医学界新聞

 

【投稿】第5回国際サイコオンコロジー学会印象記

下妻 晃二郎(川崎医科大学 乳腺甲状腺外科)


はじめに


下妻晃二郎氏
 昨(2000)年9月3-7日の5日間,オーストラリアのメルボルンにおいて,「第5回国際サイコオンコロジー学会」が開催された。シドニーでオリンピックが開幕する直前の時期であり,日本からの飛行機には多くのスポーツ関係者や観光客とおぼしき方々が乗っておられた。メルボルンはシドニーよりもやや南に位置するが,9月初頭は冬から春への移行期であり,7-15℃前後と,残暑の日本から来た身にはやや肌寒かった。しかし,車で数時間南下すると,コアラやカンガルー,エミューなどと戯れることができる自然動物園やペンギン見学ができる海岸があるとともに,街はカナダに似た落ち着いた雰囲気で魅力的であった。
 本学会は2年に1度世界各地で開催されており,第2回は7年前の1994年に日本の神戸市・ポートアイランドで,阪神大震災の数か月後に開催された。筆者の記憶では,当時はまだ日本においてサイコオンコロジーという学問分野は,医学界で市民権を得ているとは言いがたく,何か怪しい(妖しい?)学会に足を踏み入れた気持ちで演題発表を行なったことを思い出す。しかし,神戸に第2回を持ってこられた河野博臣先生(河野胃腸科心療内科医院)や,広島大学の山脇成人教授,国立がんセンターの内富庸介部長をはじめとした諸先生方のご努力により,今やサイコオンコロジーは日本でも十分認知される分野となり,今回の学会にも日本から数10名の研究者の参加を認めるまでになったことは大変喜ばしい。
 今回,貴重な夏季休暇をこの学会の参加にあてた。その印象の一端を報告したい。

サイコオンコロジーとは何か

 まだサイコオンコロジーという言葉を聞きなれない読者も多いかもしれない。どのような分野を扱う学問であるかを少し解説する。基本的には,がん患者の心理,行動,倫理的側面を扱う学問であり,より具体的には次の2つの柱がある。1つは,あらゆる病期のがんに対する,患者や家族・介護者の心理的反応についての研究であり,もう1つは逆に,病気のプロセス(治療効果や生存期間など)に影響を与える可能性がある心理,行動,社会的因子を解明する研究である(本学会雑誌「Psycho-Oncology」の目的の説明を参考)。

A new millennium, a new momontum
新たな1000年,新たな勢い

 本学会は,日本サイコオンコロジー学会のために来日されたこともある,メルボルン大学のDavid Kissane教授のChairにより,上記のスローガンのもとに開催された。プログラムは,がんのあらゆる病期から死別に至るまでの多岐にわたる問題に触れられていたが,特に本学会では,「人間性と医学の相互作用」に焦点が当てられた。ユニークな試みとして,学会4日目の昼間に,トルストイの『イヴァン・イリイチの死』のshort storyの舞台上演が行なわれた。この物語は,一官吏が不治の病にかかって肉体的にも精神的にも恐ろしい苦痛をなめ,死の恐怖と孤独にさいなまれながら諦観に達するまでを描いたもの(岩波書店ホームページより引用)で,死の瞬間に「死はなかった。死の代わりに光があった」と感じたと描写されており,トルストイの晩年の死生観が描かれていると言われている。われわれ参加者に研究の意義を改めて考えさせる催しであった。

ワークショップ

 第1日目には,3つのワークショップが行なわれた。1つ目は,米・ミシガン大学のLaurel Northouse教授の「家族とがん患者の支援戦略」,2つ目は,米・スローンケタリングがんセンターのJimmie Holland教授による「心理社会的ケアのエビデンスに基づく原則とサイコオンコロジストの生き残り作戦」,3つ目は,米・スタンフォード大学のDavid Spiegel教授による「グループ療法-重篤な身体病における適応の支援」,がテーマであった。

Keynote address(基調講演)

 連日,各専門分野の研究者によるkeynote addressが行なわれた。一部の演題を紹介する。ミシガン大学のNorthouse教授による「サイコオンコロジーにおける家族療法-ナースの視点から」,オーストラリアのビクトリア対がん協会のDavid Hill博士による「喫煙と他の危険因子についての行動的介入を用いた一次がん予防」,米国のべスイスラエル医療センター・がんセンターのKathryn Kash先生による「がん遺伝子検査の心理的側面」,スタンフォード大学のSpiegel教授による「集団心理療法が乳がんの生存期間に及ぼす効果」,カナダのトロント大学のPam Goodwin博士による「BEST(Breast Expressive-Supportive Therapy)study-転移性乳がん患者に対する集団心理社会支援に関するカナダ多施設ランダム化試験 初期結果」,オランダのウレヒト大学のMargaret Stroebe教授による「遺族に対する文化を考慮したケア」,英・ブランドサットン研究所のLesley Fallowfield教授による「英国のオンコロジストを対象としたコミュニケーション技術トレーニングに関するランダム化試験」,などが行なわれた。
 Hillらの一次がん予防における行動的介入の研究は,タバコ,食事,アルコール,肥満,運動不足,紫外線暴露など,すでにエビデンスの明らかな危険因子に関して,心理療法により習慣を変えさせることを目的としたもので,今後注目される分野だ。
 1989年にLancet誌上に掲載された,Spiegelらによる,転移性乳がん患者を対象とした毎週1回の集団心理介入による生存期間の延長はセンセーショナルであり,今でもそれを根拠にさまざまな集団心理介入プログラムが考案・実行されているところであるが,その後いくつかの追試は成功していない。今回,そのSpiegelの講演では,自らの研究の成果については控えめに述べていた。Goodwinらの報告にあるように,1993年からSpiegelの試験の本格的な追試(BEST study)が行なわれている。まだ症例登録が終了して2年しか経たないため,結論は数年先に明らかになるはずだ。この結論も多くの研究者が期待している。
 Stroebeによる遺族ケアの問題は,緩和ケア病棟が次々に開設されているわが国においても,無視できない問題となりつつある。学会終了の次の日には,改めて悲嘆のコーピングに関する介入モデルが,ワークショップで議論されたようである。
 Fallowfieldらのオンコロジストを対象にしたコミュニケーション技術トレーニングに関するランダム化試験では,160名の外科,内科のオンコロジストに対する3日間のトレーニングプログラムの評価を目的としたものである。昨年5月ニューオーリンズで開催されたAmerican Society of Clinical Oncology(ASCO)でも,bad newsの伝え方,という問題で若手のオンコロジストを対象とした教育プログラムが組まれていたように,欧米では若手医師に対するこのような教育の取り組みが盛んである。しかし,「成果の見えにくいこのようなプログラムの財源確保のためには,しっかりとしたエビデンスを出すことが重要である」とFallowfieldは発表していた。

一般演題(口演,ポスター)

 筆者がこの学会で最も感心したのは,一般口演(Current symposia)の重視とその議論の充実であった。
 まず,下記のテーマ別に50-100名が入る9つほどの小部屋で並行して発表が行なわれた。テーマは,乳がん,臨床的問題・生存期間,ストレスとコーピング,遺伝学,看護学・女性の健康,小児科学,性格とQOL,緩和医療,コミュニケーションと文化,スピリチュアリティ,倫理,スクリーニング,代替療法,悲嘆,疼痛,などに分かれていた。
 発表と質問の時間が合わせて1題20-25分あり,とてもリラックスした雰囲気で,充実した議論が行なわれていた。わが国からの発表者も多くがこのセッションで発表していたが,慣れない英語でも言いたいことを伝えるに十分な時間と雰囲気があり,満足度は高かったのではないだろうか。わが国の臨床系一般の,時間と議論が足りない姿(先日の日本サイコオンコロジー学会では時間に余裕があったが)に慣れた目からは,とても新鮮であった。また,社会学者や哲学者の発表は,スライドも使用せず,延々と自説を展開する形式が多く,量的研究の発表に慣れてしまった筆者には新鮮であったものの大部分が難解であった。
 口演,ポスターを含め,わが国からの発表者の優れた内容が目立っており,司会者からも賛辞が送られていた。

おわりに

 全体として,大変魅力的な学会であった。この分野ではどちらか一方に偏りがちな,量的研究と質的研究のバランスもよかった。心理社会的サポートが,がん患者や家族の気持ちを癒すことに大きく貢献していることを確信するとともに,今後は,医療者に対するコミュニケーション技術教育の進歩と効果の評価,および心理社会介入による生存期間の延長など,QOL向上以外の患者のbenefitに関する質の高いエビデンスの提出が本学会に期待されている大きな課題である,と感じた。
 最後になるが,精神科医,心理学者,ナース,ソーシャルワーカーなどと比較して,オンコロジストの参加者が多くないことが気になった。オンコロジストの日々の経験から生み出されるresearch questionsは,サイコオンコロジーの適切な(臨床的妥当性の高い)発展に不可欠である。わが国からもオンコロジストのより積極的な本学会への参加が望まれる。次回,第6回の国際サイコオンコロジー学会はアルゼンチンのブエノスアイレスで2002年に開催される予定である。わが国からの多くの演題の応募が望まれる。

〔写真上〕Congress dinnerにて(左が著者)
〔写真下〕学会場入口の様子