医学界新聞

 

【連続座談会】

脳を育む(2)少年・青年期

伊藤正男氏理化学研究所
脳科学総合研究センター所長
三國雅彦氏群馬大学教授
神経精神科
渡辺義文氏山口大学教授
神経精神科
坪井 俊氏東京大学教授
数理科学研究科
森 浩一氏国立身体障害者
リハビリテーションセンター
研究所・
感覚機能系障害研究室長
野々村禎昭氏東京大学名誉教授
(『生体の科学』編集委員)


伊藤<司会> 今回は,少年・青年期における「脳を育む」問題を取り上げます。この時期は数学と第2外国語の学習が大きなテーマですが,これらは人格の形成というさらに大きな問題と関連しており,英才教育の是非,日本の教育の危機と問題は広がります。現在の脳科学にはまだカバーできない広範な問題を含んでいますが,思う存分議論していただきたいと思います。

数から概念へ

伊藤 幼児期・小児期についての前回の座談会では言語の獲得が大きな問題でしたが,少年期・青年期になると数学の教育が大きな課題になります。数学の能力を学力全体の指標と考える傾向が強いがそれでよいのか,適切な数学教育のありかたを脳の発達との関連でどう考えるかなど重要な問題があります。まず数を数える能力はどのように発達するのでしょうか。
坪井 数を数えることは,大人にとっては単純なつまらない作業ですが,子供たちにとっては魅力的なようで,できるようになると数えて見せたがります。大人がある意味でそれにつき合ってやる必要もあると思います。そうやって何回も数えていると,次に掛け算をやる時に役に立ちます。
伊藤 フランスのグループが画像法で,子供が数を数え出す時の脳の活動部位を測っていますが(Stanesu-Cossonら:Brain 123:2240-2255, 2000),この時期にトレーニングをしないといけないのでしょう。
坪井 数学は論理的に作られた言葉ですので,規則通りにやることを強制されます。初めて規則を覚えた頃はそれほど苦痛ではないはずですが,「何回も」と言われると苦痛になってきます。工夫しながら身につけると,論理的なところから先に進むことができて,少しずつ新しい見地から見る発想に導かれると思います。
 数を数えるトレーニングは,長さを計測するなど,実際に出てきた数字の持つ意味を確認していく作業を含んでいますので手間暇がかかります。現在は小学校の教育時間が減少していますから,「何cm,何m」とぱっと言われて,「これぐらい」と言える人が減っているように感じます。
 これは数学だけでなく,工学的な面でも深刻な問題が生じるのではないかと危惧します。数字を感覚として捉えることは,大きさや方向を五感で感じることとある程度並行しているところがあります。日常生活でそういうものを把握できていないと,うまく次の段階に進めないのではないでしょうか。
伊藤 その話は脳の働きとしても面白いですね。と言うのも,大脳で考えている間は意識的な集中が必要ですが,繰り返して考える間に一種のモデルが作られ,今度はそれを使って効率よく考えられるようになります。さらにそのモデルが小脳に移され,無意識で自動的に考えられるようになる。そういうことが「身につく」ことだと考えています。
渡辺 数字には言葉と同じように概念が生まれますが,その概念形成がいつ頃からできるのかが問題になります。言葉の場合は2-3歳ですから,もっと早期に数学教育をしたほうがよいということにはならないのですか。
坪井 早熟な人でも,小学生の段階で数学的なことを理解するのは困難でしょう。

  

 

数学の論理

坪井 私たちが数学でよく使う概念は背理法です。おそらく皆さんもどこかで一度は習われたと思いますが,背理法は非常に複雑な論理です。例えば,無限大を2倍してもやはり無限大ではないだろうかと考えるわけです。そして,無限大という数を2倍しても無限大なのだから,元の数とそれを2倍した数が同じになってしまうではないか。論理に従っていけば,2倍しても同じことは,元の数は0になってしまうではないかということですね。そうすると,無限大というのがあるといって考えたのにそれが0になっている。だからもともと無限大があると仮定したのはおかしい。それが背理法の考え方です。
 数学の現代的な利用は,この背理法に大きく依存していますので,このような論理のトレーニングができていないと理解できないだろうし,さらに発展させて論理を組み立てるのも難しいと思います。人格が形成され,自分が決めた規則に従うことができなければなりません。数学で最も重要なことは,自分で決めた規則には従うことで,かなりの忍耐力を要します。これはある程度人間的にでき上がった時に,初めて理解できます。
 そういう論理で組み立てている数学というのはどういうものかということがわかって,そこに面白さを感じられる人はまた伸びていきます。
伊藤 教育も時間がかかりそうですね。
坪井 10代後半の頃に,数学に論理の面白さを経験される人は多いと思います。ただ,現代の数学は理論が発達していますから,自分のものにするのにかなり時間がかかります。20代の後半にでも最先端までいければ,非常に優秀な人だと思います。早い時期のトレーニングに見合うかどうかと言われると,必ずしもそうではないような気がします。ある程度他の科学で人格が形成されて,研究に耐えられることが,数学には必要ではないかと思います。

英才教育の是非

伊藤 千葉大の跳び級を数学会が反対したでしょう。他の分野でなく,数学の先生が反対したので驚きましたが。
坪井 私も会員ですから経緯を説明しますと,あれは「数学ができるから特別に入学する」という制度です。つまり,「人格的にも大学に進学してよい人」という議論とは違います。「数学が特別よくできるから」という理由だけで大学に入っても,その後エキスパートになれるかと言えば,大概の場合は無理です。逆に,他の分野を勉強する際にはギャップが生じます。そういう意味で数学会としては反対したわけです。
 アメリカにはありますね。
坪井 私が理解しているアメリカのシステムでは,「ここまでいけば,高校のレベルは終了」というテストがいくつかあります。それで総合的にそのレベルより上になれば大学に入れるわけで,私たちもそれはよいと思います。
 若くして大学に入った人も,アメリカでは普通の大学生として扱っています。日本でもそのようにできるのなら,問題はないと思いますし,本人も大学生活をエンジョイできると思います。しかし,数学だけに道をつけることは問題です。
 数学科に入学して,数学者になる人は1割ぐらいだと思います。それからすると,何人か入れてみて,どうなるかを見てもよいような気もするのですが。
坪井 他の学科と同じように試験を受けて入学するのなら構いません。たとえ数学をやらなくても他の勉強をそれなりにしてきているわけですから,別の分野に移りたければ,その土台が作られています。私たちが心配していたのは,数学だけがよいから入学させて,他のことを勉強しない人が現れるようになるとまずいということです。
伊藤 前回は,音楽の英才教育,早期教育は意味がないというご意見でした。
 西洋音楽の楽器に限れば,プロの演奏家は10歳までに系統的な訓練を始めています。バイオリンは平均7歳で正規のレッスンを始めているようです。プロになる人は,20歳までに1万時間の総練習時間が必要と言われます。
野々村 幼児から数学教育をしてもすべて立派な数学者になるわけではない。物理学は,根底に数学が必要だから,数学を勉強した人格の形成のもとに物理学者が出るので,その辺が演奏家との違いだと思います。

第2外国語の習得

伊藤 第2外国語の習得も,早く始めればよいものでもないですね。
 まず母国語に関して言いますと,欲求を伝えるためには運動系が発達することが必要です。音声で単語を作るには,ある程度時間が必要です。それに対して手話は,わりに簡単にできて,「ミルクが欲しい」,「おむつを替えて欲しい」という程度のことは,早く教えられるそうです。
 ところが,その後の言語の発達は変わらない。末梢の発話器官のコントロールと単語レベルの表出の後に,言語のコアになる文法機能が作られますが,それには時期を待たないとできない。その点は,数学の話に近いのかもしれないのですが,その時期に適切な入力がないといけない。
伊藤 RとLの発音の区別はどうですか。
 日本語の環境で育つと,ほぼ生後6か月で区別ができなくなります。
 第2外国語に関しては,10代の前半までに外国語に曝露されない限り,バイリンガルにならないと言われています。そのあたりが感受期だと思います。ただ,言語そのものが発達するのは5―6歳ですので,それまでに母国語によって言語処理のコアが脳内にできていないとだめです。ただし,その後でもきちんとした訓練をすれば,第2外国語で母国語にない音韻でも区別できるようになります。
 運動系の発達より少し遅れて,10代の後半に言語中枢がある側頭葉と前頭葉を結ぶ線維の密度が上がってきます。左脳で特に顕著に起こると言われています。
伊藤 日本でも小学校で教えるようになりましたが。混乱することはないでしょうか。
 例えば,両親がドイツ人とアメリカ人で,それぞれの母語で話しかけていると,状況ごとに2つの言語を分けて使うことを覚えます。ところが,ハワイのように日系人がたくさんいると,文法レベルでも単語レベルでも日常会話の中に英語と日本語が混じって混乱が起こります。状況をきちんと分ければ混乱は起こらないので,早く教えても問題は起こらないと思います。ただ,外国語を教えるために国語の時間を削るとか,母国語の読書の時間を削るということになると当然影響が出ると思います。

数学と言語の関係

 おそらく脳の異なるモジュールが働いているので,あまり意味のない質問かもしれませんが,数学は言語なのでしょうか。音楽に関しては,専門家は言語と同じように左脳が使われるようになります。専門家になると,自分の分野の音楽を聞いて楽しめない。つい分析してしまうそうです。
 言語については,心理学,言語学で知られていることを,脳機能の面で追いかけているだけという傾向が強い。ただし,脳における言語の表現は,一部の言語学者が言っているほどには大ざっぱではなく,細かく分かれている。名詞の概念は脳の1か所にまとまっているのではなく,あちこちが関係している。そのようなネットワークができていることがわかっています。概念が成立するかしないか,という区別ではなくて,かなりアナログ的な捉え方がありうるのではないかと思います。
伊藤 連続的という意味ですか。
 自己の概念でも,動物に鏡のテストをして,鏡で自分が認識できるかどうかを調べます。しかし,それはテストの1つであって,それができるかできないかで「自己の概念があるかないか」を決めるのは問題があると思います。
 言語機能でも名詞や文法機能などがいくつかの段階を経て繋がって,意味のネットワークが脳の中でできることによって,概念が成熟するのだと思います。ある程度のクリティカルレベルを超えると,こういう概念があるという話になると思います。その過程のアナログ的な性格を見逃してはいけないという気がします。
伊藤 数学的な概念もそうですか。
 無限大も概念としてあるかないかと言われると,数学的な定義はわかっているかという意味では,それはあるかないかになるのですが。数学を習っている過程での無限大というのは,ぼんやりしていたのがだんだんはっきりしてくる,ということがあると思います。その成立過程は大事にしていくべきだろうし,それが脳科学でどのように追いかけられるのかというのも面白いし,大切だという気がします。
坪井 数を数える段階では,言葉としての性格が強いです。数学が使えるようになるためには,トレーニングが欠かせません。
 数学者の資質で最も重要なことは,問題を見出すことです。ある新しい問題があるということを見つけることです。今までの数学の体系の中でこういう新しい分野ができてくれば,もっとすっきりするということを見出すことが創造的数学者に求められます。数学は現在発展しつつある段階にあって,新しい問題が見出されて,新しい概念が出されます。それでいくつかの問題が,こういう見方をすればもっと統一的にわかるという形で進化しているのです。「問題を解く」ことは,ある程度形が与えられていますが,「見出す」のは,人と話をしていく中で見出されることが多いです。
 現在,国際的に活躍している大数学者たちも,お互いの間で深い議論をして,その中から新しい概念の必要性を論じています。コミュニケーションのための一種の科学的言語として,数学の土台を使っていることになります。

人格の形成

伊藤 英才教育の是非を議論しましたが,一般論として,思春期に極端な方向づけをすると人格形成が歪みませんか。
渡辺 英才教育で伸ばせるところと,伸ばせないところを区別することが大事でしょう。演奏そのものは技ですから,早く覚えたほうがうまく修練できますが,音楽性はもっと高等なものです。情動,情緒が加わって初めて豊かな演奏ができます。作曲や指揮になると,さらに脳が成熟してこないと耐えられないし,小さい子にそれを要求しても無理でしょう。最初に脳の神経細胞が成熟して,髄鞘化が強く起こり,脳が完成するのはおそらく10代後半です。それまでにシナプス形成ができる。その時点で初めてバランスの取れた発達した脳ができて,人格の生まれるベースができるのだろうと思います。脳の可塑性は豊かですから,それまでにいろいろな細かなことはうまくできてくる。しかし,統合ということは別問題で,次のステップになる。その端境期が思春期なのかなと感じます。
 医学部の学生も,文章体で質問すると答が返ってきます。しかし,考える必要があったり,現実の症状を見せたりすると答が出てきません。実体から離れたところで知識が構築されているようです。筆記試験ではよい成績を取りますが,現実問題として患者を診させたら何もできない。たいていは患者を診て,自分の知識体系が現実に対応していないことに気がつくのですが,そこに気がつかないか,ごまかしてしまう。覚えておかなければならない事項が増えたこともあるのでしょうが,知識が現実から離れているという気がします。
伊藤 何でそうなるのですかね。
渡辺 要するに,自分でものを考えられるか,与えられたもので考えることができないかの違いだと思います。患者さんを実際に診て,自分のテーマ,課題として考えて回答を出していく。そういうトレーニングができていないと思います。
 現在は,人格に関して脳のどこか関与するかということがはっきりしない。脳はモジュール化されているので,それぞれの技能についてさまざまなモジュールが働いていると思いますから,一般論として人格ができていないというのは,言い過ぎになってしまうと思いますね。数学的な直観というところがそれに直接つながっているかと言うと,必ずしもそうではないのではないかなという気がします。
伊藤 脳がモジュール化されていることは確かですから,一部のモジュールをうんと活性化しても他のモジュールに影響するわけではない。ましてや人格といった脳全体の働きに影響はしないということですか。
 もちろん最上段で人格という部分もありますが,1つのモジュールで人格が説明できるのではなく,これからはそれがどういうモジュールから成立しているのかを分析していかないといけない時代になってきているのだと思います。自閉症はそのよい例で,他の人の心が読めない。そういう人格の一部分が取り出せることがわかってきた例だと思います。それがわかったから,逆にトレーニング方法もわかってきたと言えると思います。
渡辺 性格も遺伝子で規定されるという話も出て,「新奇性とD4receptor」,「不安とセロトニントランスポーター」との関連が報告されています。性格を構成する各要素に一定の遺伝子が関連することが解明されると,性格自体もかなり分析できるでしょう。1つの人格と概念的に思っていることが,ある程度のパートに分けられるところまで脳科学は進歩するのでしょうか。
伊藤 人間では脳科学の実験はできません。人格のレベルになると脳神話と言われるような,仮説のまた仮説もまだ少なくないのが現状ですが,アプローチは進んではいるのでしょう。

なぜ今教育の危機なのか

伊藤 現代の教育は経験に基づいて枠組を作って行なわれていますが,うまくいっているのかなという反省が出ています。
坪井 すぐに役に立つものではないものも教える必要があります。すぐに役に立つことは教えなくても,子供の方で身につけていけるはずです。昔は漢文などがあって,覚えていると将来いろいろな場面で役に立つという考え方があった。それは文化を継承するという点からも重要な役割でした。それが発展の源になったと思いますが,そのプラス面はあまり評価されずに,受験戦争のストレスで自殺者が増えたというようなマイナス面を強調されているような気がします。それは教育の本質的な部分を逆に否定しているように思います。
三國 先ほど坪井先生が言われたように,子供たちには数を数えられたという喜びがあります。そういう知的な喜び,一歩向上したという充実感の積み重ねがあるからこそ,すぐに役に立たないものでも覚えていくのではないかと思います。
坪井 それは表裏一体で,「ともかく覚えろ」と言っても覚えられるものではありません。そこでどういう順番で教えたら子供たちはわかるかを,大人と子供の対話で考えて,積み重ねてきているわけですよね。それが,政策上の都合などによって,がらっと変わっていくのに不安を感じるところがある。今までの教育方法のよい面は残しておかないといけないと思います。
三國 そういうコミュニケーションが大事だと思います。

今なぜ教育が変わったのか

伊藤 戦後の教育は技術者教育に偏り,特に高度成長の時代には,多くの優秀な技術者を生み出したけれども,リーダーシップを発揮できる人はあまり生まれなかった,と言われることがあります。そこである時点から,創造性やリーダーシップという資質を問題にし始めましたが,いかがですか。
 学園紛争の前後でだいぶ違うのではないかと思います。学園紛争の後は,政策として学生には考えさせない方向にきたのではないでしょうか。考えると問題を起こすわけですから。問題を起こさない学生で,しかもクリエイティブにということを考えると無理ですよ。両方取ろうとして教育改革をするからおかしくなっているのではないかと思います。
伊藤 紛争の時のリーダーは,かなりクリエイティブでモチベーションが高いです。それが排除されるようになってしまったのでしょうね。紛争の影響は大きいですね。昔は学部間の交流はもっとよかった。1960年代には,医学部と工学部は頻繁に行き来しました。戦後の節目の次に,紛争の節目があるのですね。どうしたらよいですか。
 科学教育の観点からは,科学者がもっと小中学校の教育に出ていくことが大事だと思います。ロールモデルを見せることも必要ですが,小学校のように全教科受け持ちでは,生徒に質問されても,答えきれないことが出てきます。そうすると授業がつまらなくなる。教科書通り教えて,それで終わってしまう。科学への興味がそがれてしまうこともあるような気がします。

日本の教育システムの問題

伊藤 教育に対する社会の考えの変化もあるでしょう。日本は明治以来他のアジア諸国とは異なった路線を取って成功してきましたが,今後どうしたらよいのでしょうか。
渡辺 海外で成功したと言っても,少数の日本人が向こうへ行って,現地の人とうまく適応してきたわけです。一部の人の努力で,日本人全体が勝ち取ったものではないような気します。
 そういう時代の教育では,伝統的に大企業は社内教育をしっかりしていました。 そのレベルが下がっているのでこうしているということになっているようです。
渡辺 不適応を起こして,出社拒否する20代の人が多いですね。
伊藤 こういう社会現象が起こるのは教育のせいですか,それとも環境のせいですか。
渡辺 基本は家庭教育だと思います。学校の先生だけを責めたってどうにもならない。教育改革で集団生活をして奉仕活動をしなさいということは,要するに家庭で親が伝えるべきものを伝えていないから,学校や国がやらざるを得ない。本末転倒と言うか,これは脳とあまり関係ないかどうかわかりませんが。
坪井 学校に対しては,あまり多くのことを求めないほうがよいと思います。少なくとも「読み書き算盤」程度だけにすれば,先生も見てやれると思います。それ以外のものは社会的に別のシステムを考えて,サポートしなければいけないのだったら別の方法を考えないと,学校の負荷が多すぎて,つぶれていくように感じます。
 アメリカは補助教育をつけたり,ひとクラスの人数が少ない。また一定程度成績が悪い人は「学習障害」として,国から補助金が出て専門に教える人がいます。
三國 生徒の多様性を認める中で,そういう差があることを認めることも重要です。もう1つは,生徒同士で教え合える関係を作り,教えてもらった人は,次に教える側になって,教えることを学ぶ。そういうサイクルの中で,先ほどの意欲が出てくる要素を組み込むことが必要だと思います。
渡辺 システムを変えれば何とかなるという状態なのでしょうか。家庭そのものの問題が多いと思います。今幼児虐待が増えています。子を育てる資格も能力もない人が,親になっている。生物学的にはそこが問題で,それを生み出している日本の文化が荒廃し,若者に迎合して路線も何もない。基本方針もない今の日本の風土が問題で,学校の先生もほとんど放棄しています。

思春期の脳

伊藤 教育の問題は文化的,社会的なもので,脳科学とは無縁のものかどうか。社会も文化も脳が生み出すものだとしたら,関係はあるはずですが,どう捉えればよいでしょうか。特に思春期は体の内分泌系が激変する時期でもありますから,脳の活動にも大きな影響があるでしょう。
三國 思春期に好発する精神科的な病気としては対人恐怖や思春期やせ症,うつ病などがあります。対人恐怖はコミュニケーションの仕方を上手に取れない。これは思春期から青年期の男子,しかも日本人に多いですね。対人恐怖という医学用語は,アメリカの教科書にはありませんでした。アメリカでは,相手と違うことをいかに主張するかが求められますから,対人関係の中でのそういう緊張感は問題にならない。
伊藤 どうして日本に多いのですか。
三國 日本人は,他の人と同じように受け入れられていることで,安心を得て落ち着くところがあります。それが出やすい時期が思春期で,不安,緊張が生み出されやすくすることが脳の中に起こると思います。
渡辺 対人恐怖は日本に特有で,文化的な背景があると思います。
伊藤 特にうつ病とストレスとの関係が注目されていますが,いかがでしょうか。
三國 うつ病は感情の病気で,ストレスと関係あることは確かですが,そこに関わっているストレスの要因を広く調べると,必ずしもストレスを起こした原因に意味があるわけではありません。本来,喜ばしいでき事でも,うつ病になってしまうこともあるし,人の死に出会ってなってしまうこともあります。でき事そのものに大きな意味があるわけではない,ということが臨床精神医学的にはわかっています。
 そうしますと,ストレスに対する反応の個人差が問題になります。そこで,胎生期,新生児期のラットで,脳が形成される時期にストレス性の刺激に曝されると,成長後にストレスに対し内分泌学的な異常反応が起こるかどうかを研究しました。そういう発達に伴う可塑的な変化を研究しましたが,今度はストレス性の刺激を胎児期や新生児期の脳が発達する時期に加えられても,トラウマと称するものがあっても,それをどうやってリバースして正常発達を促進できるかに関心を持っています。
 早期にストレスを受けた際の脳の可塑的な変化と精神疾患の発症しやすさとの関連を調べるために,当院精神科の入院患者さんを15歳以前の心理的なトラウマを持っている人と持っていない人にわけて調査しました。うつ病,食行動異常,不安障害,あるいは分裂病といった大人になってから出てくる精神障害別にトラウマ保有率を調べると,分裂病は少なく,うつ病などでは多い。脳の発達する時期のストレスが,成長後のストレス脆弱性を作り,そういう疾患に対する脆弱性を起こしている可能性があるところまではわかってきました。
伊藤 幼時にストレスを受けても,うつ病の発症を防ぐことはできますか。
三國 動物実験では,ストレスのかかっている発達期に,不安を緩和する作用のあるニューロステロイドを同時に投与することによって,大人になってからの内分泌学的な異常反応を正常化できるという報告があります。人の脳でもニューロステロイドを作っていますから,それをうまく引き出す教育,カウンセリングはどうすればよいのか,その基盤をはっきりさせる研究を今後さらに積み重ねていきたと思います。
伊藤 治療できるのですか。
三國 PETなどを使って脳の糖代謝を画像解析すると,うつ病では前頭葉を中心に糖の代謝の低下が明らかにあります。抗うつ薬をうまく使って治療すると,うつ病が改善するとともにこの機能異常も回復してくるので,治療可能だと思います。
伊藤 幼時虐待はどうでしょうか。
三國 幼児虐待している親の3分の1は,幼児虐待の被害者であると言われていますから,世代間の連鎖があることになり深刻です。連鎖のないケースでも,親が幼児化していたり,衝動性を持っていたりして,コントロールしにくいこともあります。
 レスキューが必要ですよね。
渡辺 以前,分裂病を研究しましたが,小児分裂病は非常に稀で,多くは思春期以降で発病します。なぜ思春期以降に発病するかについては,「左右の半球の連絡をする脳梁線維の連絡が混線するからではないか」という面白い仮説があります。軸索の髄鞘化が完成する思春期以降に,間違った配線も完成してしまう。間違った情報が入り乱れるから,思春期以降ではないか。軸索も1本ではなく,いろいろ枝分かれする。たくさんあったものが収斂して,何本かに減ってくる。そういうプロセスが終わる頃に,初めて分裂病が出てきます。思春期の動揺の中で,そういう間違った神経回路を通して情報のコントロールができなくなり,ストレスを強く感じ分裂病の発病の危険性が増すのではないかと考えるのです。
 脳の本来の成熟という意味で,思春期が非常に大事だと思います。そのプロセスを理解して,どの時点でどういう負荷をかけるのか。単なる訓練ということから,概念や人格の形成を待って初めて消化できるものを要求するような,レベルアップしていく段階はどこなのか,ということを考えるべきだと思います。その時期に,今のようにテレビゲームで遊んでばかりいるとどのようになるのかと,いうことも考えなければいけないと思います。
三國 先ほど,数学の場合,繰り返し計算をさせて,数字の知識をきちんと積み重ねないと,後でひらめくような研究の展開は起こらないと坪井先生が言われました。頭頂連合野を訓練することと,前頭連合野の意欲や創造性を育む部分をバランスよく育てることは大きな問題だと思います。
 心理・社会・生物学的に広く問題を捉えて議論することは大切ですが,日本人の行動遺伝学的特徴も明らかにする必要があると思います。例えば,不安の強い人とそうでない人の違いは,脳で発現しているセロトニンのトランスポーター遺伝子の多型と関連があると言われます。セロトニンのトランスポーターの遺伝子の上流の長さが,長いほうがactivityは大きく,短いほうがactivityは低い。これが不安の抱きやすさと関連していると言うのですが,日本人の場合,短い人が欧米人に比べて圧倒的に多い。文化的な背景には遺伝的に規定されている部分もあります。セロトニントランスポーターだけで,不安傾向が規定されるものではないと思いますし,性格の要素を1個1個分析し組み立て,性格傾向や人格がある程度統合して理解できるようになれば,脳科学として一番よいのでしょう。

今後どうしたらよいのか

野々村 いつ頃からそうなってきたのでしょうね。私は戦後の初等教育を受けてきましたが,本来なら荒廃して当たり前だったと思います。それまでの教育の概念が崩れても,私のいた公立校は健全だったと思います。障害児の子がいて,ちょっとしたいじめがあっても,それを元へ戻すような力が必ずありました。最近の学校はかなり異常ですね。学級崩壊が公立校ではかなり起きているし,どなたかが言われましたが,学校教育はあまり大事ではないのかもしれません。特に心配なのは,ITなどと言っているが,危険が大きいと思います。テレビゲームの発達は,子供だけでなく少年,青年にも及んで,独りでゲーム機に向かっています。どこかでその根を断ち切らないとだめなような感じがするのですが,その辺のところはいかがでしょうか。
渡辺 まさにその通りだと思います。この前,曽野綾子さん(作家・日本財団会長)が教育改革で提言しました。「みんなで協力して何かをやる。家庭にいたらわがままし放題になってしまうので,誰かのために何かを一緒に協力していく。一緒に教え合うことや,何かを共同してやる」ことが大事だと強調していました。そういう経験がないですね。友達のために何かをやったという体験が,その子供を成長させると思いますが,それがない。
 それから地域,コミュニティの崩壊があります。子供たちは地域,コミュニティで育まれるのでしょうが,家庭とコミュニティで育まれるものがなくなっている。機械相手のものしかなくて,そこで歪みが生じる。そして,育たないまま,人格が未熟なまま成長している。先生のおっしゃる通りだと思います。
野々村 外来のファクター,特に環境ホルモン(内分泌撹乱物質)の問題はどうでしょうか。
 ダイオキシンが原因かはわかりませんが,新生児の奇形の発生率は,枯れ葉剤でやられたベトナムよりも日本の方が高いです。診断率が高いということもあるかもしませんが,決してベトナムが低いわけではありません。
 また,霞ヶ浦周辺の3村では男子出生率が低下しています。ですから,環境汚染というのはかなりあるかもしれません。しかし,それがどれぐらい人格形成に影響するかというところまではまだ評価できないと思うのですが。
渡辺 人格というのが今日のメインテーマの1つですが,脳科学の方から詰めて,解明できることは相当あると思います。そういうことをめざしながらも,年齢に相応した刺激,成長年齢に合わせた活動が必要ですし,それなしには正常な発育や人格の形成はできないでしょう。
 今までの教育で,これは教えていかなければいけないという蓄積されたものは,それなりに理にかなったことがたくさんあると思います。仲間との遊び,自然との対話,そういうものを大事にすることが,きわめて原始的な考え方ですが,重要だと思います。その重要性,必要性を1つひとつ解明できていければ,もっとうまく説明できるようになるかもしれません。今はSFの世界に近いのでしょうが。
伊藤 今日は数学と外国語の学習について,認識を大いに改めるところがありました。日本の教育の直面する重大な問題についても多角的に考察していただきました。
 思春期の内分泌系の大きな変化や思春期に起こる精神疾患と教育の問題との関わりの他にも,社会的,文化的な観点からの考察に将来の脳科学からの切り込み口を探索する意義は大きかったと思います。大変面白いお話をお伺いできました。ありがとうございました。
(第2回おわり)

 この座談会は,雑誌『生体の科学』で企画された「連続座談会:脳を育む(全3回)」のうち,「(2)少年・青年期」を医学界新聞編集室で再構成したものです。なお,全3回の全文は同誌第52巻1号に掲載されます。
[週刊医学界新聞編集室]

連続座談会「脳を育む」<全3回>の構成と出席者

(1)幼児・小児期(第2423号に掲載)
大津由紀雄氏(慶應義塾大学教授・言語文化研究所)
小泉英明氏(日立製作所基礎研究所長)
小西行郎氏(埼玉医科大学教授・小児科)
繁下和雄氏(国立音楽大学副学長)
藤田道也氏(浜松医科大学名誉教授<『生体の科学』編集委員>)

(3)成人・老年期(第2425号に掲載予定)
神庭重信氏(山梨医科大学教授・精神神経科)
西道隆臣氏(理化学研究所脳科学総合研究センター・神経蛋白制御研究チーム・チームリーダー)
下仲順子氏(文京女子大学教授・人間学部)
御子柴克彦氏(東京大学教授・医科学研究所)
石川春律氏(群馬大学教授・解剖学<『生体の科学』編集委員>)