医学界新聞

 

【座談会】

家族看護学の実践

新たな視点での臨床活用へ向けて

鈴木和子
(東海大学教授)
ロレイン・M・ライト
(カナダ・
カルガリー大学教授)
ジャニス・M・ベル
(カナダ・
カルガリー大准教授)
杉下知子
(司会・
東京大学大学院教授)


杉下 本日は,お忙しいところをお集まりいただきましてありがとうございます。日本での,第3回家族看護ワークショップ(本年8月29-31日,東京大学山上会館で開催,本紙2404号参照)のために,ゲストスピーカーとしてお招きいたしましたライト先生とベル先生に,日本の看護職の皆様に家族看護についてご紹介するという企画のもとに,お時間を作っていただきました。東海大学の鈴木先生に日本の状況などもご紹介いただきながら,話し合いを進めていきたいと思います。
 お2人の先生には,日本でどのようにすればカルガリー家族看護モデルを1つの看護実践のモデルとして応用し,活用できるのかをお話しいただくとともに,臨床における導入のメリットも探って参りたいと思います。

家族看護学講座が学部にある理由

実践的な教育プログラム

杉下 はじめにライト先生におうかがいしたいのですが,先生は,カルガリー大学看護学部に家族看護ユニットが創設された時からかかわっておられますが,そのいきさつからお話しいただけますか。
ライト 正確に覚えているわけではないのですが,教員と学生が外来で一緒に実践できるような場がほしいと思っていました。どうしてかと言いますと,学生には教員がどのように実践しているかを見せることが重要だと考えたからです。そして同時に,ヘルスケア,特に看護実践において家族にかかわるということも大変重要だと思っていたのですが,当時その考え方もあまり普及していませんでした。また,実際に看護職が家族に関与するということも少なかったのです。
 それから,看護学を専攻していた大学院生たちが,ソーシャルワークや心理学など他の専門職の下でトレーニングを受けるのではなく,「家族看護学」を専門とする教授によってトレーニングを受けるべきだと思ったこともきっかけの1つです。
杉下 学生の臨床教育の場面で,家族についての教育をしたいという考え方は,カルガリーの看護学部としてのアイディアだったのですか。それともライト先生のお考えだったのでしょうか。
ベル それに関しましては私からお答えいたしましょう。家族看護学の歴史を振り返ってみますと,1970年代後半から80年代にかけては,英語圏の雑誌でも家族に関する研究が大変少ない時代でした。タイトルに「家族」という言葉が入っている教科書は『Family-focused Care』(Janosik,E.H.&Millar,J.R.,McGraw-Hill,1980)1冊しかなかったと思います。その反面,地域看護などはたくさん出ていました。
 当時,家族看護の修士プログラムを持っていたのは,カナダではカルガリー大学だけでした。カルガリー大学では,1971年に看護学部を設置して,10年後に修士課程を設けました。上級の家族看護の実践をめざすためには,教員もまた,家族看護の専門性を高めることが必要な時期でした。
 1981年に大学院ができて,新しいプログラムが始まるのと同時に専任の教員たちのリクルートが始まりました。成人,小児,母性看護などを専門とする人たちが,大学院生を教えるために集まってきましたが,ライト先生はその時に医学部から看護学部の家族看護専門の教員としてリクルートされたわけです。しかし,その当時は誰もが「家族看護ってなに?」という感じでした。その理論が何に基づいているのかも,知らない段階でした。
 ライト先生は,そこですばらしい戦略を用いたのです。家族看護の専門性を成人看護や精神看護と同じように確立しただけでなく,学生と教員が一緒になって毎週実践しながら学ぶことができる実践のユニットを作りあげたのです。これがなければ,ただの「いいアイディア」で終わってしまったでしょう。つまり,家族看護は家族を助けるだけでなく,学生に教えることもできるという根拠を示したわけです。そのために,家族看護なんて看護にとって重要なものではないとか,関係ないと言う人はいなくなりました。
ライト 学生は,家族看護の実践の経験をここで積んで育ち,実際の仕事の場に出て行って,そこでいわば大使や使節団のような役目をするようになるのです。彼らは,自分自身の実践に家族看護を取り入れたり,他の看護職の人に教えたりするようになったのです。
杉下 今の日本の状況は,新しく修士課程ができるところに相当していると思います。そこで,カルガリー大学でのスタートの時のことをうかがってみました。恐縮ですが,もう少し教えてください。家族看護学がスタートしたのは1971年と考えてよろしいでしょうか。
ライト いいえ,大学の看護学部ができたのが1971年です。そして10年後に修士課程ができて,その時に家族看護学を含むいろいろな専門課程もできたのです。
杉下 その時に大学院生の教育に当たったのが,ソーシャルワーカーや心理学の人たちだったということですか。
ライト それは違います。実際にそうだったということではなくて,そうなってほしくなかったということです。看護の大学院でのトレーニングは看護教員の手でしたいのです。なぜソーシャルワーカーや心理学の分野の人を例に出したかと言いますと,家族のアセスメントというのがその人たちによって行なわれていたからです。そのため,新しくマスターコースができた場合,その人たちが入ってくる可能性がありました。でも私は,これは看護学部のプログラムであり,看護実践ですからナースが教えるべきだと考えたのです。
杉下 日本でも,看護の大学院教育を誰が担当すべきかということで議論がありますので,そのことをうかがいました。
ベル 看護は,看護職が教えるべきだと思います。
杉下 私たちもそう思っていますが,日本では教員の基準数がなかなか達成できなくて,他の専門領域の方が教授に入る場合も,時にあり得るのが日本の現状です。

広がりいく家族看護のアイディア

杉下 実践と教育を統合したユニークな取り組みを,家族看護ユニットで始められたとのことですが,病院ではなく看護学部の中においたメリットは何でしょうか。
ライト とても鋭い質問ですね。実際に,私たちも何度か病院の管理者から病院へ移って来てくれないかと言われたことがあります。しかし,私たちは「ありがとう。でも行きません」と答えました。もし私たちが病院に移ってしまうと,私たちは患者にサービスすることが主たる業務になってしまいますし,たくさんの家族をみていかなければなりません。そうなってしまうと,きちんとしたスーパービジョンができるかどうかわかりません。看護学部でやっているなら,数少ない家族を対象にしますから1つひとつの家族をしっかりみることができますし,学生へのスーパービジョンもちゃんとできます。
 それからもう1つ,病院に移らなかった理由としては,病院にはヒエラルキーがあります。私たちは経験上,病院の中で看護がどの位置に置かれるかということも想像がつきます。そう考えますと,病院という組織の中では自分たちのユニットを自分たちで運営する自由を失ってしまいます。ただし,看護学部にあれば,私たちの意思決定で物事が進められます。どの家族をみていくかということについても,誰の許可も必要としないで済みます。
 これは私の個人的な意見ですが,病院にユニットを持っていった場合の別の問題として,当然のことながら,病院のルールに従わなければいけません。それから,他の職種の人と上手につきあっていかなければならないということもあり,学生はそういうことにエネルギーを取られてしまいます。看護学部にあれば,臨床の技能を身につけることにだけ焦点をあてることができるという利点があります。
鈴木 今日はじめて,ユニットを病院に移してはどうかという申し出があったことを知りました。病院に移った場合,家族看護の実践は保険制度でカバーされるという申し出もあったのでしょうか。
ライト 家庭医から紹介された家族のみがユニットに来ることになるでしょうね。自分たちで自由に来ることはできなかったと思います。ですから,医師に紹介された場合にはそうなるでしょうね。
ベル カナダでは,医師の給料は直接,予算とは別に出ていますけれども,病院の費用と各プログラムは予算制になっています。ですから正確には保険ではなく,病院の予算の中で支払われたと思います。
 ライト先生もおっしゃいましたように,病院の中にユニットが移るとたくさんの家族をみなければならなくなるでしょう。しかし,それは私たちの目的ではありません。家族看護のユニットは,病院の中で行なわれているサービスの1つになる必要はないわけですし,研究と教育を目的としたものなのです。
鈴木 私がこういう質問をした理由は,日本で家族看護の必要性を言いますと,「家族看護には経済的保障がない」と言われることが多いからなのです。
杉下 その点,カナダのほかの病院や大学ではどう考えられていますか。
ベル これまでに110人ほどの修士の卒業生がいますが,彼女らの就職先は他の病院や大学にある家族看護ユニットではありません。立場としては,クリニカル・ナース・スペシャリストや管理職であって,専門性を必要としている病院や地域の中のなんらかの部署に就職することになります。そこには,「家族看護についての専門性を持った人がほしい」とリクルートされていますので,直接家族看護学のユニットそのものに就職するのではありません。
杉下 カルガリー大学の学部の中に家族看護ユニットがあって,臨床活動および教育活動をしておられますが,ほかの大学や病院でも,同じように家族看護を臨床・実践活動で取り入れていると考えてよろしいでしょうか。
ライト 大学院生やエクスターンシップへの参加者のおかげで,家族看護学ユニットのアイディアは広まっています。他の大学では,私たちのやっているような家族看護学ユニットを設けて成功しているところもありますし,失敗しているところもあります。また,同じようなユニットをクリニックや外来に持ったり,その病院独特の考えを応用しているところもあります。つまり,多くの地域・施設にこの考え方が広まっていますが,私たちが実践しているユニットが,そのまま他のところで行なわれているというわけではありません。
 私にとって大変重要なことは,家族看護のアイディアが広まっていくことです。ユニットそのものや外来サービスを取り入れてもらうということではありません。家族とのかかわりあいが実践活動の中に取り入れられ,適用されるということが重要なのです。

日本における家族看護学モデル

日本の現状は

杉下 日本では,5年ほど前に『家族看護モデル-アセスメントと援助手引き』(森山美知子,医学書院,1995)が出版され,それをきっかけにカルガリー家族看護モデルが知られるようになり,「家族看護」という概念に関心がもたれるようになってきたのではないかと思います。ここで鈴木先生に,日本の実情についてお話しいただきたいと思います。
鈴木 今,カナダの家族看護の歴史をうかがって,日本とも似たところがあるなと思って聞いていました。1つは,最初に「家族看護学」という言葉を皆さんが聞いた時の反応です。日本でも,「家族看護ってなに?」という反応が最初にありました。ですが,その一方で,今まで看護を行なってきた中で家族に対するケアが非常に大事だと思ってきたといって,「これこそ私の望んでいたものだ」と共鳴される方もかなりいました。
 日本の家族看護の歴史について言えば,1992年に千葉大に家族看護学の講座ができまして,同じ年に杉下先生の東大にも講座ができました。
杉下 訪問看護ステーションの誕生と同じ年でしたね。
鈴木 ええ,そうです。その翌年の1993年に,ライト先生を千葉大看護学部の博士課程開設記念シンポジウムに招聘いたしました。それが,カルガリーモデルが日本に紹介された最初です。
杉下 その翌年にあたります1994年は国連の「国際家族年」でしたが,その年の10月1日に「日本家族看護学会」がスタートしました。
鈴木 そして,森山美知子先生(前山口県立大)がカルガリー家族看護モデルを紹介された同じ年の1995年に,私どもも『家族看護学』(鈴木和子・渡辺裕子著,日本看護協会出版会)を上梓しました。また,各地の病院や大学で家族看護に関する研究会活動が始まったのも,この頃からです。その背景となる要因はいろいろ考えられますが,在宅ケアが重要になってきたこともその1つであり,それぞれの看護の領域がこの「家族看護」に注目してきたことも考えられます。また,大学に講座ができてきたという背景には,「家族看護学」に求められているものがあったからだとも思います。
 それからもう1つ。日本では看護の大学化が急速に進み,それにともなって大学院もできてきた。そこに家族看護に関する講座が組み込まれるようになったことも特徴でしょう。
ベル 10年前には,日本の大学看護学部の数は9校でしたね(編集部注:教育学部教員養成課程を含めると11校)。
杉下 それが現在では86校まで増えましたし,大学院は93年ごろから設置されるようになり,現在では30校を超え,ますます増える傾向にあります。
ベル すごいですね。
鈴木 そういったことからも,家族看護学は1つのスペシャリティとして確立しつつあると言ってよいと思います。
ベル 学部と大学院レベルと両方で?
鈴木 2つの方向があるように思います。1つは,一般の看護実践の中に家族看護という視点を取り入れる方向であり,もう一方は,修士課程でのスペシャリストとしての方向です。
ベル 学部では一般的な方向であり,専門化されるのは大学院で……ですね。
杉下 日本での家族看護学のスタートは,カナダでのスタートとかなり類似点があるということがわかりました。

各国でも利用されている「家族看護モデル」

杉下 次の話題ですが,日本でも紹介されております,「家族アセスメントモデル」,あるいは「家族介入モデル」は,どのような経過から作られてきたものでしょう。他にあったモデルを看護に持ってきたということなのか,それとも新たに組み立てたものなのでしょうか。
ライト 当時ありましたいろいろなモデルというのは,家族療法に関するモデルであって,病気にかかっている人がいる家族のためのモデルというのはありませんでした。ベル先生が先ほどおっしゃったように,家族という文字がタイトルに入っている教科書も1,2冊しかありませんでした。その教科書も,モデルを提示しているのではなく,「家族にかかわることは大変重要である。その意識を高めよう」といった内容のものでした。
ベル ですから,なぜこのモデルを開発したのかという質問への回答は,「当時は,何もなかったからだ」ということです。
ライト 看護理論の中には家族のことにスペースをさいているものや,カリキュラムの中に取り入れ始めているものもありましたが,それはあくまでも追加というかたちであって,実践とは関係がありませんでした。例えば,ロジャーズの理論ですが,実践で活用できるものがなく,今でも,特に学生の間でジレンマになっています。
 しかし,このモデルは実践が重要なのです。他の家族アセスメントモデルは,看護職によって開発されたものではありません。そういったアセスメントモデルはたくさんありますが,ナースのための介入モデルというのはまだ非常に少ないわけです。最近は,介入も大事だということになりつつありますが,ナース自身も,まだアセスメントに焦点をあてているのが現状です。
ベル 1995年に,「Journal of Family Nursing」(Sage Periodicals Press)が創刊されました。私はその論説を書いた時に,家族看護の介入研究や実践方法に関する資料を探したのですが,あまり見当りませんでした。それは,6年経った今でも状況はあまり変わっていません。
 その理由はたくさんあると思いますが,振り返りますと,1970-80年代には,少なくとも欧米では,「看護は理論だ」と言われ,看護理論が大変重要視されている時代でした。理論が実践を支配すると言いますか,「理論があって実践がある」という考え方が主流になっていて,「看護とは何か,健康とは何か」という時にも,私たちは,神になったかのような「理論」に支配されていたわけです。
 それから少しずつ変わってきまして,実践から理論を導き出すという考え方が出始めたのですが,それが「Illness Beliefsモデル(編集室注:「信念モデル」とも訳されるが,適切な日本語がないためここでは原文のままとする)」や「カルガリー・アセスメント・モデル」「カルガリー介入モデル」につながっていくわけです。私たちは,多くの実践を見て,たくさんのビデオテープを撮って研究し,そこから理論を積み上げてきました。
杉下 私が非常に関心を持っているのは,家族看護のモデルそのものもそうですが,実践から理論を引き出してきたプロセス,あるいはその方法論です。そのことが,看護介入にインパクトを与えているのではないかと思うのです。
 アセスメントモデル,介入モデルを作り上げるプロセスで直面した,何か困難な課題などはありませんでしたか。
ライト 開発そのものに困難はありませんでした。むしろ,できあがってから,そのアイディアを皆さんに取り入れていただいて実施するところに困難がありました。
杉下 おそらく何度か修正されて今日のモデルがあるのだと思いますが,その間,看護職以外の方,あるいは他の看護職の方からの有益なアドバイスはありましたか。
ライト モデルについてのフィードバックはたくさんありまして,有益だったものもあれば,そうとは言えないものもありました。私が大変驚いて,またうれしく思ったことは,このモデルが他の職種の人にも使われているということでした。ソーシャルワーカーたちが家族療法のプログラムに使っています。また,総合診療科(family practice)でも使われています。それから,日本語を含めて数か国語に翻訳されたということもすばらしいことです。フランス語,スウェーデン語,韓国語,そして最近ではスペイン語にも翻訳されました。ですから,ただモデルというだけではなく,看護のグローバル化にも役立っているわけですね。私たちは草分け的存在ですが,世界中の皆さんにこれを広めていただいて,学生たちがこれを理解していってくれるとよいと思っています。

日本にあったモデルは

杉下 このモデルは,カナダや北アメリカで通用するように作成されたものですが,国によって修正バージョンが出てくる可能性もあることを期待されているのですね。
ライト それぞれの国で,その文化にあわせてこのモデルを適用していただければよいと思っています。
杉下 その点について,鈴木先生,何かコメントはありますか。
鈴木 私は,カルガリー大で毎年行なわれていますエクスターンシップに参加した最初の日本人でした。1994年でしたが,その時にはまだ十分に「カルガリー看護モデル」を把握できなかったと言いますか,これが日本にぴったりくるかどうかの確信が持てずにいました。ですけれども,先生の『Nurses and Families』(F.A.Davis)の第3版を読ませていただきまして,共鳴するところがたくさんあり,日本でも十分に適用できる面があると確信を持ちました。この第3版では,ポストモダニズムに基づき,社会構成主義の考えがかなり取り入れられています。それは,私が最近,大学院で家族看護学を教えていて非常に重要なポイントだと感じていたところなのです。Beliefsモデルについては,ナラティブ・セラピーを参考にしてらっしゃるのではないかとも思いました。私も,そこに家族看護の行くべき1つの方向性を感じていたのです。その点でBeliefsモデルが日本人にとっても有効であると感じています。しかし,そっくりそのまま日本に輸入できるかどうかはわかりません。文化的な背景も違いますし,コミュニケーション・パターンが違うからです。
 ライト先生は,日本のコミュニケーション・パターンをかなりよく理解してくださっています。日本人のコミュニケーションは非常にあいまいであり,「察し(guess without communication)」の文化でもあり,それが日本のよい点でもあり,悪い点でもあると思いますが,誤解を生じていることも確かです。特に,古いタイプの老夫婦はそうなのですが(笑)。
 それから,先生は介入の技術に3つの領域(ドメイン)を考えていらっしゃいますね。“cognitional"(認知領域)と,“emotional”(感情領域),“behavioral”(行動領域)の3つです。“beliefs”というのは,私の理解するところでは“cognitional domain”と“emotional domain”がミックスされたものではないかと思うのですが,それでよろしいでしょうか。
ライト そのとおりです。でも,これは非常に難しい,理解しにくい概念です。
鈴木 この重なった2つの領域のうち,日本人は“emotional”が非常に大きな部分を占めると思います。1つの例をあげますと,日本のテレビコマーシャルの80%は感情に訴えるけれども,アメリカでは反対に認識レベルに訴えることが多いと聞きました。日本では「家族看護」と言った時に,一般の看護職は「家族関係の調整」として,そのほとんどが家族間にある感情的な葛藤を解決することととらえています。
 それからもう1つは,circular questioning(円環的質問)が日本人にはとても難しく感じられることがあります。国民性かと思いますが,circular questioningのいくつかの項目のうち,「もし~だったら,あなたはどう思いますか」というような仮定の質問がありますが,これを家族自身が質問の意図を理解したり,答えたりする時に戸惑うことがあると思います。
ライト それは興味深いことですね。
鈴木 この点をもう少しわかりやすく,日本的に修正できればと思っています。しかし,残念ながら,日本には今のところ他に有力な実践モデルがないことは確かです。私自身,家族看護の実践方法を系統化するために,効果的と思われる家族援助方法を分類しています。しかし,それは,どこに焦点をあてた援助なのかという分類になっていて,それに対してどのような技法を用いれば解決へ導くのかがない。つまりhow toがまだ日本にはほとんど確立されていないと言ってよいと思います。

Illness Beliefsモデル

新しいモデルとしてのBeliefs

杉下 鈴木先生が今Illness Beliefsモデルについて言及してくださいましたが,Beliefsモデルについてもう少し詳しくご紹介いただけますか。それと併せまして,今後どのような方向に向かうかにつきましてもお願いいたします。
ライト 私たちは「Illness Beliefsモデル」と呼んでいますが,このモデルは2-3の家族の実践を検討し,そこから開発したものです。
杉下 いつ頃から開発を始められたものですか。
ライト この研究に研究費がついたのは1992年のことで,分析等,すべてが終わったのが1995年頃です。研究の前にも,このBeliefsモデルには関心があって家族に聞いていましたが,リサーチをした後のほうが実践を提示するのに大変役に立ちました。前からその重要性に気づいてはいたのですが,体系化していなかったのです。まったく新しいモデル,新しい言葉づかいになっています。
杉下 「Illness Beliefsモデル」を確立して,それに従ってインタビュー,介入をされるようになってからの場合と,それ以前の場合で,同じような家族において結果に違いはあるのでしょうか。
ライト 特定の分野に注意できるようになったと思います。そして結果もよくなったと思います。それはどうしてかと言いますと,何を変えればよいのかが明らかになったからです。家族が持っている後ろ向きのBeliefs,抑制的に働くBeliefsとはどういうものかがわかるようになったのです。
杉下 セッションの数は少なくなりましたか?
ベル いいえ。平均は同じで,4-5回のセッションです。
 将来的な方向性にもつながりますが,この「Illness Beliefsモデル」の研究を開始した当時は,治療的な会話によってうまくいった例に注目していました。満足した家族に焦点を当てていたのです。劇的な変化が起きたのは,どのような治療的な会話をしたからなのか,という研究をしたのですが,現在は失敗例の研究をしています。変化がない例ですとか,終わっていないのに途中でやめてしまったドロップ・アウトの例などです。
 その結果,家族アセスメントを行なった80%以上の家族が,「大変満足している」または「満足している」と答えています。失敗に終わって「満足していない」という人は少ないのですが,今はこちらの研究をしています。失敗例を見るというのは楽しい研究ではありません。落ち込むような研究ですが,大変重要なものです。
鈴木 「Illness Beliefsモデル」が得意な分野,また不得意な分野というのはあるのでしょうか。
ライト そんなことはありません。Beliefsが家族看護の入り口となっていますから,そういう違いはないのです。
ベル 病に対する家族のBeliefsとは何なのか,例えば奥さんが病気になった時には旦那さんが面倒をみるべきだというBeliefsとか,そうではないとか,そういうことに焦点をあてていますから,どういうものに適しているということはありません。

日本とカナダの共同で新しいプログラム開発を

杉下 最後にもう1点だけ質問をさせてください。これほどに大きな活動を維持していくための資金はどのようにして得ておられるのでしょうか。
ライト 学生の教育については,看護学部がずっと長い間支援してくれています。
ベル 特別なテレビカメラやビデオがあってワンウェイ・ミラー(マジックミラー)になっている教室を提供してくれています。もちろん,その部屋は私たちだけで使っているのではなく,ベッドメイキングやベッドバスなどの人たちも使っています。
ライト 研究費については,毎年開催していますエクスターンシップの参加費の中からも得るようにしています。その中から,リサーチ・アシスタントを雇ったり,参加者との共通の資料として,本を買うこともしています。
杉下 今まで私たちがあまり理解できなかったところをていねいにうかがうことができました。ありがとうございました。
ライト 最後に,将来に向けて1つだけコメントさせていただいてよろしいですか?
ベル 私も最後に,将来に向けて1つだけコメントさせていただいてよろしいですか(笑)。
ライト Beliefsについて何年も見てきたわけですが,これは家族の苦しみを増やしたり少なくしたりすることに大変深くかかわっています。Beliefsの持ち方によって苦しみの度合いが違ってくるということがわかりました。病気になった時に,「神が罰を与えているのだ」とか,「私が悪い人間だからだ」と思うと苦しみは増すわけですが,「自分のせいではない」と考えるとそれは変わってきますので,Beliefsと苦しみ(suffering)の関係に注目しています。
 また,精神的な面にも注目しています。病気になりますと,精神的な問いかけ,哲学的な問いかけをするようになります。「なぜ私が……」「なぜ,私の娘が癌にならなければいけないの……」という問いかけです。ですから,次の研究テーマは,苦しみについての会話です。
ベル 今日は,たいへんよい機会を与えてくださいましてありがとうございました。日本のリーダーの方たちは,家族看護の基盤を作るのにどう専門性を高めていくのか,そのやり方が大変上手だと改めて知ることができました。
 カナダには,家族看護に関する雑誌があるだけで「家族看護学会」という組織はありません。ですから,皆さんのお話は,大変私たちには参考になります。これまでのご尽力に敬意を表したいと思います。
ライト 家族看護にかかわる看護職の人たちはアイデンティティを持ちたいと思っていますから,自分の国に看板となる学会を確立することは非常に重要だと思います。
鈴木 1993年に,千葉大でライト先生が招聘講演された時に,「この家族看護というものは,今後主要なプラクティス(実践方法)になるだろう」と予言なさいました。それから7年経ちまして,今,非常にその気運が高まってきていることを感じます。先日,家族看護学の授業の後に,学部の2年生から「家族看護は,看護そのものではないでしょうか」という意見をもらいましたが,まさにすばらしいコメントだったと思います。
ベル 私に野心的なよいアイディアがあります。大学院に家族看護学の修士,博士課程ができることはよい方向だと思いますが,不満なのは学部であまり家族看護学が浸透していないということです。ですから,日本とカナダで協力して,学部としての新しいプログラムを実験的に作ったらどうでしょう。
 学部授業の第1日目の第1時限に家族看護学を入れて,学生は看護を家族の目を通して学ぶのです。それはどうしてかと言いますと,学部生の教育こそが看護職の将来にたいへん大きな影響を与えるからです。
杉下 確かにどこの大学でも家族看護学の講座ができてきていますし,専門学校でもされるようになってきました。家族看護学は,これからの日本の看護学の大きな要素になっていくと思います。その意味でも,今日の座談会は時宜を得たものだったと思います。本日は長い時間,ありがとうございました。