医学界新聞

 

連載
経済学で医療を診る

-医療従事者のための経済学

中田善規 (帝京大学経済学部助教授・医学部付属市原病院麻酔科)


第10章 モニター・検査の経済学(1)
 -ルーチンの検査やモニターは本当に役立っているか?

 最近は医療の分野にも,根拠(エビデンス)を重視する考え方が入ってきました。これに伴い診断用の検査やモニターも,本当に役立つものだけをエビデンスに基づいて行なうようになってきました。これは医療費削減という医療経済からの要請もあると思われます。その一方,臨床の医療現場には「ルーチン」と呼ばれる検査やモニターがあります。すなわちすべての患者に行なう検査やモニターのことです。この章では検査やモニターの経済学的評価についてパルスオキシメータを例にとって考えてみましょう。

パルスオキシメータ

 パルスオキシメータとは,ご存知のように血中酸素飽和度を測る非侵襲的なモニターです。1980年代に臨床現場に登場して,今や手術患者のすべてが術中に使われています。このモニターの登場で手術患者の安全は大いに高まったと言われていますが,ではこのモニターが広まっていく中で,それがもたらす経済性はどのように変化していったのでしょうか。
 私が勤務する手術室でパルスオキシメータが使われ始めたのは,やはり1980年代終わり頃でしたが,当時は手術室が9室あるのに,パルスオキシメータはたったの2台。麻酔科の毎朝のカンファレンスでは,十数人いるその日の手術患者のうちの誰に使うかが真剣に議論されていました。
 確かに,このモニターを使うと麻酔管理の安全性は格段に向上しました。低酸素血症が起こるとパルスオキシメータは的確にアラームで知らせてくれるので,それまで患者の顔色・チアノーゼなどで間接的に判断していたのとでは雲泥の差でした。
 こんなに素晴しいモニターなので,手術室も積極的に評価してくれました。病院はパルスオキシメータを追加購入し,その後間もなく手術室全室に備わるようになり,以前と違って,誰にパルスオキシメータを使うかを議論する必要がなくなりました。
 しかし,少し様子が期待と違ってきました。すべての患者に導入したので,低酸素血症が的確に診断されるようになったかというと,必ずしもそうはならなかったのです。例えば,アラームが鳴ったので低酸素血症かと思ってみると,ほとんどの場合は,パルスオキシメータのプローベがはずれたり,患者の体動があった時でした。アラームが鳴っても低酸素血症が起こっていることがあまりに少ないので,麻酔科医の中にはアラームをいつもオフにして麻酔する者も出てきました。これではパルスオキシメータを使っている意味があまりありません。高いお金を払って病院はパルスオキシメータを追加購入したにもかかわらず,あまり役立っていないようです。

「感度」「特異度」

 このエピソードはパルスオキシメータだけでなく,どのようなルーチンの検査やモニターにもあてはまると思います。では,どうしてこのようなことが起こるのでしょうか。この話を少し別な視点から分析してみます。
 どんなに優れた検査やモニターでも完璧とは言えません。異状があっても検出できないこともあれば,反対に異状がないのに異状を検出することもあります。これを定量的に表現する時は,「感度」と「特異度」という用語を用います。「感度」とは異状がある時に,異状を検出する割合です。先ほどのパルスオキシメータの例では,低酸素血症が起こっている時にアラームが鳴る確率です。また,「特異度」とは異状がない時に,異状を検出しない割合です。先ほどの例では,低酸素血症が起こっていない時に,アラームが鳴らない確率です。

陽性検出率は?

 ここでは話を簡単にするために,先ほどの例に戻って,パルスオキシメータの感度と特異度をともに90%とします。パルスオキシメータが初めて臨床に登場した時は,低酸素血症の起こる頻度が比較的高いものだけに使われていました。例えば,肺外科手術とか小児外科手術などですが,これらの手術で低酸素血症の起こる確率を仮に90%としますと,100人中90人が実際に低酸素血症になり,100人中10人は低酸素血症にならないことになります。そして,低酸素血症になった90人のうち90%(81人)の場合にアラームが鳴るので(これが感度90%),残りの9人ではアラームが鳴りません。また,低酸素血症にならなかった10人のうち90%(9人)ではアラームが鳴らないので(これが特異度90%),残りの1人で誤ってアラームが鳴ります。以上の例をまとめますと表1のようになります。
 そこでこの表を縦に見ると,アラームの鳴った患者は100人中82人いることがわかります。アラームの鳴った患者の82人中で実際に低酸素血症になっている者は81人いるので,アラームの鳴った患者の中で実際に低酸素血症になっている者の割合(これを「陽性検出率」と言います)は,
  81/82=約99%
になります。言い替えると,アラームが鳴った場合,約99%の確率で実際に低酸素血症が起こっているのです。これは素晴しい数字です。このモニターが優れた機器であると誰もが納得するでしょう。
 さて,パルスオキシメータをすべての手術患者に使用するようになった場合を考えます。しかし,実はその他の手術一般では,低酸素血症はそれほど頻繁に起こるものではありません。したがって,それらの手術全体を考えれば低酸素血症の発生する確率はかなり低くなります。
 ここでは仮に手術全体で低酸素血症の起こる確率を10%とします。すると,100人中10人が実際に低酸素血症になり,100人中90人は低酸素血症になりません。低酸素血症になった10人のうち90%(9人)の場合にアラームが鳴り(感度),残りの1人ではアラームが鳴りません。また低酸素血症にならなかった90人中の90%(81人)ではアラームが鳴らず(特異度),残りの9人で誤ってアラームが鳴ります。この例をまとめますと表2のようになります。
 そこで前回同様,この表を縦に見ると,100人の患者の中でアラームの鳴った患者は18人いることがわかります。このアラームの鳴った患者18人の中で実際に低酸素血症になっている者は9人いるので,アラームの鳴った患者の中で実際に低酸素血症になっている者の割合(陽性検出率)は,
  9/18=50%
となります。つまりアラームが鳴った場合,実際に低酸素血症が起こっているのは半分(50%)です。アラームが鳴っても半分の場合は誤報であることになるので,麻酔科医の中にパルスオキシメータのアラームをいつもオフにして麻酔する者がいても無理のないことかも知れません。

検査の経済効率性

 さて,このような陽性検出率の違いはどうして発生するのでしょうか。
 この2つの場合をよく比べてみると,低酸素血症の起こる頻度に違いのあることがわかります。つまり,低酸素血症が高頻度に起こる症例にパルスオキシメータを用いると,素晴しい働きをしますが,低酸素血症の起こる頻度の低い症例にを用いると,パルスオキシメータはあまり優れた働きをしません。ここに,適応を限定してモニターや検査を行なう理由があります。
 パルスオキシメータに限らず,どの検査やモニターでも適応を限定せずにすべての患者にルーチンで用いると,本来その検査やモニターが持っている優れた特性が発揮できなくなります。すなわち,経済的には非常に非効率になります。
 したがって,内科診断学で勉強する病歴聴取や理学的所見が非常に重要になってきます。こうした手段でどういう検査やモニターがよいのか,適応を絞り込むことができます。また,そうすることで行なう検査やモニターの有用性も高まり,経済的にもより効率的になります。医療費削減が叫ばれる昨今,時代遅れに見える病歴聴取や理学的所見がにわかに重要性を増してくる理由です。

まとめ

 以上ルーチンの検査やモニターがいかに経済的に非効率かを解説してきました。しかしながら実際の医療を見回せばルーチンのモニターや検査はたくさんあります。例えば手術患者には心電図・血圧計・パルスオキシメータがルーチンで用いられていますし,術後の患者にも同じようなモニターがルーチンで用いられています。また術前患者にはルーチンの検査が数多くあります。ではどうしてこのように経済的に非効率であるにもかかわらず,ルーチンのモニターや検査が医療現場では多く用いられるのでしょうか。次回ではその理由を医療にかかわるさまざまな立場から「インセンティブ(誘因)」を手がかりに考察します。

表1 パルスオキシメータ導入当初

 アラーム 
鳴る鳴らない
低酸素血症起こる81990
起こらない1910
 8218100

表2 全患者にルーチンで用いた場合

 アラーム 
鳴る鳴らない
低酸素血症起こる9110
起こらない98190
 1882100