医学界新聞

 

印象記

第15回国際熱帯医学・マラリア学会

狩野繁之(国立国際医療センター研究所・適正技術開発移転研究部)


はじめに

 国際熱帯医学・マラリア学会(International Congress of Tropical Medicine and Malaria: ICTM)は,国際熱帯医学者連盟(International Federation for Tropical Medicine: IFTM)が主催する4-5年に1度の世界会議で,1913年に第1回の大会が開かれて以来,すでに15回を数える。前回(1996年)はわが国において長崎大学熱帯医学研究所の松本慶藏所長(当時)を大会長として開催し,大きな成功を収めた。今世紀最後の本大会は,南米コロンビアのカリブ海沿いのユネスコ世界遺産に指定されている美しい街Cartagena de Indias(カルタヘナ)で8月20-25日に開催され,世界の96か国から3216人が登録し,わが国からは日本熱帯医学会理事長の五十嵐章教授(長崎大学熱帯医学研究所長)をはじめ十数人が参加した。
 学会における特別講演数は8題,シンポジウム64セッション,口頭発表43セッション,ポスター展示34セッション,関連集会4セッションと,その会場数だけでも10会場にのぼった。演題別に分けると,マラリア288題,シャーガス病134題と続き,寄生虫疾患に関わる演題は総数402題であった。ハンセン病・結核あわせて36題,デング・日本脳炎・アルボウイルスに関する演題55題などが領域としては多いテーマであった。その他,エイズ,急性呼吸器感染症,肝炎,ポリオ,真菌症,毒蛇咬傷,栄養や母子保健に関わる社会医学系の報告も目立った。その中で特に印象に残ったテーマに関して概説したい。

国際熱帯医学者連盟(IFTM)

 IFTMに課せられている重要課題は,熱帯医学や医療に関わる(1)研究成果の熱帯地への応用と移転,(2)情報の提供や教育・訓練,(3)研究費の策定,(4)各国の熱帯医学会の共催である。ICTMが今日の世界のニーズにおいてきわめて重要な役割を果たすのは,世界保健機関(WHO)の事務局長Gro Brundtland博士の掲げる健康政策目標,(1)ロールバックマラリア(RBM)イニシアチブと国際感染症対策,(2)開発途上国において疾病による社会経済の発展の阻害を克服すること,(3)女性や母親の健康問題に特別な関心を払い,各国が健康維持のため自助努力を図ること,などに深く関わる国際会議だからである。わが国としては,1998年のバーミンガムG8サミットで,橋本龍太郎首相(当時)が熱帯医学や寄生虫学の世界的実践の有用性を強調したことで,WHOをはじめとする世界的熱帯病対策の推進に大きく貢献したことが思い出され,IFTMも橋本首相に強く勇気づけられたことを特記している。「熱帯医学」は,今や古典的で「国際保健医療学」や「温暖地域における医学」などに換言されるべきとの意見も一部にあるが,地球規模の視野においては,今日でも最も優先されるべき医学として認識されている。

基調講演-マラリアワクチン

 世界の年間罹患者が3-5億人,年間死亡者が150-270万人と見積もられるマラリア対策の切り札は,なんといってもマラリアワクチンの開発と言えよう。このいまだに成し遂げられていないマラリアワクチン開発に,世界中の多くの研究者が現在しのぎを削っている。
 本学会の基調講演では,コロンビア国立大学のManuel Patarroyo教授が,マラリアワクチン開発に向けた今世紀の世界の研究業績をまとめるとともに,彼自身の開発した,いわゆる“SPf66”と呼ばれるマラリア「カクテルワクチン」の成果を報告した。このカクテルワクチンはワクチン候補分子の人工ペプチドを数種つなぎ合わせたサブユニッツで,赤血球内のメロゾイトと呼ばれるステージの表面抗原と,蚊から注入されたスポロゾイトと呼ばれるステージの表面抗原からなる。本ワクチンは化学合成された世界で初めてのワクチンとして注目され,南米およびアフリカの4万5千人を超える人々への実験的ワクチン接種を行ない,一部有望な成果を得たが,結果的には落胆せざるをえないワクチン効果しか得られなかった。しかしながら,このワクチン構造のアイディアと,世界に展開したフィールドトライヤル手法は,後続のマラリア研究者への道標となった。現在もPatarroyo教授はこのSPf66の立体構造をNMRで解析するなど,ワクチンとしての有用性の研究を続けている。

マラリアワクチンシンポジウム

 マラリアワクチンシンポジウムでは,世界の最先端のマラリアワクチン研究者たちの業績の報告が行なわれた。
 米国海軍医学研究所マラリア研究部のStephen Hoffman部長は,放射線を照射し不活化させたスポロゾイトを感染させた際に,そのスポロゾイトが肝細胞に侵入して惹起するところの宿主のT細胞性免疫応答に注目していた。本研究はもともと,この放射線照射感染蚊に1000回以上吸血を受けたヒトは,9か月以上にわたりマラリアに対するワクチン効果を持ち続けるという25年前に報告された研究成果を引き継ぐ。しかしながら,放射線照射した蚊からワクチンを作るのでは,世界のマラリア流行地居住者の数からして実用化は不可能であるので,同様の効果をもたらす組換えペプチド抗原や,組換え体ウイルスの作成,さらにはDNAワクチンの必要性を訴え,それらに関する研究データを報告した。
 ニューヨーク大学医学部分子寄生虫学教室のRuth Nussenzweig教授は,長年にわたりスポロゾイトの表面抗原(CS protein)の研究で多くの業績を上げているが,最近さらにこのCS proteinをB型肝炎ウイルスの表面抗原と融合させ,ガンビアにおけるヒトへの試験接種でおよそ2か月間のワクチン効果を60%のボランティアから得られたと報告した。さらにブースター免疫のためのマラリア抗原提示ワクチニアウイルスの応用を報告したが,これはマラリアの研究分野では新しい試みであると考えられた。
 WHOのRBM主任であるKamini Mendis博士は,マラリアワクチン応用の公衆衛生学的見解をまとめた。すなわち,アフリカ・サブサハラのように,主にマラリアが小児の死亡原因となる高度流行地域では,5歳以下の子どもの臨床的病態を少なくとも30%ほど軽減するワクチンを開発する必要がある。また,アジアや中南米のように大人も含めたマラリアが中程度に流行する地域では,マラリアの伝播阻止がいずれ病気や死亡者の数を減らすであろうから,あらゆる年代の人に少なくとも50%感染を防御するようなワクチン開発が望ましい。さらには旅行者や移住者で,マラリアに対してなんら免疫を持たずに重症化ののち死亡する可能性の高いようなグループには,数か月から1年ほど有効で90%以上の防御能を持つワクチンの開発が必要となる。いずれにせよ,マラリアは貧しい国々に広く流行している傾向があるので,安価で広範に使えるワクチンデザインが求められるとMendis博士はつけ加えた。

マラリアの分子生物学

 マラリアの分子生物学セッションは,上述のPatarroyo教授の研究室のFabiola Espejo博士と筆者が共同座長を行ない,今日の先端研究の報告と討議が行なわれた。中でもPatarroyo教授のグループはメロゾイトの表面抗原分子(MSP-1)やSerine repeat antigen(SERA)の重要構造をNMRで決定したと報告した。またSERAは赤血球表面との高い結合性を持ち,それに対する抗体は原虫の赤血球への侵入や,原虫の増殖を培養系で阻害するなどのデータを示した。
 筆者ら国立国際医療センター研究所を中心とするグループは,マラリア原虫の解糖系の酵素エノラーゼに注目し,その組換え体蛋白で免疫したウサギのIgGが特異的にマラリア原虫の増殖を培養系で阻害するなどのデータを報告し,聴衆の反響を呼ぶことができた。マラリアの分子生物学的な手法は今世紀最大のツールとしてマラリア学(malariology)の発展に寄与した。きたる世紀も,マラリアを対策すべき疾患として強く認識する分子生物学者たちにその学問的貢献を期待するところである。

おわりに

 日本の熱帯医学の研究は,多くの先達がその優れた研究成果を報告し,日本国内のみならず世界の熱帯病の対策に著しい貢献をしてきた。しかしながら現在,その研究者の数は激減し,いま地球規模の新興・再興感染症の時代にありながら,わが国として世界でリーダーシップを発揮することができないでいる。本学会のような世界的規模における重要学会で,わが国のアピアランスを示せるような学問的環境の整備が一段と望まれるものと考える。
 本学会が熱帯病の猖獗する灼熱の太陽の国で開催されたことは,欧米をはじめとする先進国研究者らの研究モチベーションを熱く高めるに難くなかった。また,学会会場のあらゆるコーナーでは,スポンサーのコーヒー会社が期間中を通してお国自慢のコーヒーを用意してくれたので,会場中がアロマティックな香りでいつもあふれていた。まさにコロンビアならではのもてなしの数々であった。ロスアンデス大学Guhl教授を会長とする本学会は,時と場所を得て大成功であったと筆者は確信している。次回第16回ICTMは2005年にフランス・マルセーユで,第17回は2008年に韓国・済州島で開催されることになった。新たな世紀へ向けての熱帯医学の道は,まだまだ歩き甲斐がありそうである。
 末筆ながら,今回私に本学会参加のための助成を与えてくださった金原一郎記念医学医療振興財団に謝辞を申し上げます。

〔写真左〕開会式で演説するパストラーナ・コロンビア大統領,〔写真右〕Felipe Guhl学会長(左),Manuel Patarroyoプログラム委員長(中央)と筆者(右)