PennStar」での実習を行なったおかげで,患者が蘇生室に入ってくるまでに,どのような状態で,どのような処置が行なわれているのか,一連の流れがわかった。
 この「PennStar」は,ペン大が出資しているものだが,経営・財政難が課題の1つ。またアメリカでは救急医療はある一定の地域ごとにセンター化・拠点化の傾向にあるそうだ。

Ethical Dilemma
 この実習中に経験した,あるジレンマを紹介し,なぜそのことのために私が倫理的に悩まなければならなかったのかについてお話したい。
 患者は53歳女性。バス衝突事故に遭いTrauma Bayに運ばれてきた。1週間後,容態は悪化した。脈圧が縮まってきて,収縮期血圧が30台に近づいてきた。深刻な雰囲気が漂ってきた。すると助教授がCPR(心肺蘇生)の指示を出した。
 しかしそれが終わると,まだ心臓が動いているにもかかわらず,すべてのモニターが消えてしまった。私はこの助教授の行動が理解できなかった。なぜ,まだ生きている可能性がある患者の治療をやめてしまうのか?
 その後,助教授に質問したところ,「DNR(Do Not Resuscitate)order」について教えてくれた。これは,回復の見込みがないと判断された時には,過度の治療を受けない,という患者の権利を認めるオーダーである。この女性の家族はDNR orderにサインしていたのだ。この経験は私に「死の基準とは何か」を考えるきっかけをくれた。
 外傷外科のあるフェローは,「書類があるからといって(DNR orderを施行することは),医師にとってたやすい選択ではない。しかし,回復の見込みがない,ということも『reality』なのだから」と語ってくれた。
 日本にはDNR orderはまだ広く普及しているわけではない。東大医学部でもこの制度はとられていない。回復の見込みのない患者に対しては,医者が苦悩しつつ,患者の家族とに,治療をどうしたいかを話し合うのが一般的だ。もし日本にDNR orderのシステムがあれば,医師・患者間の倫理的葛藤を減らせるのではないかと思った。ただし,日本人は,死生観がアメリカとは違う。日本には日本独自のDNR orderが必要になるのではないかと思う。

世界の医療からみた日本の状況

 この実習を行なった1か月間は,世界の医療を客観的にみることのできたよい機会であった。
 アメリカでは,平等よりコストを優先している国であり,保険会社によって,受けられる医療も変わってくると聞いていたが,実際にみたところ,外傷外科は特別で,運ばれてきた患者に対しては,貧富の差にかかわらず,等しい蘇生処置が行なわれていた。X線,CTはもちろんのこと,必要があれば心臓カテーテル検査も行なっていた。血液検査も,抗生物質への感受性まで,短時間のうちに調べられていた。軽症患者はどんどんかかりつけ医の元へ帰すが,重症の患者は放り出すことなく,治療を行なっていた。メディケア,メディケイドなどの保険でも補えない分は,病院の負担になるという。あるフェローに言わせると,外傷外科は特別で,他科ではこうはいかないらしい。保険も今,移行期なのだと言っていた。これから外傷外科にも変化の波が押し寄せてくるのかもしれない。
 この臨床留学の前に,私はイギリスのレスター大学で1か月間の臨床研修を受けている。イギリスでは,全医療費を国が負担し,ジェネラルプラクティショナー(GP)が地域住民のプライマリ・ケアを行なっていた。コストより平等を優先している国だなという印象を受けた。
 この2国の医療を経験した結果,日本は比較的,コストと平等のバランスがとれているのではないかと思うようになった。日本は病院にアクセスしやすく,本人の2-3割の負担があれば,必要ならばどんな専門医療でも受けられる。学ぶ医学は同じなのに,3か国には3か国独自の医療文化があった。アメリカとイギリスで実習できたことで,日本の医療を,世界の中における医療文化の1つとして捉える視点ができたことは,なにものにも代えがたい収穫であった。
 これからますます国際医学交流が盛んになっていくことを願っている。

外傷外科レジデントの典型的な1日

7時  レジデントのためのレクチャー,外科全体のカンファレンス
8時  外傷外科のカンファレンス
11時  回診
12時半  ランチ
13時  午後の申し送りを受けて,入院患者への治療
15時  ほっと一息つく頃。図書館にいって勉強したり,文献検索を行なう
17時  日勤チームが帰る。当直の開始
19時  夕方の回診
20時  夕食
21時  夜の患者の容態変化に対応しつつ,急患に備える
23時-翌朝7時  当直室で仮眠をとりつつ,Trauma Alertに備える