医学界新聞

 

連載
経済学で医療を診る

-医療従事者のための経済学

中田善規 (帝京大学経済学部助教授・医学部付属市原病院麻酔科)


最終章 モニター・検査の経済学(2)
 -ルーチン検査やモニターはなぜなくならないのか?

はじめに

 前回(2366号)は,ルーチンの検査やモニターがいかに経済的に非効率かを解説しました。「適応を限定せずにルーチンに用いると,検査やモニターの陽性検出率が低下する」ということが理解できたと思います。
 では,どうしてこのように経済的に非効率である検査やモニターが,医療現場では多く用いられるのでしょうか。その理由を医療にかかわるさまざまな立場から「インセンティブ」という概念を手がかりに考察してみます。ご存知のように,「インセンティブ」とは経済学や社会学の領域で広く使われる用語で,「動機づけ」「行動を起こさせる誘因」という意味を表す単語です。

医療従事者のインセンティブ

 医療従事者にとって,ルーチンで検査やモニターを用いるインセンティブは何でしょうか。考えられるものとして,心理的要素,医療過誤への恐怖などがあげられます。

心理的要素
 心理的要素としてはまず安心感があります。検査やモニターをルーチンに使うと,使わない時に比べて,患者の安全性が高まったような気がします。また,前回の例のパルスオキシメータのように非侵襲的であれば,なお一層ルーチンに用いられるようになります。つまり,患者に何かよいことをしているような気がするのです。
 しかしよく考えてみると,これらの根拠はあまり有力ではありません。ルーチンで検査やモニターを使うと,前回見たようにアラームの誤報や異常値が多くなり,医療担当者はそれに対応するという無駄な仕事に追われます。例えば,パルスオキシメータの誤報に対応している間に血圧低下の発見が遅れるということも考えられます。また,モニターを使うことによる安心感のために,かえって患者そのものへの注意が散漫になる可能性もあります。つまり,これらの心理的要素は,必ずしも医療担当者にルーチンの検査やモニターを使用させるインセンティブの根拠にはなり得ません。

医療過誤への恐怖
 一方,医療過誤への恐怖は実際上問題になるかもしれません。医療過誤訴訟の場合,「相当の医療水準」ということがよく問題になります。この時,他の医療担当者がルーチンで用いている検査やモニターを使用していないと,そのことが「相当の医療水準」にもとると判断されるかもしれません。
 しかし,これも別の考え方をすれば,また違って見えてきます。医療過誤訴訟は一般には,患者に何か悪いことが起こらない限り起こりません。したがって,もしルーチンの検査やモニターを使わなくても,患者に注意し,問題が発生しなければそれでよいわけです。誤報に惑わされるよりは楽かも知れません。
 つまり医療過誤を恐れることも,強いインセンティブの根拠とは言い切れません。

その他のインセンティブ

患者は……
 患者にも,上に述べたものとほぼ同様に,心理的要素のインセンティブがあります。つまり,ルーチンに十分検査してもらうことで,何となく安心します。
 しかし,どのような検査やモニターにも多少の危険は伴います。例えば,パルスオキシメータは非常に安全なモニターの1つですが,まれに火傷を起こすことがあります。また自分の担当医がアラームの誤報のせいで自分に注意を向けてくれないことも考えられます。数字を見て患者を診ない医療を受けることになるかもしれません。

機器の製作販売サイドは……
 機器製作販売側には,自社のモニターをルーチンに使ってもらうという非常に強い経済的なインセンティブがあります。売り上げを伸ばし,利潤を獲得するというインセンティブです。
 自社のモニターをルーチンに用いてもらうためには,さまざまな手段が考えられます。機器の性能を向上させて宣伝する方法もあるでしょうし,また患者や一般大衆に働きかけることもできます。さらには,政府や学会などにモニターをルーチンに用いるようなガイドラインを作らせる方法もあります。

社会全体をみると

 しかし社会全体としてみると,必ずしもよいことばかりではないでしょう。検査やモニターをルーチンに用いることで,貴重な医療費が無駄なところに費やされる可能性も十分にあり得るからです。
 これまでもこうした批判は,特に日本では「検査漬け」という言葉で,過剰な検査に向けられてきました。極端な場合,ヘルニアの手術に来ただけの患者でも,血算・生化・心電図・胸部レントゲンなどの検査を受けます。
 しかしアメリカでは,問診などで異状のあった場合以外は,何も検査をせずに手術に臨みます。前回パルスオキシメータの例として述べたように,日本よりアメリカのやり方のほうが検査の陽性検出率を高めるので,結果的に医療費が有効に使われていることになります。
 さらに考慮に入れるべき事項として,“結果の重大性”があります。ご存知のように 低酸素血症が起こり発見が遅れると低酸素脳症になり,長期間にわたる介護が必要になったり,場合によっては死亡することもあります。こうした結果を経済的に金額で評価するのは困難ですが,非常に莫大な社会資源を費やすことは否定できません。そうした損失を予防するためにルーチンでパルスオキシメータを使うことは,経済的に正当かも知れません。おそらくこうした理由から,医療のいろいろな場面でルーチンのモニターが使われているのでしょう。

まとめ

 さて,2回にわたり「モニター・検査の経済学」ということを論じてきました。検査やモニターは使い方によって有用であったり,なかったりします。そのことを無視して,経済的によいのか悪いのかを判断することには意味がありません。検査やモニターの経済性を決定するのは非常に困難な作業なのです。経済性を評価するには,モニターや検査の使われるコンテクストを考える必要があり,さらに“結果の重大性”も考慮する必要があります。医療の中でも経済性が強調される昨今,こうしたことをすべて考慮に入れた研究が期待されます。

読者へ一言

 本連載も今回で最終章を迎えることとなりました。過去1年間にわたり「経済学で医療を診る」をご愛読いただきまして,ありがとうございました。
 このシリーズの目標であった「医療従事者に経済学的な思考方法を与える」ことが本当に達成できたかどうかは,読者の判断に任せることにします。しかし,この目標が昨今ますます重要になってきたことは疑いありません。例えば,最近,介護保険に関する議論が盛んになっていますが,その多くは情緒論にすぎません。保険の原則を考えれば,保険料徴収を先延ばしにすることなど言語道断なのです〔詳しくは,第8章「リスクと医療保険(1)-なぜ医療保険は必要なのか?」(第2355号掲載)を参照ください〕。医療保険の問題を生活保護などの福祉の問題とすり替えて,国民を愚弄しているとしか言いようがありません。
 このように,経済学的思考を持つことの重要性は増しています。本連載をきっかけに,皆様がさらに経済学を勉強するようになれば幸いです。