医学界新聞

 

新たな世界を切り拓く看護職

第26回日本看護研究学会が開催される


 さる7月27-28日の両日,第26回日本看護研究学会が,草刈淳子会長(千葉大教授)のもと,千葉市の幕張メッセで開催された。
 今学会では「新たな世界を切り拓く看護職-Three Ways to Growth」をメインテーマに掲げたが,草刈会長は成長のための3つの方策として,(1)社会経済の急激な環境変化への対応としての「組織の再編」,(2)それに伴う「新たな役割認知」,(3)その役割を十全に果たすための法的責任を伴う「責任ある実践」を提唱。本学会のシンポジウムなどのプログラムは,このテーマに基づき企画された。主なプログラムは,会長講演「看護管理50年の歩みとこれからの方向」や特別講演「創造する日本の女性」(千葉大・文学部 若桑みどり氏)の他,上記の(1)に沿った招聘講演「病院再編による衝撃」(米・ペンシルバニア大 ルアンヌ・ストラットン氏),新たな看護の世界を切り拓いている看護職らを一堂に集めた(2)に基づくパネルディスカッション「さまざまな分野で活躍する看護職」(座長=阪大 早川和生氏,八千代病院 加納佳代子氏),(3)の視点からのシンポジウム「21世紀の看護を担うために-拡大する看護職の役割と責任」(座長=都立保健大 川村佐和子氏,筑波大 紙屋克子氏)など。
 また,経済学者からみた看護サービスについて語った教育講演「経済学からみた看護サービスの現状と展望」(日本銀行政策委員会審議委員 篠塚英子氏),および同テーマで引き続き行なわれた鼎談(司会=聖路加国際病院 井部俊子氏)も企画された。


重要性が増す看護管理者

 草刈氏は会長講演で,日本の国立病院・療養所に初めて「総婦長制度」が取り入れられた1950年を「看護管理の幕開け」の年とし,今日に至る50年の看護管理の発展経過を7期に分けて分析。第2次世界大戦後の1945年から1960年までを第1期と定め,その前期(1952年まで)は「被占領期」,後期はGHQから独立した「反動期」であり,この時期に「現在の看護制度の基盤はできた」と述べた。
 また,全国規模で看護職を中心とした病院ストが起きた1960年からはじまる第2期は,「専門職としてのよりよい看護を求めての看護管理が本格的に歩み始め,その重要性も自覚された時期」とした。なお氏は,第3期を1970-76年,第4期を1976-87年に分け,後者では「女性の地位向上と看護職への期待が大きくなるともに,病院組織内の再編成が進んだ時期」と述べた。
 そして看護職の副院長が私立病院に初めて誕生した1987年から1992年までを第5期。高齢社会における保健・医療・福祉の連携が強調され,社会全体の組織再編も進み,「看護の日」が制定された時期でもある。第6期は1992-2000年。この期には地域医療を基盤とした長寿社会への再編成が提唱され,医療の質改善が叫ばれた。さらに,介護保険が始まった本年2000年からを第7期として,「IT革命」が提唱される中,省庁の再編成が行なわれようとし,社会保健福祉を中心とした新たなヘルスケアの段階へと進もうとしている。
 なお,看護職の副院長就任は1997年に公立病院で,1999年には組織経営の意思決定に直接参画しうる位置づけとなされるなど,「看護管理も新たな段階へと進んだことを物語っている」とした上で,「チーム医療の中で,看護情報に基づくオピニオンリーダーとして機能する看護管理者の重要性は一層増している」とまとめた。

新しい分野で活躍する看護職

 パネルディスカッションの開始にあたり,司会の早川氏は,「看護職の活躍する職場が大きく広がりつつある。新しい市民ニーズの中で,看護職は広く人間の生活の質とウェルネスの向上に貢献するさまざまな職場において,高い専門性を発揮して活躍することが期待されている。看護が伝統的に保持してきた『ヒューマンケア』『生活支援』の視座は,来るべく未来社会を先取りするものであり,21世紀の成熟型市民社会を実現するうえで必要不可欠な要素となる」と述べた。
 パネラーには,スウェーデンなど海外各国での看護経験を活かし,帰国後に介護看護コンサルタント業を始めたホルム麻植佳子氏(ビジケアサービス代表),病院から追い出しを受けている長期入院患者の居場所のために,30年の看護婦生活に終止符をうち看護施設を開所した鈴木夢都子氏(「みのりホーム」施設長),中小企業に働く人々の健康管理を図るべく,社会保険事業財団47都道府県支部の保健婦活動を統括する松田一美氏(社会保険健康財団),ケアコーディネーターとして幅広い活動を行なっている吉田千文氏(セコメディック病院),企業の中で商品開発にかかわる一方,看護職として研究,教育,管理の役割をも担っている山元ひろみ氏(ユニ・チャーム)の5名が登壇。新たな分野を切り拓く看護職からのユニークな経験が紹介されるとともに,「専門職であるからこそ,常に研究を行ない,理念を持つことが大事であり,自分たちの看護をもっと宣伝することも必要」との意見も壇上から発せられた。
 なお,本学会では初めて「開業看護婦」など新しい職域で働く看護職との交流を目的とする「出会いの広場」を企画。同セッションは上記パネルディスカッションの第2部として位置づけられ,展示者から新たな役割に関するメッセージが伝えられた。

「看護サービスと経済」を論議

 お茶の水女子大の教授職から,女性初で唯一の日本銀行政策委員会審議委員に,1998年から就任した篠塚英子氏は,経済学の視点から看護問題を考察する教育講演を行なった。氏は,看護のこれからの展望に関し,「高等教育がさらに進み,着実に進歩しており未来も明るい。量より質の時代となっている現在,看護職(女性)も政策決定の場に,政治的な交渉の場に参加することが重要となるが,そのための情報収集も必要」と述べた。
 教育講演を受けて開かれた「鼎談」では,篠塚氏,野村陽子氏(厚生省地域保健・健康増進栄養課),川島みどり氏(臨床看護学研究所)が登壇し,夜勤の問題から,3:1看護,看護サービスの評価方法,施設間・チーム間の格差,サービス量と市場原理の問題まで,「看護サービス」が抱える多くの問題が,司会の井部氏を交え論議された。

「責任ある実践」をするために

 一方,「責任ある実践」をテーマに開かれたシンポジウムでは,医療政策の立場から広井良典氏(千葉大),病院看護からは山崎絆氏(東京都済生会中央病院),在宅ケアの立場からは村嶋幸代氏(東大),医師を代表して近藤宣雄氏(千葉県医師会),医事法学からは平林勝政氏(国学院大)が,さらには一般市民の立場からは患者であり,看護職でもある土橋律子氏(癌患者サポート組織「生命を支える研究所」)が,それぞれに看護の役割と責任に対する意見や,看護職への提言を行なった。また,看護職は政策提言を積極的に行なっていくべきとの意見とともに,政策提言を難しくしている現実的な理由が語られるなど,話題がつきない展開であった。