医学界新聞

 

【新春座談会】

リハビリテーション看護の可能性
新世紀の展望と課題

野々村典子
(茨城県立医療大学保健医療学部看護学科)
深沢 啓子
(横浜市総合
リハビリテーション
センター)
武田宜子 
(横浜市立大学看護短期大学部/司会) 
  石鍋 圭子
  (東京都リハビリテーション病院)


武田 本年初頭の「週刊医学界新聞」(医学版,1月1日付2418号)に,医師の方々による座談会「リハビリテーション医療の可能性」が掲載されましたが,その中では「少子高齢化」と言うよりも「高齢少子化」だ,ということが強調されていました。老齢による障害を抱えた方たちに比較し,社会保障も含めてそれを支える人口の少なさを指摘されてのことと考えられます。
 私たちは21世紀を迎えた今,それらを背景としてリハビリテーション(以下,リハ)医療の問題に対応していくことになります。そこで今日は,臨床,地域,教育に携わる方々にご参加いただき,これまでリハ医療の中で看護が模索してきたことを総括しながら,「リハビリテーション看護の可能性――新世紀の展望と課題」をテーマに21世紀を展望してみたいと思います。それでは最初に,ご自身とリハ看護とのかかわりからお話いただければと思います。

これまでリハ看護は何をしてきたか

臨床現場におけるリハ看護のこれまで

石鍋 近代リハの概念は,アメリカから入ってきたもので,以来リハ看護の考え方も輸入理論であったり,リハ医学の借り物であった時代が続いてきました。作業療法士(以下,OT),理学療法士(以下,PT)が国家資格になったのは,私が看護学校を卒業した1966年でした。当時,内科病棟の脳卒中の患者さんには,看護婦がPTや言語療法士(以下,ST)といった役割を果たしていました。
 その後,整形外科勤務を経まして,たまたま心身障害者コロニーに行くことになりました。そこは先天的な障害ですとか,さまざまな障害を持った子どもたちがいて,小児医療の先端ではあったのですけれど,食べることも命がけの子どもたちに,どうしたら窒息させないようにして食事をさせるか,ということを考えながらケアしているという病院でした。
 当時は,まだ卒業して間もなくで,私自身は考えられなかったのですが,訪問医療などで医療と福祉との連携も試みられていました。そういう中で「看護って何だろう?」ということをずっと考えていて,それを整理するために看護教育の現場に行きました。そして1990年に東京都リハビリテーション病院(以下,都リハ病院)が開設されましたが,それと同時に就職し,リハ看護専門になりました。たまたま私の歩んできた道をたどると,リハ専門職の誕生,障害への視点,総合医療など,リハに関連していることが多いですね。
武田 リハ医療はこれまでも,「単にADLではなくQOLだ」と言われてきましたが,一口一口を食べてもらうという看護行為の意味を理解してもらえなかった時代があったわけです。
 リハ医療の中では,専門領域の知識を持っている療法士が活躍しています。そこに就職し働く看護職たちは,自分たちが何をしているのかがわからずに地団駄を踏んでいた時代があったと思います。そんな中,上田敏先生(現帝京平成大)が,リハ医療の中での看護職の役割について,「スペシャリストに対しあらゆる機能障害に対応するジェネラリストであり,また,訓練課題を日常生活の中で習熟化させる機能を持つ職種である」と定義してくださり,一時期,「日本リハビリテーション看護学会」(以下,リハ看護学会)でどの演題の枕言葉にも使われていたくらい,看護婦を勇気づけたものでした。
石鍋 私も勇気づけられた1人ですが,都リハ病院が開設される前年にリハ看護学会が発足しています。それから10数年が経過し,各地のリハセンターで働く看護職も増えていますし,そういう意味では,知識も技術も蓄積があるはずなのですが,「リハ看護とはこれだ」ということが,しっかり言語化されていない状況です。
武田 リハ医療はまず整形外科の後療法から始まり,その後は,脳卒中を中心にした中枢神経系の運動機能障害,今は高次機能障害に対してどうしていくかという治療プログラムの方向に流れてきていると思います。私は,その流れを体験しました。まず,大学病院の整形外科病棟に入ったわけですが,約30年前の当時の後療法は,ベッドにジャングルジムのようにフレームが組んであり,実にダイナミックなものでした。また,理学療法室へ行く前の臥床期間中,廃用性症候群に対してベッドサイドで関節可動域訓練や筋力増強訓練も行なわれていて,看護婦がそれに関与していた時代でした。ところが,訓練室でどのようなプログラムが準備されているのか,どう評価されるのか,病棟の看護婦には手に入らなかったし,わからなかった。それが,10年前に国立身体障害者リハビリテーションセンター(国立リハセンター)に移った時には,中枢神経系の麻痺や障害に対応することになり,まるで違うわけですが,そこでもやはり,レディネスがない。つまり,あらゆる障害に対する評価尺度の開発があり,その評価によって予後予測が行なわれ,訓練がプログラム化されるという時代がきているということを,看護の基礎教育課程では教わらないという現実がありました。20世紀というのは,リハ医学の発展に比べ,リハ専門看護婦のいないリハ看護にとって,学問的に喘いだ時代でもあったのではないかと思います。

地域におけるリハ医療

武田 この間に,医療システムは地域も含んだ領域でリハ医療が行使されるようになり,福祉との連携も起こってきました。そこで,地域にかかわって来られた深沢さんは,この点をどうとらえていらっしゃいますでしょうか。
深沢 私がリハ看護に携わったのは1977年からです。ちょうどその年に,横浜市のある市立病院がリハ科病棟をオープンすることになり,当初からかかわったのです。ただ,私たちには教育がありませんでした。目の前にいる患者さんは,片麻痺や下半身麻痺など「中枢神経障害」を持って生活しなければならず,今後の人生がかかっているとも言える重大なその時に,看護で何ができるのだろうと悩み,その責任の重さに直面しました。つまり,看護の仕方がわからなかったんですね。それでも当時から,横市大リハ科の医師とともに,公立病院のさまざまな制約がある中で地域リハを推進していくことができ,恵まれた環境で病棟作りができたわけです。
 そのような中,横浜市が専門施設として横浜市総合リハビリテーションセンター(横浜リハセンター)を開所したのが1987年で,私はそちらに移って仕事を続けることになりました。センターは,リハを専門とする仲間たちが集まった場ですからリハ看護を理解してもらえることがうれしかったですね。
 私たちは早くから「障害老人」という言葉を使っていましたが,日本看護学会に「退院指導」に関する演題を応募した時に,「障害老人は差別用語だ」と却下されました。また,「意識がないうちに,どうしてリハなんかやるの?」という批判的な質問が出るほどで,同じ看護職に「リハ看護をわかってもらえない」という悔しい経験もしました。ですから,リハ看護学会ができて,リハ看護を実践する看護職が集まるということ自体が励みになりました。
石鍋 私の経験ですが,教員になろうと研修学校に行った時に,ちょうど難病の患者さんに対する地域医療システムをどうするかを検討しておられた川村佐和子先生(現東京都立保健科学大)や西三郎先生(現東海大),そして都神経研の方々と出会い,実証的に提案しようというプロジェクトに参加しました。このプロジェクトで,地域にいる障害を持った方が,本人だけではなく,家族も含めていかにさまざまな問題を抱えているかがわかり,とても視野が広がりました。その後に難病の在宅ケアも進展しましたが,そのあたりの流れも,リハ看護にとても影響していると思います。

臨床と教育現場の経験から

野々村 3人のお話をうかがっていて,私も近くからリハ看護をみていたのだな,と感じました。私が北里大学の脳神経外科病棟にいたのは1987年頃ですが,そこで交通事故により高次機能障害を持った若者たちと何度も出会って気になったのは,「この人たちは,これからどうしていくんだろう」ということでした。中でも特に私が注目したのは,記憶障害,しかも軽度の記憶障害でした。一見,何も障害がないですし,家族の方も,看護者自身もつい見落としてしまいますが,生活にはいろいろな障害が起きてきます。そういう人たちが退院していくわけですが,そこに受け皿がないということがわかったんですね。
 彼らは,医療と福祉の狭間で,ある時はリハ専門病院に行ってある程度フォローを受けても,生活の改善はないままでまた親のもとに戻ってくる。そうしていくうちに,親御さんはどんどん高齢化していきますから,さまざま問題が出てきます。本当に,医療,看護,福祉とは何だろうということが問われていたんですね。それは,自分自身の問いでもありました。ただ,そのうちに社会福祉制度も変わり,少しずつ使える社会資源も増えてきました。昨年から始まりました介護保険法下では,「看護者がどうあったらよいのか」が問われる時代となったとも言えるのではないでしょうか。
 そういうことがあって,私は高次機能障害と言われる領域に,研究テーマを持ち続けてきたわけです。その後,私は茨城県立医療大に移り,同大のコメディカルのための附属病院というユニークなリハ専門病院の開設準備から,教授と看護部長を兼務するというかかわりで,リハ看護の現実に触れていくことになりました。その役割を担っている時につくづく思ったのは,リハ・ケアチームの中で,どれだけ看護職が専門性を発揮できているのだろうかということでした。そういう役割を取れる看護婦たちを,卒後教育で育てていかなければいけない,ということが自分の問題意識になっていきましたね。

リハ看護の専門性の確立に向けて

リハ看護の意識調査から見えるもの

武田 リハ医療の中で他職種と協働する場合に問題となるのが,リハ医学用語とその周辺知識に対する理解が私たちには十分ではないということです。以前,リハ医のどなたかが「ケース会議では看護婦集団にわかるような言葉で話し合う必要がある」と書いておられましたが,私はむしろリハ看護の専門性を高める1つの方向として看護職自身が,リハ医学用語を自分たちの看護現象の中に取り込んで,説明して返さないといけないと考えました。看護職が何をしているのか,どれほどのアウトカムが出せるか,共通言語を用いて説明する必要があると思います。この点は,21世紀に向かって大きな焦点になっていくという思いがあります。
 そのリハ看護の専門性ですが,野々村さんたちは,約2年をかけてリハ看護の専門性に関する大規模調査をされました。その成果についてもご紹介いただけますか。
野々村 茨城県立医療大附属病院の看護婦の研修病院でもあった都リハ病院で石鍋さんと出会い,「リハ看護の専門性確立のための看護援助分析」の研究をしようということになったのです。このテーマで平成10,11年度の厚生科研費を得ることができました。11人のメンバーで役割分担し,結果的には多方面からの調査ができました。また,全国調査につきましては,1120人の看護職の協力があり,それ以外のリハチームメンバーは627人で,医師90人,PT180人,OT141人,ST77人,臨床心理士24人,ソーシャルワーカー78人から,リハ看護の専門性,リハチームにおける看護職の役割・機能等について,回答が得られました。「リハ看護に専門性があるかないか」という質問に対しては,ほとんどの人が「ある」と答えています。また,リハ専門病院2か所だけでしたけれど,患者と家族がリハ看護についてどのように思っているのかも調査しました。そうしましたら,けっこうリハ看護の特殊性というものが出てきましたね。
石鍋 同時期に,臨床のいわゆるエキスパートナースの行動観察をしましたが,通常のケアの中で,患者さんの自己決定を尊重するというかかわりが,他の領域に比べ特徴的であることがわかりました。
野々村 すべての分析が済んでいるわけではありませんが,多彩なコミュニケーションスキルを取っているのが特徴的です。それから,退院後の生活への関心というのも,これはもう絶対的にご本人と家族を組み入れてやっているということと,家族についてはケアチームの一員としての位置づけでの取り組みは大きいですね。チーム内での役割・機能についての質問は全部で16項目でしたが,看護職は患者さんの健康状態のコントロールも含めた役割を担っている,と多くの職種が答えています。これは,ちょっと意外でした。
武田 他職種が看護婦に期待する役割について,野々村さんが「意外」と思われた部分は,他職種にとってはむしろ看護独自と思われているところがあるようで,それを示す印象的な経験があります。あるSTが患者さんを病棟に連れ帰り,「今日の○○さんは,非常に眠くて訓練に集中できない。何かあったのですか」と質問しているんですね。看護婦が「昨夜,睡眠薬を飲みました」と説明したのですが,STは,「患者さんにどのような薬が投与され,どのような副作用が出ているか,看護婦さんたちこそ,全部つかんでいるはずでしょう。当然その状態から,今日の訓練は無理だからやめましょうねという相談をしてもらって構わないのに」と怒っていましたね。もちろん,日頃は対応していてたまたま起こったことですが,他職種が看護職にジェネラリストとして要求している部分というのは,そういうことなのですよね。
石鍋 野々村さんが「意外」といったのは,看護婦の回答では,「セルフケアの自立に向けて」という項目の優先度が高いのですが,それに対して他職種は,看護職に患者の健康管理者としての役割を期待しているところに表れています。看護職は「それは当たり前」と思っているかもしれないけれど,そこにギャップがある,という点ではないでしょうか。ただ,リハの領域で,健康を維持するとか,コントロールするというのはどういうことなのか,私たちはもっと追究しなければいけないでしょうね。開発すべき技術はたくさんあると思います。
深沢 「健康管理者として,もっとプライドを持ちなさい」ということでしょうか。私たちがリハ看護を始めた頃は,「訓練に行けるように体調を整えて,いい状態を作りなさい」というのが,看護婦の役目でした。本来はそうではなくて,健康管理者としてもっと責任を持ちなさいということですね。
野々村 あまりに当たり前として思いすぎていることが,やはり今後の課題だと思います。実際,それだけの役割を担っているのですから,それを1つの専門性ということでしっかりと位置づけていく必要がある。そのあたりをもっと,私たちが意図的に看護の役割として担っていくべきだと,この調査から考えました。心理,社会的な部分での不安とか苦痛というところも,私たちは生活に即してしっかりと位置づけていかなければいけないと思いましたね。
武田 それが,20世紀最後の他職種の期待も含めた総括の1つとしてあるのではないかと思います。

スペシャリストの育成

武田 20世紀の終わりに,日本の看護界はやっとスペシャリスト養成の時代になりました。リハ医療においてもスペシャリストを育成しない限りは,立ち行かないだろうという思いがあります。その上でとりわけ今私が課題と考えるのは,障害評価尺度を活用して,障害レベルに応じてどのようなアプローチをしていくのか,どの段階ではどういうプログラムが必要か,成果があがるか,そういう方向でエビデンスを持ち込んだ看護アプローチの開発です。医療全体で「エビデンス」が強調されていますが,それには各機能障害の評価尺度を使って,それに対応させた看護プログラムを作り,アウトカムを見出していかないと,看護婦が自分たちの行為の評価を得ることができないだろうとも思います。
 それにしても,現在の看護基礎教育の中でリハについて教わるものは少なく,臨床で展開される医療とは段違いの差があって,そこにジレンマがあります。そこで野々村さんに,基礎教育課程と専門教育課程の展望についてのお話をうかがいたいと思います。日本看護協会は専門看護師(以下,CNS),認定看護師の育成をしていますが,現在のところリハ領域はありません。野々村さんの大学では大学院の構想もありますので,ぜひお考えを聞かせていただけますか。
野々村 私もリハ専門病院の看護部長という経験から,継続教育の系統性のなさについては問題だと思いました。今のリハ専門病院では,ジェネラリストである経験の浅い人たちにもスペシャリスト的なことが求められすぎています。つまりはスペシャリストがいないというところで,効率が非常に悪いのだと考えています。やはり,ジェネラリストとスペシャリストの段階を分けるべきというのが,私の持論です。スペシャリストとしての資質の整理を,早急にしなければと思っています。
 では,その教育ですが,その資質をどう育成するのかを明確にした上で,大学院でのCNS教育にリハ看護を位置づけていくことが必要だと思っています。私どもの大学院は本年4月からの開講ですが,小児については,先天性の障害を持った子どもたちが附属病院に多くいます。その意味からも,小児看護学の内容は障害児を中心にしたリハ看護の教育も考えていますし,成人看護学のほうでは慢性期の柱としてリハも掲げようと前向きに検討しています。

学会・研究会の役割

野々村 一方で,「国際リハビリテーション看護研究会」(以下,国際リハ看護研)を昨年立ち上げましたけれど,臨床の問題意識の高い方々がたくさん参加してくださっています。会員は,やはり卒後プログラムが施設ごとに違っていて,本当にこれでよいのだろうか考えていると言います。
武田 医師の場合,専門医認定は学会が行なっていますが,看護界では,CNSは大学院修士課程で育成し,認定看護師の育成は日本看護協会が担う方向できています。早々に大学院でのリハCNS育成課程を望むところですが,リハ看護学会や国際リハ看護研が,卒後研修プログラム,認定ということを視野に入れた役割もあろうかと思います。
石鍋 リハ看護は小児から老人までのライフサイクルのすべての人が対象ですし,急性期,回復期,維持期にも必要とされます。今までは,私たちの研究も,どちらかというと回復期のリハのところからスタートしてきているという限界はありますが,リハ看護全体を考えていくと,もっと広い視野が必要です。また,リハ看護とは何かということを,オピニオンリーダーとなるべき人たちがまとめあげていかなければならない。実践も教育も含めて話し合える場というのが,まだ成立していない感じがします。なにしろ,「リハ看護とは」という大前提としての定義がないのが問題ですね。
深沢 いろいろな人が言ってはいますが,文献検索してみますとよくわかるのですが,ほとんどが医師の発言で,「こうあってほしい」という形での定義ですね。
野々村 国際的な視点でわが国のリハビリ看護がどうあるべきかということを考えなければいけないと,思っています。リハ看護にかかわる私たちが,共通した定義すらまだ確認できていないという状況があります。そこで私たちは,身体障害者や回復期を中心とした看護活動をしていく中から,「リハ看護とは」と定義づけられるのではないかという研究を始めました。リハ看護についてのディスカッションが,まずはいろいろな場で必要だと思いますね。
深沢 たぶん私たちも,もっとリハナースとして自立した仕事をしていきたいという気持ちがあると思うのですが,一方それができない現状があります。医師との関係では,逆に私たちが医師のほうに逃げているというか,依存してしまっている。そのあたりの意識がとても問題だろうと思っています。学問的には一生懸命に専門性を確立しようとしている反面,臨床ではまだそういう面があるような,表現が非常に難しいのですが…(笑)。
野々村 おっしゃるとおりですね。海外の方とディスカッションしてつくづく思うのは,日本にいる私たちは,プレゼンテーションとネゴシエーションという部分で,アピールしていくことに慣れていない。してはいるのですが,根拠に基づいた技術がない。彼女らの「技術」というものを,私たちは専門性の1つとして理論的に磨いていきたいなと思っています。
武田 日本のCNSは臨床範囲を比較的広く,認定看護師は狭く限定していますが,アメリカは診療単位の認定看護婦がいます。患者さんは診療単位でケアを受けますから,この単位のスペシャリティが最も現実的で,診療科別の認定看護婦制度を持っているアメリカの考え方は,私としては肯定できます。私はリハCNSを望む1人ですが,この考え方もあって,昨年診療科別の「日本整形外科看護研究会」を立ち上げました。とにかく日本の看護系の学会が,自分たちの専門職能を高める方向に,促進的な役割を発揮すればいいのかなと思いますね。

21世紀のリハ看護のあり方

地域に踏み出した時

武田 21世紀を考える時,高齢社会,地域医療は切り離せません。高齢化は運動機能障害を抱えた地域住人が圧倒的に多くなることを示唆するもので,先ほどもありましたが,今後いよいよ地域医療の時代です。地域での新しいシステムに対応する新しい力量が問われる時代だと思います。
 深沢さんが所属する横浜リハセンターには,地域医療機関連携室構想があります。そこを踏まえて,深沢さんは地域医療をどのようにお考えでしょう。
深沢 地域医療機関連携室はまだ準備段階です。医療の体制がますます地域のほうにシフトしてきているという現状において,受け皿と言いますか,実際に彼らが生活する場所のケアシステムがちゃんとしていないと,私たちが患者さんの状態をよくして在宅へ帰そうと思っても,帰った先で十分なケアがされません。そうするとまた施設に戻ってきてしまう,という状態になります。そういった状況からも今必要とされているのは,情報交換の場ではないかと考えました。そこで地域医療機関連携室としては,実際に1つひとつのケースごとに,その方が在宅に移るにあたって「これからどなたが面倒をみるのか」ということから,ヘルパー,ケアマネジャー,訪問看護婦という関連職種の方たちに集まっていただき,在宅へ向けたカンファレンスを行なう。そしてフォローアップとしての情報交換もしていきましょうという,組織上の位置づけとしての構想です。
 また,実践を通して訪問看護ステーションの看護職とかかわっているわけですが,問題はいろいろあります。例えば,リハ専門施設で10年の経験がある方が所長を務めているところは私たちも安心してお任せできますが,あるところは開業医の付属,また一般病院の訪問看護室から転化してステーションになったケースもあり,レベルの差が大きいです。実際に私たちが送り出す時にも,「家が近いからここで」と患者さんが言われても,「あそこには任せられないな」というところもあります。
 それから,1999年に横浜市立脳血管医療センターがオープンしまして,急性期リハを実践しています。そこでは,横浜市の中でできるだけ医療情報,看護情報を無駄なくやりとりして,急性期,回復期から在宅移行期というところへうまくつなげるようにシステムを作りましょうとしていますが,その窓口になるのも地域医療機関連携室です。

ともに手を携えていくために

武田 最後に,21世紀に向けてリハ看護へのご自分の課題をそれぞれお話していただけますか。
石鍋 私は,1980年から始まった国際障害者年にすごく意味があって,そこで謳われた「完全参加と平等」が,21世紀には実現すると思います。
 また,リハは全人間的復権と言われますけれど,「社会の一員として地域で生活する人をケアする」という視点で,急性期も,回復期も,維持期も看護職がかかわった時に,自分たちの知識体系や技術に何が必要なのかが明確になってくるのではないかと思います。自分たちの意識改革をしていかなければいけない,そこが課題であると思いますね。
深沢 急性期にいる看護職で命のやりとりのレベルがとても好きだという人は,回復期のことを見据えていない。だから,そこに何かつながったものがあれば,もっとうまくいくのではないかという感じはしています。
野々村 リハ看護のスペシャリストがコンサルテーションするようになればよいですね。病院に何人かのスペシャリストがいて,超急性期の看護職と手を組んで,「この難しいケースについては,こういうリハが必要」「在宅へ移すのなら今」というようにディスカッションしていけば,急性期の看護の質も高くなるでしょう。
深沢 病院の中の組織にコンサルテーションする方を求めるのではなく,私たち看護職のほうから,置くべきだという声を出さなければいけないでしょうし,自ら送りだしていくようにしないと駄目ですよね。
野々村 これは看護部の中に位置づけていけばよいと思います。現在のCNSも看護部の中に位置づけて,ユニットを越えて実践していますでしょう。それと同じように,リハ看護のスペシャリストが配属された時には,リハ看護そのもののあり方が変ってくると思います。そのためには,大学院レベルのCNSの教育が急務だと思います。
石鍋 つい最近アメリカの心臓リハの講義を聞きました。その時に感じたのは,システムの違いもありますけれど,自己管理に対する考え方の違いが明らかということでした。アメリカでは,短い在院期間の中で,退院した後に自分でいかに管理していけるかの教育に力を注いでいます。
 それに比べると,日本ではまだまだ「仕上げてあげる」という部分が強いのですが,退院後の生活を考えて,その人自身の意識をどう変えていくかというあたりが,今後は重要になるかもしれません。
野々村 調査の話に戻りますが,今後の看護職が果たすべき役割の中に,「障害者についての理解を深めて,地域社会における偏見を少なくするために行動する」という役割を掲げたのですが,看護婦は数パーセントレベルでしか,自分の役割として肯定していませんでした。このデータからしますと,利用者自身の意識改革もさることながら,やはりリハ看護にかかわっている看護職の生涯教育システムを具体化するなどを通して,看護職自身が意識改革をする必要がある,大事な提案かなと思います。
深沢 横浜リハセンターは,隣接して障害者スポーツ文化センター(横浜ラポール,本紙2面カラーグラフ参照)があります。そこでは片麻痺などの障害を持った方たちがトレーニングや,教室レベルでのスポーツ,競技スポーツをしている方がいますので,リハ途中の方が見学に来るとかなり刺激にはなるようですね。「車いすでも,あんなことができるのか」とか,「杖ついていてもプールには入れるのか」という,よい意味でプラスの地域化の側面ですね。
武田 障害を受けた後に,どういう生き方ができるのかというのが,病院のような収容型施設では見えませんが,地域に戻っていくと見えてきますね。
野々村 深沢さんのお話をうかがっていますと,職業的アイデンティティは,揺らぎながらもよい方向に向かっていますし,専門性の明確化ということも進んできていることがみえます。リハ看護領域の大きな課題についても,少しずつかもしれませんが臨床と教育の中で,具体的なアプローチを始めています。21世紀のスタートの方向づけはできつつあると思います。
武田 今日は,21世紀に向けて,看護職がリハ医療の中で自分たち自身が負う課題を確認し合えたように思います。どうもありがとうございました。