医学界新聞

 

短期連載

フランスの保健医療の現状 Part 2

重光哲明(国際保健医療観測センター外科・外傷整形外科)


サンタントワーヌ病院(12区)。パリ第6大学病院センターで,教育棟もある。改革運動が最もさかんな実践的臨床病院。バスチーユに近く,市場やカフェに囲まれた庶民的な下町にある

2425号よりつづく

病院と医師の歴史的背景

 フランスの大学病院センターを含む公立病院の医師確保の難しさはどこからきているのだろうか。
 その1つの要因として,病院と医師の関係の歴史的背景があげられる。明治以降,日本では,西洋医学導入後の近代的病院のほとんどが,漢方や西洋医学をたしなんだ医師によって開設された。だから日本では,病院ははじめから医師が中心の外来診療と入院治療(治療医薬品販売を含む)を兼ねた医療施設である。つまり,医師(漢方医,薬剤師も含む)と病院はそもそも同源なのである。
 それに反して西欧の病院は,歴史的には宗教団体や王侯貴族の所有する施療院,保護収容,宿泊施設として発達した。入院があくまで主目的なので,主要なスタッフはシスターや奉仕の子女が起源の看護婦であり,医師ではない。近代的医学知識技術の発達に伴い,18世紀の産業革命後ごろから近代医学の発展に伴って,すでにそれぞれ別個の起源をもって病院と独立して診療に従事していた市中の開業医が,病院の外から病院活動に合流しただけなのである。だから病院などの入院施設においては,施設最高責任者や院長はもちろん医師ではないし,そもそも医師の存在すらが,長い間あくまで副次的,外部的であった。
 19世紀に入ると,国家の法体系,行政の整備に並行して,保健医療分野の諸活動は公共セクターの管轄支配下に次第に統合編入された。今までの入院施設は,一方では世俗化(宗教色をなくす)し,特権階層の所有物から公営化への一元化が進んでいった。19世紀後半にはドイツ語圏などでは,公立の大学医学部や大学病院のシステムが整備され,医学研究や医師の養成教育の中心としての役割を果たすようになっていった。しかしフランスでは,これらの公営の病院が日常疾患を扱う本格的な臨床の場になるのはかなり遅く,公式にはナチスドイツ占領下の1940年代に過ぎない。臨床の主要な舞台は,あくまで市中の開業医や民間の入院施設で行なわれていた。

臨床医学と基礎医学

 医学研究なども臨床医の教育養成と同じで,大学医学部など公立施設で行なわれるというよりは,その外部で,体系的ではなくむしろ私的な人脈をもとに行なわれた。フランスでは一般に,学問の世界で世界的な研究や傑出した人物が大学から出ることがないというのは,基礎医学研究の世界でも言えるし,臨床医学でもまたしかりである。基礎医学の分野ですら,19世紀末のパスツール(本人は医師ではない)や彼の名をつけた研究所の例に見られるように,医学というよりはむしろ生物科学系の大学外の民間施設に担われてきたのが実状である。こうしたコンテキストから,教授などの個人的な名声は存在しても,19世紀末のドイツや,そのシステムを導入していまだになお日本で旧態依然として生きながらえている大学医局制度や,大学医学部病院での教授を頂点とする上下の師弟関係にみる縦のピラミッド型ヒエラルキーなどの集団的な人間関係は,フランスではほとんど存在しない。

公立病院の位置づけ

 公立病院はあくまで最貧層や難治疾患,精神疾患,伝染性疾患,隔離などの収容入院施設として主要に利用され,なかなか通常の地域住民患者向けの施設とはみなされることはなかった(戦前には国が直轄する総合病院がほとんどなかった点は日本と似ているかもしれないが,日本ではドイツをモデルにした公立私立の大学病院,民間総合病院はすでに存在していた)。近代医学の知識技術の発達とともに,民間では高くつく診断治療設備を求めて,一部の特殊疾患を扱う臨床医や研究医が設備施設を強化し始めた公立病院へと目を向けるようになった。それでも,フランスでは通常の患者を扱う臨床医が,公立病院や公営の入院施設の活動にあえて加わるようになったのは比較的最近のことである。
 つまり,フランスの良質の臨床医学の伝統は,むしろ大学や公立病院とは離れた,市中の一般医や専門医,民間セクターにいまだに受け継がれていると言える。公営の社会保険制度が完備していながら,保険外自由診療医がかなり活躍している。大学病院センターや公立病院,民間クリニックなどの入院施設はほとんど公営社会保険(医療保険,健康保険)適用施設なので差はないが,市中の外来診療に関しては,あえて高額の負担を覚悟で評判の高い民間の保険外自由診療開業医を受診する患者(もちろんある程度の収入のある階層に限られているとはいえ)がいまだにいるのも,いかに臨床の質が重視されているかを示すものだろう。

ロワール河の北と南

 フランスの大部分の医学生にとって,一般医の資格を取ったら,競争試験,低収入などハードな公務員生活を余儀なくされる専門医コースは避けて,安定した収入を確保できる地域を見つけて,できるだけ若い時期に開業して経験を積み,その実績と評判でよい(高収入が期待できる)患者家族を獲得してその家庭医となり,あわよくば将来,こういった裕福な患者家族とともに南仏あたりの快適な高級保養地に移動して,ゆったりと人生を送るというのが典型的な夢の人生計画だと言われている。
 さらに,「ロワール河(フランスの中央を東西に横断する河)の北の病院には,よい臨床医はいない」とよく冗談まじりにいわれる。「首都パリを含む北の主要都市の病院に,教授などの名声やステータスをねらう出世主義の野心的な若い研究至上主義の医師はいても,あとは修行中の医者で,研究材料や修行の対象にされるだけだ。患者を人間的に扱ってくれる真の優秀な臨床医はすでに南下しているはずで,北にはロクなのは残っていない」と揶揄しているのだろうか。偏見とは言え,その裏には,臨床を軽視し患者を研究材料としてしか見ていないのではないかという研究教育目的の大学病院センターなど,公立病院に対する危惧や警戒が感じられる。また,中世以来の収容と隔離という非人間的で暗い過去のイメージ,保健医療の普遍性の原理とは矛盾する地域的不公正や経済的不平等への辛辣な批判が抜き難く重なって隠されているようにも見える。
 だから,国や行政にとって,この公立病院全体に対する地域住民のイメージを覆し,地域住民の需要に合うように改革整備していくことが懸案となっているのである。いかに限られた財政の中で,良質の臨床医を公立病院の勤務医として吸引確保し定着化させていくのか,商業主義とは一線を画した公共サービスとして,地域住民に公正に開かれ,なおかつ質の高い診療レベルを維持・発展させていくのだろうか。

有能な医師を確保する苦悩

 今でも,公共セクターには,有能な医師を引き付け,確保定着させる優遇策の名残りがみられる。例えば,大学病院センターなどでは,限定されているとはいえ,公立施設や病床を使った公務員医師による保険外私的自由診療が容認されている。しかし,この前世紀からの慣行的制度は,一部の有名教授などによる個人的な利益や,臨床無視の「研究のための研究」の温床になり,高度先端技術至上主義や浪費の主要原因として槍玉にあがっている。施設の公共性,公私混同,汚職,財政不透明を理由に,80年代はじめに一時廃止されたこともあるが,医学部教授など特権医師層の根強い抵抗にあい,すぐに再復活し依然として残存している。一昨年秋からの紛争過程でも,パリ首都圏の公立病院向け予算配分の際に,すでに緊縮予算であったにもかかわらず,予算決定権を持つ有名特権教授たちが自分たちの科にのみ優先的に増額配分し,そのしわ寄せで救急センター,手術室,集中治療室などへの配分額がさらに激減し危機を加速したことが医療スタッフによって内部告発された。

不安定な立場の外国人医師

 また一方では,日常の患者を扱う臨床の現場でも,勤務条件の厳しいこのような救急関連科や,小児科,麻酔科,外科の専門医のなり手がいない。フランス厚生省(保健省)の調査(1996年)では,全国で7600人の外国医師免許の専門医が非合法すれすれで,正式よりは格段の低賃金でこれらのポストを穴埋めしていたことが明らかになり,当局を慌てさせた。世界に誇るフランスの高度な保健医療を裏で支えているのは,実際にはこのようなアフリカなどからの旧植民地出身の医師たちであること,アンテルヌと違って地位の不安定なこれらの外国人医師たちは,苛酷な勤務条件に対する抗議の声すらあげられないことは,フランス国内でもとかく忘れられがちである。2000年のアンテルヌのストのさなかにも,地方公立病院でこのような外国系医師をめぐる事件が起きたが,底辺に横たわる排外主義的な事件の本質には触れられず,単なるスキャンダルとしてもみ消された。