医学界新聞

 

短期連載

フランスの保健医療の現状 Part 1

重光哲明(国際保健医療観測センター外科・外傷整形外科)


重光哲明氏
1970年東京医歯大卒業。東京医歯大病院第1外科,東大病院整形外科を経て,現職。その他,カンボジア難民外務省派遣外科医,ピチエサルペトリエール病院,クロードベルナール病院,サンタントワーヌ病院(いずれもパリ大学病院センター)などでキャリアを積む
 2000年,世界保健機構(WHO)は,各国の保健医療システムの比較を行ない,「フランスの保健医療システムを最良」と断じた報告が発表され話題を呼んだ。皮肉なことに当のフランスでは,次から次へと提案される保健医療改革案に触発されて,保健医療現場で種々の運動が燃え盛り,ストライキやデモが頻発している最中であったからである。その動きは,現在でも一向に冷めてはいない。このことは,外から安定しているように見えるシステムの中でも,また一見うまくいっているように見える制度のもとでも,実際の現場では種々な力がせめぎあい,常に解決していかなければならない新たな矛盾が発生していることを物語っている。
 いま,日本を含む北の工業国でも,南の途上国でも,さらに旧「社会主義」圏の国でも,教育の問題と同様,保健医療が大きな問題となっている。いままでは,保健医療の問題は国家や行政にすべて任せてしまうのか,あるいは市場原理にゆだねてしまうのか,という「大きい国家」「小さい国家」の議論が中心だった。しかし,加速する経済のグローバリゼーションの進行とその弊害から,国家の役割の再考と,新たなオルタナティブな道の模索へと議論が発展しているように見える。そこから,日本でも,世界各国,各地域の保健医療システムの実際について比較検討が盛んに行なわれる傾向にある。しかし,制度の外面だけを見て単純に比較し,安易に部分的にシステムを模倣し,導入するだけでは,転換期にある日本の保健医療の現状の根本的な改革に質することはできない。それぞれのシステムが置かれている実際のコンテキストや,各国の基本的な現場の事情を考慮する必要がある。
 それでは,国際保健機関が1つのモデルとしている,フランスの保健医療制度の複雑な現状を理解するために不可欠な,外部からは見落とされやすい隠れた背景をいくつか紹介する。


アンテルヌの一斉ストライキ

 2000年4月,ほとんどの大学病院センター(日本の国立医学部病院にあたる)のアンテルヌ(インターン)による一斉ストライキが行なわれた。はじめは,アンテルヌが全面的に業務を負担している救急サービスでの当直拒否が発端だった。全国26の大学病院センターのうち25施設で無期限業務拒否に突入した。直接の要求項目は,週実質60時間以上といわれる苛酷な勤務条件と,月額7900フラン(約12万円)という低給与など,劣悪な待遇の改善である。結局,4月末には,アンテルヌ代表と政府保健省との直接交渉がもたれ,当直明けの勤務時間軽減と一律年額6400フランの給与上乗せという条件で5月初めにやっと紛争は収まった。
 1999年の秋からフランスでは,経済の活況と雇用情勢の好転にもかかわらず,保健医療,教育といった今まで予算的に冷遇されてきた公共サービス領域の予算額の圧縮が火種となり,ストやデモなどが吹き荒れていた。要因としては,公務員の労働時間短縮交渉の難航(民間では週35時間への移行が進行中)もあげられているが,一方では保健医療改革にともなう医療施設の統廃合でへき地の底辺医療施設閉鎖などに抗議する利用者である患者,住民をも巻き込んだ個別・地域運動も頻発している。
 結局,3月末に,期待を大幅に上回る好調な税収入を得た政府(社会党を中心とする左派連立現政権)は,保健医療,教育セクターへ追加予算をふんだんに緊急集中配分し,さらに担当大臣更迭を含む内閣一部改造に踏み切ってやっと事態を収拾し,社会運動の高揚は表面的には鎮静化の方向に向かっていた矢先のアンテルヌのストであった。
 保健医療領域の他のカテゴリーや職種に大量にばらまかれたこの事態収拾のための緊急財政措置でもまた,救急部門など日の当たらない地味な臨床業務領域への配慮がまったく忘れられていたことが,今回のアンテルヌなどの怒りの行動の直接のきっかけということができる。
 それが収拾した直後,今度は,公立病院手術室勤務の麻酔士や,麻酔科専門看護士に飛び火し,公立病院の他の日の当たらない医療職公務員の給与再評価,待遇改善の要求へと職種やカテゴリー別に拡大した。
 その後も,保険外診療の開業専門医のストライキをはじめ,保険点数低下に抗議する開業理学療法士,公立病院の外国人医師の待遇改善要求,公共セクター並の給与と勤務条件改善を求める民間私立病院(クリニック)の看護士などの抗議行動など,各方面でのストライキが間断なく続き,現在に至っている。
 フランスの保健医療システムを知るためには,いくつかの特徴を知っておく必要がある。

フランスの保健医療システム

 まず,フランスで「病院(オピタル=ホスピタル)」という言葉が使われるのは,ほとんどが,外科だけでなく内科系専門科病棟もある公立の総合入院施設のみだということである。
 日本の民間私立病院,個人病院にあたる入院施設は,区別して「クリニック」と呼ばれ,ほとんどは産科を含む入院患者中心の外科系専門科で,内科系病棟がある民間総合入院施設はまれである。公立の「病院」も民間の「クリニック」も,開業専門医などで既に診断を受けた患者が,手術,専門的検査,特殊治療の目的で紹介され入院するのが普通なので,外来診療はあくまで副次的である。レントゲン,CTスキャンなどの画像診断,超音波,心電図をはじめ,血液,尿検査などは民間開業専門施設が発達しているので市中で行なうのが普通だし,注射や点滴,包帯交換や抜糸など簡単な外科的な小処置は,在宅のまま開業看護士の外来や往診で行なわれ,リハも開業の理学療法士に通院して行なうのが一般的である。したがって,病院やクリニックなど入院施設の利用者はきわめて限られているし,入院日数も日本とは比べられないほど少ない。ところで,救急外来サービスについては,1958年の「ドブレ法」成立以来,公立病院の主要業務の1つとされた。
 一方,外来をほとんど扱わない民間専門科入院施設であるクリニックで救急業務を行なっているところはまずない。つまり,フランスでは,救急医療サービスは国や行政による公的セクターが主体なのである。

フランスの医師養成

 次に,フランスの医師養成は,医学生から専門医に至るまで,国家の役割となっていることである。大学医学部は,大学病院センター(日本の大学病院にあたる)も含めて,歴史的に国の認可を受けた例外的な宗教系(非営利公営)の1つふたつを除くと,すべて国立であり,医学教育も卒後の医師養成も国の管轄下で行なわれる。日本のような純然たる私立医大はない。そのため,医学部卒業後の医師国家試験は存在しない。ちなみに,大学入学資格試験(バカロレア)を持ってさえいれば,原則として,誰でもどこの医学部にも入学ができ,6年間の教育を受け,病院研修と型どおりの論文提出さえすれば,自動的に一般医の資格が与えられ,地域の医師会に登録すれば医療活動に従事できる。
 こうして,他のヨーロッパ諸国と同じように,医師の増産により70年代には既に飽和,大量過剰が起き,若い医師の中には開業しても生活できず,失業するケースも多数出現した。一部は国際医療協力やボランティアの形で,旧植民地など南の国で医師としての経験を積むというような出稼ぎブームの一因にもなった。粗製乱造を恐れて,最近では各医学部内部で進級学生数の自己規制が強化されるようになった。
 さて,今回問題になっているアンテルヌは,60年代に医学部紛争の1つの原因となった日本のインターンとまったく同じではない。フランスでは,先にあげたドブレ法によって,はじめて医学研究と教育研修を目的とする大学病院センター(医学部病院)設立が構想され,他の欧米諸国のようにそこで体系的な専門医を養成する制度ができた。つまり,外科系をはじめとする専門医になるためには,一般医の資格を取った後,専門医コースの競争試験(コンクール)に通らなければならない。この専門医養成コースで研修中の,いわば将来のエリート医師が今回の紛争の主体となったアンテルヌなのである。専門医コースのアンテルヌは,公務員として大学病院センターをはじめ公立病院での数年間の研修勤務が義務づけられている。最近では,一般医の再評価とその質の保証のため,大学病院センターで,開業する前の「専門の一般医」の卒後教育も行なわれるようになり,これもアンテルヌと呼ばれることがあるが,むしろ「レジダン(レジデント)」と呼ばれて区別されることが多い。

公立病院の臨床医確保の苦労

 ところで,フランスの公立病院はそもそも,歴史的創成期から勤務医の確保に苦慮して今日に至っている。フランスでは,医師は自由職とされ,ほとんどが拘束の多い勤務医を避ける。また,あくまでフランス医学では,人間が人間を扱うという臨床医が医師の本来の職分として最重要視される傾向が伝統としてあり,現在の日本や19世紀後半のドイツの大学病院で行なわれていたように,臨床と基礎研究を同時にかけもちする医師は少ない。おまけに,フランスでは,臨床医の社会的地位は割合高く,尊敬されているにもかかわらず,また教育や養成期間が長いにもかかわらず,社会保険の診療報酬が低く押さえられているため,大多数の開業保険医の収入は,他業種に比べても信じられないほど低い。さらに,基礎研究や教育職の医師に至っては,社会的地位,給与ともにさらに格段に低いという事情がある。
 したがって,競争に勝ち抜いてどうしても大学教授のステータスを得たいという,特にマイナーな出自の医師などの例外を除くと,医師のほとんどがむしろ一般開業臨床医を目指す傾向にある。とりわけ条件や待遇の悪い公立病院勤務はなおさら敬遠されがちであった。このようなコンテキストの中で,先述のドブレ法は,臨床系の質のよい医師を大学病院センターに集め,医学教育研究を強化し,旧態依然とした公立病院を近代化し,一般地域住民のニーズにあった臨床サービスへ開かれるよう改革整備することをめざした。それにもかかわらず現在でも公立病院は,大学病院センターですら,質のよい臨床医の確保に難航している。
 大量の失業を生みだすほどの医師の過剰がある一方で,公立病院が慢性的な臨床専門医不足に悩んでいるというのは,フランスの保健医療構造の複雑な一面を物語っている。そして,研修養成中のアンテルヌや,さらに低い給与で非合法すれすれで業務に従事してきたフランスの医師免許を持たない外国人専門医がその穴埋め役だったのである。