医学界新聞

 

《短期集中連載》全7回

ボストンに見る米国の医学,看護学,
ならびに医療事情の激しい動き(4)

日野原重明(聖路加看護大学名誉学長)


MGH Institute of Health Profession訪問

第2395号より続く)

12月27日(月)・第3日目午後

MGH Institute of Health Professionのプログラム

 私の今回のボストン訪問の中では,看護系の大学院大学として有名な,MGH関連の大学院Institute of Health Professionを訪れることが,大変重要な用件の1つであった。
 たまたまこの大学院の若手の教授で,癌末期患者や,HIV患者のケアを研究しているコーレス(Inge.B.Coreless)教授は,私が理事長をしている(財)ライフ・プランニング・センターの1997年の国際フォーラム「医療と看護とQOL」の講師としてボストンから東京に招いた方で,以後私は彼女とは密な連絡を取っていたのであった。
 玄関に私を迎えたコーレス教授は,本学の学長のコードウェル(A.W.Caodwell)と同僚でナース・プラクティショナーをしているローウェインスタイン(A.Lowenstein)教授を紹介してくださった。
 私はこの大学院の会議室で,この3人から本学の教育プログラムの詳細を聞くことができた。Institute of Health Professionは大学院大学だが,ボストン市のMGHの近くのMenimas Streetにある瀟洒な数階建てのビルディングの中にあった。この大学院は1970年代にはMGH内にあったが,1985年に現在の場所に移り,MGHを教育病院としながらも,これとは別の独立した大学院として発足したという説明を受けた。
 この大学院では,看護学のMaster of Scienceのコースの他に,臨床研究科,理学療法科,情報学と障害科などの修士過程が設けられている。ここには4年制の大学を卒業直後,または「社会人入学」として,卒後何らかの職業に就いたが,何年か経ってもう一度勉強しようという気になった年配の学生を入学させていると言う。もちろん,看護学の大学を卒業してナースの資格を持つ学生もこのコースに入学できる。

看護婦の資格なしで入学できる大学院

 看護学科は2つのコースに分かれている。第1は,非看護系の4年制大学卒の学生のための修士課程,第2は看護学士を持ち,看護婦資格をすでに持つ者の修士課程である。
 このコースは修士号とともに,(1)プライマリ・ケア看護,(2)精神科/精神衛生看護,(3)ナースプラクティショナーとしての急性ケア看護,の3コースに分かれる。
 1年は3学期に分けられ,2学年の1学期までに一般看護学課程を終わった者は,ここでマサチューセッツ州の看護婦資格試験を受験し,看護職の資格(RN;Registered Nurse=登録看護婦)を取得して2学年2学期以降,3学年3学期までの専門課程を経て,修士号を得ることができる。もともと看護婦資格を持つ者は,初めから専門修士課程に進むことができる。
 日本では,まず3年以上の看護課程を終了し,かつ学士号を取得しないと看護系修士課程に進むことができないが,米国ではいかなる領域の学士号を取得していても,この看護学修士課程に入学できる。そして,看護婦資格のない学士の場合は,この看護の大学院での課程をとりながら,在学前半までに看護婦資格を取得することができる。日本では,厚生省による看護婦国家試験を合格しないと看護婦資格は取得できないが,米国ではそれぞれの学校のある州の管轄下の看護婦資格試験(NCLEX;National Council Licensure Examination of State Boards of Nursing)を1年半ばかりの短期の看護課程を終わっている者も受験できるのである。
 2年1学期(Autumn semester)までの一般看護学コース(The generalist course)を終えて,看護婦試験を受けて資格を得た者は,第2学年2学期(spring semester)以降,(1)成人コース,(2)家族コース,(3)小児コース,(4)急性ケアコースのいずれかのコースで88-96単位を取れば,入学3年後には卒業できて看護学修士号が与えられる。この大学院は過去20年間に1000人の卒業生を出したという。
 この大学院の看護学科は教授4名,準教授5名,助教授12名,講師7名,計28名の教員からなっている。また,臨床研究科(健康科学の基礎的研究者となるためのコース)は,教授2名,準教授1名,情報科学と障害科は教授7名,準教授1名,助教授4名,講師1名,計15名の教員を持つ。
 理学療法科は教授2名,準教授5名,助教授12名,講師1名,合計20名で,すべての科を合計すると61名の教官数である。
 1997年度の1学年の学生数は約100名で,過去20年間に漸増している。学生の平均年齢は28歳で,85%は女子である。

心肺蘇生術取得を入学の条件に

 この大学院で学生として登録する際には,きわめてユニークな必須事項がある。この大学院で学生として登録されるには,心肺蘇生術の救急法(Cardio-pulmonary Resuscitation:CPR)の訓練を受けたという証明書が必要であるというのである。つまりCPRの救急法を学生に教え,これが実施できることの証明書を持つことが学生の登録の必須条件なのである。これは日本の高等教育システムには稀なことである。さらに,証明書の有効期間は1年間であるので,期限がくれば必ず再試験を受けて資格を更新することが要求される。
 このシステムの主旨は,通学の途上に道路で倒れた人がおり,心停止状態であれば,医師や看護婦でなくても,学生もまたこの行為により救命処置が果たされなければならないというのである。これは本学の学生は,新参者であっても医療に参加する義務のあることを学生に自覚させるという意味でも,学生にとって有効な教育効果があり,市民への医療サービスの提供者としての心構えを学生の身分で持たせるのに有効なやり方だと思った。
 コーレス教授は心身相関の現象に興味を持ち,前記のように癌末期患者やHIV患者のホスピスケアの研究業績も多い。また1999年度に出版された,ソーシャルワーカーのフォスター(Zelda Foster)氏との共編著「Hospice Heritage(ホスピスの起源と将来)」という単行本の編者である。このには,ホスピスの創始者シシリー・ソンダース(C. Sanders)先生の寄稿も受けており,ホスピスの過去,現在,未来についての多数の論文がまとめられている。
 なお,コーレス教授の同僚のローウェインスタイン教授は,米国における「ナース・プラクティショナー」の歴史の研究家である。彼女からいただいた貴重な文献には,MGHと協定しているブリガムウィメンズ病院の看護副部長アイキンス(H.Aikins)女史の努力で,新しい看護職の役割としての「ナース・プラクティショナー」の制度を1970年に発足させたことが記されていた(Evolution of nurse practioner;Current Issues in Nursing,1981, McClosky J.R. Grace, H編集)。
 私は日本でも早く米国のような有能なナース・プラクティショナーが育ち,在宅でのプライマリ・ケアの臨床を訪問看護制度の中で成長させていってほしいと思う。


問われる米国の病院の看護-再びBIDメディカルセンターにて

12月28日(火)・4日目午前

クリフォード副院長が語る
看護体制のめまぐるしい変化

 午前9時半にラブキン先生が私のホテルに迎えに来られ,その車で私はBID(ベス・イスラエル・ディーコネス)メディカルセンターのウエスト・キャンパスに案内された。
 前述のように,ラブキン先生が30年も院長をしておられたユダヤ系のベス・イスラエル病院(創立1916年)は,3年前に新教のメソジスト派のディーコネス病院(創立1856年)と合併し,前者はイースト・キャンパス,後者はウエスト・キャンパスと名づけれられた。ラブキン先生は合併後まもなく院長を辞し,現在は後に述べるベス・イスラエル病院の有力な慈善家シャピロ(Shapiro)氏の寄付によってできた教育研究センター(Institute for Educational Research)に籍を置いて医学教育に関わっておられる。
 ラブキン先生がベス・イスラエル病院の院長時代に,長年看護部長兼副院長をされていたのはクリフォード(Joicy Clifford)女史である。この方はナースがある患者の主治ナースとして責任をとる制度である「プライマリ・ナーシング」をベス・イスラエル病院で最初に始められた方であると同時に,ベス・イスラエル病院を,米国で最高の看護を提供している病院として名声を得さしめた実力者でもある。彼女は今はディーコネス病院のウエスト・キャンパスの一室で両病院の看護システムを総括して指揮する副院長の仕事をしておられる。
 私は過去20年間に10回以上彼女を訪れ,また1983年には彼女を日本に招いて,プライマリ・ナーシングの講演をしてもったりしているので,馴染みの方である。
 窓越しに公園の見える彼女の副院長室には,日本からのおみやげの絵の額が飾ってある。彼女はまず私においしい焼きたてのケーキとコーヒーをサービスしてくださった。そして彼女は,私がこの2つの病院の合併に際する困難な問題を知っているので,私には本当の話をしてくださった。
 「合併後,ベス・イスラエル病院側の麻酔医が待遇に満足せず,一斉に辞めたことで看護部門にも影響があったか」と尋ねたら,「実はナース不足が,現在この合併したメディカルセンターが直面している問題だ」と言われた。

病院合併上の問題

 この連載の2回目(第2394号)にも報告したように,このBIDメディカルセンターは,もともと350床のベス・イスラエル病院と250床のディーコネス病院とが合併したのであったが病床を縮小し,今までは591床となっている。出産(米国では出産は原則として2日入院)はベス・イスラエル病院のイースト・キャンパスで扱われており,1年に5000人の分娩数があると言う。救急センターもウエスト・キャンパスに移し,さらにはトラウマ・センターとヘリポートも持っている。何年か先には,一旦閉鎖したベス・イスラエル病院の古い救急センターのスペースを拡張して,救急部門をイースト・キャンパス内に拡大する計画があるとのことである。
 このBIDメディカルセンターには,入院患者が退院する時には自立した行動ができるように訓練する,米国最大のHospital Based Transitional Care Unitがある。
 また,BIDメディカルセンターはMount Auburn病院というハーバード大学本部のあるケンブリッジにある急性疾患病院や,New England Baptist病院,その他Deaconess-Glover病院,Deaconess-Nashoba病院,ならびにDeaconess-Waltham病院などを総括して「Care group」という会社を作ている。そして,これらの病院群のネットワークで市民に行き届いた医療サービスを提供するとともに,このCare groupに参加する病院群(所属の医師数は1800人を超える)が,有利な経営ができるようなシステム作りを企画しているようである。ラブキン先生は2年前まで,このCare groupの経営上の最高責任者としての重責を務めてこられたのである。
 以下に,ベス・イスラエル病院とディーコネス病院とが,それぞれ学問上にも名声を博した過去の実績の一部を紹介しよう。
 BIDメディカルセンターがアメリカの連邦政府所属のNIHから受けている科学研究費は,全米中第5位に位置する教育病院であるとのことである。このセンターには,米国で最も有名なラボラトリー(1973年)とされている,Harvard-Thornlike Laboratoryも含まれている。
 ディーコネス病院は,1922年にニューイングランドで最初に,患者にインスリンが注射された病院であり,また1960年には,米国で最初の心臓ペースメーカーの植込み手術がなされたところでもある。1983年には,ニューイングランドで最初の肝移植がディーコネス病院で行なわれた。
 さらに1986年には,ベス・イスラエル病院で最初の試験管ベイビーが生まれている。そして1995年には,ニューイングランドにおいて初のMinimally Invasive Coronary Bypass手術が行なわれた,などの輝かしい業績をもつ施設である。
 クリフォード看護部長は,2つの病院の合体と,また日帰り手術部門(Day Surgery)がイースト・キャンパスにできたので,外科手術のための入院病棟が約3分の2閉鎖されたと言われる。また,病床の回転率を高める努力で,合併後は病床数が削減され,病棟のナースは外来部門や訪問看護部門に廻されたり,サテライトのクリニックなどへ配置されて,病院内のナースの数は減少している。

米国におけるナース不足の現況と将来

 クリフォード副院長の話によれば,米国では今日の非常な好景気のために,コンピュータ・サイエンスに就職を志望する女性が増しているという。つまり,その仕事のほうが夜勤や重症患者のケアというような重い責任がないので,女性はそちらを志望するというわけである。さらに,「マネジドケア」と呼ばれる厳しい保険管理下の経営のために,病院はますます財政が困難になっているので,若い女性はそのような病院でナースとして働くことを避ける傾向があるというのである。そして,そのためこの病院では,non-professional personnelという呼び名で,ナースの下請けで患者の身の回りの世話をする若い高校出の女子が採用されるようになったと言う。
 私が「この仕事はプラクティカル・ナース(日本でいう准看護婦)よりもレベルが低いのではないか」と尋ねると,クリフォード女史は「そうではあるが,学校に進学させて教育するよりも,病棟の婦長の直接指導でon the job training(OJT)を行なうほうが実技の習得は早い」と言われた。
 何かの医療事故が起これば,それは監督者の責任になるり,それだけに現場でのトレーニングは厳しいと言う。「バイタルサインも測らせるか」と聞くと,「それができると思われる者には,注意して行なわせる」という答えであった。ボストンの病院施設だけでなく,米国では全国的にみて景気上昇のあおりを受けて,ナースの不足が深刻になっていくものと予測される。
 その原因を聖路加国際看護大学の在米教育顧問ハリントン(Toni Harrington)女史は,以下のようにまとめてくださった。
(1)現役ナースの約半分は,これからの15年間に退役すると見なされている。現在,米国の看護学校の新卒の平均年齢は31歳,という高年齢のため,今後ナースとして働ける年数は少ない
(2)看護学校入学志願者数は,現在すでに減少しているが,これは景気のよい他の職業(例えば,コンピュータ・サイエンスなど)の企業就職を希望する女性が増えたためである
(3)マネジドケアが進んでいく中で,病院での看護ケアの質がますます問われる。そして,それを向上するには看護ケアにとられる時間が現在以上に要求され,ナースの業務は荷重になる。米国では,ベビーブームが現れる中で,小児へのなお一層の行き届いた看護ケアが要請されるのに,引退するナースが多いため人手不足がさらに増してくる
 以上のような事情から,米国では景気上昇によって看護婦を志願する女性が減少し,そのために,将来看護力がますます不足していくというのである。
 日本でも景気がよくなれば,将来このようなことが起こりうることが示唆される。

米国のおける医師とナース,その他の医療従事者との関係

 今から30年も前のことであるが,米国では医師とナースとの間に,それぞれの仕事の役割についての争いがあった。そして,気短かな医師が「それでは医師のアシスタントとして医師の手足になる人材を教育する」と言って,短大コースにPhysician's assistantと呼ばれる職種が作られた。
 このPhysician's assistantとは,医師が診察する前に病歴を取ったり,血圧測定,その他のバイタルサイン,また眼底鏡による眼底所見,さらに採血業務もさせるという職種なのである。米国には,このような医師のアシスタントとして働く職種のテクニシャンが雇われている施設がある。
 このように,米国では古い制度が窮屈になると便宜な新しい制度を作り,そのための教育の場を考える,というプラグマティズムが医療の世界にも見られるのである。一方,先ほど触れた「ナース・プラクティショナー」の制度は,最初は医師の代理をする補助者として発足したが,現在は大学院を終えたナースが独立して,細かな配慮のあるプライマリ・ケアを行なうまでに至っているのである。
 1時間半ばかりクリフォード副院長と話した後,ウエスト・キャンパスとなっているディーコネス病院の病棟をラブキン先生に案内してもらった。ここには,ボストンでは最も古いと言われるPalliative Care病棟(PCU:緩和ケア病棟)があるが,年末なので大半の患者は帰宅して空床が多かった。PCUの病室はすべて個室で,普通の病室より広く,家族のためのソファーや家具等も備えられてアットホームなムードが感ぜられた。

新しい薬剤処方自動処理器

 病棟を回っていた時,廊下に変わった大型(約1.5×1.0×1.0m)の機器があるのを見かけた。クリフォード副院長に尋ねたところ,これを管理している薬剤師が呼ばれ,私たちにその詳細を次のように説明してくれた。
 これは,サンディエゴ市にあるPyxisという会社の製品で,「Medstation System2000」と呼ばれる。この機器の中には病棟入院中の患者が必要とする薬剤が整理,ストックされ,処方箋を入れると,それぞれの処方にしたがって患者への1日分の調剤が自動的に出てくる。それをナースが病棟の患者の病床に届け,患者は指定された時間に,指示通りにその薬を服用すればよいわけである。これは薬剤師の調剤の労を節約し,ナースはそれをそのまま患者へ届けるだけでよく,したがってナースは薬物を患者別に選別する必要がない。患者の服薬の処方箋を入れると,すぐ必要な薬が患者の名前とともに出てくる。いわば,薬剤師のロボットと言えよう。薬剤師やナースの労力をかなり省き,患者への薬の選別をナースがする必要がなくなる。また,処方箋はそのままコンピュータで打ち出され,請求書ともなるため会計の事務も省かれる。麻薬の管理もこれがしっかりやってくれるという。
 このように,この機器は患者への薬のSupply stationの役をしてくれるのである。これにより処方箋は即座に配剤され,与薬のエラーが避けられ,そのメリットを換算すると,経費の10%もが節約されるという。これは1990年に,Johns Hopkin's Bayview Medical Centerのフィンケルスタイン(B. Finkelstein)博士らにより開発されたもので,1997年に「Medstation System 2000」として販売され,この病院にも設備されるに至った。この機器を活用してからは,薬に関する医療過誤が少なくなったという。
 ウエスト・キャンパスの建物には新館と旧館とがあり,旧館は廊下が狭く,迷路のような所が多い。ベス・イスラエルとディーコネスの2つの病院が,1つのメディカルセンターとして円滑に機能するには,まだまだ年月を要するだろう。米国といえども,職員の融合には時間を要するものと察せられ,大病院の合併または統合は大変な難事だという印象を私は受けた。

病院業務の一部の外部委託

 正午にウエスト・キャンパスを辞し,ラブキン先生のオフィスのあるイースト・キャンパスの教育研究センターの1階にあるカフェテリアでランチをとった。ここは職員の他,外来患者や訪問者にも解放され,経営はマリオット・ホテルに委託している。ラブキン先生の話では,以前はベス・イスラエル病院の職員食堂は病院直営であったが,名門ホテルにケータリングしたほうが経営的にも得なので,この外来棟のカフェテリアもホテルに外部委託したそうである。
 米国では,だいぶ前から病院のさまざまな部門の外部委託,すなわちアウトソーシングが行なわれている。私が理事長をしている聖路加国際病院でも,昨年から病院のラボラトリーと入院患者の食事,保安業務はアウトソーシングに切り替えた。これによって,早くも1年後には非常によい経済的成果を上げることができた。今では,もっと早く米国式商法を導入すればよかったと思っている。

ボストンに見る米国の医学,看護学,
ならびに医療事情の激しい動き

〔第1回〕ボストン再訪(第2392号掲載)
〔第2回〕ベス・イスラエル・ディーコネス・メディカルセンターについて/ハーバード大学,MGH(マサチューセッツ総合病院)にて(第2394号掲載)
〔第3回〕MGH(マサチューセッツ総合病院)にて(続)(第2395号掲載)
〔第4回〕MGH Institute of Health Profession訪問/問われる米国の病院の看護(本号)
〔第5回〕Shapiro教育研究センターに見る米国の医学教育/ハーバード大学における医学生のための「予防医学,栄養学,外来でのプライマリ・ケア」(その(1))(第2397号)
〔第6回〕ハーバード大学における医学生のための「予防医学,栄養学,外来でのプライマリ・ケア」(その(2))/Shapiro外来棟クリニックにて/ボストン滞在最後の1日(第2399号)
〔第7回〕ミレニアムをまたいだ帰国の機上で考えたこと(第2400号)