医学界新聞

 

新春随想
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国立医療・病院管理研究所への思い

松田 朗
(前病管研所長/厚生年金事業振興事業団常務理事)


病院管理研究所の誕生・変遷

 1949(昭和24)年6月1日,病院管理研修所が開所された。第2次世界大戦後,わが国を占領した連合国最高司令部(GHQ)公衆衛生福祉部のJohnson大佐の指示によるものではあったが,国立東京第一病院(現在の国立国際医療センター)の1室を間借りし,所長以下スタッフまでも同院職員が併任する体制で産声をあげたのである。
 当時のわが国における病院の実情は,医学が進歩しているにもかかわらず,管理運営面においては欧州における中世期の状態に等しいとさえ言えるとGHQ関係者から酷評されていた。そこで当研修所が最初に行なったのは,国立病院長と国立療養所長に対する研修であった。当然のことながら研修カリキュラムについては試行錯誤の連続であったことだろう。実際にお手本となったのは,国立東京第一病院やDr. Mac Eachen著『Hospital Organization and Management』であった。
 その後,1961(昭和36)年には病院管理研修所から病院管理研究所への改組が行なわれ,それまではもっぱら米国の病院管理学の翻訳に頼っていた体制から,わが国の病院の本格的な調査研究を行ない,その成果に基づいて研修を行なうという機能を備えるようになったのである。
 さらに,1990(平成2)年,病院管理研究所は国立医療・病院管理研究所へと改組された。これにより,病院の運営管理を含め医療政策に関わる調査研究も行ない,厚生省の政策研究所的な機能をも具備することとなった。

生まれ変わる研究所

 当研究所にとって画期的な出来事は,1995(平成7年)年1月,厚生省による所管7国立試験研究機関と1特殊法人社会保障研究所の重点整備・再構築案の発表である。この案によれば,国立医療・病院管理研究所は実験系の研究部門を切り離した国立公衆衛生院と合体し,新たに「国立保健医療福祉政策研究所(仮称)」として生れ変わることになっている。
 国立公衆衛生院は,公衆衛生分野において,当研究所は医療分野において,それぞれ調査研究と研修(人材育成)を行なっており,両研究所が一体化することによるスケールメリットは大いに魅力的である。特に,最近の流行語ともなっている「保健・医療・福祉の連携・統合」を好ましい姿で具現化するためにも,新研究所に期待するところは大きい。
 最近の国立医療・病院管理研究所は,医療供給体制,看護評価・看護管理,老人の栄養管理,要介護認定システム,保健医療施設の生活環境改善,医療廃棄物等々に関する調査研究を行なっており,これらの成果は厚生省における各種の検討会,審議会等で活用されるなど,厚生省の保健医療政策に少なからず貢献している。
 新研究所は,2001(平成13)年度中に埼玉県和光市に屋家が完成し,新たなスタートを切ることになっているが,ここにおいては従来にも増して福祉分野における調査研究と人材育成が展開されることになるであろう。さらに,行財政改革が断行されていく中で,行政機関と研究機関との機能分化が進み,新研究所の政策研究所としての比重は増していくに違いない。
 あらゆる分野における情報公開が進められている中にあって,厚生省の政策決定に関与している諸々の検討会,審議会等における討論内容・審議経過のほとんどは公開されており,これらの場において活用される説得力のある資料が強く求められている。これに応えられるような機能を発揮することも新政策研究所の重大任務であろう。
 さて,本年4月から介護保険制度が施行されるが,これに伴い医療分野と保健分野における活動内容には大きな地殻変動が生じてくる。例えば,居宅介護の充実に伴う在宅医療の普及,介護予防・生活支援のための疾病予防・健康づくり,民間活力の導入による保健・医療・福祉サービス体制の再構築等々である。このような,社会の要請に応え得るような人材の育成に一役をかってもらうためにも,新しく登場する「国立保健医療福祉政策研究所(仮称)」発足へ向けての奮起を促したい。