第2383号 2000年4月10日


インタビュー

ジョージ・アナス氏に聞く
(ボストン大学公衆衛生大学院教授兼部長・医療法)

これからの患者-医師関係

-カルテ開示とマネジドケア-

<前編> <聞き手>田中まゆみ氏(ボストン大学公衆衛生大学院)


 ジョージ・アナス氏は,“The Rights of Patients”(邦訳『患者の権利』)などの著作で世界的に知られる生命倫理学者・法学者だ。
 そのアナス氏と同僚グランツ教授の名コンビによる「医療法講座」は,ロースクールなら1年かける内容を4か月で教えるという厳しくも充実した内容で知られる,ボストン大学公衆衛生大学院でも屈指の看板講義である。その中で強調されたのは,患者と医師のコミュニケーションの重要性であった。「弁護士は嫌いだ」と公言し,「医師は法廷で判事に釈明する前に病室で患者と向き合って話し合いなさい」と助言するアナス氏に,カルテ開示とマネジドケアをテーマに,これからの患者-医師関係についてインタビューした。


何が米国の患者-医師関係を変えたのか

―――日本では1998年6月に厚生省の「カルテなどの診療情報の活用に関する検討会」がカルテ開示の法制化を提言し,大きな話題となったものの,昨年7月には,「カルテ開示は医師の倫理規範に委ねられるべきだ」と主張する日本医師会などの反対により,医療審議会で法制化の先送りが正式決定されました。実は1995年の第47回世界医師会総会で採択された「患者の権利に関する改正リスボン宣言」(註1)に唯一棄権したのが日本医師会でした。日本の患者はカルテの内容を知りたいと思っても,医師に拒否された場合には,法的手段に訴えるしかないという現状です。
アナス 米国でも30年前は患者にカルテを見る権利はなかった。そのために訴訟を起こさなければならなかったのは同じです。

医師のカルチャーを変えるには?

ボストン大学公衆衛生大学院
ボストン大学医学部の1876年創設時の建物を,マサチューセッツ州が歴史的建造物に指定して改修保存工事を1998年に施行したもの。現在は医学部はすべて芝生をへだてた近代的建物に移り,公衆衛生大学院専用の研究棟となっている
―――米国ではなぜ医師の考えが変わってきたのでしょうか。
アナス 医師のカルチャーを変えようと思ったら,患者には3つの方法があります。1つは,医師が自分で倫理に気づき,変わっていくように援助すること。2つ目は,国会議員を動かすなどして法律を変えること。3つ目は,訴訟を起こすことです。
 いずれにしても,患者がそのように主張しなければ医師は変わりません。患者が目覚めて,すべての医師が同じ病気を同じように治療しているわけではない,医師によって治療のやり方は違うし,たった1つの黄金律があるわけではないのだということに気づかなければ始まらないのです。そこで,「では,私の先生は私をどう治療するのか。これは私の体なんですよ」ということになるわけです。乳癌の治療1つとっても,昔は拡大廓清手術一辺倒だったのが,他に選択はないのかと患者が訴訟を起こす中で変わってきたのです。訴訟が起こるまで医師は変わろうとしませんでした。カルテ開示への医師の抵抗は米国でも10年前ぐらいまでは根強くあったのです。
―――日本ではいまだに癌の告知がカルテ開示のネックになっています。牧野訴訟(註2)で癌の告知はしなくてもよいという判決がおりました。
アナス (大きくうなづいて)そのことは知っています。
―――一方,米国では癌の告知は常識かと思っていたら,アラトー訴訟(註3)では,癌患者の予後についての情報は必ずしも示す義務はないという判断が下され,少し驚きました。どのようにお考えですか?
アナス 米国でも,医師がどこまで情報を与えるかは医師によって違います。治療に望みがないことを果たして告げるべきか。そのような宣告は,形式(form)ではなく,過程(process)が非常に大切なのです。難しい問題ですね。非常に難しい。米国ではすべてが解決済みと思われるかもしれないが,そうではありません。ここまで来るにも30年もかかっているのです。

透明性と検証性

―――日本の医師の間にある抵抗のもう1つは,カルテにはかなり主観的な医師の見解が書いてあるので見せられない,というものです。MGHでクラークシップをしている時にいろいろなカルテを書いたり読んだりしましたが,とにかく他の人に読まれることを前提として,法廷に持ち込まれることを覚悟で書くわけですね。だから実に力を入れて細大もらさず書くのだけれども,逆に本音はカルテには書けない,という気もしました。
アナス (驚いたように)もちろん,カルテは法的文書ですとも。医師は,自分の私的判断ではなく事実のみをカルテに書くべきなのです。医療上の決断というのは,すべてtransparency and accountability(透明性と検証責任:包み隠さずすべてを見せることと,検証可能な形で根拠を示す責任)を有するべきなのです。これまで医師はこれをしてこなかった。だから法廷に持ち込まざるを得なかったわけです。これからは透明性と検証責任が問われる時代がやってきます。

日本も変わらざるを得ない

―――アメリカでは最高裁判例が強い力を持っていて,医療の現状がおかしいと思ったら判事が指摘してどんどん変えさせますね。
アナス その通りです。
―――日本では,最高裁は「当時の医療水準」を判断基準にするので,裁判によって医療を変えるというのは困難です。
アナス (うなづく)(註4
―――また,日本では十分に患者の権利も確立しておらず,患者の立場がまだまだ弱くて,質問したり説明を求めたりすると医師が不機嫌になったり,家族も,患者を人質にとられているようなもので,遠慮して言いたいことも言えない雰囲気がややもするとあります。
アナス それはひどいですね。米国でも昔はそうでした。今のようになるまでには長い時間がかかっているのです。
―――いま米国で医師が患者や家族にそのような態度をとったら医師や病院の側が大変なことになってしまいます(註5)。何が推進力となって米国では患者の地位が向上してきたのでしょうか。
アナス 60年代にさまざまな運動がいちどきに起こってきたのです。黒人の公民権運動,消費者運動,女性解放運動,家主に対する借家人の運動,このようなことすべてがです。特に女性患者が発言した,“Our Bodies, Ourselves”(註6)の影響は大きかったですね。医師も,医療倫理を言い始めました。「いつも医師が決めていいのか」,「患者の体ではないか」,「患者の権利を尊重すべきだ」とね。変化が起こるのはゆっくりだし,変化を起こすのは困難なことですが,日本だけ孤立して変わらないことなど不可能です。医学部同士の国際交流もある。日本も,必ず変わります。いや,変わらざるを得ないのです。

医療現場の権力関係

患者の参加,患者の発言

―――日本の医学教育で医療法や医療倫理を教えている医学部は7割という統計があります。
アナス (笑って)それだけあれば……。
―――日本の医学教育改革が難しいのは,卒業生はほとんど母校で臨床研修をし,人事異動は教授の一存で決まり,医学部間の人事交流も少ないという非常に閉鎖的な世界に医学部がなってしまっているからです。教授の権力は絶対ですから。
アナス それでは変えるのは難しいでしょうね。誰でも一度握った権力は手放したくありませんから。米国でも医学部内のことを批判するのは非常に勇気のいることで,教授でも退官して初めて真実を語るということが多かったのです。退官後の教授の発言には人々も耳を傾けますからね。日本でも退官すれば自由にものが言えるのでは……。
―――また,日本の医学部では患者-医師関係のロールモデル(お手本)があまりないのです。
アナス それでは医師の意識改革は難しいでしょうね。日本の医学生はいまも試験中心で患者をあまり診ないのですか?患者をもっと医学部教育に参加させて発言させないと。
―――患者-医師関係には,パワーゲーム(権力側が弱者側に優位性をちらつかせて言うことをきかせる)の要素がありますからね。
アナス それはもう,絶対にあります。患者は病気になると力関係において絶対的に不利になります。治してもらいたい一心で,健康なときには耐えられないようなひどい目にあっても我慢してしまうのです。病気でさえなければこんなひどい仕打ちは受けないと知りつつ,患者は,よくなるためには,力を放棄してしまうんです。それは弱い立場です。日本には患者団体はないのですか?
―――ありますが,まだそれほど強くはないですね。一番強いのは,AIDS患者団体です。
アナス それは万国共通ですね。
―――日本のAIDS患者は圧倒的に血友病患者だったので,汚染した血液製剤の流通を許した行政・企業側の責任を徹底的に追及できました。政府の委員会に患者団体代表が参加したのはAIDS患者が初めてです。
アナス 米国でもAIDS患者団体は非常に強力です。その後の患者団体運動をすっかり変えてしまったぐらいです(註7)。

なぜ患者は医師を訴えるのか

―――米国は患者が強くて医師をすぐ訴える過度の訴訟社会で,米国のようになったら大変だという思いが日本人には強くあるのですが。
アナス 米国は訴訟社会と言われますが,訴訟というのは紛争解決のための最終手段なのです。実は,弁護士でさえも,訴訟を起こしたくはありません。ハーバードのスタディにもあったように,医療過誤の被害者のうち,50人に1人しか訴えていないのです。実際にはもっとたくさんの人が訴えていていいぐらいですが……。
 患者が訴えるのは実はその医師が嫌いだからです。医療訴訟を避ける最善の方法は,普段から患者とよく話し合うことです。ミスがあったのならば正直に非を認め,謝罪することです。患者は,医師が謝ればめったに訴えたりしません。

(註1)この中に,「情報を得る権利」として「患者は,いかなる医療上の記録であろうと,自己の情報を受ける権利を有し,症状について充分な説明を受ける権利を有する」という条文がある。
(註2)牧野訴訟:1983年,49歳女性が胃痛を訴え受診した。腹部エコー検査で主治医は胆嚢癌を疑ったが,患者には胆嚢炎の疑いと告げて手術を勧めた。しかし患者は,胆嚢炎なら緊急性はないと海外旅行に行き,その後も病院と連絡はとったが受診しなかった。症状が悪化したとき患者は他院に入院し,癌の治療を受けたがほどなく死亡した。遺族は,手遅れになったのは医師が真の疑いを告げなかったためであると訴えたが,1995年,最高裁は癌の疑いを告げなかったのは当時の医学的慣例であるとして原告の訴えを退けた。
(註3)アラトー訴訟:1980年,43歳の男性が腎臓摘出術の際に偶然膵臓癌が発見され腫瘍摘出術も行なわれたが,全部取れたという説明のみで膵臓癌の5年生存率は5%という予後は告げられなかった。紹介された腫瘍専門医も予後は告げずに実験的化学療法と放射線療法を勧めた。患者の死後,遺族は,予後を告げるのもインフォームドコンセントのうちであると訴えた。しかし,患者が70回に及ぶ受診のあいだ1回も主治医に予後を尋ねなかったのは知りたくなかったからであると推測できる,診断名はインフォームドコンセントに当然含まれる(1972年コブス訴訟,1980年トルーマン訴訟等)が,予後までは当時の医療水準では告知しないのが普通であったとして,1993年,カリフォルニア州最高裁は原告の訴えを却下した。
(註4)アナス氏の最近の著書“Some Choice”の中の第6章には“Culture,Economics,and Choice”という題で,英国・日本と米国の医療訴訟事情の違いが書かれている。
(註5)アメリカ政府管掌の老人健康保険メディケアの指定を受けるためにはJCAHO(Joint Commission on Accreditation of Healthcare Organizations)の定期審査に合格しなければならないが,審査項目の1つに「入院患者の権利を目立つ所に掲示し,不満があれば病院のどの責任者に申し立てればよいかを明示しなければならない」とある。入院患者の権利の内容は,JCAHOの規定に定められており,「敬意をもって扱われる」などの条文が盛り込まれている。法律ではないがこれに違反すれば保険指定を取り消される恐れがある。
(註6)ボストンの女性団体が発行した,女性患者の立場で書かれた医学書。自分の体を自分でよく知り,医師の言いなりにならず自分で決定するための援助をすることをめざした。
(註7)AIDS患者団体はハリウッドなどの映画メディアや芸術界を通じ政界に強く働きかけ,“Philadelphia”,“And The Band Played On”などの名画を後援し世論の支持を獲得すると共にAIDS研究費を大幅に増やすなどの成果をあげた。

ジョージ・アナス(George J.Annas)氏
ボストン大学公衆衛生大学院医療法教授兼部長。ボストン大学医学部教授・法学部教授。「国際弁護士医師連盟」(健康と人権を向上させるための弁護士と医師の国際組織)の共同設立者。1976年から1991年までヘイスティングス・センター・レポート誌に医療法と倫理について,以後ニューイングランド・ジャーナル・オブ・メディスン誌に医療における法律問題について,定期的に執筆している。著書に“The Rights of Patients”(Southern Illinois University press刊;邦訳『患者の権利』〔日本評論社刊〕),Some Choice(Oxford University Press)他多数。ハーバード大学,ハーバード・ロー・スクール,ハーバード公衆衛生大学院卒

田中まゆみ氏<聞き手>
京都大学医学部卒,天理よろづ相談所病院小児科レジデント修了,京大大学院を経て,ハーバード大学医学部の関連施設であるマサチューセッツ総合病院(MGH)およびダナ・ファーバーにて研究フェロー。MGHで内科クラークシップ,ケンブリッジ病院で内科サブインターンシップを経験。ECFMG(CSA)認定証取得。現在ボストン大学公衆衛生大学院在学中。7月よりイエ-ル大学内科小児科合同プログラム(ブリッジポート病院)で臨床研修に入る予定。本紙「医学生・研修医版」に「MGHのクリニカル・クラークシップ」を連載中