医学界新聞

 

連載(11)  「微笑みの国」タイ……(4)

いまアジアでは-看護職がみたアジア

近藤麻理

E-mail:mariks@med.kochi-ms.ac.jp    


2413号よりつづく

無償の奉仕と「タンブン」の行為

歴史から体得した金銭感覚

 バンコク北バスターミナルは,通称「モチット」と呼ばれていますが,週末の東北タイ(イサン地方)行きのバスは,抱えきれないほどのお土産の入った荷物を持った出稼ぎ少女や青年たちで賑わいます。彼らのお土産は,両親や幼い兄弟姉妹のために買った高価なふとんや洋服,ラジカセ・テレビなどの電化製品,そしていくらかのお金と,金のネックレスやブレスレットです。しかしこの金製品は,アクセサリーとしての贅沢品やお土産ではないのです。
 バンコク市内でボーナス時期が近づくと,日系企業に勤務しているキャリアウーマンたちは金相場の話を熱心にするようになります。不思議に思って聞いてみると,こう話してくれました。
 「今度のボーナスを全部,金(22K)に換えるからよ」
 「現金はいつ紙屑になるかわからないけれど,金の価値は変わらないでしょう」と。
 現在のタイでは,朝起きると現金が紙屑同然になっている,とは考え難いことですが,彼ら,彼女らにとっては,いつ,何が,突然起きてもおかしくないということを,インドシナ半島の歴史の中から十分に体得していることなのでしょう。「生きる上での知恵」と感心しつつも,タイの銀行の利息が異常に高いことに目が眩み,私などは喜んで銀行にお金を預けてしまっていたのですが……。

逆ナンパされた働き者の日本人男性

 タイのイサン地方は貧しい地域であり,農業だけでは生活が成り立ちません。そこで村の男たちが都会に出稼ぎに行くことで,一家や一族を支えてきました。その半面,タイの田舎では「女性が家を継ぐ」ことが多いために,男性がいなくなってしまうということもしばしばあるらしいのです。タイの女性たちは,「男たちには,女性や家庭を守るという責任感がまったく欠如している」とため息をつき,一方で「日本の男性は責任感が強い。しっかり仕事をして家族を守るから本当にうらやましい」と締めくくるのです。
 仕事中毒で,家庭を省みないと批判されている日本男性も,ここでの評価は非常に高いようです。
 その言葉どおり,日本人男性を射止めたイサン出身の女性は意外といるのです。その1人は,出稼ぎ先のバンコクで,片言のタイ語を話す日本の若い男性と知り合いました。そして,彼が彼女の田舎に遊びに行っているうちに,結婚話がとんとんと進みます。どこの国でも結婚式にはお金がかかるものですが,その若者は資金を稼ごうと,半年間ほど逆出稼ぎのために帰国しました。そして半年後の結婚式までには,2人が暮らす小さな家が,両親の暮らす家の隣に新しく建てられました。当初の予定では,これらすべての費用が日本での半年間の稼ぎで十分のはずでした。
 しかし,イサンに戻った彼は,伝わっていると思っていた言葉がまったく通じていないことに愕然とするのです。新築の家は,予算をはるかにオーバーした,すばらしく大きく立派なものでしたし,あちこちから親戚が現れてくるのです。そして次々に,博打で多額の借金を抱えて困っているというように,とにかく借金の話が山積みなのです。そこで彼は,もう一度日本に出稼ぎに行き,稼いだ金で親族の借金をすべて支払ったのです。ですが,しばらくイサンに暮らした後,彼は妻と子どもを連れて日本に移り住む決心をしました。日本で再会した時に彼はこう一言。
 「疲れましたよ。親族一同背負ってしまって」

富は分け与えてもらうもの

 「イサンで,彼はタンブン(徳を積む)をした」ということで,日本の友人たちの意見は一致しました。タイでは,親族一同がお金のある1人を頼り,その富を分けてもらうことは当然であると思っている節があります。自分自身が一生懸命に働いてお金持ちになろうというよりも,誰かがお金持ちになれば自分たちもそれにあやかれるという,他力本願的なところがあるのです。あくせくすることなく,おおらかではあるのですが,タイの習慣を知る十分な時間もなく親族の生活を背負ってしまった日本人には,きっと苦痛だったに違いありません。
 この話は,タイの仏教的な習慣である「タンブン」と直接結びつけることはできませんが,タイの人々の暮らしの中には,「誰かのために自分が何かを行なう」という意識が非常に強くあることは確かです。
 例えば,とても当たり前のように,田舎に暮らす少女たちは6年間の小学校の就学期間を終えると,両親のために,そして幼い兄弟姉妹のために順番にバンコクに出稼ぎに行きます。そこに何の気負いも,犠牲になっているという悲劇も感じられません。
 タイでは,この無償の奉仕と「タンブン」の行為はどこかで深くつながっていて,この精神が,住民参加型の地域保健プロジェクトを実施する上で重要なキーパーソンとなる地域ヘルスボランティアたちの,誇りや高い意識に影響を与えている,と考えることができそうです。