医学界新聞

 

ハーバードレクチャーノート

連載 第6回 プリオン病の過去,現在,未来

浦島充佳(ハーバード大学公衆衛生大学院)


虚の中の真実

“Art is the lie that makes us recognizes the truth.”――Pablo Picasso――
 私たちの周りには実に多くの病気が存在します。その中に同じ病気でありながら臨床経過が異なったり,逆に同じ症状でも原因が異なることもあります。病気発生のメカニズムは大きな多様性を含んでおり,蜘蛛の巣のように複雑です。しかし,複雑に見えても真実は単純であることも多々あります。プリオン病探究の歴史をひもとくと複雑そうに見える中にも単純な原因-結果が見えてきます。
 動物間で感染する脳脊髄スポンジ様変化を伴い,進行性の精神運動荒廃を来たす致死的脳症は,transmissible spongiform encephalopathies(TSE)というカテゴリーにまとめられていました。TSEは人ではクロイツフェルトヤコブ病(CJD)が知られていますが,牛(狂牛病),イタチや鹿,羊でもTSEはあります。発症前診断するよい方法および治療法は見つかっていません。プリオン蛋白によって伝染することが明らかにされるまではウイルス感染症であると考えられてきました。1982年に発表されたプリオン学説は多くの生物学者に大きなインパクトを与えました。多くの科学者はこれらの疾患でみられる「ウイルスでは説明がつかない現象」に気がついていながら真実を発見できませんでした。今回は感染症疫学のフリーマン教授の講義をもとに話を進めていきます。

カニバリズムと風土病

 ニューギニアには原始時代に近い生活をしている種族があり,彼らには奇妙な風土病がありました。歩行時のふらつきで始まり,手足をコントロールできなくなり,やがて全身に振戦が出現し,1か月もすると立つことも歩くこともできなくなってしまうのです。運動能力の衰退と平行して精神状態も荒廃し,数か月以内に肺炎を併発して死亡に至ります。このわずか人口3万人の種族で1957-1975年の18年間におよそ2500人がこの奇病に罹患して死亡しました。
 ガジュセク博士は,1946年ハーバード大学医学部卒業後,小児科で研修を終えポリオウイルスの培養に成功したエンダー博士(1954年ノーベル賞)のもと,ウイルス学を学びました。そして博士はこの風土病にクルという病名をつけNew Eng J Medに報告しています。この種族は身内が死亡した際その遺族が死者の肉を食べる儀式(カニバリズム)を励行しており,男性は筋肉を女子どもは脳を食べます。博士はクル病の主体が女性と子どもである点から,「人の脳組織を食べることがクルの原因なのではないか」と考えました。博士は,クル犠牲者の脳組織をチンパンジーに移植し同じクルを発症させることに成功し,その儀式を中止させたところクルの減少をみました(しかし未だに発生しています)。1976年,「クルは伝染病である」ことを発見したことにより博士はノーベル賞を受賞しています。しかし現在は投獄の身となっていますから人生はわかりません。
 ガジュセク博士は最初,「クルは遺伝病であろう」と考えていましたが,ある動物学者が「クルは羊のスカルビや人のCJDと似ているのではないか」と指摘され,感染の可能性について探っていきました。スカルピという羊の病気は古くから知られています。体が痒いため,壁など至る所に体を擦りつけるというものです。ある研究者がスカルピに罹患した羊脳組織を1000匹以上の羊に投与したところ,皆スカルピになってしまったことから,これも伝染病と考えられました。
 しかしホルマリン処理やオートクレーブなど通常のウイルスであれば死滅するような処理を行なっても感染性は失われませんでした。しかも免疫反応がまったく認められません。それでも当時多くの人はウイルスが脳組織に発見されないにもかかわらず「クルの原因はウイルス感染であろう」と信じて疑っていませんでした。

プリオンの発見

 1982年,カリフォルニア大学の神経化学者であるプルジナー博士はサイエンス誌に“スカルピを引き起こす感染性蛋白”を発表し,世界の科学者に大きな衝撃を与え,1997年ノーベル賞を受賞します。発表から受賞まで大きな開きがあるのは,あまりにも衝撃が強過ぎて周囲の人が理解するまで時間がかかったためでしょう。
 彼はスカルピの原因感染蛋白を同定純化し「プリオン」と名づけました。プリオンの特徴は通常のウイルス不活化法ではその感染性を変えることができない,遺伝子を含まない,自己複製能力を持つ点にあります。プリオンは正常神経細胞で活用されていますが,クルやスカルピなどの患者の脳組織において折り紙のように折り重なり,正常プリオンも巻き込んでお互いくっつきあって塊(プラーク)を形成していきます。しかしその詳細なメカニズムは未だ謎に包まれています。

狂牛病とクロイツフェルトヤコブ病

 1985年,英国で最初に狂牛病が報告されてから年々報告数が増えました()。
 疫学調査の結果,1980年より精製法を熱処理に変えたmeat and bone meal(MBM)が感染源と推定されたため,政府はこれを禁止する政策を発表しました。MBMとは家畜のいらない部分を混ぜ合わせた蛋白を多く含む栄養価の高い家畜飼料であり,当然脳脊髄なども含まれます。またスカルピで死亡した羊の肉も入っていますし,病死した牛も入っていました。熱処理で細菌,ウイルスは死滅してもプリオンは残ったのです。
 規制の効果は弱く,半数の酪農家はこれを無視したばかりかMBMを鳥にも与え続け,不法に安い値段でヨーロッパ市場に出荷しました。1989年,狂牛病疑いが20,000頭に及ぶと推定され,農水食品省(MAFF)は重い腰をあげて狂牛病委員会を結成しましたが,「狂牛病は人の健康を脅かすことはない」と早まった発表をしてしまいます。
 それにもかかわらず「狂牛病食肉を人を含む食物連鎖から外す」よう指示を出したり,「牛の脳,脊髄,脾臓,胸腺,腸を食品として使うことを禁止」したり,さらに委員長は「自分の孫には牛肉製品を食べさせないようにさせている」と発言するなど,多くの矛盾を含んでいました。
 1995年,メ-ジャー首相は「狂牛病が人に感染したりCJDを引き起こすような科学的根拠は全くない」と浮き立つ世論に釘を刺しましたが,翌年CJDの新しい亜型(nvCJD)が10例報告され,英国政府は手の平を返すように「最近14か月間に発生した10人のnvCJDの原因として狂牛病が最も疑わしい」と声明を発表したのです。

狂牛病の危機は去ったか

 1997年,マウスにCJD患者脳組織を投与しても生存に影響を与えませんでしたが,nvCJD脳組織を投与するとマウスは早期に死亡し,その脳組織は狂牛病病理像に類似しました。この研究結果は狂牛病がnvCJDの原因である可能性を強く示唆し,これに対してMAFFはそれまで独占していたデータおよび狂牛病検体を科学のためにやっと広く開放したのです。
 2000年,英国におけるnvCJDは52例以上を数えるに至っています。もしもnvCJD潜伏期間が5年であるとすれば98年のnvCJD患者数は93年の狂牛病数を反映しており,98年のnvCJD患者数減少は本当かもしれません(図参照)。しかし20年であるとすると患者数はとてつもなく増えるでしょう。2000年に入ってから英国以外のヨーロッパ各地で狂牛病の発生が報告されています。まだ狂牛病の危機は去ったということはできず,nvCJDの発生を慎重に見守る必要があります。
 フリーマン教授は今年の5月,癌のため,他界されました。化学療法を受けつつも亡くなる数日前まで教壇に立たれておられました。父親が子どもを教育するがごとき慈愛に満ちたフリーマン教授は世界に巣だっていった多くのハーバード卒業生の心に残っていることと思います。