医学界新聞

 

【投稿】スリランカの看護教育に対する効果的な国際援助

樋口まち子(岡山大学医学部保健学科)


■はじめに

既存の資源を活用した援助を

 1978年のアルマ・アタ宣言では,「西暦2000年までにすべての人々に健康を(Health for all by the year 2000)」がスローガンとして掲げられたが,その達成が危ぶまれた1998年には,新たな健康戦略を定め,その目的を達成するために,先進工業国による援助のあり方が見直された。その中で特に強調されたのは,発展途上国に対する国際援助は,先進工業国が有する資源をそのまま持ち込むのではなく,発展途上国の既存の資源(人,物)を最大限に活用しようということであった。そして既存の資源を使いつつ,対象国の状況に適した援助を行なうことが最も効果を上げることが再確認された。さらに,すべての人々の健康を達成するための有効な戦略であるプライマリ・ヘルス・ケアの7つの基本的な理念のうち,特に保健医療の専門的知識と経験を持つ専門家の育成が強調された。
 また修正された宣言では,看護が健康向上に重要な役割を担っていることも強調され,将来にわたる責任が再確認された。それに伴い,発展途上国の看護教育のシステムは,海外からの援助を受けながら,さらに発展することとなった。

派遣専門家の経験から

 一方,スリランカでは,ここ数十年,看護教育を含む看護の分野に対する国の予算は十分に組まれておらず,保健省が大蔵省の対外資金局に提出する原案には,看護の分野が含まれることはなかった。さらに,スリランカの保健省は,看護婦不足を補うために,1997年から看護学校の設備や看護教員数を増やさないまま,定員数の2-3倍の学生を入学させたため,スリランカの看護教育の質は顕著に低下していった。その結果,他の発展途上国では看護教育が充実していく中で,スリランカの看護教育は充実どころか教育レベルの維持さえ困難となっていた。筆者は,日本政府の援助で実施したJICA(国際協力事業団)のスリランカ看護教育プロジェクトの派遣専門家として,モデル看護学校の開校準備から開校後の学校運営,教員の指導,全国看護学校校長会の組織化等に携わった。そこでの3年間の経験から見えた,スリランカの看護教育に対する国際援助のあり方についての私見を述べたい。

■スリランカにおける看護教育

スリランカの看護教育の歴史

 スリランカに最初の看護学校ができたのは1878年で,イギリスに遅れることわずか18年のことである。訓練を受けたヨーロッパ人看護婦が,スリランカ人看護婦に訓練を行なうとともに,キリスト教教会から数人のシスターを看護婦として採用し,看護の向上に努めた。そして,スリランカの看護は徐々に保健医療システムの中で重要な役割をとるようになったが,当時スリランカの看護学校に入学するための資格は,読解力と文章力があればよかった。スリランカの看護教育は,英国の植民下で英国式の教育制度で開始され,1948年に英国から独立してからしばらくは,コロンボ総合病院とキャンディ総合病院(コロンボ市とキャンディ市はスリランカの2大都市)で,英国をはじめとする海外の看護職との交流が盛んに行なわれ,物質的な援助も受けていた。看護教育は少人数制で,一般科目は医学生とともに英語で講義を受講した。そのためもあってか,看護学校の卒業生のレベルは高く,スリランカの看護婦資格で英国でも業務に従事することができた。しかし,民族主義が台頭してきた1960年代初めには,外国人のシスターナースたちは,スリランカを去り,それまで英語で行なわれていた看護教育は,シンハラ語またはタミル語で行なわれるようになった。そして,1961年に看護教育の質の向上を図るために,看護教員および幹部看護婦養成校(Post Basic School)がコロンボ看護学校内に設置され,コロンボ郊外のカルタラの国立保健科学研究所と連携をとりながら学校が運営されることとなった。2000年現在,国立看護学校は11校設置されている。しかし,カリキュラムが整備されたのが1970年の初めで,そのカリキュラムは,看護教育プロジェクトの援助で,1999年に改訂されるまで使用されていた。

スリランカの看護教育の現状

 世界の多くの国々で,看護教育は4年制大学で行なわれるようになり,その過程で,各国は看護が変化しつつある保健医療システムに少しでも貢献できるような大学における看護教育のあり方を探ってきた。
 特に,興味深いことは,スリランカとほぼ同じ時期に基礎看護教育が始まった日本,台湾,中国,インド,タイやフィリピンでは,1940年から1950年代に看護学士のコースが設置されて,大学レベルでの看護教育が開始。さらに,1980年代には博士課程も設置された。一方,スリランカでは,1960年代から,看護教育の向上のために教育の現場を担う人々が努力を続けてきたが,スリランカ政府はそれに応えるような政策を打ち出さずにいた。看護教育の目的は,科学的な視点で看護学を通して現状の健康問題を分析できる能力を養うよりは,ナイチンゲール精神のもと,いわゆる「白衣の天使」として医師に従順で医療の補助が十分にできる旧態依然とした看護婦の養成に重きが置かれた。看護学校への入学資格が中学校卒業程度しか要求されていなかったのも,このことを反映していると言える。
 現在,スリランカの国立看護学校の入学選抜は,保健省が全国共通で実施されている。書類審査を通過したあと筆記試験と面接が行なわれる。スリランカは他の発展途上国と同様,就労の機会が少なく,失業人口が多くを占めている。特に,英語を話せず,大学の入学資格試験に合格できない中流階級以下の家庭の子どもたちにとっては,就学中に給与が支給される国立看護学校は大変人気があった。しかし,看護教育発展のための明確な政策がないだけでなく,看護学校への入学試験の回数や入学者数は,とかく選挙公約などの政治に利用され,また,国家予算の総額によって大きく左右されがちである。
 2000年現在,全国11校の国立看護学校では,校長を含め103人の看護教員に対して約6000人の学生が養成されている。さらに,看護教員養成校では定期的な看護教員の養成がなされず,7年ごとの養成である。そのため慢性的な看護教員不足となり,学校の設備の悪さに加えて看護教育の質の低下を助長している。また,看護教員の養成校もコロンボ看護学校の2階の1教室で行なわれているが,4人の教官が300人の教員を養成し,図書室は看護学校と共用という状況である。カリキュラムは基礎科目が多く,教員養成において大きな比重を占めるべき教授法や看護研究などの教育は,ほとんどなされていない。
 スリランカでも,1994年にようやく大学レベルである看護学部での看護教育がカナダ政府の援助を受けて始まった。放送大学の保健学科の中に設置されたものである。入学者は,看護教員や病院および保健所の保健婦で,このコースの目的は,現役看護職の教育レベルの底上げをすることであった。
 このコースが始まる前に,スリランカ国内で修士号を持つ看護職は4人,学士は7人にすぎなかった。もちろん,全員外国で取得している。学士課程への入学の競争率は高く,1994年の第1回生は75人の合格者に対して958人の応募があった。今まで2回生が卒業したが,学士取得者はわずか55人にすぎない。勤務との両立が困難なために,卒業できる学生の割合も高くないという事情もある。しかし,大学としては教育の質を維持するために学業の中断者が多いのはやむを得ないとしている。また,大学教育の場でも教育環境は十分なものでなく,専任講師1人,助手1人と2人のコンサルタントで191人の学生を見ているという状況である。

■国際的視野を持った人材の育成の必要性

スリランカの看護教育に対する海外からの援助状況

 スリランカ政府の要請に応じてWHO(国際保健機構)は,分野別に財政的な援助をしている。2000年には,7つのプログラムに対する財政的援助を行なった。そのうち,看護教育に関するものは1つのみで,その他は臨床看護に対するものであった。また,CIDA(カナダ国際開発事業団)は,1992-1997年の間に,カナダのアタバスカ大学が技術的な援助を担当して,放送大学の保健科学部に看護学科を創設した。
 一方日本政府は,JICAを通して,無償協力と技術協力の共同で「スリランカ看護教育プロジェクト」を立ち上げ,国立看護学校として第11校目であるモデル校を設立した。
 本校は,無償援助で校舎,学生寮の建物と機材で1000万ドル(113億円)をかけて,1999年に建物が完成した。また,技術協力は1996年から5か年計画で2001年まで実施され,技術協力の専門家を派遣,100万ドル(11.3億円)の機材が供与された。
 その他の援助としては,2000年にオーストラリアの大学の技術援助により修士課程が設置され,またフィンランドのコーピオ大学では,救急看護をはじめとする臨床における看護婦や看護学生の交換プログラムを実施している。

スリランカの看護教育に対する海外援助の問題点と可能性

 スリランカが海外から受ける援助の45%は日本によるものである。また,各国のODAやNGOから多種多様の分野に援助を受けている。看護教育の分野でも複数の国々が援助をしており,援助の対象が重複していることもしばしば見られる。例えば,日本の看護教育プロジェクトのモデル学校で専門家が技術移転をしている看護教員は,CIDAの援助による放送大学で看護学士を取得しているなど,複数の援助国が同じ対象に援助を行なうこともよくある。現在,各援助国に共通する課題の1つが移転した技術を現地に定着(sustainability)させていくことであるが,なかなかうまい施策を見出せないでいる。そこで,援助対象が類似した援助国間で連携を取り合い,それぞれが,これまで蓄積した経験・知識を交流していくことは,援助の成果を上げるための有効な手段の1つではないだろうか。
 スリランカの保健政策はWHOの指針を踏襲して,プライマリ・ヘルス・ケアに重点を置き,特に母子保健にフォーカスを当てて実施してきた。その結果,スリランカが発展工業国並みの乳児死亡率,妊産婦死亡率や平均寿命を達成させ,国民の健康レベルを上げるのは経済力のみではないことを証明した。それはスリランカがプライマリ・ヘルス・ケア実施国の優等生という評価を受けたことでもある。他方,近年の人口の高齢化や社会経済状況の変化に伴うアルコール問題,自殺,精神障害等が特に若者の間に急増してきている。これらの問題は,従来の保健医療サービスの対象になっていないため,対応できる専門家は極端に少ない。
 そのため,この問題を解決するためには,地域における疾病予防の保健医療サービスのシステムを構築する必要がある。スリランカの地域保健医療サービスは,主に母子保健を対象とし,保健所が前線で中心的な役割を果たしてきた。保健所には人口4000人から5000人ごとに助産婦が配置され,彼女たちは地域住民の中に入り込んで,住民との強い信頼関係を作り上げ,母子保健の向上に貢献してきた。しかし,従来の地域保健の医療体制では,近年のスリランカにおける国民の健康問題の変化に対応するには,十分でなくなっている。
 そこでスリランカの保健省は,早急に新たな保健医療政策を制定する必要性が高まってきていると言える。社会の要請に応えられる専門職の育成のためには,看護教育の見直しも急務である。保健省内部で十分なコンセンサスを得ることは必須となり,看護職の発言の機会が増える努力をし,医師主導型の官僚機構の中にあっても看護教育に対する国家予算の増加と,保健省から病院を経由しない予算の流れを整備する必要がある。海外の援助団体もスリランカの保健政策に沿った支援をすべきである。
 これらの状況を踏まえて,スリランカの看護教育向上の的確な援助をするためには,いくつかの指針を提起することができる。すなわち,(1)大学で行なわれている看護学士コースの拡大と改善,(2)看護教員と幹部看護婦の質の向上のために看護教員・幹部養成校の充実,(3)看護に関する政策策定は看護職の専門家が行なう,(4)計画的に質の高い卒後教育のシステム作り,(5)看護教育における英語教育の強化(現在,看護教育が現地語で行なわれているため,看護婦の英語力は急激に低下している。そのため,キャリアを上げるための留学の機会を失っている),(6)看護学生に対する給与制度の廃止(看護学校に在学中は,病院実習では労働力として期待されるべきではない。さらに,援助国は援助を開始する前に,看護教育部門でも丁寧に事前調査を行ない,被援助国のニーズを的確に把握すべきである。また,援助国間の連携は,被援助国にとってだけではなく,各援助国のプログラムの成果を上げるためには大変効果的である),などである。
 以上,組織レベルだけではなく,国や組織を超えた同じ分野の専門家同士の交流も考慮されるべきであろう。さらに,プロジェクトの期間終了後も被援助国がプロジェクトの活動を引き継いでいけるように,プロジェクト実施期間中から,カウンターパート(技術を伝える対象者)を育成していくとともに,プロジェクトが被援助国で収束してしまうのではなく,周辺諸国への波及も念頭において第3国を巻き込んだ研修のシステム作りをしていくことは重要なことである。

経済大国としての責任を担う日本

 最後になったが,日本の看護は徐々に国際的な技術協力や研究協力の裾野が広がってきている。経済大国日本は,今までさまざまな分野で国際協力に関わり成果を上げてきている。ここ数年,発展途上国からの看護の分野での援助の要請も増加し,予算措置はなされたが,援助の予算額に見合った成果を上げられるだけの人材が不足している。そのため,現地のカウンターパートよりも語学力がなく,教育歴も低い人が専門家として派遣されることがしばしばであり,これは,カウンターパートだけではなく専門家にとっても悲劇的なことである。21世紀,日本が看護の分野で他の先進工業国と肩を並べて経済大国としての責任を担っていくためには,国内外を問わず援助活動ができる国際的視野を持った人材の育成が必要である。さらに,相手の文化や価値観を理解し,尊敬できる感性と能力の育成は,日本の看護教育に課せられた大きな課題であろう。そのためには,被援助国を総論と各論から分析できる専門技術以外の知識を有する専門家の育成が求められる。例えば,民族問題,援助論,開発学,ジェンダーの問題など政治経済的な視点を持つことは大変重要である。

〔参考文献〕
Machiko Higuchi: Effective International Support for Nursing Education in Sri Lanka; Nursing and Quality of Life, International Conference Papers, Kracow, Poland, September, 2000