医学界新聞

 

 連載

「WHOがん疼痛救済プログラム」とともに歩み続けて

 武田文和
 (埼玉県県民健康センター常務理事・埼玉医科大学客員教授・前埼玉県立がんセンター総長)


〔第17回〕がん患者のQuality of Life (2)
国際ワークショップ開催へ向けて

国際ワークショップの準備

 私は,東京で開かれるがん患者のQOLワークショップは,世界初の国際討議になると,開催準備を始めた。van Dam博士(オランダ国立がんセンター)や河野博臣先生(河野胃腸科外科医院長)と協議し,ワークショップ「がん患者のQUALITY OF LIFE東京1984」と名づけ,1984年11月18日に開催と決めた。田辺製薬東京支店講堂を借り,組織委員やスピーカーも依頼し,開催通知を全国に発送した。
 このワークショップに,アメリカからは米・国立がん研究所(NCI)のJerome W. Yates部長(現メモリアル・ローゼルパークがん研究所医療担当副総長),中国からは来日中であった代光寿山西省腫瘤研究所長をはじめ3人の医師が出席することになった。また,ありがたいことに同僚先輩による資金調達の支援や,さらに河野先生の患者さんたちからもワークショップに拠金されるなど,多くの人々からバックアップをいただいた。そして国内からは130名を超す参加希望が寄せられ,開催準備は順調に進んでいった。

まさかの開催延期の打診

 ところが開催2か月前頃になって,国外での折衝役のvan Dam博士が1年ほど開催日を延期できないかと言ってきた。
 「今さらなにを」と感じた私は,「しっかり折衝せい」とvan Dam博士を激励したが,WHOへの連絡不足があったのである。
 WHOの本部はジュネーブにあるが,世界を6つの地域に分け,それぞれに地域事務局を設けて地域本部の役目を持たせ,各地域での責任を付託している。日本は西太平洋地域に所属するために,WHO関連のイベント開催には,本部のみならず西太平洋地域事務局の承認も必要だったのである。この時私は,日本政府の国際医療関係担当窓口にも連絡してないことに気づいた。
 担当局である厚生省国際課に,開催企画の連絡が遅れたことを詫び,その経緯を伝えたところ濃沼信夫国際課課長補佐(現東北大教授)がいろいろ助言をしてくれた。それもあって,私はジュネーブのWHO本部のJan Stjernsward課長(がんプログラム担当,すでに退職)にも国際電話を入れて事態解決を促した。
 しかし,ジュネーブからの返事は時間不足を理由とした開催延期の勧めだった。それに対して,私は善後策の妙案も思いついていないのに,「WHOによるワークショップだからと多くの賛同が得られ,財政面のめどもついたので今さら延期はできない。マニラの地域事務局との話し合いは私に任せてくれ」とStjernsward課長に言ってしまった。

マニラからの前向きな対応

 いろいろと思案した末に,私は「マニラのWHO西太平洋地域事務局に誠意のある経緯説明を行なう他に打開の道はない」と考えた。その交渉の窓口となってくれたのが,WHO西太平洋地域情報分析官の佐藤良也氏であった。佐藤氏は私と同年輩で,その後にWHOを定年退職したが,私の説明を理解してくれたようで,「間もなくWHO西太平洋地域事務局長が北京経由で東京に入るから,経緯を直接説明してください。事情は伝えておく」と前向きの姿勢を示してくれた。
 そうして中島宏WHO西太平洋地域事務局長(前WHO事務総長,現国際医療福祉研究所長)との面会が叶った。東京での私の説明の席には濃沼課長補佐が同席し,国もバックアップしていることを示唆してくださった。これらの経緯の説明に対して中島地域事務局長は,「確かにWHO主催とするには延期せざるを得ないだろうが,がん患者のQOL向上はWHOの重要な課題の1つである。開催準備もすでに整っていることだろうから,WHO共催ということでよければ,予定通りに開催できるよう西太平洋地域事務局が対応する」と言ってくださった。私は安堵し感謝しつつ,図々しくも地域事務局長ご自身に基調演説を担当してくださいとお願いしたのだが,中島先生はこれも快諾してくれた。

ワークショップの参加者

 無事開催することとなったワークショップは,主題ごとに国内外の専門家に講演をお願いし,全国から参加したフロアの専門家と質疑討論するという形で進んだ。講演者は臨床,研究,教育,行政等に従事する医師,臨床看護や看護教育に従事する看護婦をはじめ,患者,法律家,心理学者など14名の学際的陣容となった。これらの専門家を,ワークショップ前日に招いてラウンドテーブルディスカッションを開き非公式討論も行なった。
 ワークショップ当日の参加者は医師が最も多く,次いで看護婦という医療職であった。そして医学生,評論家,作家までと多職種におよび,会場は開会時から満席で,夕刻まで席を立つ人がほとんどいなかった。この2日間の討論の全記録は,『癌患者の生を考える-Quality of Lifeとは何か』(有斐閣選書)として出版され,英文プロシーディングはWHOによって加盟各国に配布された。それから16年経った今になって読んでみても,討議記録には新鮮さが残っている。また,これまでに解決に向かった課題も多くある。
 次回からは,QOL事始めとも言うべき当時の討議の内容を紹介したい。