医学界新聞

 

東大の医学教育カリキュラム改革

加我君孝氏(東京大学教授・耳鼻咽喉科学,同大医学教育国際協力研究センター長)に聞く


東大における医学教育改革の歴史

――このたび,イヌイ先生を東大の招聘教授としてお招きになった理由をお聞かせください。 加我 昨年まで3年間,「東大・ハーバード交流プログラム」があり,相互に訪問していたのですが,ハーバード大側の責任者がイヌイ先生であったことがきっかけとなりました。
 初めに,東大における医学教育の歴史に触れたいと思います。と言いますのも,イヌイ先生を東大にお招きした理由はこの歴史と深くかかわっているからです。
 東大医学部の歴史は130年――東大自体の120年の歴史より長いのです。医学部は明治になってドイツ医学の影響を受けました。ドイツ系医師エルウィン・ベルツ先生の来日に端を発しています。先生は東大に35年いらして,既に当時,東大の医学教育について批判されています。100年ほど前,ベルツ先生が日本を去る時に小石川植物園での講演の中で,「西洋の科学・医学は種子から木を育てて実をならせるようにと育ててきたが,日本の医師はとかく実だけとろうとする」と,非常に辛辣なことを述べています。また「日本の医師は患者さんを診るよりも,研究に関心を持つ傾向がある。看護婦長のほうが患者をよく知っている」と言っています。
 その後50年たち,日本は第2次世界大戦後,アメリカ医学の影響を受けます。そして昭和30年代になるとインターン闘争や青年医師運動などが東大を起点として日本を席巻しました。その後はインターン制度が廃止され,現在の研修医制度が開始される,という流れになります。いわゆる学園紛争当時,「東大闘争」と呼ばれる運動の中で,一般学生の間に医学教育に関して改革を唱えるグループが生まれ,私もそこに参加していました。当時私は医学部3年で,学内カリキュラム委員会の委員長につき,学生側から医学教育の実態を分析し,大学側に「講義よりもっと自由で実習中心の教育を受けたい」と具体案を申し入れています。そこで「フリー・クォーター制」という,その期間は学生が希望する内容で自由に学べる制度を導入してもらいました。これは1例ですが,このように東大では教官・学生ともに内部から医学教育を変えていこうとする基盤があるのです。

7年間かけての改革

 現在につながる医学教育改革への議論が始まったのは7年前のことです。当時,黒川高秀先生(整形外科)のもと,大学院重点化への手続きを始めた頃でした。その時に,「医学部での教育がどうあるべきか」をもう1度議論する必要性が生まれたのです。その中で,私は「学部教育委員会」委員長となり,東大医学部はどのような方向をめざすかが問題になりました。
 この委員会が提案した骨子とは,(1)国際的に意味のある人材の養成,(2)質の高い医学教育,(3)人間性,ヒューマニズムの教育,(4)個性,創造性を重視,(5)英語での発表・論文のトレーニング,(6)学生に対する評価方法,試験および教官に対する評価方法の開発を行なう,という内容でした。
 そして4年前,医学部長であった石川隆俊先生(病理学)が非常に力を入れたのが,5000時間という現行の授業時間を減らし,ゆとりのある教育の実現でした。同時に石川先生は,「学生による臨床実習の評価」という,学生に各教室の評価させるという画期的なことを導入されました。これは学内に大きな影響を与えました。2年ごとに行なわれますが,教授の交替後に評価が高くなった教室があるなど,教育者や教育内容の変化により大きな影響があることがわかりました。これは,われわれ教官にこれまでの教育方法を考え直す機会にもなりました。ちなみにこの中で評価の高い教室は,クリニカル・クラークシップ的な手法を導入し,学生が医療チームと一緒に動いているところでした。また同時に「印象深い指導教官10名」というアンケートを実施したところ,やはり学生に熱心に教えている先生たちの名前が多数あがってきました。学生は医学や医療を真剣に学びたがっています。そこに触れることができる授業を高く評価しているようです。
 東大のこのような試みは,他大学にも強い印象を与えているようです。

教育改革の内容

 1998年(平成10年),国内外から3人の先生をお招きして,「臨床実習の外部評価」を行なっていただきました。その評価では,「教育目標がない」,「必修科目と選択科目の選択が乏しい」,「診断・検査に偏りがち」「臨床実習の方法に関して一方通行の教育方法が多いので,もっと討論やディベートを中心としたものに変えるべき」など,問題点を客観的にあげていただく機会を得ました。
 さらに,今春の医師国家試験の結果がかんばしくなかったことは,われわれ教官に大きなショックと危機感を与えました。これは学部全体が教育改革へと乗り出す契機になったと思います。このような評価を積み重ね,同時に医学教育改革委員会と教務委員会も改革へ向けて,種々の試みを導入しつつあります。
 具体的には,大内中尉義先生(老年病学)が教務委員長の時,出席率の悪い臨床講義を春と秋各1週間の統合型集中講義に変えました。また,「内科診断学」と呼ばれていた講座は,担当教官によって教育方法に非常にバラつきの激しいものでしたが,これを「臨床診断学」というレベルに上げようと,各グループごとに統一したカリキュラムによる実習法に変わりました。 そして,今年4月から高本眞一教務委員長(心臓外科)は,チューター制度を導入しています。そして今後はチュートリアルの教育方法も取り入れ,加えてOSCE(客観的臨床技能評価)を導入し,学生が身につけた臨床技能を正しく評価し教育にいかす方向で進めています。その他,コア・カリキュラムやクリニカル・クラークシップ導入への検討を続けております。今,具体的に詰めている段階です。
 また学部教育改革委員会として,教養学部での2年後期のカリキュラム改革に取り組んでいます。例えば,基礎医学の一部を教養に組み入れ,分子生物学教育の充実を図る,また学生は臨床にまったくタッチしないので,介護実習やホスピス,救急などの体験学習をさせるなど,現在検討中です。
 しかし一方で,一般教養は非常に重要です。その背景には学生の読書離れなどが問題になっています。医療というものは,少し油断すると,ベルトコンベアのようになりかねない側面があります。ですから,学生には広い一般教養と人間への関心を持ってもらいたい,さらに教育を通して,世の中のさまざまな事柄を知ってもらいたいとい う希望もあります。
 基礎医学教育にも取り組んでいます。生理,生化,薬理では通常の授業だけでなく,研究のブレークスルーとなった論文について,小グループに分かれてセミナーを行ない発表させ議論するなどはその例です。
 以上の教育改革にあたって,卒後教育の理念や目標があるべきです。教育改革委員会で議論を重ねて,日本語に表現した内容を,イヌイ先生に英訳していただいたものを紹介します。
 「The University of Tokyo of Medicine serves Japan and the world by contributing new knowledge through research and providing an exemplary education to medical students who will become future leaders in the life science, clinical research, and the clinical practice of medicine. To prepare our graduates for the major challenges they will face, we seek to support their professional development as physicians with creative and inquiring minds, an appreciaion of the principles of medical practice, and a sound foudation in both the scientific and humanistic aspects of medicine.」

ハーバード大との交流と東大inuiプロジェクト

 東大医学部では,最初にお話ししたように「東大―ハーバード交流プログラム」を行なってきました。そして先生には昨年,東大での教育セミナーの際に来日いただいています。その時にPBL(問題施行型学習法)のデモンストレーションをお願いし,われわれはそのすばらしさを目の当たりにしました。そこで蓮実重彦総長にお願いし,今年7月から3か月間,東大の特別招聘教授として,同時に文部省特別招聘教授としての活動をお願いすることになり,先生の来日が実現したのです。
 特にその中で,東大における医学教育に関する種々の活動を「東大Inuiプロジェクト」と呼び,われわれが進めているカリキュラム改革への提言をいただくことになりました。

教官に与えた影響

 今年4月に設立されました「東京大学医学教育国際協力研究センター」の設立式典の中で,来日して間もないイヌイ先生に,「ミレニアムの医学教育の大きな動き」という記念講演をお願いしました。その時,先生はわれわれをブレインストーミングするかのように,数多くの質問を投げられました。例えば,「東大の医学教育の長所・欠点・問題点は何か」,「この教育改革を実行の鍵となるグループは」,「教育改革に関してポジティブな面とネガティブな面の動きは何か」,「東大における医学教育改革を持続的に行なうには何が必要か」,「ワーキング・グループが生み出す見解を,教授会全体が受け入れるか」,「改革のための検討には,どのような行動をとるべきか」と続きます。この1つひとつの質問に対してわれわれは思いつくまま意見をあげていきますが,それに対するイヌイ先生のコメントは的確で,またそこに新しい視点を加えていきます。皆が言うことを上手く整理し舵取りながら,問題点を明らかにし,そこからどのような行動が必要か,と結論に向けての方向性を導き出していくというものでした。まるでもう一度学生になったような気分で,議論の仕方を学んだような気がします。このようなやり方も,米国では教育トレーニングとして行なわれているとのことです。
 また,東大では初めて各科約30名の教官が集まり,合宿形式でワークショップを行ないました(富士教育研修所)。イヌイ先生と神津忠彦先生(東女医大)に特別参加をお願いしました。ここでは「A:コアカリキュラムの内容開発」,「B:臨床・基礎の統合型教育の導入」,「C:教官の教育能力の測定法開発」,「D:臨床実習改善の方策開発」と,テーマごとに4グループに分かれ討議し,ここで話し合われた議論をまとめて,学部長へ提言として提出しています。まず最初に必要と認識されたのは,教官の質向上(Faculty Development)でした。教官に対して情報を伝える。そしてともに議論することが重要ということですね。このような改革を進めるには多くの方の協力が必要なのです。これはたった1泊2日にもかかわらず非常に収穫の多い会でした。そこで気がついたことは,「ある人が新しいアイデアを生むためには,1人で努力しても難しいが,違う文化との接触で新しいアイデアが生まれる」ということです。まさにイヌイ先生は,東大の中に異文化の風を吹きこんでくれたような感じがしました。先生には最後に医学教育改革のための提言を長文のレポートにまとめていただきました。
 東大はこのような流れの中で,大学内部から変革・改革を起こそう,また起こさなければならないという雰囲気の中で,イヌイ先生という優秀な人材を得たと言えます。このことは学内の医学教育改革への大きな弾みをつけました。来年度から,先ほど述べたような種々の技法も取り入れて,新しい教育システムを稼働させるべく,医学部をあげて取り組んでいるところです。
――ありがとうございました。