医学界新聞

 

【連続座談会】

脳を育む(1)幼児・小児期

伊藤正男氏理化学研究所
脳科学総合研究センター所長
小泉英明氏日立製作所基礎研究所長
繁下和雄氏国立音楽大学副学長 大津由紀雄氏慶應義塾大学教授
言語文化研究所
小西行郎氏埼玉医科大学教授・小児科 藤田道也氏浜松医科大学名誉教授
(『生体の科学』編集委員)


脳を育む-脳科学の新たな課題

 最近,脳科学がめざましい発展を遂げるに伴って,脳の発達,成長,老化の過程についての正確な知識をもとに,育児,教育について現代社会が直面する種々の問題の解決を図ってほしいとの社会的な要請が高まっている。また,成人期を経て初老期,老年期へと向かう人生後半のあり方においても,脳科学の正確な知識をもとに解決するべき問題が数多くある。このような育児,教育,さらには高齢化社会との関わりは,今後の脳科学の大きな課題となるものと思われ,人類の将来を左右する重要な要因になると予想される。この一連の座談会は,21世紀の冒頭にあたって,脳科学の持つそのような大きな潜在力について縦横に論ずるべく企画したものである。
(『生体の科学』編集委員:伊藤正男)

伊藤<司会> 『生体の科学』誌では毎年1号で,重要な分野を取り上げ,その将来の可能性を論じる座談会を開いています。今年は「脳を育む」というテーマを取り上げました。幼児・小児期,少年・青年期,成人・老年期の3回に分け,それぞれの専門分野の方々をお招きして,人間の成長や教育の問題への脳科学の関わりについて考察しようというものです。
 本日はその第1回目で,脳のある能力が発達するには時間的に臨界期,あるいはもっと幅の広い感受期があるという考えを手始めに,言語,音楽の学習,情動の役割,自我の目覚めなどの重要な問題について縦横に論じていただきたいと思います。

言語の獲得

伊藤 「日本人は英語のLとRの聞き分けができない」とよく言われます。これを区別をする聴覚の言語フィルターが生後1歳の間に完成してしまうので,その後いくら訓練してもだめだという考えと,訓練の仕方によっては成人になっても十分区別できるという考えがあります。言語を獲得するのに適した時期はあるのでしょうね。
大津 言語獲得の臨界期ないし感受期ということを言い出したのは,アメリカのエリック・レネバーグで,およそ12歳です。それ以降は,明確な断層があるのではないが,次第に感受性が落ちてくると言っています。いずれにしても,外国語の獲得の場合には,12-13歳あたりに大きな質的な違いが見られる時期があることは,体験的にもよく知られているところです。
 最近は仕事の都合で,家族で外国に出かけていくケースが増えています。私もアメリカに住んでいる頃,そういうご家族が何組かいましたが,最初に英語を自由にあやつれるようになるのは,2-3歳の子供で,その次が小学生です。中学生あたりまではそうでもありませんが,高校生や大学生になるとかなり苦労します。先ほどLとRの発音の話が出ましたが,高校生ぐらいになるとかなり苦労します。ですから,臨界期ないしは感受期があることは,体験的にはかなりはっきりしていると思います。
 もちろんそういう実験はできませんが,野性人(wild child)という例がよく引き合いに出されます。最近知られているのは,ジィーニー(仮名)という女の子です。1970年に12-13歳の頃に救出されて,心理学者をはじめ,言語学者,臨床家たちが調査・訓練し,言語に関しても数年かかってかなり集約的に訓練を行ないました。
伊藤 臨界期を過ぎるとどうなるかがわかったのですね。
大津 結果は,語彙はかなりのところまで膨らませることができ,語順の問題もかなりのレベルまでクリアできるようになりました。しかし,英語の「S(主語)・V(述語)・O(目的語)」というところまではわかるのですが,そこから先の,単に線的にではなく,組み合わせて階層構造を作るレベルになるとほとんどできず,相当苦労したようです。これは言語の臨界期を示す事例としてよく引用されます。ただ,彼女の場合,生まれつき脳に障害があり,言語の他にも障害が残っていますから,純粋に言語の問題かどうかは疑念が残ります。いろいろな要素,要因をコントロールして実験ができればはっきりするのですが,あいにく人間ですから倫理的にできません。臨界期ないしは感受期みたいなものが,母語についても,外国語についてもあることを強く思わせるのですが,本当に言語に固有なものなのかということについては,今のところははっきりわからないのが実情です。

  

 

赤ちゃんの学習

伊藤 小泉さんは画像法で赤ちゃんの脳の活動を調べていますね。
小泉 はい。光トポグラフィという方法を使って,新生児の脳機能診断の基礎を研究しています。例えば,言語野が左大脳半球(右利きの場合)にあるというlateralityが,生まれた直後にもあるという考え方と,しばらくしてから発生するという考え方がありますが,実際の計測によってそのあたりを確認しています。新生児でも,音節(言語)には右の耳が,音符(音楽)には左の耳がよく働いていることはすでにわかっていますが,脳活動もその対側,つまり言語については左大脳半球が働いているかどうかを見ます。母乳を吸う頻度や他の行動学的な手法で,生まれた直後でも母親の声を,他の女性の声からはっきり識別していることがわかっています。
伊藤 赤ちゃんが学習するのですか。
小泉 胎児の聴覚野は30週で完成し,基礎的な髄鞘化も生まれる前に終わっています。赤ちゃんは母親のお腹の中で,外からの音の低周波成分を聞いているのです。新生児がすでに,ba/と/daや/ba/と/biといった音節の違いを識別できることもわかっています。生まれてからは,母国語の子音や母音にチューニングを起こして,ほかの音への感受性を閉じさせてしまい,効率よくその後の学習ができるように適応しているとも考えられます。
藤田 「フランスの赤ちゃんは,フランス語のテープを聞かせると母乳をよく飲むが,ロシア語や英語のテープを聞かせると抑制される」と書いてある本を読んだことがあります。しかも,フランス語の発音をぼかしても効果があるのに,テープを逆に回すと効果がなくなるそうです。大事なのはメロディーで,リズムや発音が関係しているのではないと言うのですが,小児科の見地からはどうでしょうか。
小西 子宮の中で聞こえている音は,少なくともお母さんの生の音とはまったく違いますから,生後も残ってくるのはたぶん先生が言われるようなリズムであって,音も質がわかるということではないでしょう。まして,母親の会話の内容がわかるということではないだろうと思います。羊水の中にいるわけですから,違う音であるのは確かめられています。子宮の中にマイクロを入れて音を集積すると,まったく違う音だということはわかっています。
伊藤 赤ちゃんの脳の活動を測定すると,どのようなことがわかるのですか。
小西 今,小泉先生のグループと一緒に,赤ん坊が乳を吸っている時,大脳のどこが活性化されるかを調べていますが,大脳全体がかなり活性化されます。目をつぶって乳を飲ませても,視覚野も前頭葉も活性化されます。ところが,私自身を調べると運動野しか動かないのです。生後1か月の赤ちゃんの大脳の局在性については不明なことが多く,いろいろなところで刺激を同時に処理している可能性があると思います。大人の頭の発想で赤ちゃんを見ても,たぶん当てはまらないでしょう。

絶対音感の問題

伊藤 音楽についても,絶対音感は幼いうちに訓練しないとできないでしょう。
繁下 音楽教育においては,臨界期という考え方がありません。音楽ができるようになることは,何ができるようになるのかという問題だと思います。絶対音感というのは,楽器などで基準の音が与えられなくてもいま鳴っている音の高さを言い当てる力ですが,絶対音感そのものが音楽に必要かという問題があります。多くの音楽家は絶対音感を持っていません。
小泉 脳科学から音楽へアプローチする動きも出てきていますが,その際にも本当の意味の音楽は何かという視点が重要だと思います。例えば,音楽家の集団ということで絶対音感を指標にしてデータをとっているケースがありますが,絶対音感が本当の意味の音楽とどこが繋がっているのかという問題があります。逆に完全な絶対音感があるために,苦労されている音楽家もおられます。そのあたりをきちんと把握してからでないと,実験の仕方や結果の解釈がおかしくなる可能性があります。
繁下 絶対音感で不幸な思いをしている人は相当優れた人で,楽譜なら楽譜という記号と固定したピッチとが結びつけられてしまっているのです。でも,現実の音楽はそれほど結びついてはいません。逆に努力して身につけられた結果,かえって困った方が少なくないです。
小泉 個別の音の高さ自体が音楽的というわけではなく,音程やリズムを含めて,他の音との関係性が音楽を創るわけですから,脳科学からみても調性感やむしろ相対音感のほうが重要だと思います。
繁下 音楽家は絶対音感ということでなくても,相対的な音程を識別する能力はやっている間についてきますが,それだからといって,音楽ができることにはなりません。音楽家は絶対音感よりは相対音感というか,基準になる音を持っているのです。「ド」なら「ド」を持っている。そこから判断するのですが,それはたくさんやっていると身についているわけです。ですから,同じように見えるだけで,それと絶対音感とは違います。
藤田 先生の大学では,入試には絶対音感を試しておられるのですか。
繁下 しておりません。「solmization」と言いますが,1つの音の高さが問題でなく,音と音の関係を読み書きできるかというものです。言葉と同じですよ。それぞれの音素が同じでも,リズム感とイントネーションの違いは変に聞こえますからね。
伊藤 脳磁計でピアノの音に対する反応を測ると,音楽家の大脳聴覚野では普通の人に比べて25%大きいが,絶対音感があるなしには関係ないという報告があります(Pantevら:Nature392,811-814,1998)。

音楽と言語の関係

伊藤 大脳半球の場所も違いますから,言語と音楽では脳の仕組みも違うでしょう。
繁下 私たちは言語をまさにメロディーとして捉えています。音素が違っても,イントネーションが同じだと,同じように聞こえる。最初の言語は,まさに私たちが音楽的な要素と言っているものだろうと思います。各国の民族音楽でも,言語のイントネーションの拡大した旋律になるので,音程を識別する時は言語のイントネーションのほうが幅が狭いです。普通の言語は音程幅の中に入ってしまっていて,微妙な音程の識別を言語の中でしていることになります。その能力は言語を獲得している時にできるわけで,歌ではそれを拡大してあげるだけです。十分音程もついてしまった子供が普通の遊びをしている時,遠くの子供を呼ぶ時のピッチが固定しているのです。
大津 絶対的に固定しているわけですね。
繁下 ええ。大体ソからラぐらいのあたりで大概の子供は固定しています。それも生活の中で自然に身についてきています。そういう能力を持っているということについて,私たちの世界は議論しているわけです。それをきちんと拡大してあげればいいのに。歌い遊んでいる音の高さがそのぐらいのところですのに,ハ長調のドレミで始めれば子供たちの中心になっている音域と関係のないものになってしまう。
大津 日本語の場合は,ご承知のように高低でアクセントで刻みますが,英語の場合などは強弱,ストレスで刻みます。音楽を身につける時に違いが出てきますか。
繁下 韻というか,言葉に内在しているリズムやイントネーションのニュアンスを学習することの難しさがあります。日本の子供にとっては当たり前のメロディーラインがあるし,アメリカの子供にとっては当たり前の拍節があります。それが音楽の基本的な違いになります。幼児期にバイリンガル,バイミュージカルになると,かなり複雑になると思います。
小泉 母親言葉(motherese)と言いますか,イントネーションを大きくしてピッチも高くとる母親のしゃべり方は万国共通です。幼児が言葉を自覚する第一歩ですが,音楽のメロディーにも繋がると思います。
 先ほど話に出ましたフランスでの実験結果では,生後4日の新生児にフランス語とロシア語を聞かせたところ,明らかにフランス語に興味を示したが,テープを逆回しするとどちらの言葉も区別せず,興味も示さなくなったそうです。さらに400Hz以上の高周波域をカットするフィルターを通して聞かせてもフランス語を区別できたので,子宮の中でイントネーションを学んだのであろう,という結論です。言葉など論理的な処理は左脳で,音楽的な処理は右脳で行なっているとすると,イントネーションはどちらの脳から始まるのでしょうね。今,光トポグラフィでテスト中ですので,言語と音楽の本質的な相違点と類似点が見えてくるかもしれません。

日本の外国語教育の問題点

伊藤 外国語教育を始める時期が問題になっています。日本では国語がだめになるとためらう傾向が強いです。今後,外国語を使う能力が要求されるようになりますが,いかがでしょうか。
大津 今のような視点はもちろん重要ですが,それとはまったく違った,教育という問題があります。教育界の人は外国語教育にしろ,母語の教育にしろ,言語を使う運用能力が大事だと言いますが,私は運用能力を高めることを目標にすべきではないと思っています。
 何が目標かと問われたら,自分たちが身につけている言葉についての意識を高めることだと申し上げたい。そのことによって得られる最も大切な点は,母語と外国語を意識的に捉えることによって,異なっているように見えても,実は両者には共通した基盤があることがわかる。人にはできても,チンパンジーやボノボではできない。つまり,言語は種としての特性で,人間に誰にでも平等に与えられた誇るべきものだということをわからせることが第1の目的だと思います。
 しかし,運用能力を目標とした外国語教育の場合,始める年齢が問題になります。最近話題になっている,小学校に英語教育を導入することが有効かと言えば,決してそうではないと思います。先ほどの臨界期との絡みもあって,12歳から始めるよりも6歳から始めたほうが外国語の運用能力が身につく可能性はありますが,子供たちが十分に質の高い言語情報を,しかもある程度まとまった量を耳にしなければなりません。もちろんモデル校には英語を母語とする人たちが派遣され,立派なモデルを提供するけれども,全国一律に実現できるとは思えない。しかも限られた時間ですから,実際に行なっても運用能力が高まるとは期待できません。その辺は慎重に考えないといけないと思います。
伊藤 バイリンガル,トリリンガルの人は欧米には多いですね。
小泉 多言語を同時に学ぶと習得が早いことがいろいろな面から研究されています。高齢者の方でも,新しい言語をかなり短期間に話せるようになるケースがあります。一度に多くの言語を学ぶとなると,辞書とか文法とか目から入るものをあきらめて,耳と口だけに頼らざるを得なくなります。歌うようにイントネーションから入る。つまり音楽から言語へ,全体から部分へと入っていくわけです。学校教育とは反対で,赤ちゃんの学び方と同じです。このあたりも脳科学をベースとした科学的な裏づけがとれればよいと感じています。 脳科学のほうからアプローチできるのではないかと考えているもう1つのことは,われわれはかなり自動的に話しており,何か単語などを意識したとたんに話せなくなります。言語機能については大脳皮質の研究が多いですが,他の部分もかなり重要なのではないでしょうか。日本の語学教育,特に英語の場合は翻訳の要素を入れてしまいますが,翻訳こそ大脳皮質で,しかもかなり時間をかけて処理しているのではないかという気がします。脳の情報処理のメカニズムが,言語についてももう少しはっきりしてくると,釦の掛け違いのような英語教育にも,1つのはっきりした指針が出てくるのではないかと思います。
伊藤 やはり翻訳しているのですね。だからくたびれる。小脳にまで機能が移ると自動的になるはずです。

日本の音楽教育の問題点

伊藤 臨界期まではいかないにしても,感受性の高い時期はあるようで,それをきちんと測定して科学的に示せればいいと思いますが,難しそうです。音楽などはもう少しはっきりしているかと思ったのですが,そうはいかないですね。
 鈴木バイオリンではありませんが,早いほうがよいという考え方はありませんか。「ピアノの練習を早く始めたほうが,脳磁計で測ったピアノ音に対する大脳聴覚野の反応が大きい」という報告がありますが(Pantevら:Natare392:811-814,1998)。
繁下 必ずしもそうではありません。立派な演奏家がすべて幼児期に教育を受けているわけではありません。また,鈴木バイオリンの場合でも,あれだけの人口から何人か出たということですから,基本的にはそうでない場合と変わりません。むしろ先ほどの言語の問題のように,小さい頃から学習するのなら外国で勉強したほうが,ギャップが少ないとも言えるでしょう。日本音楽をやるのでしたら日本にいたほうがよいでしょうが。先ほど言ったように,音楽の能力が高いというのは何か,ということが一番重要です。かつて心理学の研究で,IQのテストと同じように,音楽能力テストが流行った時期がありますが,得点と音楽能力と何も関係なかったことがわかりました。結局,「芸術的な力というのは,世の中でこの人は高いと評価しているにすぎない」というところに落ち着いてしまうのです。ただ,教育の場面では,先ほど言ったように,子供の頃のことからもう1回スタートしなければいけないことははっきりしているのですが,明治期以来の教育の定着でなかなかうまくいきません。
伊藤 日本の固有の文化と教育が乖離しているというのは情けないことですね。
繁下 20年ぐらい前に,ソビエトから私どもに調査依頼がきました。その内容は,「日本は文盲がなく,高学歴である。そして,自分の国の文化を教えない。その結果がどうなるか,10年単位のチェックをしてくれないか」というものです。というのも,放送を通じてアメリカの音楽がソ連に入ってくる。若者たちはどんどんラジオを組み立てて聞くものだから抑えようがなくなってきて,ロシア文化が崩れてくる。将来を占うのに,最も簡単な方法は日本を見ることだと言うのです。その依頼に答えるべきかどうかを議論したことがあります。
大津 結局どうなさったのですか。
繁下 回答しませんでした。しかし,そのように見られていることは驚きでした。

大脳言語野の可塑性

伊藤 成長中はもちろんですが,成長後でも脳には経験に応じて構造や働きを変える柔軟性が備わっています。これを「脳の可塑性」と呼んでいますが。
小泉 私は神経内科の小暮久也先生グループと一緒に,光トポグラフィやfMRIで脳の可塑性や代償作用を見ています。
 乳幼児や子供の脳の可塑性はかなり調べましたが,今特に興味深く感じているのは高齢者のケースです。左半球の言語野が脳梗塞で大きくやられてしまった患者さんを診ているのです。最初は完全に言葉が出なくなりますが,2か月程度で日常的な用が足せる言葉が戻ってくるケースがあります。計測してみると反対の右側のところが動き出すのですね。それでそのままかと思うと,また戻ってきて左の壊れた言語野の周辺が動くという現象も見えます。もしかすると,右と左はもともと連関する言語野で,通常は右側が抑えられているのかもしれません。実際,多くの方々の言語野を測定していると,左だけでなく右もある程度活動しているケースが多く,左右両方が同程度活動しているケースも見られます。
 fMRIではいつも統計処理して盛んに活動している部分のみを取り出すものですから,そこだけが活性化しているように見えることが多いのですが,光トポグラフィで0.1秒ごとの動画像を見ていると,多くの領野が連関してダイナミックに動いている様子が観察されます。確かに平均すると1か所が強く働いているように見えますが,実際には多くの領野が連関して変化している。脳の実態は,局在論と全体論の中間あたりなのかもしれません。ですから左の言語野が壊れても,少しずつ別の部分へ機能が移っていくのは不思議ではありません。これは再構築(reconstruction),あるいは学習の概念に近いかと思います。
大津 何歳ぐらいの方ですか。
小泉 この症例の方々は70歳前後です。高齢者でも一部の言語は戻ってきます。
大津 先ほどの臨界期に関する根拠の1つが失語症です。12歳までだと,比較的回復するのが容易で,それを超えると回復が難しいと言われていたのですが,先生の症例だと必ずしもそうとも割り切れない。
小泉 失語が完全に回復するのは,年齢とともに難しくなると思います。多言語習得についてもこの傾向は同じですが,高齢者でも不可能でないことは大きな意味を持っていると感じます。古くはカナリアの歌学習の研究から始まった脳細胞の新生が,げっ歯類,霊長類と順次確認され,最近では成人海馬でも脳の神経細胞の新生が確認されています。しかし,これとはまた違った視点で,言語処理系の再構築あるいは学習という概念が重要と思います。
小西 その学習というのは,ある意味では発達ということと一緒なのですか。子供の発達の過程と,障害からの回復はかなり共通する部分もあるはずですね。もちろん,そうでない場合もあるでしょうが。
小泉 新たに生成されるのではなくて,すでに一部使われていた神経回路が学習によって再構築されるという概念ですが,まだ議論が始まったばかりです。しかし,先生がご指摘のように子供の発達の研究から,リハビリテーションの方法や痴呆の予防と治療にヒントが得られると感じています。
伊藤 脳組織がダメージを受けるとホルモンなどがたくさん出てきて,おそらく若い頃の状態に脳のつながり方などを戻すだろうと言われています。だから,年を取っても脳がダメージを受けると,その部分が赤ん坊の状態に引き戻されて,またつながり直す可能性があります。その段階で言語野が再構成されてくることも考えたほうがよいかもしれません。左に言語野があるのに,6歳ぐらいにけがをして言葉が話せなくなると,右側にまた構成されるということが以前からわかっています。左右両方とも言語野になる能力は持っているけれども,何かの理由で抑えられていて,一方がやられると,他方にまた発現するということもあり得ますね。

叱ったり褒めたり

伊藤 子供の学習には情動がかなり関わっていますね。情動は生存の基本機能で,よいことはうれしいし,うまくないことは不愉快だというように,価値判断と密接しています。今まで小児,幼児の教育の時にあまり意識されてきませんでしたが,一生を決めるような大きな要素だと最近言われますが,専門家のご意見はいかがでしょうか。
小西 子供の教育というと,どのように教えるのかばかりが強調されます。例えば,「言語の訓練でも,お母さんが話しかけないと言葉は出ない」と教える人がいますが,私は違うと思います。話しかけて教えるのではなく,理解してやるほうが大事で,子供はきちんとした言葉ではなくても,サインは出しているわけです。それをわかってやれば,それが本当に褒めることではないでしょうか。うまく話したことだけを褒めるのは,褒めたことになりません。「あなたが言うことはよくわかるよ,だから気楽に話をしなさい」という言語訓練は少ない。教えようという意識が強いのではないでしょうか。教育もそういう訓練も同じで,子供が何を思っているかを理解しようとしないことが,問題ではないかと感じます。
伊藤 「教育とは与えることではなくて,引き出すことだ」とよく言われますね。
小西 育児でも,子供のサインをどう引き出すかに関して,今のお母さんは下手ですね。外来で玩具の使い方をお母さんに教えていますが,面白いことに,隠したり,やらないと,子供たちは乗ってきます。何回も続けると,変な顔で「このおっちゃんは物をくれるのかな」と,こちらの気持を読んでくる。いわゆる「心の理論」では,3-4歳と言われていますが,もっと早い時期,おそらく9か月ぐらいから子供は親の気持ちを読んでくると思います。それを見逃して教育しても,教育にもならないでしょう。
 言語でも最初は泣くことから始まります。赤ちゃんが2か月から笑うのも,すでに言語なのでしょう。なぜ言語をイコール言葉としたかが不思議です。コミュニケーションを考えれば,泣き声も言語であって,生後間もなくから母と子のコミュニケーションは存在します。「うまく言えたら褒める」ことだけでなく,そういうところをまず見る必要があるのではないでしょうか。

赤ん坊の動きの意味

小西 その背景にある問題は,ピアージェの影響ではないかと思います。日本人があまりにも学習説をとりすぎている。私は赤ちゃんの行動の基本が原始反射ではないと思っているし,赤ちゃんの運動で一番大事なのは自発的な運動,胎動そのものだろうと思います。胎動を反射だという先生がおられるのですが,胎児が反射で動いているとは思えない。勝手に動いているわけです。胎児は自分で動く力を持っていて,周囲に語りかけている。そういうものを見ずして,原始反射が子供の基本と考えて,それらを使って随意運動ができてくると思っている。決してそうではなく,すべて胎児が自分で力を持っていて,勝手に動いている。それをきちんと把握することが重要であると思います。原始反射とピアージェが現在の教育を悪くしていると思いますね。自発運動で上を向いて赤ちゃんがもがいているような運動は,非常にchaoticな運動で,それなりに規則性があって,チンパンジーまでには見られます。ところが,テナガザルやニホンザルには見られない運動ですね。
伊藤 チンパンジーではどうですか。
小西 チンパンジーでは出ますが,それはおそらく系統発生的に生まれた運動だと思います。動物が上向きにいること自体が非常に不思議な,自然界ではない話ですからね。上を向いたら死にますから,ほとんどがうつ伏せです。上を向いてしばらくおれる,あるいは遊べるのはチンパンジーか人間でしょう。そうすると,あれにはきっと意味がある。こうした自発運動の中に原始反射があるのですね。原始反射はすべて自発的に出ます。つまり,自発的な運動が新生児の運動の主体だという気がします。教育することは赤ちゃんの能力を引き出すことで,決して教えることではないのではないかな。出発点はそこにあると思います。
伊藤 今のお話は大変重要です。細菌が動くのは,餌になる有機物の刺激の多いほうへ動くという反射ではなくて,まず自発的に動き,その結果として餌にぶつかるという説があります。生物には元来自発的に動く機能があって,それが人間の内発的な行動の原型だという考えがあります。胎動にもそういう性格が表れているのですね。
小西 そう思います。生後についての話ですが,「スウォドリング」という育児方法に興味を持っています。これは赤ちゃんを1年間ぐるぐる巻きにしておいて,紐を解いた途端に歩くというものです。正高信男先生が研究されているのですが,私もハバロスクで見てきました。肺疾患を持つ未熟児を育てるのもスウォドリングがよいという報告がアメリカで出ています。歩くという能力は生得的にプログラミングされているのではないか。1歳ぐらいまでの発達過程はかなり生得的にプログラミングされているのではないかと思われます。
大津 言葉に障害が出ませんか。
小西 必ずしも言葉と運動とが連動しているわけではないので,言葉が遅れたということはありません。ただ,何が生得的で,何が後天的なのかを区別しないと,教育そのものがおかしくなってくるでしょう。その科学的な論証を研究しなければいけないと思います。
伊藤 耳から刺激は入るわけでしょう。
小西 スウォドリングで育てられた子供が話をすることに関して,他の子供に比べて遅れがないことは事実ですが,運動と言葉の関係から見ても面白いと思います。

遊ばせるのか遊ぶのか

繁下 私たちの分野では「遊ばせ遊び」と言いますが,言葉から音楽に変わっていく変り目になる場所があります。つまり,赤ちゃんの動きに引きずられて,お母さんが声を出しているものです。それが繰り返されているうちに,自分で言葉を喋るようになります。子守歌というのは大体寝せないようにできていますね。フレーズの終わりに「オッ!」というかけ声が自然に入る。眠りに入ろうとしている赤ちゃんを起こしているようでもあります。しかし,「眠れ!」と言っているのではなく,「お母さんはここにいるのだよ」というサインを送っているようです。レコードの子守歌は,それがない。つまり,孤独にさせているだけです。
 それが「遊ばせ遊び」では,お母さんが子供の表情につられて何かをする。歩く時のあんよが上手でも,子供の歩きに合わせていっているうちに,今度はお母さんに合わせて歩くようになる。
 「リトミック」と称する実験では,ピアノに合わせて幼児を歩かせた時と,ピアノなしに歩かせた時と,足だけフィルムで撮ります。そして,それをやった先生に見せて「どちらがリズミカルですか」ときくと,実はピアノを弾いていないほうが多いです。人間が普通に歩いていると,そもそもみんなリズミカルなわけです。それを余計なものを強制するからリズミカルでなくなっている。うまい人は子供の歩きに合わせて弾いているのですね。
小西 それは育児と同じで,操作されているだけの話で,自分でしているわけでありません。実は,私は今回「日本赤ちゃん学会」を設立して,最初の総会を開催しますが,まずは育児を科学したい。それによって単なる思いつきや思いこみ,あるいは経験主義的である今の育児を見直そうということが目的です。母乳だとか母子の絆なども大切なことですが,愛情を押しつけられないようにして,育児不安に悩む母親を気楽にさせてあげたいと思います。そのためにも赤ちゃんの行動発達について,さまざまな研究分野の人が集まって共同研究や発表を行なうことが重要だと思います。

自我の目覚め

伊藤 赤ん坊が生まれた時の自我は,大脳辺縁系の働きが主で,3-4歳になると大きな飛躍が起こります。昔から3-4歳前の頃のことは大体覚えておらず,その頃に,意識構造やそれに付随した記憶過程が変わると言われてきました。しかし,これまでのお話のように,違い方が具体的に出てきました。シミュレーションのようなことをするためには,連合野が動かないといけないので,3-4歳で連合野が動き出したということですかね。音楽教育も,オーケストラのような複雑な内容を理解するのは相当な思考力が必要なので,連合野の発達した状態でないとだめなのではないでしょうか。そういうことをもっと突っ込んで調べる方法はないものでしょうかね。
繁下 そういうことがあれば,協力いたします。私どもは以前から,日本全国でピアノをお稽古してきましたが,「ピアノのカルテ」のようなものがないのですね。つまり,記録がないために,追跡をしようとしてもできない。音楽教育はそういう世界ですから,科学的な研究のスタイルが入っていただくとありがたいですね。
伊藤 子供の自我はどのように発達するのでしょう。
小西 子供の発達にはいくつかの段階が,大きな変換点があると思います。最初の変換点は2か月,つまり胎児から新生児へと変わる時です。それから9-10か月の時に短期記憶や学習などの能力ができるようになり,自我が目覚め始める。いま流行している「心の理論」,つまり他人の心を読むようになるのは4歳頃からでしょう。
小泉 生得的と後天的ということは,言葉を置き代えるとgeneticとepigeneticになると思います。今はバイオテクノロジーが盛んで,何でも遺伝子で決まってしまっているような風潮がありますが,遺伝子発現にも環境のような場が影響していることが少しずつ明らかになっています。さらに進化からみれば,遺伝子は時間をかけて少しずつ環境に適応してきたわけですが,神経系の出現によって環境にダイナミックに適応することが可能になったわけです。環境からの刺激によって神経回路が形成されるepigeneticなプロセス自体が広義の学習そのものと言えると思います。そして,その外部環境からの刺激をコントロールしてやるのが教育ではないかと感じます。
 学習と教育を,生まれてから死ぬまでの包括的な概念として捉えることができるのではないでしょうか。これからの研究では,geneticな過程とepigeneticな過程の関係を科学的に解明することにより,学習と教育にいろいろと具体的な指針がでてくるのではないかという気がします。

問題行動の意味

伊藤 子供は自我が目覚めてきて反抗し出すと扱いにくいですね。親はどうしてよいかわからなくなる。
小西 障害を持っている子供のお母さんは,反抗してくれる時期を喜ぶようになりますよ。節目がくる前は,子供は絶対に親に反抗する時期がある。でも,その後によい時期がくるからそれを待ちなさい。何回かそれを越えるうちに,ちょっと暴れてくれないかなと思うようになります。
大津 繰り返しがあるわけですね。
小西 何回か来ます。1歳,4歳,9歳が1つの節目でしょう。その節目のところで,「U字現象」と言われている現象が起こります。その時期の子供たちは,情動的には不安定な状況で,欲求不満になったりして,親と喧嘩したりする。精神科の先生方は,それを「問題行動」と言われますが,私たちは節目に出てくる当たり前の行動と思う。お母さんに対する説明の仕方は,異なると思います。
小泉 脳障害児の教育をしている保母さんたちに「子供たちに言葉が出てくる時に,何か一般的な兆候があるでしょうか」と聞いたことがあります。いろいろ考えていくつか挙げてくださいましたが,共通して必ず出るのが「問題行動があって,その後に言葉が出てくる」ということだそうです。小西先生のお話と通じますね。
小西 そういう時期がないと言葉にならないと思います。つまり,問題行動を問題行動として見た途端に,子供の気持ちは見えなくなるわけです。

創造性は測れるか

伊藤 創造性を測定することは大変難しいですね。IQは左側の技術的なところだけで,創造性は測れていない。創造性を評価しろとか,創造性を伸ばすことを考えるのは,私たちには最も難しいことです。
繁下 脳の音楽野でどのようなことを考えているのかという問題は,関心のあるところです。例えば,義太夫を聞いている時,言葉も入ってくる。オペラなどもそうです。外国の言葉ですから内容に切迫感を持って関心がないから,メロディーラインとして,美しいと捉えられるかもしれません。歌舞伎はどうなのだろうか。音楽は脳のどこで判断されているのでしょうか。
小泉 難しい問題です。声楽家の場合,言葉がいつも音に付いてきますから,正確な発音と美しい音楽の流れとの相克が常にあるでしょう。あくまで言葉を大切にし,歌詞の内容を表現する。逆に,言葉はある程度犠牲にして音楽のほうをとるべきか,という問題も非常に難しいです。音楽の問題として無視できないような気がします。
伊藤 こういう問題は,これからどちらの方向へ進むのでしょうか。特にアメリカでは幼児・乳児の教育に新しい試みがなされていますが,アメリカ式にやると,また日本の固有の文化が破壊されることになってしまいます。
小泉 米国には「人間能力開発研究所」という施設があります。創始者のグレン・ドーマンという方が多くの本を出され,日本の「才能教育」や「胎教」の研究を始められた方々も訪問されたことがあります。先駆的な試みは評価されるべきと思いますが,一方で結果の評価や科学的な裏づけが明確でないとの批判もあります。伊藤先生がおっしゃったように,学習や教育への脳科学の応用は,今後重要な分野になると思いますので,慎重さが必要だと思います。計測などによって,明確な部分だけを取り出して,学習や教育を支援する着実なアプローチが大切ではないかと思います。
 それから,「創造のプロセス」の解明には,大変興味を持っています。新概念の創生については,「構造の生成」「探索と解釈評価」のイタレーション(繰り返し漸近法)をベースに,拡散思考から収束思考へと進むのが1つのモデルです。心の中では具体的な表象を一時的にストアして,種々検討するわけですから,前頭葉46野付近のワーキングメモリが関与している可能性は高い。これを画像化して計測することが,とっかかりにならないかなと考えています。

子供の障害の原因解明を

伊藤 最近の研究についての率直な印象を言いますと,今までわからなかった子供の障害に原因があることがわかってきました。例えば自閉症などでも,以前は怠け病ですまされていましたが,脳に変化があることがわかってきたし,ダウン症候群もそうです。外国で今盛んに研究されているディスレキシー(読書障害)は,日本では少ないですが,外国には多いそうです。ロダンがそうだったそうですが,どうも言語野の神経細胞の突起の髄鞘化が遅れているという説が出ています。ですから,原因が見つかるかもしれませんので,対策が立てられる可能性がありますん。もう1度いろいろな方面から,詰めて考えるべきではないかと思うのですが,いかがでしょうか。
小西 ADMD(注意欠陥多動症候群)のシナプスが多いという話は本当ですか。
小西 シナプスが多い病気はあります。SIDS(乳児急死症候群)も呼吸中枢のシナプスが多い。発達に際して,シナプスは生後いったん一旦増えてから減ります。それが減らないための障害だと言われます。
伊藤 シナプスが選択されないのでしょう。
小西 起こり得るのではないでしょうか。ADMDの場合は,刺激が多すぎるという可能性はあり得ませんか。
伊藤 そういう子供の病気を系統的に調べる必要がありますが,日本では親御さんが嫌がって調べさせてくれないということがあります。小泉先生,外国と比べると日本はその点が保守的ですね。
小泉 おっしゃる通りです。かなり前のことですが,光CTで新生児を測ろうとした時のことでした。神経内科の先生方は「ご両親に頼めば,やらせてくれるよ」とおっしゃったのですが,インフォームド・コンセントが取れなくて測れなかったため,豚の赤ちゃんを借りてきてテストしました。光トポグラフィという方法は,成人の脳機能も安全に測れるようになりましたから,赤ちゃんに用いる場合の安全性もさらに詳細に確認して協力をお願いしましたが,国内では困難でした。新生児についてはまず無理です。アメリカはもう少しいろいろな条件を出したりすれば,可能性はあります。イギリスも日本と変わりませんが,フランスだけが違います。多くのご両親が「どうぞ」と言ってくれます。国によって文化が違ってきます。
大津 先ほど藤田先生がおっしゃった,フランス語とロシア語の実験も,パリでの実験ですね。生後48時間で,12時間でもやったと言っていました。まさに生まれたばかりの新生児を科学のために協力させるという視点がはっきりと出ています。
小泉 そのかわりフランスの場合は倫理委員会が非常に厳密で,階層的なすべてのステップをきちんとクリアしないとできません。その意味では,両親も安心して任せられるという信頼感があるわけですね。
伊藤 こういう問題を解決するための実験的な試行が,もう少し可能になるといいですね。欧米では,どこかできちんとプールして何年も追跡しているそうですね。
小泉 アメリカNICHD(国立小児保健・人間発達研究所)のサラ・フリードマン先生のグループは,10年前から1000人以上の子供を最初から追跡調査し,子育てと心の発達の研究を大がかりに推進しています。教育問題の議論が多い昨今ですが,主観による循環・振り子型の議論ではなく,客観的な科学的アプローチが必要だと感じています。
小西 20年間ぐらい前のことですが,オランダでは生まれた子供すべてに脳波をとって,発達検査を行なっていました。行動観察をしてビデオを撮るのですが,徹底していました。

これからの小児科学

伊藤 研究の障壁という話題になりましたが,その他にも小児神経学,小児心理学などは日本は大変遅れているという印象がありますが,いかがでしょうか。
小西 新生児はほとんど診ていないですね。まして胎児から診ている先生は小児科にはあまりいませんね。
伊藤 どうしたらいいのでしょうか。言語獲得の話でも,アメリカへ行くと箒で掃くほど研究者がいる,という印象を持つのですが,日本へ来ると本当に少数の先生方が苦労されているの現状のようですが,いかがでしょうか。
小西 小児科そのものが少しずつ考え方を変えていかないと,たぶん生き残っていけないのではないかと思います。実は,小児の患者さんの6割は,内科の先生が診ているのです。小児科が小児を診なくなってしまった。だからこそ小児科医のアイデンティティーが問われていると思います。やはり疾病中心の考え方がいまだに強く残っています。
 そこら辺を変えていかなければいけないでしょうし,時代の流れからいえば,いずれそうなるのではないかなとい思っています。「小児の成長と発達」を中心に診療していく小児科医が増えなければならないと思います。保険点数という問題も若干あるかもしれませんが,本質的には小児の成長や発達に興味を持つ小児科医が増えないといけません。先ほど少し触れましたが,今回「日本赤ちゃん学会」を設立した意図は,そういうところにもあります。
伊藤 この分野は今後重要になってきます。「高齢化」とともに,「少子化」が現実に迫っております。以前は「科学的教育」とよく言われてましたが,しかしあまり完全でない科学的な知識をもとに教育してもしようがないということから,若干反動があるようです。けれども,経験則だけではなくて,今日お話しに出たようなことが,少し科学的にはっきりすれば,教育活動の一助になることは少なくないでしょう。
 ただ,現在の脳科学の研究は,6割までがマウスを使っています。疾患の原因を調べたり,治療の方法を検討するにはそれでもよいのですが,今回の座談会の話題になったような問題に取り組もうとすると,従来のようなアプローチだけでは不足します。人間を対象にする研究を,社会的にどこまで許容してもらえるのか。小児科においても,病児だけでなく,健康な小児を対象に考えることも,大きな課題になるでしょうね。
小西 健康な小児を診る,ということもあると思います。国立成育医療センターができるので,そこでそういう形のことはやっていただいてもよいのではないかな,という気がします。できれば医師だけでなく,多くの研究分野の方たちと共同してやりたいですね。脳機能の非侵襲的な検査法も,新生児に使えるようになります。
伊藤 難しいテーマでしたが,大変興味深い話題がたくさんありました。
 感受期,絶対音感,育児の時の褒め方,胎動,子供の問題行動,幼児早期教育,自我の目覚めなど,意外な事実,意外な解釈をたくさん伺いました。この分野における科学的な研究を今後何とか進めなければならないとの思いも皆さん共有していただけたと思います。
 どうもありがとうございました。
(第1回おわり)

 この座談会は,伊藤正男氏が「序」で述べておられるように,雑誌『生体の科学』で企画された「連続座談会:脳を育む(全3回)」のうち,「(1)幼児・小児期」を医学界新聞編集室で再構成したものです。
 なお,全3回の全文は同誌第52巻1号に掲載されます。
[週刊医学界新聞編集室]

連続座談会「脳を育む」<全3回>の構成と出席者

(2)少年・青年期(第2424号に掲載予定)
坪井 俊氏(東京大学教授・数理科学研究科)
三國雅彦氏(群馬大学教授・神経精神科)
森 浩一氏(国立身体障害者リハビリテーションセンター研究所・感覚機能系障害研究室長)
渡辺義文氏(山口大学教授・神経精神科)
野々村禎昭氏(東京大学名誉教授<『生体の科学』編集委員>)

(3)成人・老年期(第2425号に掲載予定)
神庭重信氏(山梨医科大学教授・精神神経科)
西道隆臣氏(理化学研究所脳科学総合センター・神経蛋白制御研究チーム・チームリーダー)
下仲順子氏(文京女子大学教授・人間学部)
御子柴克彦氏(東京大学教授・医科学研究所)
石川春律氏(群馬大学教授・解剖学<『生体の科学』編集委員>)