医学界新聞

 

〈連載〉

国際保健
-新しいパラダイムがはじまる-

高山義浩 国際保健研究会代表/山口大学医学部4年


〔第13回〕カンボジアで「死ぬ」ということ

 この夏,3年ぶりにソムロンアンデスを訪れた。ソムロンアンデスとは,カンボジアの首都プノンペンの北西約10kmにある大きな寺院である。
 東南アジアの仏教寺院は,身寄りのないお年寄りを引き取るという,社会的役割を担っていることが多い。日本でも,昔はこうした役割が寺院に求められていたのだろうが,東南アジアの寺院では,今でも僧侶が得る布施の食事を分けてもらって生活をしているお年寄りを見ることができる。
 さて,僕が再訪したソムロンアンデスは,こうした老人ホームの役割のほかに,もう1つの役割を担っていた。それは末期を主とした伝統医療である。
 今回は,このソムロンアンデスに学んだ「死」について述べよう。そして,そこから日本社会の深層にある「死」への恐怖について考察してみたい。

カンボジアの僧医たち

 ソムロンアンデスには,約150人の若い僧侶が修行しており,パーリ語を中心に12教科の授業がある。ここまでは,東南アジアの仏教学校と大差はない。この寺院では,それに加えて伝統医療を厳しく教えているのだ。敷地内には,茅葺き木造ながら入院病棟があって約10人の患者が入っている。そこでは,臨床実習も教育の一環になっており,2年間の教育カリキュラムを経て卒業となるが,卒業できるのは入学者の10分の1という。こうして,伝統医療を身につけた卒業生たちは,カンボジア各地の寺院に僧医として赴任していくのだという。
 それでは,僧医たちの治療を描写してみよう。
 患者の家族から呼ばれると,僧医は水の入った壺と竹笹を手に患者の家を訪れる。そして,患者を座らせ,持参した壺の水に竹笹をつけて,お経を唱えながら患者の頭を叩くのである。僧医が判断した病因によってお経の内容は変わる。このあたりがいわゆる「匙加減」に当たるようだ。ちなみに,壷の中の水はただの水ではなく,あらかじめ「バリー」という精霊の息を吹きかけてあるのだという。患者が痛みに苦しんでいたり,ぼけなどの症状がみられる時には薬を処方することもある。もっとも一般的なのは,チョセイという木の根とクラブスレンという木の実を,家族に15分間削らせ,それをコップ半分くらいの生水に溶かして飲ませること。
 ところで,この「患者に生水を飲ませる」ことについて,「沸かしたほうがよいのではないか」と聞くと,「沸かさないことにも意味があるのさ」と僧侶は笑った。その後,僕は僧侶たちとお茶を飲んだが,幸いそれは沸かしてあった。ただ,そのお茶には,ぼうふらやら何やらが大量に沈殿しているところを見ると,「やはり生水は限りなく危険」と思われた。
 憶測にすぎないが,「安楽死かな?」と僕は思った。クラブスレンという伝統薬は,しばしばカンボジア人が自殺に使う毒薬でもあるからだ。しかし,僕は,彼らの治療方針の是非を論ずる立場にない。ただ,家族も患者本人も,ありがたいお経に心から感謝し,安らぎを得ているのは疑いようのない事実だった。

安らぎの医療

 カンボジアでは,とりわけ患者を末期と判断すると,病人の安らぎを優先させている。例えばそれは,8歳の息子を1週間前に失ったばかりの,ある農夫と僕との次のような会話に表われているだろう。
「息子さんを亡くされて,さぞお辛いでしょう」
「まぁね,あいつは結構もったんだがなぁ(笑)」
「病院には連れて行きましたか?」
「いや,病院は午前中だけで,行けねぇからな」(農作業は暑くない午前中に行なう)
「では,どうしたんですか?」
「マーケットで薬を買って飲ませたんだよ。まぁ,いよいよ(死ぬ)って時にはそれもやめてよ,坊さんに来てもらったけど(笑)」
「はぁ,どうして最後まで薬を飲ませてあげないんですか?」
「子どもが嫌がるじゃねぇか。そういう時には坊さんがいいんだよ」
「僧侶が来ればよくなるんですか?」
「ねえ……」
 病人が死に瀕すると僧医が呼ばれる。そして,お経をあげてもらう。この時は,村人も病人の家に集まり,一緒に経をあげ,お布施をする。建前は「回復祈願」だが,ほとんどの人はそれで病気がよくなるとは考えていない。それでは,なぜ薬をやめてまで僧侶を呼ぶのだろうか。
 ソムロンアンデスの僧医は,僕に,
「苦い薬を1袋飲ませるのと,お経を1つあげるのとでは病人にとっても家族にとっても満足度がまったく違うのだ」と語った。
 実際,機会があって僕もお経をいただいたことがあるが,僕は3人の僧侶のハーモニーと寺住みの年寄りたちの合唱に包まれ,満足感を通り越して一種の幸福感を味わったものだった。その安らぎこそ「死」を目前にした病人にしみいる,魂の最良の薬なのかもしれない。
 ソムロンアンデスの僧医と村人たちは,延命治療に何ら意味を見出していない。もちろん,彼らの貧しさも考慮に入れるべきであろうが,それでも彼らの死生観に僕たちとは違うものがあることは間違いないようである。

カンボジアの死生観を足がかりにして

 カンボジア人を評して「生きることに無気力」という外国人も中にはいる。家族を含めた他人の「死」に冷淡で,自らの「死」に無頓着だというのだ。そしてその原因を,内戦時の大虐殺の経験に見出そうとしたり,長い植民地時代に求めようとしている。しかし,僕はカンボジア人は昔から,それこそ何千年も昔からそうだったのではないかと思っている。「そうだった」というのは,「死」に無頓着だという意味ではない。彼らは「死」をよく知っているために,僕たちほど大騒ぎすることなく冷静でいられるのだ。
 それは,次のような彼らの医療形態によるのかもしれない。
 カンボジア農村部では,まずほとんどが「在宅看護」の形態であり臨終も自宅で迎える。大家族ゆえ,家族の誰かが常に病人のそばにいることができることもその要因の1つだろう。また,薄暗く湿度の高い屋内を避け,村人の目につく軒先に病人が寝かされることもしばしばである。
 これは,病院に押し込められる場合と異なり,病気は日常の範疇にあり,「死」も日常の延長線上として見ることにもつながる。病人はいつものように村人との会話,家庭のぬくもりの中で暮し,そして死を迎えるのだ。また一方で,家族や村人にとっても「死」が身近で見馴れたものとなる。このことは,村人に「死」について考える機会を十分に与えており,彼らは他人の「死」,自らの「死」を目をふさぐことなく捉えることができているのだろう。
 カンボジア農村部にあった自然な「死」は,「死」は生活の一部であることを教えてくれる。そして,「生」という現実の中で「生」のあり方を工夫することができるように,「死」も日常の中にあればこそ「人生の中の死」をまっとうしうるのである。
 その一方で,僕たちが信奉する現代医学は,普遍化を目的とする科学を基礎として発達した医療体系である。それゆえ,その属性内部で「死」をとらえる時,例えば保健統計でいう「死」亡率のように,ひとまとまりのものとしてしまう傾向がある。そこでは「死」が集合化され,死者の顔は剥ぎとられてしまう。ある人が「どのように死んだのか」よりも,「何人死んだのか」が重要となる。それは同時に「人生の中の死」の喪失を進めている。ところが,これこそが僕たちを「死」の恐怖へとおとし入れ,「死」から目を覆わせていることではないだろうか。
 「死」の恐怖ゆえに,「死」を日常に持ち込むことがタブーとなり,そこにある「死」を遠ざける。しかし,それがさらに「死」を暗黒にし,恐怖とする。
 医療者は「病院備えつけの死」という形でこの悪循環の一翼を担い,逃避する人々と同調している。あの,「主よ,それぞれの人間に私の死を与えたまえ。愛と意味の切迫した危機に生きる,一個の生から偉大な死が実らねばならないのです」という100年前のリルケの祈りは,やがて直接的な意味を持つようになってきている。

 ずいぶんおおげさに述べてしまった。今回紹介したカンボジアの末期医療のあり方は,日本や欧米でも,病人が家族とともにあった一時代前まではあたりまえの形態だったに違いない。現代医学の発展普及がこのような形態を駆逐していったのだろう。
 僕は,カンボジアで見た過去の形態への後戻りを奨励し,論じようとしているのではない。ただ,僕たちの生活の中で,現代医学が強大になり,「死」すらも取り込もうとしている問題に,僕たちは内部で答えを模索してはいないだろうか。
 今回,カンボジアの「死」をとりあげ解釈を試みたのは,そこに1つの相対的視点を提起してみたかったからである。そこから,僕たちなりの「人生の中の死」の迎え方が見えてくるかもしれない。