医学界新聞

 

医学研究の新しい開拓分野

宇宙医学研究

大島 博氏(宇宙開発事業団 宇宙医学研究開発室)に聞く


 人類の長年の夢であった宇宙飛行は20世紀後半に飛躍的な発達を遂げ,人類初の月面歩行やスペースシャトルによる飛行など多くの足跡を残してきた。宇宙開発事業団(NASDA:National Space Development Agency of Japan)の毛利衛氏をはじめとする日本人宇宙飛行士たちも,スペースシャトルでの宇宙実験や船外活動などに参加している。
 NASDAは米国航空宇宙局(NASA),欧州宇宙機関(ESA),カナダ宇宙庁(CSA),およびロシア宇宙庁(RSA)とともに,宇宙環境という新たなフロンテイアのプラットフォームとして,国際宇宙ステーション(ISS: International Space Station)の建設・運用に参加している。4年後の2003年には日本初の宇宙実験室としての軌道上実験モジュール(JEM: Japanese Experimental Module:愛称「きぼう」)の運用が開始される予定。日本の医学研究分野においても,宇宙環境を利用して独創的で有意義な成果をあげることが期待されている。
 そこで本紙では,日本の宇宙開発の拠点である筑波宇宙センターで宇宙医学の研究開発を担当している大島博氏に,日本の「宇宙医学研究」の現状と展望について,多岐にわたる話を聞く機会を得たので,ここに報告する。


宇宙医学とは何か

人類の新たな活動領域としての宇宙環境

――「宇宙医学」とはどのような研究分野でしょうか。
大島 地球の生命進化の観点から見ると,生物は海水から淡水へ,そして地上へと活動範囲を広げ,科学技術の急速な進歩により20世紀後半には宇宙へと活動範囲が広がりました。これまで200人以上の宇宙飛行士が宇宙滞在を経験し,最長滞在期間も438日に及んでいます。21世紀には一般人の宇宙飛行も可能となるかもしれません。宇宙医学とは人類の新たな活動領域としての宇宙環境を医科学研究の場として展開したり,宇宙飛行士の健康管理の観点から学問することと言えます。

宇宙環境を利用した医科学研究

大島 宇宙環境は微小重力,高真空,良好な視界,放射線などが複合しており,地上では得ることのできないユニークな特徴を有しています。地上とはまったく異なる現象の発見や解明,新材料や医薬品の創製など,新たな科学技術の展開をもたらす可能性があります。また,地上の進化に関わる生物の発生,分化や成長など,生物の構造・機能と重力との関係に関する研究も可能となります。

宇宙飛行士の健康管理への貢献

大島 無重力のヒトへの影響としては骨や筋肉の萎縮,宇宙酔い,体液移動や心循環器系deconditioningなどの生体変化,放射線被曝,および精神心理への影響があり,ヒトが安全で快適に宇宙滞在するためには解決しなければならない医学的な課題がたくさんあります。宇宙医学では宇宙環境が人体に及ぼす影響とメカニズムを解明し,宇宙飛行士の健康維持・対策に役立てること,さらに成果を地上の医療活動へ還元することが期待されています。

将来の宇宙医学の展望

大島 21世紀にはISSを利用して宇宙開発が飛躍的に発展し,月面基地の建設,火星への惑星間飛行や一般人の宇宙旅行も夢ではなくなるかもしれません。宇宙医学も,(1)ヒトの宇宙滞在としてのSurvivalの段階から,現在は(2)Health Careの充実の段階にあり,将来は(3)Well-being,High performanceへと展開が期待されています。遠い将来,心臓病や脊損患者のリハビリに微小重力環境を役立てる宇宙病院構想も夢物語ではなくなるかもしれません。

筑波宇宙センター,宇宙医学研究開発室および
宇宙環境利用研究センターの役割

筑波宇宙センター

――筑波宇宙センター,宇宙医学研究開発室および宇宙環境利用研究センターの役割はどのようなものでしょうか。
大島 筑波宇宙センターには人工衛星など宇宙機の研究開発,人工衛星の追跡管制施設があります。さらに宇宙環境利用およびJEMの開発運用の拠点としての宇宙ステーション試験棟,運用棟,宇宙実験棟,宇宙飛行士養成棟や無重量環境試験棟などの施設があります。宇宙飛行士養成棟では宇宙ステーション搭乗員の選抜,養成訓練,健康管理の実施およびこれらに関わる技術研究開発が行なわれています。また無重量環境試験棟には深さ約10メートルのプールがあり,水の浮力を利用して船外活動を想定した設計評価,基礎訓練等が行なわれています。

宇宙医学研究開発室

大島 宇宙医学研究開発室では,宇宙飛行士の健康管理(健康管理計画,医学基準など),健康管理技術研究開発(生理的対策手法,心理支援,放射線被曝管理など),および宇宙医学研究推進などを担当しています。宇宙飛行士の健康管理を担当する航空宇宙医師(フライトサージャン),看護婦,宇宙医学研究開発担当医師,運動や心理担当研究員,放射線被曝管理担当開発部員,専門職員,および非常勤の招聘研究員で構成されています。NASDAには現在5人のフライトサージャンがいて,宇宙飛行士の選抜や年次検査,飛行前,中,後の健康管理を行なっています。

宇宙環境利用研究システムと宇宙環境利用研究センター

大島 また宇宙開発事業団には,宇宙環境利用に関わる先導的な研究実施母体としての宇宙環境利用研究システムと,実験機会の提供および研究の支援や運用を行なう宇宙環境利用研究センターがあります。
 宇宙環境利用研究システムは,宇宙環境を利用する科学研究の総合的な推進を行なう研究実施組織です。宇宙環境利用の有効性を示すための先導的研究,実験技術などの方法論を確立するための基盤的研究などを推進しています。
 また,宇宙環境利用研究センターは実験機会の提供および研究の支援や宇宙実験の運用を行ないます。共通実験装置の開発,応用化研究の推進,ならびに宇宙開発事業団内部の戦略研究やJEMの研究シナリオのとりまとめ,および宇宙環境利用研究システムへの技術的支援機能を受け持っています。詳しくは宇宙環境利用と実験に関するホームページ(表参照)をご覧ください。
――大島先生は,実際にどのような仕事に関わっていらっしゃるのでしょうか?
大島 私は宇宙医学研究開発室に所属し(研究センター併任),健康管理技術研究開発および宇宙医学研究担当医師として携わっています。

健康管理技術研究開発

大島 宇宙医学研究開発室では,日本人宇宙飛行士の長期(3-6か月)宇宙滞在を数年後に控え,健康管理上の課題に対する具体的体系的な対策法の構築としての健康管理技術研究開発を実施しています。現在4つの最重要課題として,(1)生理的対策手法,(2)精神心理支援,(3)放射線被曝管理,および(4)健康管理システムの構築が実施されています。必要に応じて国内外の専門家からなる委員会(宇宙放射線被曝管理分科会,運動処方助言委員会,心理支援助言委員会等)の中で対策案を作成し,さらに外部諮問委員会である有人サポート委員会(委員長:前早大教授 黒田勲氏)で評価や承認を受けながら進める体制になっています。国際宇宙ステーションに搭乗する宇宙飛行士は国際共同で健康管理がなされるので,各宇宙機関の担当者との国際調整の後に運用が実施されます。
 また,健康管理に必要なNASDA内部の研究として,日本人宇宙飛行士の飛行前後の骨,筋肉やカルシウム代謝に関する医学データの取得や,精神心理支援手法の確立を目的として,240日間の長期閉鎖実験をロシアと国際共同で実施しています。
 なお,宇宙環境利用研究センターの併任業務として,国内の医学研究者に対する「宇宙環境利用に関する公募地上研究」と「軌道上研究の国際公募」等の研究推進,および日本の宇宙医学研究シナリオについての協議を実施しており,各種関連委員会にNASDA側事務局の一員として参加しています。NASAその他の各宇宙機関の医学・ライフサイエンス担当者と今後のISSの研究推進戦略に関する国際調整にも参加しています。
 現在,筑波宇宙センターでは3人の国際宇宙ステーション搭乗員候補者が基礎訓練を実施中です。私はこの中の宇宙医学,生理学の講義や,医学ライフサイエンスに関する実習等に関与しています。また国内外からの見学者への対応も適宜行なっています。

日本の宇宙医学研究と研究シナリオ

日本の宇宙医学研究の歴史

――日本の宇宙医学研究の推進制度と研究シナリオについて教えてください。
大島 日本における宇宙医学研究は,日本人初の宇宙飛行士の選抜をきっかけに1980年ころから開始され,その後欧米やロシアの研究動向調査,ベッドレスト実験や閉鎖環境試験など国内外の研究機関との共同研究が実施されてきました。1994年からは科学技術庁とNASDAが中心となってフロンティア共同研究が実施され,宇宙医学の各分野における研究の活性化と研究者コミュニティの育成が図られました。現在宇宙開発事業団では以下の「公募地上研究」と「軌道上研究の国際公募」を,日本宇宙フォーラムに委託して実施しています。

公募地上研究

大島 1997年度から始まった「宇宙環境利用に関する地上研究公募」は,宇宙環境利用に関連する準備研究を推進することを目的として,大学,国公立研究機関,民間企業などの研究者を対象に毎年幅広く研究テーマを募集しています。1999年度は,微小重力,生物科学,バイオメディカル,宇宙医学,宇宙科学,地球科学,宇宙利用技術開発の7分野で募集が行なわれました。宇宙医学分野においては,フェーズ・9a21・A研究1件,フェーズ・9a21・B研究11件,およびフェーズ・9a21・B萌芽的研究9件が選定されています。公募の案内,選定研究テーマ等の情報は,ホームページで見ることができます。次回は12月初旬に応募要領が発表され,来年1月末の締切として募集が計画されています。幅広い研究者からの応募,トップレベルの研究者の参加が期待されています。

軌道上研究の国際公募

大島 また,宇宙開発事業団では昨年度から,ライフサイエンスおよび宇宙医学分野においてISSに参加する各機関の実験装置等を相互に利用し最大の科学的成果を得ることを目的とした,軌道上研究の国際公募に参加しています。1998年度の「軌道上研究のライフサイエンス国際公募」では,日本の研究者の提案した46テーマのうち,5テーマが採択されました。本年度は2003年から2004年中旬までの期間に実施する「軌道上研究のライフサイエンス国際公募」が募集されました(本紙2357号に案内掲載)。応募された研究テーマは国内予備選考,科学評価,搭載性評価,倫理審査,および参加宇宙機関の最終評価を経て,来年5月に開催される国際選定委員会で宇宙実験候補テーマとして選定されます。
 原則として今後毎年募集が行なわれますので,独創的で有意義な研究テーマの応募を期待しています。

日本の宇宙医学研究シナリオ

大島 JEMの数年後の運用に向けて,日本の宇宙医学研究が軌道上で展開され独創的で有意義な成果をあげること,また研究者の裾野を広げトップレベルの研究者の参加を得た,国をあげての研究推進が望まれています。日本の宇宙医学研究推進シナリオを協議し,必要な提言を行なうことを目的として,1998年度に「宇宙環境利用研究委員会/宇宙医学専門委員会」(委員長:東海大医学部長 黒川清氏)が創設されました。第一線の研究者を交えて,日本の宇宙医学研究シナリオ,重点研究領域,および次期共通実験装置に関して検討を進め,その内容は現在「宇宙医学研究シナリオ」のホームページで公開されています。このシナリオに対する研究者からの意見やコメントを募集しています。
 この宇宙医学研究シナリオは,今後研究者からの意見・コメントをもとに改訂が加えられ,宇宙医学研究の推進指標として活用される予定です。宇宙医学に関する研究応募の際は是非参考にしていただきたいと思います。
――本日はありがとうございました。

 本文で紹介されました,宇宙医学研究やNASDAの活動,「軌道上研究の国際公募」や『宇宙医学研究分野の当面のシナリオ』等について詳しい情報を知りたい方は,下記のホームページをご覧ください

●宇宙医学の研究に関する関連ウェブサイト

宇宙開発事業団:http://www.nasda.go.jp/

日本宇宙フォーラム:http://www.homepage.co.jp/jsforum/

筑波宇宙センター:http://yyy.tksc.nasda.go.jp/Home/Space_Utilz/index_j.html

宇宙ステーション:http://jem.tksc.nasda.go.jp/

宇宙医学:http://jem.tksc.nasda.go.jp/med/index.html

宇宙環境利用と実験:http://jem.tksc.nasda.go.jp/utliz/index.html

公募地上研究:http://www.homepage.co.jp/jsforum/kenkyu/index.htm

1999年国際公募:http://www.homepage.co.jp/jsforum/lifeao/index.html

宇宙医学研究シナリオ:http://jem.tksc.nasda.go.jp/utliz/jp_senario_med.html

宇宙医学研究シナリオに対するコメント送付先(Email):medicine@nasda.go.jp

国際宇宙ステーション

 国際宇宙ステーション(ISS)は,地球から約400km上空に建設される巨大な有人施設で,1周約90分のスピードで地球の周りを回りながら,地球・天体の観測や実験・研究などを行なう。これはアメリカ,日本,カナダ,ヨーロッパ各国,ロシアが協力・利用する史上初の国際共同プロジェクトである。1998年にロシアのバイコヌール宇宙基地から打ち上げられた最初の構成パーツ基本機能モジュール「FGB」(愛称「ザーリャ」=日の出の意味)を皮切りに,各パーツが40数回に分けて打ち上げられ,完成は2004年の予定。
 日本では実験施設「きぼう」と呼ばれる,宇宙飛行士が最大4名まで搭乗可能な日本初の有人施設を,2002年から2003年にかけて3回にわたり,NASAケネディ宇宙センターからスペースシャトルにより打ち上げる予定。またこの他,HTV(物質輸送のシステム)や,セントリフュージ(生命科学実験施設)の開発にも着手している。現在,ISSに搭乗する日本人宇宙飛行士候補者3名が筑波宇宙ステーションを中心に基礎訓練を受けている最中。
 ISSは,宇宙という特殊な環境を利用した種々の実験・研究を長期間行なえる場所を確保し,その結果を活かして科学・技術をより一層進歩させることを目的としている。そのためISS内部では,各国の宇宙飛行士がさまざまな分野の実験・研究を行なう。ISSの主な実験や研究の内容を以下にあげる。
 (1)微小重力実験,(2)ライフサイエンス実験,(3)宇宙医学,(4)有人宇宙技術,(5)宇宙科学・天文観測,(6)地球科学・地球観測分野,(7)宇宙利用技術開発