医学界新聞

 

ハーバードレクチャーノート

連載 第2回 チャレンジ&チェンジ

浦島充佳(ハーバード大学公衆衛生大学院)


ノーベル賞を受賞した7人の侍

 1980年,ハーバードの医師ハーバート・アブラムス,バーナード・ロウン,ジェームズ・ミューラー,エリック・シビアンは,ソビエト人医師エフゲニー・カゾブ,レオニッド アイリン,ミハイル・クツインらと協力してInternational Physicians for the Prevention of Nuclear Warを設立。1982年,「Last Aid: The Medical Dimension of Nuclear War」を発行し(7か国後に翻訳される),1985年ソビエトに核実験廃止を宣言させました。その功績は大きく,同年7人の医師を中心とする団体はノーベル平和賞を受賞しました。
 最初はバーナード・ロウン博士の著書『The Lost Art of Healing』(Houghton Mifflin社刊)を参考にしたDCカウンター()発明物語,次はエリック・シビアン博士主催の「Global Environmental Change and Human Health」というハーバード大学政治,医学,公衆衛生,マサチューセッツ工科大学合同講義開催の言葉を紹介したいと思います。

ハーバード大学公衆衛生大学院

卒後教育としての公衆衛生大学院(School of Public Health)のシステムはアメリカでは一般的であるが,日本には存在しない。ここでは勉強する多くはすでに医師としてのキャリアを持つ人たちである

われわれが診療するのは心臓ではなく心臓を持った人間である

 循環器病学者であったロウン博士は,37歳当時,重度の慢性不整脈患者を担当していました。
 「今思い返してもぞっとするよ」
 現在ハーバード大学公衆衛生大学院の教授である彼は40年前を回想します。1959年,彼はその患者さんにほとんど可能性のある薬を使い果たし,万策尽きた状態でした。肺はうっ血し唇は青く,典型的な心不全に進行したのです。ロウンは崖淵に追い詰められました。
 その時彼はベスイスラエル病院のポール・ゾルが書いた電流を加えることによって心臓にショックを与えるといった論文(1953年)を思い出しました。
 「通常の治療を行なっても患者を助けられなければ,それはしょうがないことなんだ。誰もそれを責めはしない。しかし,もし新しい治療を行なって患者が死んだら,一生の心の重荷になるだろう」
 しかし彼は新しい治療に賭けてみました。患者は通常の薬物治療では助かる可能性はなかったのです。ロウンはその患者の病室に行って本人と彼の妻に説明しました。誰だってやったことのない治療をやることほど怖いことはありません。ましてや心臓に電気ショックを与えるなんて当時としては考えられない治療でした。でも彼は患者さんからむしろ勇気を与えられました。患者さんたちはロウンに絶対の信頼を置いてくれたのです。
 「君がいいと思ったことをやってくれ。それでだめだったらしょうがないさ」
 しかしゾル博士が行なった電気ショックは意識のないほとんど生命活動の停止しつつある患者に対して行なわれたものでした。ロウンの提案に対して,病院長も,麻酔科部長も皆反対でした。結局すべてロウンの責任のもとで行なうという条件で実行に移されました。患者さんは全身麻酔下,その電気ショック療法を受けたのです。ロウンは著書で「私は,ゆっくりとした,しかしそれでいて強く規則正しいラブドブという音を聞いた。まさにベートーベンの運命の曲が聞こえた気がしたよ」と感動的なシーンを思い出しています。患者は瞬く間に元気になって次の日に退院しました。
 しかし話は終わっていません。その患者さんは,調子がよいものだから奥さんとマイアミまで旅行に行ってしまいました。案の定そこでまた不整脈発作を起こしてしまったのです。なんとかボストンに辿りついた患者夫妻はロウンの待つ手術室に入りました。しかし今度はうまくいきませんでした。
 彼には大きなショックでした。その後ロウンは研究室に朝から晩までこもって電流の最適な条件を探す研究に没頭したのです。そして遂に現在あるDCカウンターの原型とも言うべき機械を完成するに至ったのです。しばらくは怖がって「自分の患者に使いたい」と申し出る医師はいませんでした。しかしチャンスは訪れました。不整脈から急速に心原性ショックに陥り,血圧も触れず意識も混濁状態の患者さんがあり,担当医がDCカウンターの適応と判断したからです。ロウンは30kgもある機械をハーバードの公衆衛生医学院からブリガム病院まで約300メートルの距離をカートに乗せて慌てて走りました。
 「1回のショックで,患者は1分後にもののみごとに回復したよ」
 その後DCカウンターの機械が世界に広がったのは周知のことです。彼は「われわれが診療するのは心臓でなく,心臓を持った人間である(A doctrinal pillar is that one treats not a heart, but a human being who has a heart)」をモットーとして77歳になる今もなお,「突然死と社会」をテーマに活動を続けています。

諸君に託したいことがある

 さて,もう1人の立役者であるシビアン教授(精神科)は冷戦終結の後,地球環境の変化に目を向けました。1993年から1996年にわたって「環境と健康:健康管理問題の再構築(Environmental Health: Issues for Health Care Reform)」と題する報告書をホワイトハウスに送っています。そして医学や公衆衛生,政治に携わる若い人たちに「今地球に何が起こっているか」を知らしめることを目的に,1996年Center for Health and the Global Environmentをハーバード大学医学部に設立しました。冷戦終結の後は地球環境問題に戦いを挑んでいるのです。そのスケールの大きさには人の心を打つものがあります。今回は99年9月16日,シビアン教授による「この授業を始めた理由(Why we are giving this course)」の講義冒頭部分を紹介します。

***

 1980年代前半アメリカ政府はソ連に挑まれれば正気で核戦争を実行するつもりでした。しかし一般の人々の中ではどこか現実離れした話でした。なぜなら核戦争の内容がとても技術的で複雑であり,一端始まったらどのようなことが起こるのか一般の人々には想像さえつかず,あまりにも悲惨な核戦争の恐ろしさから,まさかそんなことは起こらないだろうと無意識のうちに否定してしまったからです。地球環境の衰退という問題も核戦争の脅威と大きな共通点があります。すなわち,人々は地球環境の変化が及ぼす影響がどの程度なのか,問題があまりにも大きく,かつ複雑であり,しかも大きな不確実性も含んでいるがゆえに現実感をもって理解していません。
 地球環境を正しく機能させるためには,人類の営みが環境をどのように変化させ得るかを理解しなくてはなりません。そのためには学問的原因結果の調査,適切かつ迅速な政治判断,産業界の長期的視野にたった協力と連携が重要です。科学は社会に還元されてはじめて価値が出るのです。この講義は政治学部,理工学部,医学部,公衆衛生学部の合同講義です。諸君には今地球で何が起こっているかを知るだけでなく,将来何が起こるかを予測し,お互いが協力してこの地球環境破壊という核戦争にも似た大きな脅威に立ち向かってくれることを強く期待しています。

***

 人は過去の業績によって評価されがちです。しかし大切なことは今何をやっているか,これから何をやりたいかではないでしょうか?彼らは自分らの輝かしい業績には固執することなく,何歳になっても新しいものにチャレンジする魂を持っています。そして社会に働きかけて何かを変えようとしています。
 「チャレンジ&チェンジ」――これは核廃絶運動の7人の侍からのメッセージです。
 次回から数回にわたってこの「地球環境の変化と健康」の講義をヒントに勉強した内容を紹介したいと思います。

(註)致死的不整脈時(あるいは心停止時)に正常リズムに戻す機械。ブローブ2つを胸部にあて,一過性に電流を流すことにより心蘇生をする