医学界新聞

 

新春随想
2・0・0・0

20世紀の外科医療を顧みる時

榊原 宣
(順天堂大学名誉教授)


 切創や骨折の手当てに始まった外科療法が医療として認知されたのは前世紀末のことで,長い医療の歴史からみると,きわめて最近のことであると言われており,外科学は技か学か,との質問を受けることが少なからずある。確かに外科学はそのいずれの側面も備えている。しかし,外科医療は何よりもまず職業であるということである。技術がなければならない職種であると同時に,その対象が人間の身体であり,その治療を目的としているために,常に進歩し続けている職業であると言われる。

20世紀の外科治療の歩み

 20世紀の外科医療は整形外科,脳神経外科,泌尿器外科,消化器外科,心臓血管外科,呼吸器外科,耳鼻咽喉科,眼科,婦人科,内分泌外科,形成外科など多くの領域に枝分かれし,身体のあらゆるところにメスが及ぶこととなった。前世紀末,外科の大家ビルロートが,「心臓へメスを加えようとする外科医は,外科医としての尊敬を失うであろう」と言われた心臓へもメスが加えられ,最近では移植手術の対象臓器になっていることをみても,外科医療の発展を実感することができるであろう。
 今世紀の手術の内容も次第に複雑化してきている。切除手術,再建手術,生理学的手術,置換手術,さらに移植手術まで行なわれるようになった。前世紀末のゼンメルワイス,リスターによる消毒法に始まる無菌手術が広く行なわれるようになり,さらに抗生物質によって細菌感染はある程度制御されることになった。前世紀に始まった危険な麻酔は気管内挿管法の開発によって安全なものとなった。
 1900年のランドスタイナーによるABO式血液型の発見,ヒューステインらによるクエン酸ソーダの使用,さらにランドスタイナーによるRh式血液型の発見などは外科治療の進歩に大きく寄与した。いま考えてみると,癌に対する姑息手術としか言いようのない前世紀のビルロートに始まる内臓外科手術も,その後拡大手術へと発展し,癌根治のために大きな侵襲を加える手術が行なわれるようになったが,最近では反転して侵襲をより小さくする縮小手術が次第に外科手術の主流になりつつある。少し前まで夢の手術と考えられていた体腔鏡支援ロボットや手術操作ロボットを用いた手術も行なわれるようになってきた。それは身体の病的部分をただ切除するという単純な考え方から,術後も健康に近い身体の状態に回復させるという思想によるものである。そのため,術前,術中,そして術後といった周術期の処置,すなわち,栄養,抗生剤をはじめとする薬剤投与,麻酔,リハビリテーションの進歩に努力が傾けられるようになった。これらの領域の発展によって術前・後の合併症はほとんどなくなったと言ってよいであろう。
 一方,万一合併症が起こったとしても死に至ることが稀になった。そして,外科治療成績も著しく向上してきた。例えば20世紀初頭にわが国にもたらされた胃切除術の手術死亡率は30%にも達していたが,最近では1%以下であることからもわかる。一般の社会思想の変化によって移植手術は著しい発展をみているが,いずれ人工臓器に取って替わられることになるだろう。

外科医療の発展を支えてきたもの

 では,このような外科医療の発展を支えてきたものは何か考えてみたい。外科医療によってもたらされる人間の幸福とは何か。われわれ外科医が人類のために貢献する道は何か。何はともあれ外科医療の改善への方向に発展することが大切である。これまで20世紀の歴史の中でみられた欠点を少しでも取り去り,改良するとともに新しい方向に向って地道な歩みを続けていくことが大切である。
 医療,ことに外科医療というものは,医師と患者の人間関係の上にのみ成立すると言われる。病人の生命を救い,苦痛から救うために,身体にメスを加えることが許されている外科医にとって,社会とのつながりはきわめて深く,外科医療はすべて病める人びとのためでなければならない。社会の福祉と直結し,それに還元されるべきものである。このことは20世紀でも変らなかったし,これからも変わらないであろう。いまなお外科医に不断の努力が要求されるところである。もし,外科医が英雄気分を味わおうとして,功名心にかられて思慮を欠いた技術のみ追い求めるならば,むしろ,その後の外科医療の発展を阻害することになるであろう。このことは,外科医療が20世紀で少なからず経験したことであって,反省すべきであり,これから先,再びあってはならないことである。
 今世紀末になって,「インフォームド・コンセント」という言葉がわが国の医療でもキーワードになってきた。20世紀の人類の悲劇としか言いようのない事件の反省の上に立って,打ち立てられた思想である。これからの医療はこの考え方の上に築かれなければならないと言われる。外科医療も例外ではない。
 長い年月の間,医師として待遇されなかった外科医も先輩たちの努力によってその地位を確立し,内科など他の医療の分野と肩を並べ,医療の進展に寄与できるようになった。しかし,われわれ外科医は,ただこのような事象に満足して,10年1日のような手術を行なっていてはならない。
 外科治療の限界というものはあるのだろうか。手術の安全性はどこまで向上させることができるのだろうか。根治性を目ざした縮小手術の限界はどこにあるのか。社会,倫理,宗教などを考慮した人工臓器,臓器移植はどうあるべきか。早急に解決すべき多くの問題がわれわれの前に横たわっている。これらの問題は来る21世紀に解決すべき問題であるというような悠長なことを言っておれる問題ではない。緊急に解決すべきことである。いま20世紀の輝かしい外科医療の歴史を顧みる時,栄光に輝いている反面,未解決の問題はあまりに多く,そのいずれもが早急に解決すべき問題であるように思われる。