医学界新聞

 

「個人情報保護基本法」と医療・医学研究の検討課題

水嶋春朔(東京大学医学教育国際協力研究センター講師)


 21世紀最初の年である2001年(平成13年)には,わが国において民間も含めた広い範囲に適用される最初の「個人情報保護に関する基本法制」が通常国会に提出され,4月頃に成立する見込みである。
 この「個人情報保護基本法」は,氏名,生年月日,住所,カルテ番号などの個人識別情報のついた個人情報を日常的に取り扱う診断治療の医療現場や,ヒトを対象とした研究を行なう医学研究にも多大な影響を与えることが予想される。個人情報の収集,利用,内容の適正化,管理,移転,開示などの流れに関して理解し,国際的な動向,関連法整備を踏まえた上で,医療・医学研究における個人情報保護のあり方についての検討と必要な意見表明が緊急に望まれる。

個人情報保護の動向

 欧米諸国では,1970年代から個人データないしプライバシーを保護することを目的とする法律が制定されるようになり,1980年のOECD(経済協力開発機構)理事会勧告「プライバシー保護と個人データの国際流通についてのガイドライン」(OECD8原則),1995年のEU(欧州連合)指令95/46号「個人データ処理に係る個人の保護及び当該データの自由な移動に関する欧州議会及び理事会の指令」などを経て,1999年現在,OECD加盟29か国中,27か国において法律が制定されている。わが国もOECD加盟国であり,この方向に沿った法整備に向けた動きが急速に進んでいる。

わが国における個人情報保護基本法制の動き

 わが国においては「行政機関の保有する電子計算機処理に係る個人情報の保護に関する法律」(1988年)があり,また統計法によって,個人情報の取扱いが定められているが,民間を含んだ広範囲にわたる包括的な個人情報保護法はこれまでなかった。
「高度情報通信社会推進に向けた基本方針」(1998年11月,内閣高度情報通信社会推進本部〔本部長:内閣総理大臣〕)において,電子商取引等推進のための環境整備の一環として,個人情報の保護について民間による自主的取組みを促進するとともに,法律による規制も視野に入れた検討を行なっていくこととされた。
 1999年4月には,この基本方針のアクション・プランが決定され,これに基づき,政府は,高度情報通信社会推進本部(現:情報通信技術〔IT〕戦略本部)の下に個人情報保護検討部会(1999年7月,座長:堀部政男中央大教授)を開催し,同部会にて,「我が国における個人情報保護システムの在り方について(中間報告)」(1999年11月)が取りまとめられた。この中で,わが国の個人情報保護システムの中核となる基本原則等を確立するため,全分野を包括する基本法を制定することが必要であり,法制的な観点からの専門的な検討のための体制を整備すべきと指摘された。
 この中間報告を受けて,政府は,基本的な法制について具体的な検討を進める旨を決定し,高度情報通信社会推進本部の下に個人情報保護法制化専門委員会(2000年1月,委員長:園部逸夫立命館大客員教授,前最高裁判事)が開催された。同委員会は,「個人情報保護基本法制に関する大綱案(中間整理)」(2000年6月)を発表し,各省庁,関係団体のヒヤリングの後,「個人情報保護基本法制に関する大綱」(2000年10月)を決定した。ぜひ,参考資料5)のホームページ(HP)からダウンロードして熟読していただきたい。

大綱の内容と医療・医学研究の検討課題

 「個人情報保護基本法制に関する大綱」は,「1.目的」として「高度情報通信社会の進展のもと,個人情報の流通,蓄積及び利用の著しい増大に鑑み,個人情報の適正な取扱いに関し基本となる事項を定めることにより,個人情報の有用性に配慮しつつ,個人の権利利益を保護する」ことを掲げている。「2.基本原則」として,(1)利用目的による制限,(2)適正な方法による取得,(3)内容の正確性の確保,(4)安全保護措置の実施,(5)透明性の確保,をあげて,個人情報を扱うすべてのものが踏まえるべき原則としている。さらに「3.個人情報取扱事業者の義務等」を規定して,基本原則に沿って具体的遵守事項を義務化し,主務大臣は助言,改善指示を行なうことができ,従わない場合には,改善または中止の命令を行なうことができるとしている。
 に,この基本5原則と,個人情報取扱事業者となった場合の義務等および医療,想定しうる医療,医学研究に関連した検討課題をまとめた。

個人情報取扱事業者からの適用除外の要求が緊急課題

 この大綱に対して,報道関係機関は,中間整理の発表段階から連盟して自らの媒体を最大限に利用した反対の意見表明のキャンペーン,官房長官への要望書提出などの行動を展開し,その結果「7.その他」の項目において,「報道分野等については,『3.個人情報取扱事業者の義務等』を適用せず,『1.目的』,『2.基本原則』に基づき,自主的な取組みを行なうよう努力すべきこと」と適用除外となった。
 しかし,医療分野については取り立てた言及はなく,「3.個人情報取扱事業者の義務等」の適用を受ける可能性が十分あることに,医療関係者は深刻な注目を払うべきである。さらに学会などの団体ごとに個人情報保護に関する自主的な取組みの整備を急ぐとともに,官邸のHPに設けられている意見募集〔6)〕などを利用して,必要なアクションを起こすことが重要である。
 これまで1999年の中間報告に対して,日本疫学会,日本産業衛生学会,日本公衆衛生学会,衛生学公衆衛生学教育協議会,地域がん登録全国協議会,日本医師会などが意見表明を行なっているが,医療・医学研究の団体数からしてわずかな数と言わざるを得ない。
 第18期日本学術会議第7部(医学,歯学,薬学)に個人情報保護法問題小委員会(仮称,委員長:田中平三東医歯大教授,委員:中村紀夫慈恵医大名誉教授,矢崎義雄国立国際医療センター総長)が附置され,予防医学研究連絡委員会と合同委員会(2000年11月)を開催した。同会では,ワーキンググループ(委員長:筆者)を設置し,「個人情報保護基本法制に関する大綱」に対する要望書を新たに提出する準備を開始している。

パブリックコメント募集へ学会などから要望を!

 21世紀初頭にわが国に現れる「個人情報保護基本法制」が,医療や医学研究にどのような影響を及ぼすことになるのか,関係者の多くが最大限の関心を払い,必要な主張,対策を効果的に展開していくことが重要である。6)のHPでは意見募集をしている。学会ごとでぜひ,意見,要望を表明していただきたい。

■参考資料
1)瀬上清貴,他:公衆衛生と個人情報保護の沿革と今後のあり方,公衆衛生,64(8),532-540,2000
2)水嶋春朔:個人情報保護とデータの利活用の調和に関する国際的動向,公衆衛生,64(8),548-556,2000
3)丸山英二:医療・医学における個人情報保護-医学研究・地域がん登録・医療記録開示,ジュリスト,1190,69-74,2000
4)高度情報通信社会推進本部個人情報保護検討部会中間報告「我が国における個人情報保護システムの在り方について」,1999
 URL=http://www.kantei.go.jp/jp/it/privacy/991119tyukan.html
5)情報通信技術(IT)戦略本部個人情報保護法制化専門委員会:「個人情報保護法制に関する大綱」2000
 URL=http://www.kantei.go.jp/jp/it/privacy/houseika/taikouan/1011taikou.html
6)個人情報保護法制化専門委員会「個人情報保護に関する基本法制の整備について意見募集」,2000
 URL=http://www.kantei.go.jp/jp/it/privacy/houseika/

表「個人情報保護基本法制に関する大綱」における基本原則と検討課題
基本5原則個人情報取扱事業者の義務等医療・医学研究に関連した検討課題
1.利用目的による制限


2.適正な方法による取得
(1)利用目的による制限及び適正な取得
ア.利用目的の明確化
イ.利用目的の不合理な変更の禁止
ウ.利用目的の本人通知(公表等知りうる状態にする)
エ.適用除外
(1)本人の同意がある場合
(2)生命,身体又は財産保護のための緊急性
オ.適法かつ適正な方法による取得
・本人以外の収集制限によりがん,脳卒中などの疾病登録事業が不完全となる
・家族からの医療情報収集が困難となる
・診断治療目的で収集した情報を無断で研究には使えない
・収集された情報の2次利用が困難
 例:症例集積報告やレセプト情報に基づく医療費分析
・後ろ向き研究(過去に遡った情報〔健診結果,手術既往等〕と新たな健康被害の関係解析など)が困難
 例:症例対照研究,放射線被曝影響の健康調査
3.内容の正確性の確保
4.安全保護措置の実施
(2)適正な管理
ア.個人データの内容の正確化,最新化
イ.個人データ保護のための必要な措置,及び監督
ウ.個人データ取扱を第三者に委託する場合,選定の配慮,監督責任
・過去の情報を消去せずに蓄積できるようにする必要
・個人識別情報とデータセットを分離管理するなどの安全保護措置が必要
・多くの共同研究者でデータセットの共同利用が困難
 (3)第三者提供の制限・
ア.個人データを第三者に提供禁止   (本人同意がある場合,生命,身体又は財産の保護のための緊急の場合を除く)
イ.適用除外
(1)営業譲渡,分社等で営業資産として引き継ぐ場合
(2)明確化された利用目的のため共同又は委託により,個人データを扱う場合
(3)特定の者との間で相互に利用する場合で,利用目的及び提供先等について本人に通知され,又は公表等がある場合
(4)第三者提供目的の場合で,本人からの求めに応じて,提供禁止その他の適切な措置を講ずる場合で,本人に通知され,または公表等がある場合
・多施設共同研究が困難
・疾病登録事業,研究が困難
5.透明性の確保(4)公表等
ア.事業者の不利益,本人通知する場合などを除いて次ぎの事項をについて公表等する
(1)利用目的,(2)事業者名,(3)開示等に必要な手続き
(4)その他個人情報の保護を図るための必要事項
イ.変更事項について公表等を行う
(5)開示
ア.本人又は第三者の不利益になる場合などを除いて本人に対して当該個人データを開示
イ.開示に応じない場合,その理由を説明
(6)訂正等
ア.本人又は第三者の不利益になる場合などを除いて本人の請求に応じてデータの訂正,追加,削除その他の措置を講じる
イ.訂正等に応じない場合,その理由を説明
(7)利用停止等
ア.本人又は第三者の不利益になる場合などを除いて本人の請求に応じてデータの利用停止,削除などを講じる
イ.利用停止などに応じない場合,その理由を説明
・客観的なデータ収集が困難
 例:がん,脳卒中などの疾病登録が不備となる
 例:医薬品等による副作用等の報告の精度





・診断に関する情報を開示できるか,慎重に検討する必要
 例:がん,難病,精神疾患など
 (8)苦情の処理
個人情報の取扱に関する苦情について,体制の整備,適切かつ迅速な処理に努める
(9)苦情の処理等を行う団体の認定
苦情処理等のため,事業者を構成員とする団体を設け,申請により主務大臣の認定を受けることができる
 
註:個人データは,個人情報データベース等を構成する個人情報のことをさす