医学界新聞

 

連載 クリニカル・クラークシップ
-新しい医学教育への挑戦 最終回

学生は待っていられない


東海大のクラークシップを体験してみたい

 今年の夏,黒川清氏(東海大医学部長)のもとに1通のE-mailが届いた。差出人は東大医学部5年生,平山陽子さんだ。
 「東海大のクリニカル・クラークシップを体験してみたい」
 クリニカル・クラークシップ(以下,クラークシップ)は優れた臨床教育法だと聞いているが,本当にそうなのか?一度自分自身で,見学ではなく体験をして,東大のBST(ベッドサイドティーチング)と比較してみたい。機会を与えてもらえないだろうか。E-mailにはそんな願いが綴られていた。
 思わぬ他流試合の申し入れだったが,黒川氏は快く受けた。
「日本の医学界には他流試合が欠けている」
これは黒川氏の持論でもある。
 「医学生は井の中の蛙のようなところがある。自分の大学の中にいれば,外のことを知らなくともそれで済んでしまう。でも,医療も医学教育も大きな変革の流れの中にあるということは何となく感じている。その現実を知らないで医師として育ってしまって,将来困らないだろうか」
 平山さんにクラークシップ体験を志願させたのは漠然とした不安感だった。
 4月から始まったBST。「いくつもの具体的な症例に触れることで臨床医学の実際を学ぶもの」と考えていた。しかし,1-2週間ごとにローテートする各専門科で,学生に課される症例はわずか1例。その患者さんと向き合う病棟実習(正味2日間)も科によっては指導もなく,病棟で途方に暮れることも多かった。学生の中には半日で病歴聴取と問診を済ませ,残りの時間は図書館でレポート作成に費やす者もいる。繰り返されるクルズスも,ためになるものはあったが,診断・治療の基本的な知識や技術を体系的に教えてくれる科は少ない。20人ほどを引き連れて行なわれる教授回診では,ただ遠くから眺めているだけだった。
 「これでいいのだろうか」
 「ジェネラルに診ることができる内科医になりたい」そう思いはじめていた平山さんには,次第に不安と焦燥感が募っていった。

私の大学にもクラークシップを

 東海大でのクラークシップ体験は3日間だったが,平山さんに大きな刺激を与えた。 学生は毎日,朝8時に患者さんのところへ行く。患者さんに今朝の様子を聞き,バイタルを採り,カルテに記入。チーフに報告をして今日の治療方針を考えるところから1日が始まる。チーム全員による毎朝の病棟回診と,その後の教員(アテンディング)回診では,受け持ちの患者さんについて学生がプレゼンテーションをする。教員は学生にどんどん質問をする。疑問や理解不十分な事項については,回診の後,すぐに調べ解決する。
 「これはすごい」
 この10月に平山さんは,東大医学部の同窓会機関紙「鉄門だより」のコラム「論壇」に「クリニカル・クラークシップの導入を」と題する投稿を行なった。この中で平山さんはBSTにはないクラークシップの利点として,「常にチームの一員として病棟に張り付き,診断,治療の全過程に立ち会える」,「チームの全患者を見ることができ,経験する症例数が多い」などをあげ,「医師としての責任感」,「問題解決能力」を培う高い教育効果があると指摘。2001年に予定されている学内のカリキュラム改革では,「臨床実習の形式としてクラークシップの導入を提言したい」と述べている。
 東海大では,クラークシップという方法だけではなく,クラークシップにあたる学生の熱心さにも目を見張った。
 「同世代,同じ大学生なのに,なぜこんなにやる気が違うの?」
 クラークシップでは学生も主治医だ。患者さんの診療への責任は望む望まないにかかわらずついてくる。
 「責任感が医師を育てる」ある医師の言葉が平山さんの胸に残った。
 米国では,既に大学を卒業し,社会人としても数年の経験を経たような人材がメディカル・スクールへ進学し,クラークシップにあたる。同じ医学生でも,高校を卒業後すぐに医学部へ進学する日本の学生とは,自ずとモチベーションが異なる。これは事実だろうと平山さんは思う。しかし,「(米国に比べて)モチベーションが低いから,クラークシップのように,診療チームの一員として責任が求められ,自学自習が求められる実習形態は無理,との論法は納得できない。逆に,患者さんやチームへの責任があるからこそ,モチベーションは育まれ,高まるのではないだろうか」

東海大は特別か?

 さる10月29日,布村幸彦課長ほか,文部省高等教育局医学教育課の一行が,東海大のクラークシップを視察に訪れた。文部省としても卒前医学教育の充実をめざしたクラークシップ導入を促進しようと検討している。
 「他の大学から東海大のように導入したいというアプローチはないのか?」
 「他大の関係者と話をする時にクラークシップのことは話題になる。だが,『うち(の大学)ではとても(東海大のような導入は)無理ですね』と言う方が多い」ある教員は少し寂しそうに答えた。
 「東海大は特別」 医学教育界には確かにそんな空気がある。
 しかし,平山さんは「東大でも,全面的なクラークシップ導入は可能だと確信している」という。「病院の診療体制の見直し,指導医が教育にあてる時間やその報酬の保障,教員の研修,もちろん簡単ではないでしょう。でも,よく指摘されるティーチング・スタッフの数などは,東海大に比べて決して少なくはない。21世紀に向けて第1線を担っていく医師を育てようというのなら,クラークシップの導入は必ずできるはずだ」

学生が発言すべき時

 BSTが始まって以来,平山さんは教員たちに自分の持つ疑問をぶつけてきた。
 「先生方は話をよく聞いてくれた。臨床教育のあり方に問題意識を持つ先生は東大にも多い。でも,その教育熱心な先生方のがんばりに頼っているだけではダメだ。積極的に声をあげて学生が(熱心な先生たちを)後押ししなければ……」 「鉄門だより」への投稿には,こんな思いもあった。
 平山さんは,今の教育現場の最大の問題点は「教員-学生間の相互不信」だという。一部の教員は学生を「やる気がない」と見る。BSTや授業に出てこず,レポートや試験だけをこなしていく学生たちに失望している。一方,学生たちは「(教育内容は)どうせよくならない」とあきらめている。「これではいい教育ができるわけがない。この悪循環を断ち切りたい」と平山さんは思う。そして,「学生も先生まかせだった」と,少し自分のことを省みる。
 今は,「自分たちの教育に学生自身が発言していくことが必要だ」と考えている。いろいろな教員と会って話しているうちに,「真摯な学生の訴えを,先生方は決して無視できないのだ」と感じるようになった。「学生の声は大学を動かす力になる。発言していくことが先生方への一番の応援だ」
 医学教育改革の大きなうねりの中で,控えめに出番を待っていた主役の学生たちが,舞台の花道に登場しつつある。
(連載終わり)