医学界新聞

 

 連載

「WHOがん疼痛救済プログラム」とともに歩み続けて

 武田文和
 (埼玉県県民健康センター常務理事・埼玉医科大学客員教授・前埼玉県立がんセンター総長)


〔第18回〕がん患者のQuality of Life (3)
QOLの定義

日本語訳は「クオリティ・オブ・ライフ」

 がん患者のQOLの,世界初のワークショップが実現したと喜んで再来日したvan Dam博士(オランダ国立がんセンター)は,ワークショップの日本語プログラムに「Quality of Life」と英語表記されているのを見て,「日本にはQOLという言葉がないのか」と私に尋ねた。これに対して私は,英語の「life」という言葉の持つ1つひとつの意味に,それぞれ対応する日本語があるので,プログラムでは英語をそのまま表記したが,訳語の討議もワークショップの課題であると答えた。
 ワークショップ前日の専門家によるラウンドテーブルディスカッションの司会を務めた私は,最初の討議項目をQOLの定義,概念,そして訳語とした。その席では生命の質,生活の質,療養生活の質,余生の質などの訳語が提案されたが,いずれにも異論が出た。結局,「life」とは生命,生活,余生,寿命,救いなど英和辞典の「life」の項には17もの訳語があることから,「クオリティ・オブ・ライフ」をそのまま日本語として使うのが当面は妥当との意見で収束した。結果的にはその後もよい訳語がなく,日本の各医学会でも「クオリティ・オブ・ライフ」が使われ続けている。
 討議から12年を経たある日,とあるデパートの壁にかかる大きな垂れ幕に「クリスマスセール。あなたのクオリティ・オブ・ライフのために」と書かれているのをみた私は,「クオリティ・オブ・ライフ」という言葉がかくも浸透したのかと感動した覚えがある。

QOLは定義もあいまい?

 討議がQOLの概念や定義に移ると,米・国立がん研究所のYates部長が,「残念ながら,英語の世界にもQOLのよい定義がないのだが,QOLとは患者自身が評価すべきで,他の人の目で評価すべきではない。社会学者が言っているように,QOLとは本人が感じている幸福感(happiness)と満足感(satisfaction)に加えて,今回の来日で日本人から学んだ周囲の人々との協調感(harmony)の3つに要約されると考えている。しかしこの3つの言葉もそれぞれが必ずしも定義できておらず,世の中は暗黙のうちに了解しているにすぎない」と話し出した。
 van Dam博士も,「オランダでもQOLの概念がよくわかっていないが,“質”という場合,ここの質がよい,ここがすぐれているといった具体的な点をあげて他と比較するとよいと考えている。患者のQOLのある面を比較して質の良否を問うべきで,例えば,発病する前の生活と比べてどこがどのように違うか,というように,いつも2つのことを具体的に比較するとよい」と述べた。
 これについては,Yates部長も少々異論があったようだが,「医師や看護婦が客観的な立場からQOLを評価しても,その結果は患者自身の評価と異なることを認識しておくことが大切」と強調した。また,「配偶者選びや車の好みが個々の人の価値観に左右され,必ずしも一般的通念が当てはまるわけではないこととQOLは似ている」とも語った。
 さらに,「個々の患者にとって,QOLの評価が重要でないときでも,QOLの評価が全体的な治療戦略を決めるのに重要な役割を果たすことがある」と述べ,急性リンパ性白血病患児を対象とした調査成果を例にあげた。急性リンパ性白血病患児が,全身化学療法のみを受けて治癒した場合と全脳照射も受けて治癒した場合との比較において,両群の患児間にIQの差はないが,後者では学校に適応しにくいとか,他の児童との関係がうまくいきかねるなど,心理面や社会面での適応が悪いことが把握され,この調査結果が治療戦略の改善に役立つことになる旨を述べた。
 こうした議論を手始めとするQOLの議論は,後年次第に結実し,QOL研究を進歩させ,カナダのSchipper博士(現トロント大学)によるFLIC(Functional Index on Cancer),van Dam博士等の主導によるヨーロッパがん治療研究連合のEORTC-QOL調査表,栗原らのQOL調査表などの開発にもつながった。そして,このワークショップ開催から5年後に開かれた第27回日本癌治療学会総会(1989年,名古屋市)では,メインテーマとして「癌治療とQOL」が取り上げられた。

ワークショップでの基調演説

 中島宏WHO西太平洋地域事務局長(前WHO事務総長,現国際医療福祉研究所長)はワークショップの基調演説で,「QOLの考え方はWHOの健康の定義の3つの原則である身体的,精神的,社会的なwell-beingと軌を一にしていることから,がん疼痛救済とQOLに関するWHOプログラムを発展させる」と約束し,すべての人々が末期疾患を自分自身の問題として認識しておく必要性にも触れた。その上で,QOLを阻害する因子として,(1)心理社会的問題とコミュニケーション技術に関するカリキュラムが欠如した医学教育や看護教育,(2)人間的ケアの提供を束縛している行政的財政的因子,(3)末期患者の心理社会的問題に関する科学的研究の不足,(4)末期患者へのアプローチについて医療専門家と非医療専門家との間の合意の欠如などをあげ,これらの改善に向けた討議をワークショップで深めるよう激励した。