医学界新聞

 

ハーバードレクチャーノート

連載 第7回 バイオテロリズムの脅威

浦島充佳(ハーバード大学公衆衛生大学院)


地下鉄サリン事件の警笛

 1995年3月20日,地下鉄サリン事件が起き,12人の死亡と5000人を超える犠牲者を出しました。このオウム真理教によるテロリズムは,従来の爆弾中心のテロリズムを超えて,化学兵器という新しい可能性を示唆した点でも重要な意義を持っていました。
 しかし,化学兵器開発の前段階で彼等は生物兵器をも開発していたのです。なぜなら生物兵器は,安価で簡単に開発することができ,化学兵器や爆弾とは違って潜伏期があるためテロリズムであることが判明するまでに時間を稼ぐことができるからです。オウム真理教の杉本被告は,「十勝川からボツリヌス菌を採取し,その毒素を増やして1990年4月東京を中心とする広域で,トラックを用いて見えない程の微粒子として散布したが,誰も病気にならなかった」と供述しています。ボツリヌス毒素には無数の型があり,毒素によって毒性も大きく異なります。またボツリヌス毒素を吸入した際は毒性が低いのかもしれません。
 彼等は炭疽菌を某大学より入手しその増幅に着手しました。1993年6-7月,屋上より炭疽菌を散布しましたが,周囲の住人が悪臭を訴え抗議した程度で終わっています。この時,警察による立ち入り調査は行なわれませんでした。その後トラックでこの炭疽菌を散布していますが,何も起こっていません。おそらくは弱毒株であったことが幸いしたのでしょう。一連の生物兵器テロは失敗に終り,彼らはサリンを用いた化学兵器テロへとシフトしました。日本ではサリン事件のあと危険な化学物質の売買が規制されましたが,微生物や遺伝子などは容易に入手できます。

バイオテロリズムの脅威

 オウム真理教は炭疽菌を用いたバイオテロリズムに失敗しましたが,この菌は最も危険で製造・使用しやすいため,生物兵器として好んで開発されてきました。実際にその威力は強力で,1979年旧ソビエト連邦では「生物兵器製造中に過って炭疽菌が空中に漏れ,風下の住人66人が死亡する」という事故が発生しています。
 もしも芽胞が空気中に散布された場合,これを吸った人の肺胞に達し,マクロファージに貪食され局所リンパ節に運ばれ,ここで発芽し壊死性,出血性縦隔炎を起こします。最初は風邪のような症状,つまり発熱,倦怠,乾性咳,胸部違和感などが出現しますが,数日後呼吸困難や敗血症性ショック,髄膜炎を併発して瞬く間に死亡してしまいます。
 極初期に治療が成されると回復することもあり得ますが,一端臨床症状を呈したら最後,有効な手立てはありません。1970年,WHOは「もしも炭疽菌50kgを50万人の都市に飛行機で散布したらおよそ半数の人々を殺すことができるであろう」と予想しています。散布された炭疽菌はすぐに見えなくなり基本的に無臭なので,多くの患者が出るまではバイオテロリズムが起こっていることすら気がつかないでしょう。
 1989年,アメリカは危険な微生物のイラク,イラン,リビア,シリアへの輸出を禁止しました。イラクは1991年と1995年に生物兵器を製造していた疑いにより国連の査察を受けました。フセインは生物兵器製造の事実を認めたのですが,国連は生物兵器を押収することはできませんでした。核戦争の脅威は未だにありますが,21世紀は生物兵器による脅威の時代になりつつあるのです。北朝鮮が日本に向けてミサイルを発射したことがありましたが,もしも弾頭に生物兵器が搭載されていて日本に落下したとしたら,日本は今ごろどうなっていたかわかりません。

旧ソビエトの生物兵器開発の事実

 かつてソビエトでは当然ながら生物兵器が開発されつつありました。そこで働いていた多くの優秀な科学者はソビエト崩壊とともに世界各地へ散っていきました。かつてトップシークレットだった内容がここにきて少しずつわかってきています。「ニューヨーカー」98年3月号にソビエト生物兵器トップ科学者アリベコフ博士(アメリカ在住)のインタビューが載っています。
 ウスチノヴ博士はエボラウイルスと近縁のきわめて危険なマーブルグウイルスについて研究していました。当時ソビエトは炭疽菌,薬剤耐性ペスト,痘瘡,そしてマーブルグウイルスをミサイル弾頭に積み込む予定だったのです。博士はレベル4の厳重な研究室で2重に手袋をしていましたが,豚にウイルスを注射しようとした際に誤って針刺し事故を起してしまったのです。博士はあわてて研究室から飛び出し傷の手当てをしようとしましたが,牢屋のような病室に無理やり入れられてしまいます。彼は妻子にも合わせてもらえませんでした。4日目,眼が充血し,やがて身体のいたるところから出血し,連日大量輸血をしましたが,やがて死亡してしまいました。
 このウイルスをわずか1-5個を吸い込むだけで猿を出血死させるに十分であることがその後の実験で確かめられています。現代生物兵器として最も強力な炭疽菌でさえ8000菌を吸入してはじめて死に至ることを考えると,いかに強力であるかが理解できます。ちょうどマーブルグウイルス量産体制に入るところでソビエトが崩壊したため,幸いなことに生物兵器として完成することはありませんでした。しかし,このウイルス株を持った科学者が今どこで何をしているかは誰もわかりません。
 1348年ペストはヨーロッパの1/3の人口を一掃したほど強力な微生物です。ペストは抗生剤が有効なため現代においては大きな問題となっていませんが,ソビエトは抗生剤耐性ペストを生物兵器として開発していたとされています。この事実がイギリスにリークし,サッチャー,ブッシュの要請に対しゴルバチョフは外国の査察を受け入れたわけですが,国連がイラクを査察した時と同様,何もありませんでした。しかし「ミサイル弾頭に装着した痘瘡ウイルスを有効に飛散させるための研究が猿を用いて行なわれていた」という証言もあります。またソビエト生物兵器工場周囲のネズミ,リスなどから致死的生物兵器になりうる野兎病ウイルスが発見されています。ソビエト生物兵器開発は未だに多くの謎につつまれています。

エボラより怖い痘瘡

 エボラ出血熱は,リチャードプレストン著『ホットゾーン』で有名になりましたが,アフリカ・コンゴ,ザイールで数回の流行をみた致死率50-90%のきわめておそろしい病気です。オウム真理教はエボラウイルスを入手するためにザイールにも潜入しています。
 ソビエトは,痘瘡ウイルス(1979年にWHOにより撲滅宣言)に関しても生物兵器を開発していました。痘瘡は死亡率30%のきわめて危険なウイルスであり,化学兵器と異なり目に見えず人から人へ伝染していきます。しかもソビエトは,ベネゼーラ脳炎ウイルスと痘瘡ウイルスのキメラを開発し,さらにエボラウイルスとのキメラも開発していたかもしれないとアリベコフ博士はもらしています。事実は不明ですが,現代分子生物学の技術を持ってすれば十分可能なことです。ワクチン無効株を開発することもできるでしょう。現在痘瘡ワクチンは10年で無効になるため,日本で痘瘡に免疫を持つ人はいません。今,日本で1人の痘瘡患者が発生したとすると,2週間後には20人,4週間後には400人,6週間後には1万6千人,8週間後には日本人全員が感染することになります。よって痘瘡を初期に発見し隔離することに失敗すれば医療機関はおろかすべてを呑み込んでしまうでしょう。アメリカは5年前より痘瘡ワクチン量産に入っています。

疫学調査のできる医師の養成が急務

 1984年,オレゴン州の新興宗教であるラジニーシーはサルモネラ菌をサラダバーに混入させ,750人を病気にすることにより選挙を有利に展開しようと企てました。特に生物兵器により患者が発生した場合,テロリズムや犯罪によるものであると気がつくためには疫学的知識と洞察力が必要です。早期に感染拡大を防がないととんでもないことになってしまうからです。
 例えばテロリストが黙って大量かつ毒性の強い炭疽菌を延べ1万人が買物をするデパートの通風孔より散布したとします。もしも診察した医師が「炭疽菌によるテロリズム」を疑ってマスメディアを通して情報を流し,抗生剤投与を早期より開始する場合と,最後のほうまでテロリズムだと気がつかない場合とでは,死亡数が10倍は異なるでしょう。最初に「何か変なことが起こっている」と誰かが「いつ気がつくか」が運命の分かれ道なのです。そのためには個々の医師がテロリズムを意識することも重要ですが,日本においては疫学調査の教育を受けた医師を増やすことが急務といえましょう。地下鉄サリン事件の際,松本サリン事件の経験を生かして信州大学の医師が有機リン中毒に類似している症状をみて犠牲者を抱える東京の病院に素早く指示を出しています。このことにより救われた犠牲者も数多くいることでしょう。
 アメリカではテロリズムの予防と対応にはFBIが当り,破壊によって失われたものの補填にはFEMA(米国緊急事態管理庁)が当ります。私たちもテロリズムに対応できる臨床疫学,警察,経済補償の3システムを早急に構築する必要があるのではないでしょうか?


●ある都市に1人の感染者が侵入したときの数学モデル。流行の回数を重ねる毎に免疫を獲得した人が増えるため流行のピークは小さくなっていきます。しかしワクチン集団接種を行なわなければ痘瘡は絶えることはありません。初期流行の狭間で患者数がほとんど0になります。この時が大流行を防ぐチャンスなのです。