医学界新聞

 

新連載  戦禍の地-その(1)  

いまアジアでは-看護職がみたアジア

近藤麻理(AMDA国際医療情報センター)


 私は今,独立闘争の激化から多くの難民被災者を抱え,国際的に問題視されているコソボ自治州の南に位置するプリズレン県で,NGO(非政府組織)の一員として,帰還した難民の支援活動にあたっています。

コソボの現実

 コソボ紛争は,ユーゴのセルビア治安部隊と,90%を占めるアルバニア人勢力の独立を求める争い(内戦)が泥沼化していったもので,今回の紛争の発端は1989年にさかのぼることができますが,96年頃から活発化してきました。
 その後,コソボ和平を討議するランブイエ和平案を,新ユーゴ連邦のミロシェビッチ大統領が受入れ拒否し,NATO(北大西洋条約機構)は1999年3月24日に新ユーゴに対し空爆を開始しました。それと同時に,コソボ自治州内の多数を占めるアルバニア系住民への挑発行為がエスカレートしたため,短期間に近隣国であるアルバニアをはじめ,マケドニア,モンテネグロに大量の難民が流出する結果となりました。5月13日時点で,75万人が国外難民として脱出しており,そのうち最も難民の多かったアルバニアには43万人もの難民がいました。そして,6月14日の和平案受入れ決定を受け,国外に脱出していた難民が再び急激なスピードでコソボ自治州内へと帰還を開始したのです。
 この連載が決定した時点では,まだコソボ派遣の話は浮上しておらず,本紙の編集者とは,「看護者から見たアジアの医療や公衆衛生について書く」ことで方向が決まっていました。しかし,再びこの地で活動を開始し厳しい冬を迎えるにあたり,私はこの現実の活動を誰かに伝えたいと思うようになりました。
 コソボでの滞在期間終了後も,アジアの医療と交差しつつ,国際紛争・民族問題・難民救援・医療政策・国際機関とNGO・緊急救援と復興支援などについて,その中で特に医療・看護が直面している問題を,私の目を通して皆さんと一緒に考えていければと思っています。

タイからコソボへ

 1999年5月25日,私はタイ国マヒドン大学プライマリ・ヘルス・ケア・マネジメントの修士を終了しました。その無垢な笑顔(写真をご覧ください)からたった2週間後の6月6日には,アルバニアでのコソボ難民支援活動に向かっていたのです。
 情けない英語能力,初めての緊急救援活動,国際機関やNGOとの交渉や会議。新米の調整員にとっては,毎日が苦労の連続でした。タイでの最後の数か月間は,卒論のため徹夜が続き,世界の動向にはまったく無関心で過ごしていました。派遣地はコソボと言われても,実はすぐにピンとこなかったのです。あわててバンコクでここ2か月の新聞の切り抜きを収集し,日本に帰国した時に東京の紀伊国屋書店に駆け込み,数少ないコソボ関連の本を手に入れました。私にとっては,コソボが初めてのヨーロッパであったにもかかわらず,10日間程度の緊急でお粗末な知識のままバルカン半島に足を踏み入れてしまったことを非常に申し訳なく思ったものでした。
 その時コソボには,およそ3か月滞在し帰国。そして,現在は,11月から再度コソボ赴任となり,コソボプロジェクトの調整員(日本人の私1人)として,事務・会計処理や運営をし,コソボの現地スタッフ9名(医師,看護婦,通訳,運転手等)とともに活動しています。
 ここでは,3か所の診療所への援助を,難民帰還の始まった当初から行なってきています。まず,その地域を調査し医療の必要性を確認します。そして,医師や医療従事者の確保と建物の修理を手配。その間にも,多くの患者が24時間診療所を訪れています。混乱期にありながら,コソボの医療従事者の献身的な姿には本当に頭が下がります。

長期的な支援に備え

 帰還難民の支援が緊急救援と明らかに異なる点は,復興のための長期的計画も同時進行させなくてはならないことにあります。長期的視点で医療行政を整えていくために,現在UNMIK(国連コソボ監視団)とWHOが中心となって,NGOや国際機関を交えた会議が頻繁に行なわれています。
 そこでは,もちろん医療だけではなくさまざまな分野の検討がされています(はずです)。UNMIKは,8月よりコソボ自治州内の5つの県すべてに置かれました。日本の外務省からは2名が派遣されている他,UNV(国連ボランティア)としては数名の日本人がその中枢にかかわっています。彼等の活躍は本当に頼もしい限りです。
 UNMIK保健担当者と,プリズレン県立病院を訪ねたのがつい先日のことでしたので,その時の話をしましょう。
 コソボ自治州内には各県に1つ,入院と手術の設備を整えた県立病院があります。紛争中に破壊を受けた病院の補修,あるいは新築計画や医療機材の援助はわずかですが行なわれた形跡があります。しかし,今でも私は,「町の中で一番不衛生な場所,それは病院だ」と断言できます。
 現在提出されているNGOや国際機関からの病院復興計画書には,子どもと女性を対象にしたものが多いようです。そのような折りに私は,UNMIK担当者からは,「日本政府から直接にお金を持ってこられるか」と話を持ちかけられました。もちろん私にそんな力などありませんが,彼等は予算をどこからか獲得しなくてはなりません。そして私は,その後3日間にわたり食事中にこみ上げてくる嘔気に悩まされることになったのです。

 この話は次回に続けますが,コソボについてもっと知りたい方のために参考文献を紹介します。また,タイのマヒドン大学では,日本からの留学生を受け入れていますし,東京大学(杉下知子教授室,本紙1998年8月30日付,2352号参照)との連携を図っています。そこでマヒドン大学の問合せ先も下記します。
 今後も,連載の中で国際活動をするにあたり参考になる各国の大学のホームページや資料も紹介していきたいと思います。多くの人が,特に若い人たちが,これからの国際保健(医療)や国際援助活動に関心を持たれることを心から願っています。

〔コソボに関する参考文献〕
*安価で読みやすいものから順番
1)大橋正明:コソボ難民救援-NGOが国際赤十字で考えたこと,1999,国際協力出版会,600円
2)町田幸彦:コソボ紛争-冷戦後の国際秩序の危機,1999,岩波ブックレットNo.487,440円
3)千田善:ユーゴ紛争はなぜ長期化したか-悲劇を大きくさせた欧米諸国の責任,1999,勁草書房,2,600円
4)梅本浩志:ユーゴ動乱1999-バルカンの地鳴り,1999,社会評論社,1,800円
・マヒドン大学ホームぺージ
http://www.mahidol.ac.th
AIHD(ASEAN Institute for Health Development)には,短期のコースと10か月間の修士コースが紹介されています。

〔筆者プロフィール〕
●1984年 川崎医療短大卒(看護婦免許取得)
●1988年 和光大人間関係学部卒(社会科教諭免許取得)
●1999年 タイ国マヒドン大学プライマリー・ヘルスケア・マネージメント修士終了
○1989年より タイ国にてバンコク日本人学校小学部1年生担任
○1990年より タイ国サイアム大学日本語教師などタイで3年半暮らす
○1992年より amda国際医療情報センター勤務(東京)
○1994年より アメリカnj州とny州に4年間暮らす
☆アジアの1人旅が好きで,23歳から中国,ベトナム,タイ,インド,ネパールなどを旅する