医学界新聞

 

連載
アメリカ医療の光と影(15)

医療過誤防止事始め(9)

李 啓充 (マサチューセッツ総合病院内分泌部門,ハーバード大学助教授)


〈症例〉
ロランド・サンチェス,51歳,外科医

〔前回(2359号)よりつづく〕
 健常な足と切断すべき足の区別もつかない「でたらめ医」のレッテルを貼られたサンチェスは,1975年ニューヨーク大学医学部を卒業後,同大学医療センターで臨床研修を受け,外科チーフ・レジデントを勤めている。1981年から生まれ故郷のタンパ市で外科を開業したが,フロリダ州の医務監察部(ボード)の記録によれば,ウィリー・キング事件が起こるまでの14年間,何ら医事紛争に巻き込まれた前歴はなかった。患者の評判もよく,外科医の仲間うちでの評価も高かったと言われている。

2件目の医療過誤事件

 患者との示談交渉が進められている最中に,事件の場となったユニバーシティ・コミュニティ病院で第2の医療過誤事件が起こった。呼吸療法士が,呼吸器から離脱すべき患者を取り違え,77歳の患者を死に至らしめたのであった。ウィリー・キングの事件が起こってからわずか11日目,95年3月3日のことであった。患者を取り違えた呼吸療法士は産休明けで,職場に戻ったばかりの復帰1例目に患者を取り違えるという誤りを犯してしまった。気管チューブ抜管10分後に看護婦が異常に気づき,救命処置が始められたが時すでに遅く,患者は抜管1時間後に死亡を宣告された。この患者は脳卒中の後遺症で右半身が動かず,動く側の左腕は(経鼻チューブをはずさないように)拘束されていたため,呼吸困難に陥った後も緊急用の呼び出しボタンを押すことができなかったと推定されている。
 この2件目の過誤事件の発生はフロリダ州当局に報告されることがないまま,3月6日,9日にウィリー・キングの切断足取り違え事件について州当局による緊急立ち入り監査が行なわれた。そして3月11日に2件目の患者取り違え事件がメディアにより報道され,初めて州当局は新たな過誤の存在を知ることとなった。3月14日に2件目の事件についての緊急立入検査が行なわれたが,11日の間に2度までも「信じられない」間違いを起こしたユニバーシティ・コミュニティ病院は,当然のことながら強い批判にさらされることとなった。
 3月末,州当局の調査結果を受けた連邦政府の医療財政管理局(HCFA)は,4月20日までに十分な改善処置が取られない場合は公的医療保険(メディケア・メディケイド)の適用を取り消すという厳しい処分を決定した。4月7日には,州当局により,十分な改善処置が取られるまで「緊急以外のすべての外科手術の停止」という処分も下された。そして4月12日には,医療施設評価合同委員会(JCAHO)がメディケア・メディケイドの適用を取り消すことを決定した(その後,この処分は,病院の改善努力を評価した連邦医療財政管理局によって解除された)。
 第2の過誤事件が起こったことで,ウィリー・キングとの間に早期に示談を成立させる圧力がますます強まる結果となった。弁護士たちも事件のほとぼりを早くに冷まさせるためには早期に示談を成立させるべきだとサンチェスに勧めた。サンチェスにとっては,「でたらめ医」のレッテルを貼られたまま,何ら弁明の機会を与えられることもなく示談に同意することを余儀なくされることとなったのであった。
 最終的に病院側が90万ドル,サンチェスが25万ドルを支払うことで示談が成立したと言われている。

サンチェス再びメディアに

 ウィリー・キング事件のほとぼりが冷めることをひたすら願っていたサンチェスの名が,再びメディアに登場することになったのは95年7月,ウィリー・キング事件からわずか5か月後のことである。「あのでたらめ医サンチェスが,今度は患者の同意を得ずに足の指を切り落とした」というのである。
 患者は69歳の女性であった。糖尿病性壊疽のために,93年から2回,サンチェスの執刀の下に足趾の切断術を受けていた。95年7月にタンパ市のタウン&カントリー病院でサンチェスが診察した時には,右足の壊疽が極度に進行し,サンチェスも他の外科医も患者には膝下での下腿切断術を勧めた。しかし,患者は「足を切り落とされるのはどうしても嫌」と言い張り,「右足の広範な廓清手術」を行なうということでインフォームド・コンセントが得られたのであった。いずれ切断は避けられないにしても,それまで少しでも時間が稼げればと,サンチェスは患者の希望を容れたのであった。
 サンチェスによると,問題となった右第4足趾は「切断されたのではなく壊死が進行していた結果自動的に落ちてしまった」という。しかし,足趾を切断することはインフォームド・コンセントには記載されておらず,「患者の同意を得ることなく足趾を切断した」と問題にされることとなったのである。手術を介助した看護婦がインフォームド・コンセントに違反した手術が行なわれたと病院の上層部に報告し,病院は即座にフロリダ州医療管理局に報告した。
 報告を受けた医療管理局は,サンチェスの医師免許を即座に停止する処分を決定したが,処分理由は「サンチェス医師は,社会の健康・安全・福祉にとって緊急かつ真剣に対処すべき脅威である」からということであった。サンチェスからの聞き取り調査さえ行なわない一方的な処分であった。
 執刀医がウィリー・キング事件の「あの」サンチェス医師でさえなければ「大問題」となるような症例でもなかったろうし,州当局が医師免許を緊急停止する理由もなかったであろう。

この項つづく