医学界新聞

 

連載
アメリカ医療の光と影(25)

マネジドケアの失敗(2)

李 啓充 (マサチューセッツ総合病院内分泌部門,ハーバード大学助教授)


 マネジドケアの失敗の影響で,ボストン・レッドソックスの新球場建設計画が思わぬとばっちりを受けることになったのは,今年1月4日のことである。
 ボストン・レッドソックスの本拠地・フェンウェイ球場は,現存する大リーグの球場としては一番歴史が古く,その建設は1912年である。フェンウェイ球場はただ古いだけでなく,その個性的なデザインでも知られている。右翼に比べ左翼が著しく狭い左右非対称の設計となっており,その狭さを補うために左翼には巨大なフェンスが立てられ,このフェンスはその色と巨大さから「グリーン・モンスター」と呼ばれ,全米の野球ファンから愛されてきた。
 名球場の誉れ高いフェンウェイ球場であるが,さすがに老朽化が進み,ここ数年,ボストン・レッドソックスは新球場建設の必要を訴えるキャンペーンを展開してきた。レッドソックスの提案は,新球場を現在のフェンウェイ球場の隣接地に立て,グリーン・モンスターを含めフィールドの形や大きさは現在の球場をそっくり再現するというもので,フェンウェイ球場に対するファンの思い入れの強さに配慮している。

大手HMOの倒産でレッドソックスの計画に暗雲

 新球場の6億ドルともいわれる巨額の建設費用について,レッドソックスは,マサチューセッツ州からの公費援助を当て込んでいた(昨年,プロフットボールチームのニューイングランド・パトリオッツが,「州が新スタジアム建設を援助しないのならコネティカット州に本拠地を移す」と脅し,州から7千万ドルの資金援助を得たばかりだった)。ところが,今年1月4日,マサチューセッツ州最大手かつ最古参のHMO,ハーバード・ピルグリム・ヘルス・ケア(HPHC)社が事実上「倒産」し,州管財人の管轄下に置かれることとなり,レッドソックスのこの目論見に大きな誤算が生じるようになったのであった。
 1億8千万ドルという巨額の負債を抱えるHPHC社の再建を指揮することとなったのはマサチューセッツ州総検事のトマス・ライリーであるが,ライリーは「州民の税金を投入する事態は極力避ける」との方針を当初から明確にした。仮に州最大のHMOであるHPHC社が再建不能となった場合,新たなHMOに加入し主治医探しから始めなければならない患者への影響も甚大であるが,同社に対し3億ドルの売掛金を抱えるマサチューセッツ州の病院にとっても文字どおり死活問題へと発展する。州の主要産業である医療に大混乱が起こりかねない事態に対し,州の責任者が「税金を投入しない」という方針を明確にしているときに,レッドソックスが「新球場の建設に税金を」とは言い出しにくい状況となったのである。
 一方,ライリー総検事の公約とは裏腹にHPHC社再建に巨額の税金を投じることが避け得なくなった場合,「州には球場建設に回す金などない」ということになりかねず,レッドソックスにとっては,HPHC社の「倒産」のせいで,どっちに転んでも州からの資金援助を仰ぐことが難しい事態になってしまった,というわけである。

貧者に良質の医療を

 HPHC社の前身ハーバード・コミュニティ・ヘルス・プラン社は,ハーバード大学医学部部長だったロバート・エバートが1969年に創設したHMOである。患者は医療費を保険料として前払いし,サラリーで雇われた医師が患者の診療に当たるというエバートのアイディアに基づくHMOは,「共産主義的医療など絶対にうまくいくはずがない」とハーバードのアカデミズムに属する医師たちから冷笑される中でスタートした(現在この形式のHMOは「スタッフモデルHMO」と呼ばれている)。
 被保険者数わずか88人,フェンウェイ球場とは目と鼻の先のケンモア・スクエアのアパートの一室を借りての創業であったが,米国のHMOとしては初めてメディケイド(低所得者のための公的医療保険)患者に門戸を開き,貧者に良質の医療を提供するHMOとして,ボストンおよび近郊に次々と診療センターを建設してその規模を拡大した。
 80年代半ばからは他のHMOとの合併を繰り返すとともにスタッフモデルHMO以外の保険サービス(開業医提携型HMO,PPO,POSなど)をも提供するようになった。今や被保険者は100万人を越えるマサチューセッツ州最大の保険会社であるが,90年代後半からマネジドケアに対する批判が強まる中で,非営利の「良心的」HMOとしてマネジドケアのロール・モデル的役割を果たしてきたのであった。

市場原理の失敗

 HPHC社の「倒産」の原因を一言で言うならば,「市場原理の失敗」となろう。HPHC社は,「貧者に良質の医療を」とスタートした非営利のHMOであるが,市場原理が席巻する米国医療のシステムの下で生き残るためには営利企業と変わらぬ経営戦略を取らざるを得なかったのである。
 具体的には「シェア獲得のための拡大戦略」を展開したのであるが,拡大戦略の失敗が今回の「倒産」の最大の原因と言ってよい。特に,1992年に,ウェルド知事(共和党)が「州による規制を大幅緩和し市場原理に委ねることで医療コストを抑制する」との政策を実施し,病院と保険会社との間で医療サービス価格を交渉することができるようにしたことが,保険会社間のシェア獲得競争を加熱させたのだった。
 ロードアイランド,ニューハンプシャーと隣接州へも進出し,1994年には開業医提携型HMO大手のピルグリム社と合併することで,マサチューセッツ州最大の保険会社となったが,それもこれもシェアを獲得することで医師・病院に対する価格交渉力を強めるためであった。医師・病院に大幅な値引きを迫ることで,医療保険の価格を低価格に設定することが可能となり,企業などの大口顧客との契約獲得競争に勝ち残ることが容易となるのである(これに対し,病院側も合併・系列化で対抗したことは拙著『市場原理に揺れるアメリカの医療』〔医学書院刊〕で紹介した)。こういった「過当競争」の中で,コストを過少に見積もったつけが拡大し,結果的に1億8千万ドルという巨額の負債へとつながったのだった。
 また,HPHC社は本来スタッフモデルとしてスタートしたHMOであったが,合併を繰り返す間に異なるモデルの医療保険が次々と加わったことで企業経営が複雑化し,帳簿管理は破綻状態となっていた。1月4日に突然「倒産」が発表されたのも,実はそれまで明らかになっていなかった5千万-7千万ドルの負債が「発見」されたことが直接の理由となったのであった。
 HPHC社の再建を巡る議論が沸騰する最中の2月初め,州福祉部門責任者ウィリアム・オラリーと州消費者保護局局長ジェニファー・カリーの2人は,セルッチ知事(共和党)に対し,「市場原理を取り入れることで医療費を抑制するという1992年の政策は失敗した」とする報告書を提出した。